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インヴェーション・クライシス

 表面上は5ヶ月ぶりですけど、前回の予告は既に本来の29話に差し替わってますので、まだの人はそっちを先に読んだ方が分かりやすいですよ (ダイマ) 。

 では本編どうぞ。

~1~



 パプリは目覚めた。


「ふわぁ~……」


 豪快に欠伸を掻いて1階へ降りると、いつものように食卓を囲む家族の姿が目に入った。


「あらパプリ、やっと起きたの? ……やだもう、そんな寝癖しちゃって……」


 母が、新しく皿に朝食を盛りつけながら、菜箸でパプリの頭髪を指した。場は笑いに包まれ、パプリは照れながら髪を掻いた。


「おにいちゃん、おマヌケさんみたい!」

「おい、ピポラ! 兄ちゃんに向かって、おマヌケさんとはなんだ!」

「キャハハハハ!」


 妹にからかわれ、パプリはややムキになりながら、一層顔を赤らめた。


「おっと、いけねえ! そろそろ時間だ!」


 父は、魔晶台に映るニュース番組の画面左上の時計を見ると、慌てて残りの朝食をたいらげ、仕事着と必要な装備を持って戸口へ向かった。


「父ちゃん、今日の『ガイジュウ』は!?」

「ん、おう。ペガルアンキラスだ」

「ペガルアンキラス! ペガル属ペガル目ペガル科の、あのペガルアンキラスだね!」

「おう。平凡善良な農家の畑を食い荒らして、人様に迷惑をかけていやがるんだ。まあ奴らにも生活があるのかもしれねえが、同じ人間が困り果てている以上、放ってはおけねえ。ちょっくら行って、また一つの細やかな平和を取り戻して来るぜ!」

「わーい、かっくいー! さすがは『地域害獣対策委員会(ヴァーミン・バスター)』だ! ボクにとっての救世主は他ならぬ父ちゃんだよ!」

「はっはっは! よせやいお前! そんなお前! ……他ならぬって、お前、どこでそんな言葉覚えた……まぁいっか! じゃ、行ってきま~すっ!」

「行ってらっしゃ~い!」


 大きく手を振り合い、父はこれから冒険へと繰り出す少年のように駆けていった。


「あの人も子供よねぇ……」

「おとこって、たーんじゅん」


 母とピポラはボソッと呟くと、可笑しそうに笑った。


「かっくいーなぁ、父ちゃん……かっくいーなぁ、ヴァーミン・バスター……」


 その横で、パプリはキラキラと目を輝かせながら自分の将来を夢見ていた――大人になったら、いつか尊敬する父と同じ、ヴァーミン・バスターになるんだ。


「パプリ! いつまで呆けてんの! あんたも早く食べないと遅刻しちゃうでしょ!」


 母の怒号に飛び上がらんばかりにおののき、パプリは朝食をかっ食らった。バタバタと米粒1つ足りとも残っていない皿を台所へ運び、テーブルに脚の小指をぶつけて吹っ飛びながら、学校へ行く仕度を始めた。


「おにいちゃんは本当のおマヌケさんだったんだね」


 真顔で妹に毒づかれながら、パプリは片方のみ涙目で外へ出た。


「ちぇ、母ちゃんやピポラは分からないんだよなぁ、このロマンがっ! ヴァーミン・バスターは、全国津々浦々の男たちのアコガレなのだ!」


 図鑑で聞きかじった言葉をまた使い、パプリは独りごつ。実際、少年の志は本物だった。父の背中が、何より彼自身の心が、魂が命じていた――己の進むべき道へひた走れ、と。


「やれやれ、いつもより出て来るのが遅いと思ったら」


 家の戸口の脇には、見知った2人の友人がいた。腕を組んで笑っている少年は、パプリの親友のレッサだ。彼の言葉に次いで、その隣の少女が、長い溜め息を吐いた。


「まったく、パプリはいつもソレばっか! ちょっとは違うこと考えたら!?」


 彼女はフェンデ。パプリとレッサとは物心つく前から一緒にいた幼なじみである。


「考えない! ボクはヴァーミン・バスターになる! 小さい頃からずっと決めてることなんだ! 大きくなったら真っ先に狩猟免許ライセンスを取って、卒業したら害獣対策委員会に入るんだ! ゆくゆくは地域担当から国際的なバスターになって、世界中の困っている人たちを助けるんだ!」


 声高に宣言するパプリ。レッサはより豪快に笑い、フェンデはより一層呆れたように唸った。


「なにがバスターよ! いきものをイジメてるだけじゃない! かわいそう! ワタシたち人間は自力で食べものとか育てられますけどね、他のいきものはそうはいかないのよ! 別のいきものを食べるなり、お食事を横取りするなりしないとね、生きていけないのよ!」

「それが誰かの迷惑になってるんだっ! それを助けるのがヴァーミン・バスターのシメー(使命)なんだ! たしかにガイジュウだって必死なのかもしれないけど、ボクたち人間だって必死なことに変わりはないんだから、お互い様だよ!」

「強い人が自分より弱い人の事情をソンチョウするのは当たり前でしょ!?」

「ガイジュウは人じゃなくてガイジュウだぞ!」

「揚げ足をとらないでよ!」


 歩きながらの2人の議論が白熱し、道を行き交う人々の注目を集め始めていた。それを見かねたレッサが、その間に入って仲裁した。


「おいおい、今朝から凄いケンカだな。勢いもそうだけど、内容が凄いケンカだな。年端もいかないガキンチョがこんなこと話して、立派なことではあるけどさ、似合わないぜ。もっと楽しい話をしようぜ! たとえばさ、今日の給食の話とかさ」

「なに言ってんだよ! ヴァーミン・バスターの話が一番楽しいだろ!」

「同い年なのにガキンチョとか言わないでよ!」


 パプリとフェンデが、それぞれ片側の鼓膜を破らんばかりに拒絶した。レッサは三半規管をやられたのか、頭で小さく円を描きながら、2頭の猛獣の間から身を退いた。


「――キミ、ヴァーミン・バスターを目指してるの?」


 パプリは背後からの声に振り返った。そこには見慣れない3人の少年が立っていた。左から大中小と、階段のように身長の差が明白な3人組は、見ると他国の特徴を有する服装をしていることに気がついた。

 マスケティア王国民の旅行服である。


「そ、そうだけど……」

「そうなんだ!」


 真ん中の中背の少年がずいっと歩み寄り、パプリの手を握った。ぐわんぐわんと勢いよく腕を振られ、パプリは体ごと上下に揺れた。

 少年はパプリを解放すると、デンと胸を張って姿勢を正した。


「ボクはサリス! こっちの小っちゃいのはカナードで、でかいのがシャンだ!」

「は、はじめまして……」

「よろしく~」


 カナードはオドオドと、シャンはのんびりとした口調で挨拶した。


「ボ、ボクはパプリ……」

「……あ、オレはレッサ。一応」

「え……じゃあ、ワタシはフェンデ」


 3人は口々に名乗って、ペコリと頭を下げた。サリスたちは紹介を受けると、得意げに笑って仁王立ちした。


「ボクたち、マスケティア王国近衛(このえ)剣士隊を目指してるんだ!」

「マ……マスケティア王国来ねえ剣士隊!?」

「マスケティア王国近衛(こ!の!え!)剣士隊! 来てよ! いつか! いいとこだから!」

「マ、マスケティア王国近衛剣士隊……なにそれ!」


 パプリの潔い問いに、サリスらはその笑みを急速に曇らせていった。レッサとフェンデは、慌ててパプリの頭をペシンとはたいた。


「おっ前、バカ! マスケティア王国近衛剣士隊って言ったら、王国と国王を守る精鋭が集う剣豪軍団だろ! そんなことも知らないのかよ! 頭ん中ヴァーミン・バスターだらけか!」

「そうさ! ボクはいつだってヴァーミン・バスターのことだけしか考えてないよ! あとボクはバカじゃないよ!」

「ここまでバカでよく国際的ヴァーミン・バスターになるだなんて自慢げに言えるわよね! バカよ! 国際的バカ! こうなったらもうヴァーミン・バカダーにでもなっちゃいなさいよ!」

「ヴァーミン・バカダーってなんだ! ボクはバカじゃないよ!」


 3人が騒いでいると、サリスが『エッホン!』と咳払いした。控えめなのと大げさなのとが中途半端に混ざり合って微妙なものとなってしまった一声を、しかし3人は聞き取れたのか、バツが悪そうにシーンと静まった。


「――で。 ボクたちはマスケティア王国近衛剣士隊を目指す剣士の卵なんだ。王国と世界の平和を守るために戦う将来を夢見つつ、今は故郷の街の安全を守るパトロールを主に行ってる。そう……ボクたちは、アルマニャック少年剣士隊なのさ!」

「ア……アルマニャンコ少年剣士隊!?」

「アルマニャック少年剣士隊! なんだよニャンコって!」

「ア、アルマニャック少年剣士隊!?」

「キミわざとやってる!?」


 サリスはいよいよ苛立ち始めたようだった。パプリが『そんなまさか!』と否定すると、いくらか鎮まったようではあるが。


「――で! 僕たちは街の平和を守ってるのさ! 今は、この間お世話になった救世主様に会いに、この街へ来てるんだ」

「そうなんだ! じゃあ、ボクたちは街の人々の役に立ちたいって『ココロザシ』を同じくする同志だね!」

「うん! もしこの街にクラウズが現れたら、ボクは必ず飛んでいくよ。救世主様に助けてもらった恩を返すんだ」

「なら、ボクもクラウズがアルマニャックを襲ってきたら、急いで駆けつけるよ! ヴァーミン・バスターとして、人に迷惑をかけるいきものをやっつけるんだ!」

「じゃあ、約束しよう!」

「うん! 男と男の約束だ!」


 パプリとサリスは、互いの右手で拳を作り、それを重ねた。


「ボクたちは、離れていても友達だ!」


 ここに、遠き国々の境界を越え、幼い少年たちに友情が芽生えた。



~2~



 ウィルは支援部隊作戦科・通信科本部の通信室にいた。グレイたちをサポートするための指令を出すべく、任務中はここに常駐し、いかなる局面においても作戦科のスペシャリストらが打ち出す作戦に則り、適宜対処しているのだ。

 現在は、ポルタの向こう側へ旅立った救世軍第2中隊の総員が拠点を設置しており、また彼らに迫る脅威も今のところ観測されていないため、一先ず安堵できる状況となっていた。唯一、彼らの拠点が位置する場所へ接近する可能性のある個体が確認されたが、それも早急に排除された。

 順調だ。全てが上手くいっている。


「おい、誰かこのバカ2人を引き剥がしてくれ! こんなん目の前で見せつけられたらたまらねえよ! やってられっか!」


 本部の内線で通信が入った。ウィルは自らの魂が宿した武器である愛用の刀を手入れしながら、通信に応じた。


「どうした、ベ――ビーコン」

「今お前またベーコンって言おうとしたろ? はっ倒すぞ! 俺の総重量を舐めるなよ! いくらお前のヨロイが硬いからってよぉ、侮るなかれ俺が一度お前にのしかかれば、その細い体もろともに粉々にペシャンコにしてやれるんだからな! そこんとこよく考えてから物を言いやがれ」

「……どうしたんだ」

「ツートンとベルがやることないからって、公衆の面前でくっさい口説き文句を吐き合いながらイチャついてやがるのさ! ウザってえよマジ! 誰か止めてくれぇ!」


 ウィルは肥満救世主の助けに応じ、通信の接続を夫婦2人に切り替えた。


「おいそこ。今は公務の真っ最中だ。私事に耽るのは慎んでもらいたい」

「え~、なんでよぉ~。2人を結ぶ愛の前には、どんな障害も無意味なのよ~?」

「いや知らん。俺は真面目に仕事に取り組めと言っている」


 ベルの鼻につく猫なで声に、ウィルもにわかに苛つき始めていた。


「おいおい、なに言ってるんだ隊長さんよぉ。俺たちはちゃんと仕事してるぜ?」

「なに、そうなのか?」

「俺たちは互いに愛し合うのが仕事だぜ?」

「違う。通信をいかなる時にも滞りなく送受信できる状態に常に維持することが仕事だ。くだらないことを言うんじゃない」

「はぁ!? 俺たちの愛をくだらないだとぉ!? 抜かしてくれるじゃねえか!」

「……なんでもいいが、ともかく少し黙っていてくれ」


 ウィルはうんざりして通信を切った。これが果たして2人の抑止として役立つかは知れないが、この調子で会話を続けるのは耐えがたかった。

 ウィルは、次いで作戦会議室に通信を繋いだ。


「こちらウィル。応答願います」

「はい、こちらポレミカ」


 呼びかけに応えたのは、作戦科のリーダーだった。


「そちらはどうだ?」

「言われた通り、砂漠地帯での作戦行動の指示に秀でたエクトゥス、未知の場所での探索とリスク考慮を専門とするエリミア、そしてチーフの俺がメイン、他はサブに回りつつ指令・作戦立案を即座にこなせる編成にしておいた。特に戦闘における作戦指揮に長けたデュナミスは、メインとサブの中間として、いつでも参入できる」

「了解。今回の任務、君とエリミアは必然的に常駐することになる。長時間の作戦指揮で苦しいだろうが、よろしく頼む」

「大丈夫、今夜の分まで、昨日しっかり寝ておいた」

「それは頼もしい――通信科とは大違いだ」

「え? なんだって?」

「なんでもない。こちらからは以上だ」

「分かった。じゃあ、切るよ――いや、ちょっと待った」


 ポレミカは少し逡巡した末に切り出した。


「どうした? 何かあるなら、遠慮なく言ってくれ」

「いや、別に何かあるってレベルじゃないんだけど……その、見渡す限り砂漠となると、こっちじゃエントゥスは暇になってな。暇を持て余した彼女が、妹のエクトゥスの髪の毛をむしってるんだ」

「髪の毛をむしってる? な、なんだ、それは」

「いや、なにってそのままの意味さ。当分役目がなくて暇だからって、彼女の髪の毛をむしってるんだ。おかげで通信室は、動物でも飼ってるのかってくらい毛だらけでね。ちょっと居づらい」

「暇だからと言って妹の髪の毛をむしるのか……嫌なら止めればいいじゃないか」

「いや、それが当のエクトゥス本人は満更でもない感じで、なんだかイチャついてるようにさえ見えるんだ」

「髪の毛をむしり、むしられてイチャついているのか……彼女はそれでいいのだろうか?」

「そういうものなんだろう、姉妹って」

「そういうものなのか……俺は一人っ子だから、そういうのは分からないな」

「そうなんだ。俺も実は一人っ子なんだ。今でもたまに兄弟姉妹が欲しいと思う時もあるけど、こういうのだったら、少し考えものだな」

「奇遇だな――いや、一人っ子だとかはいい。で、用件はなんなんだ? そろそろ本題に入ってくれないか?」

「ああ、そうだな」


 話が逸れてきたところで、ウィルは思い留まった。任務中にこんな個人的な話に花を咲かせるべきではない。ポレミカも当初の目的を思い出したのか、バツが悪そうに笑った。


「……で、どうすればいいかな?」

「は?」

「だから、エントゥスにエクトゥスの髪の毛をむしるのをやめてほしいんだけれど、当のむしられてる本人が楽しそうだから止めに止められず、どうしたものか悩んでいるんだ、俺たちは」

「知らん」

「そんな無責任なこと言わずに、頼むよ。助けると思って」

「その程度で『助ける』だなんて言うな。世界中の『助け』が必要な人々に失礼だ。というか、そもそもこの会話の始終どこにも責任などない。全ての『責任』を課せられている人々に失礼だから、その言葉も遣うな」

「えぇ……」

「切るぞ」


 ウィルは一方的に通信を切った。前言撤回――どちらとも緊張感に欠けている。ウィルは2つの科の今後を憂えた。


「おい! 応答してくれ!」


 そこへ、またしてもビーコンから通信が入った。その声の調子からして切羽詰まっているようだが、ウィルは真面目に受け答えるだけ無駄だと、呆れ顔で応じた。


「今度はなんだ」

「プロトンとクトロンがババ抜きを始めやがった! あの双子に勝敗がつくわけもねえのに、ふざけやがって!」

「ババヌキ……? なんだそれは。君たちの元の世界の料理か?」

「延々と手札が1枚になったり2枚になったりを繰り返しているだけで、全く決着がつく兆しが見えねえ!」

「手札? ……ああ、ゲームのことか」

「しかも奴らときたらそれが面白おかしい風に笑って、イチャついてやがるんだ! 頼む! 誰か助けてくれぇ!」

「どうしてみんな暇ができるとイチャつくんだ……というかその2人は双子だろう!? 自分と同じ顔の人間とイチャついて何が楽しいんだ!」

「知るかよそんなもん!」

「分からない……俺が一人っ子だからか? 兄弟姉妹がいればまた違ってくるのか……?」

「だから知るかって! なんでもいいからやめさせてくれ!」

「……いや、確かに勤務中に遊ぶのはいかがなものかと思うが、周りに迷惑をかけていないなら問題ないんじゃないか? 毛をむしったりでもしなければ」

「考えてもみろよ! 全く同じ顔した2人が正面きってイチャつきながらババ抜きしてるんだぞ!?」

「そのババヌキがどういうものかは知らないが……」

「気持ち悪いだろ!」

「……切るぞ」

「待て! 後生だ!」


 ウィルは容赦なく通信を断った。全てが面倒になっていた。座席の背もたれに身を預け、溜め息をつきながら目頭を指で摘まむと、なんだか自分が激務に追われて疲労困憊しているような気がしてきたが、そうではなかった。

 しかし、これは同時に良い傾向であるとも思った。勤務態度はともかくとして、通信室と作戦会議室がこれほど弛緩した空気に包まれているということは、現地での任務が順調であることに他ならなかった。実際、索敵を兼ねた防衛線には、未だ脅威の迫る様子はない。

 油断ではなく、余裕の賜物であった。


「……そうか、もう昼時か」


 遠くで学校の鐘が鳴るのを聞き、ウィルは呟いた。ポルタの先の世界で救世主たちが任務に臨んでいる一方、こちらではいつもと何ら変わらない日常の風景が映し出されている。


「たっ、大変です!」


 今度は、ウィルのすぐ後ろに座る兵卒の絶叫が聞こえた。またか……目下、特にこれといった異常の見当たらない室内を見渡しながら、ウィルは『どうした?』と訊ねた。


「コード:【クリムゾン】反応が出ました! ――この街の四方、同時に展開されます!」


 ウィルは、室内の全員に響き渡る声に、すぐさま駆けつけた。彼が驚愕して凝視する魔晶を見ると、その言葉が紛れもない真実であることが明白に示されていた。

 それは同時に、誰しもが想像だにしなかった、恐るべき事実であった。


「馬鹿な!」


 ウィルは直ちに元いた席へ戻り、机上の赤いスイッチを押した。



~3~



 パプリは大口を開けて欠伸をかいた。教師が他国の歴史について延々と間延びした口調で解説し、長ったらしい板書を写すよう言外に命じ、極めつけは薄ら寒いヒストリックジョークを連発して、ただでさえ弛緩し、停滞し切った室内の雰囲気にトドメを刺すかの如き劣悪な授業にうんざりしているのだ。

 苛立ちが募るばかりで、これでは何の罪もない歴史そのものに辟易して、挙げ句ヒストリーどころかヒステリーになってしまいそうだ。

 理科は大事だ。ヴァーミン・バスターにとって処理対象となる生物の生態や性質の把握は不可欠であるし、処理方法として罠の設置が採用された場合は物理科目での教養が物を言う。更には対象が何らかの疫病にかかっていたならば、薬草や原生植物を調合して治療薬を投与しなければならない事態となり、その際は化学分野の専門知識が必須だ。

 算数は数を数える技術として、ヴァーミン・バスターどころか人類として極めて一般的な基礎知識だ。国語は一見ヴァーミン・バスターには縁のない科目かもしれないが、報告書の作成や後に出版する可能性がなくはない自伝の執筆に関わる文才の育成に重要となる。体育は野生生物を相手取る職に就くならば言わずもがな修得すべきであり、芸術科目は楽しいからやる。

 だが歴史はどうだ? 勉強して良いことがあるだろうか? ない。一つとしてない。全くだ。皆無と言っていい。これほどヴァーミン・バスターにとって無意義な科目があるだろうか? いいやない。他に類を見ない必要性のなさだ。

 何も社会科目そのものを否定するわけではない。地理は大事だ。各国、各大陸の気候を知ることで現地生物のおおまかな生態を推測できるし、その風土に適した行動の仕方や罠の張り方も違ってくる。また害獣の処理に関する法的措置も国や地域によって異なる。そうなると政治、更には絶滅危惧種に指定され保護対象となっている生物を、金銭目的で乱獲するハンターたちから守るため経済学も自ずと修得する必要が出てくるはずだ。

 だが歴史はどうだ? 国際的ヴァーミン・バスターになるにあたって、各国各地の歴史について詳しいことが、果たして利点となることがあるだろうか? 断じてない。なぜなら人間の歴史など、その近隣に生息する数多の生態系、そしてそれを構成する生命体の織り成す歴史の密度に比べれば、へのかっぱだからだ。

 いつ革命が起きただの、どこそことだれかれとが同盟を結んだだの、宗教戦争だの神話論争だの、ヴァーミン・バスターの活動に一切貢献しないのだ。パプリはそう思っていた。故に彼にとっては歴史の授業など知ったことではなかった。ついでに言えば歴史を教えている教師が気に入らないのも理由の一つだった。

 歴史に興味はない。ヴァーミン・バスターという役職の変遷だけは、その創始から現在に至るまで全て暗記する所存であるが、それ以外は眼中にない。

 そんなわけで。パプリは机に突っ伏した。


「突っ伏すなーっ!」


 教師の発した爆音に、パプリは飛び起きた。眼を閉じた一瞬が、長きに渡る安眠に思えた。近くの席では、レッサとフェンデが呆れた様子で彼を見つめていた。


「パプリ! お前いっつも寝ているじゃあないか! 夜更かしか!? 他の先生の授業でも寝ているのか!?」

「そっ、そんな! 誤解です! ボクは歴史の授業でしか寝てません! 他の授業は全部ちゃんと受けてます!」

「何ぃ!? 俺の授業だけ寝るとは随分とナメくさってくれるじゃあないか!」


 パプリはその怒号を聞いて即座に『しまった』と唇を噛んだ。日頃の他の科目における授業態度の良さを正直に述べることは、この場合はむしろ逆効果だ。しかも彼は怒ると怖い。

 歴史の授業云々より以前に、パプリは自分の歴史が終わるのではと肩を震わせた。

 しかしその時、ちょうど終業の鐘が鳴り、パプリを救った。教師は苦虫を噛み潰したような、顔中のあらゆる線を浮き上がらせた表情をした後、授業の終了を全員に告げ、立ち去った。同時に教室の児童たちが、一斉にそれぞれ昼食を食べる面子の元へと散らばっていく。

 パプリがホッと胸を撫で下ろしていると、レッサとフェンデが各々の弁当箱を持って彼の元へ来た。


「なんであんなえらいタイミングで寝ようとするんだよ。もう終わるって時だったろ。あと数分、目を開けて背筋伸ばしてればよかった話だろ」

「いいや、ヴァーミン・バスターに中途半端は許されないんだよ。寝るか、寝ないかだ。だからボクは寝ることにしたのさ」

「なんかもうお前のそれがただの言い訳に聞こえてくるよ」


 レッサは溜め息混じりにパプリの前の席に座り、机に二段弁当を置いた。一方フェンデは、パプリの隣の空席にドンと可愛らしい動物型の弁当箱を叩きつけ、両手を腰に当てあからさまに怒っている風に詰め寄った。


「まったくもう! いい加減にしてよね! パプリが叱られたら、ワタシまで怒られちゃうんだから!」

「え? なんで? フェンデはボクのママでもなければガールフレンドでもないのに」

「なっ……! ち、違うわよバカ! アホっ! 国際的アホ! 国際的ヴァーミン・アホダー!」

「アホダーじゃないよ!」


 フェンデは心なしか悔しそうな顔をしていた。


「学級委員長だから! クラスにこんなマヌケがいたら、ワタシの『カントクフユキトドキ』になるのよ!」

「なんの料理? それ――ていうかボクはマヌケじゃないよ! 今朝ピポラにも言われたけど、ボクはマヌケなんかじゃないよ!」

「大体、なにが『ヴァーミン・バスターに中途半端は許されない』よ! ヴァーミン・バスターは困ってる人を助けるんでしょ! 害獣とか言っちゃって、パプリが一番みんなを困らせてるじゃない!」

「ボクがっ!? そんなのデタラメだね! ボクがいつ誰を困らせたのさ!」

「この前の歴史のグループ発表で、パプリだけ調べものサボったでしょ! おかげでみんなの発表がめちゃくちゃよ!」

「ぐ、ぐぬっ……」

「それだけじゃないわ! さっき、歴史以外はちゃんと授業を受けてるとか言ってましたけどね! 国語の作文で嫌いな先生の悪口ばっか書いたことあったでしょ!」

「それだいぶ前のことだよ!」

「しかもわざとなのかただのバカなのか知らないけど、名前書いてなかったからクラス中で犯人探しよ! 名乗り出なさいよ! すぐに! もう困らせるどころか知らんぷりよ! ヴァーミン・バスターの使命もへったくれもなくなっちゃうわよ!」

「……そっ、そういうヘリクツをノベツマクナシに並べまくるのは違うとボクは思うよ!」


 パプリは顔を真っ赤にして反論した。2人の喧嘩は白熱する様相を呈していた。


「おい!」


 だが、それをレッサが例の如く止めに入った。彼は2人ではなく、窓の外を――ただ一点を見つめていた。


「あれ……」


 パプリとフェンデは彼の指差す先を見た。見開かれた眼には、パプリの顔よりも遥かに真っ赤な、深紅の空が映し出された。それは歴史の授業を受けずとも、今を生きる誰しもが一度は目にした最悪の凶兆だった。

 同時に、どこからともなく緊急事態の発生を街中に告げる警報が、轟々と鳴り響いた。慌ただしくなる室内。そして自ずと児童たち、ウルプス市街の住人たち、多くの人々がそれを目にすることとなった。

 クラウズ侵攻の印――4つのポルタが街を取り囲むように開かれていた。



~4~



 救世軍の本拠地スコラ学院では、この非常事態を受け、実動部隊の全救世主に緊急召集がかけられた。総員、速やかに噴水広場に集結せよ、と。

 当然、その中にはヒルトやシース、アローらの姿もあった。


「なあ、このサイレン……」


 ガードが、キュアドリンクをホルスターに入れながら言った。


「ああ。この大都市に、しかも4つ同時に突然現れたポルタ。その発生を開く前に察知し、危機を伝える――コード:【クリムゾン】、初の布告だけど、どうやら回収された装置を元に支援部隊が開発したというレーダーの効果は確かなようだね。今後は、開いた後に民間からの通報を待つばかりでなく、こっちが事前に手を打つことが出来る」


 シースは赤く染まった空を見上げ、答えた。


「今後より、大事なのは今だよ。街にポルタを展開すると長く持たないから、敵は人口の少ない場所を選んで侵攻してくるんじゃなかったの!? それに、4つのポルタが同時なんて、前例がないでしょう? レインたち、向こうで何もなければいいけど……」

「大丈夫。今頃は本部から撤収の命令が出されてるはず。こんな緊急事態に、任務を続行させるのは危険だもん。クロムたちなら無事に帰ってこれる。ボクは信じてる」


 不安げに街の端のポルタを見つめるレインを、バレットは快活に微笑んでで励ました。


「全体、注目!」


 号令と共に、救世主たちのガヤガヤとした私語の一切がピタリと止んだ。正門の前に仁王立ちしているのは、ウルプス正規軍の士官である。


「現在、街の外縁部の警護に当たっていた正規軍の防衛隊が、ポルタより襲来したクラウドたちの迎撃任務に一早く参入している。諸君も現場へ急行・合流して共に敵を掃討してくれ。また、今回ポルタは4ヶ所に同時展開され、敵も四方から続々と侵攻し始めている。これに対し救世軍も4つの部隊に別れ分散し、対処することになる。

 第1中隊A、B、C小隊は北。D、E、F小隊は東。第3中隊A、B、C小隊は南。D、E、F小隊は西。以上が采配となる。これよりヴァントを展開する! 今指示した順に隊列を組め!」


 救世主たちは、ものの数秒で綺麗な直線上にまとまった。第2中隊を除く、総勢480名の救世主――現在この街を防衛できる、救世軍の全戦力だ。


「これより順に、街の四方それぞれに設置された拠点へと繋ぐ。東方迎撃部隊は、北方迎撃部隊の転移が完了した後、待機せよ!」


 士官が手で合図を送ると、正門の両脇の石柱に立っていた兵卒2名がヴァントを起動した。救世主たちの眼前に、巨大な透明の膜が形成される。

 しかし、それが完全に形成され終える直前、その膜の向こうで3つの人影が立ち止まった。


「あー! カナード! シャン! きっとここだ!」

「本当だ! 大きい建物!」

「あっ! 待ってよ! なんかやってるよぉ!」


 その3人は、まだ形成が不完全なヴァントを、向こう側から通り抜け、救世主たちの隊列の前に飛び出した。


「あのっ! つかぬことを聞きますが、そちらに朱のマントを着た救世主様はいらっしゃいますか! ボクはマスケティア王国アルマニャック街のサリスと申します! あかのマントの救世主様には大変お世話になり、今日はそのお礼がしたくて参りました!」


 声高に告げる少年に、救世主たちの困惑の声が広がった。


「朱のマントって……グレイのことだよな?」


 ヒルトは仲間たちに小声で言った。720名の救世主が属する救世軍。即ちマントも720色がそれぞれ個別に割り振られている。誰一人として同色は存在しない。これは各人の情報諸々を確実に把握・統制するための措置である。

 故に、朱のマントが示す人物は、自ずと1人に絞られるのだ。


「ああ。彼のマントの色は確かに朱だ」

「それに、レインがこの前の任務でパレードをしたって言ってた。その任地の名前も、たしか彼の街だったはずだよ」


 シースとアローの言葉で、ヒルトは確証を得た。彼が探しているのはグレイだ。


「こら! ここで何をしている!」


 しかし3人の少年たちを、士官とヴァントを起動させた兵卒2名が捕らえてしまった。


「うわー! ななな、なんですかー!」

「わー! 助けてー! 怖いー!」

「だから待ってって言ったのにー!」


 3人が口々に喚く。士官らは少年たちを、ヴァントの脇を通って追い出そうとしていた。


「おい! 子供相手にあそこまですることはねえだろ! 悪気があったわけじゃないはずだ! もうちょっと優しくしたって――」

「ガード。今はれっきとした戦争の真っ最中なんだよ? 子供とはいえ容赦はできない。許容はできない。人命が懸かってるんだから。それが他国の子供ともなれば、なおさら厳しく接しないと。特に今のは危なかったよ。もう少し通り抜けるのが遅かったら、戦地の最前線に転移してたんだから」


 歯を剥き出しにして怒りを露にするガードを、バレットが冷静になだめた。そうだ。クラウドの軍勢が、街の四方から攻めてくる。これはもう戦争なのだ。

 しかし、ヒルトは駆け出した。後ろでガードやアローが静止する声も振り切り、B小隊やA小隊の救世主の群れを掻き分け、3人の元へ走る。

 彼らはグレイに会いに来たのだ。グレイが今、この世界のどことも知らぬ場所――もしかしたらこことは違う世界かもしれない場所へ、任務のため赴いていることも知らずに。そして、今が戦争中であるということを知らずに。

 ならばせめて。グレイの状況を知っている自分が何か言ってやらなければ、万が一もしものことがあった時、どうなる。何も知らずここへ舞い戻り、巻き添えを食ったら? 誰かが二度と会えなくなったとしたら?

 グレイの力は信頼している。正規軍の避難誘導能力も信頼している。しかし、何が起こるか分からない。それはこれまでのクラウズ・クラウドとの戦いで幾度も痛感した。

 何が起こるか分からない――いつ悲劇が起こるか、分からない。それが戦争なのだ。だから、ヒルトは走らなければならないと思ったのだ。


「待ってください!」


 ヒルトは士官たちを呼び止めた。学院の敷地外へ連れ出しと、門の外の兵士に身柄を預けるすんでのところだった。


「救世主様!」


 サリスと名乗った少年が、目を輝かせてヒルトの背中のマントを見た。ヒルトは取り合わず、なるべく簡潔にまとまるよう頭の中で言葉を順序立てながら話した。


「グレイは今、危険な場所で任務をしてる。ここも敵の襲撃があって危険だ。グレイにはまた後で会える。だから今は軍の指示に従って避難するんだ。分かったな?」


 サリスたちが何も答えられずにいると、兵士は彼らを馬車に乗せた。馬車はすぐさま走り出し、街道の向こうへと去っていった。だが見送っている暇もない。ヒルトは、士官が『列に戻り隊と合流しろ!』と命ずる前には、元いた場所へと歩いていた。

 戻ってみると、ヒルトはシースが隣でニヤニヤ笑っているのが目に止まった。


「……なんだよ」

「いいや、別に。ただいつものヒルト君と違って、随分と優しいんだなって。そう思っただけさ」

「うるさい」


 シースの意地の悪い返答に、ヒルトはヘッドホンで耳を塞いでしまった。


「北方迎撃部隊、出撃!」


 士官の声が轟き、ヒルトたちの隊列が前進し始めた。ヴァントを潜れば、その先は戦場だ。人民を、街を、ひいては国そのものを守る戦い――侵略者たちとの闘争だ。

 ヒルトの鼓膜を打ち震わす音楽が、彼の士気を昂らせた。

 これから第一章とか第二章と同じようなペースでの投稿に戻せると思います。個人的にトップに、○ヶ月更新がありません、って表記がされたのが悔しかったです。

 一応この第三章までが僕が当初から、ここまでは書き切ろう、と決めていたところです。第一章から第三章までが、丸々1つの大きなストーリーに連なってる感じですね。

 また早めに上げられるように頑張ります。

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