世界の名は【オクシデント】
グレイは愕然としていた。救世主に全てを委ねて何もしなかったケントルムにも確かに呆れたが、今はその比ではない。
来月はペトラーの月だ。ペトラーとは、この世界の言葉で『巌』を指す――預言に記された最初の1語と一致する。
どうしてこんなことに気づかなかったんだ…………グレイのみならず、レインたちやラバルムさえも、誰1人として。
「では、引き続き預言の解読は任せる。ウェイク島への旅程は、こちらで整える。
――【預言者】は、今後も預言をもたらすことの出来るよう、一刻も早く覚醒していただけると大いに有り難い。
救世軍は『孤独の少女』と接触し、預言の真意を確かめるのだ」
聖王が腰を上げると、他のケントルムもゆらゆらと席を立ち始めた。
「――お待ちいただけますでしょうか」
そんな世界で最も重要な人物たちを、引き留める声があった。
グレイは声の主を振り返る。聞き慣れた声だったが、それでも実際に見るまでは、にわかに信じられなかった。
ウィルだ。
「ケントルムは……預言を保管するだけで、何もなさらなかったのですか? 救世主は昼夜を問わず、懸命に預言の解読を試みました。それなのに、あなた方は何も…………?」
ウィルの声音は、畏怖と憤り、緊張が入り混じって震えていた。
聖王が足を止め、ウィルを見た。
すると、ウィルの肩がビクッと痙攣し、半歩退く。
「何度も言わせるでない。戦争の終結が救世主の使命だ。ゆえに、戦いの行方が記された預言の解読も、救世主の成すべき使命。
しかし、現に戦いは終わっていない。預言の解読も、未だ内容の大部分は不明で、驚くほど状況に進展がない。
むしろ、数ヶ月もの時間があってまだこれだけしか成果がないのかと、叱責しないだけ温情と言ってよいのではないかね」
世界の主脳が、厳格に言い放った。
こんなに冷たい人だったか――グレイは、初めて聖王と対面した時を思い起こしていた。
少なくとも、グレイとレインが『救世主の代わり』となることに、憂いを覚える人だったはずだ。
「それに、何もしなかったのはヴォルンテス軍曹とて同じではないか」
今の聖王は、冷血で。
冷徹で。
冷酷な印象を受けた。
「この戦争を終わりまで導く。それが救世主の使命であり、救世主のみに許された、世界を救うという営みだ。
世界中の誰しもがそう信じ、そしてこの【オクシデント】大陸の歴史においても、遥か古の時代より続いてきた【救世主】の役割。世界を救うために【救世主】は現れ、世界は【救世主】に救われることで存続する。
――話は以上だ。ペトラーの月、ウェイク島へ行き預言の通りにせよ」
聖王が言い終え、今度こそケントルムは解散した。
グレイたちも、ここまで案内を引き受けた職員に促され、パラティウムを出た。
金色に煌めく宮から、疎らな足取りで帰路につく一行。
「なにあれ!? あたしたちだって一生懸命やってるのに、感謝の1つもないワケぇ!?」
ブルートが沈んだ空気に耐えかねて、沈黙を破った。
彼女の言う通り、グレイもケントルムの態度には実際、面食らった。
「……だが、何1つ間違ったことは言っていない…………」
ヘイルが歯を食いしばるように言う。あの常に暑苦しいヘイルも、今回の1件は堪えているらしい。
ケントルムは正しい。救世主は世界を救うために存在する。イーヴァスの代わりとはいえ、グレイたちはそのために召喚され、民衆もそれを当然としている。
戦いは、もっと早く終わってもいいはずだった――グレイは、それを未だ成し得ていない事実に焦り、拳を握り締めた。
もしイーヴァスが生きていたら、とっくにこの戦いに決着をつけていたのだろうか?
「それにしても、隊長があんな風に僕たちを庇うなんて、正直意外でした」
スリートがウィルを見据えて言った。
元々、スリートのウィルに対する評価は芳しくなかったが、グレイも内心は同意だった。
ウィルは、世界の中枢たるケントルムに、軍人ながら物申したのだから。
「――庇ってなどいない」
ウィルは悔しげに答えた。
「ふと思ったんだ。君たちは、あくまでイーヴァス様の代わりに救世主の役目を担っている。本来なら、元の世界で平穏な生活をそれぞれ送っていたはずだ。
だが、ケントルムは……いや、世界中の誰もが、そんな君たちに世界の命運を丸投げして、押しつけて、委ねている。それがこの世界――【オクシデント】の実態だ。
だけど、聖王様の言った通りだ。俺も、結局は君たちに全てを任せて、預言のことはまるで何もしていない。それに気づいたら……やるせなくなった」
ウィルは、グレイたちと目を合わせられないようだった。
俯いた顔に浮かべた表情は、おそらく苦悶に歪んでいるのだろう。
兜に覆われて真実は定かでないが、グレイはそう思った。
「そんな……私たち、救世主だから。その役目を果たせばいいだけだよ」
レインが頭を振った。
「たくさんの命を守るために、一刻も早く戦いを終わらせる。私たちは、当然のことをしようとしてるけど、それが出来てない…………」
それを聞いて、ウィルはレインの肩を力強く掴んだ。
「それでも、君たちはまだ子どもだ。たとえ元の世界でなくとも、勉強をしたり歳の近い友人と遊んだり、そういう『普通の生活』を送るものだろう?」
「ウチら、もう大人だけどね〜」
グロウが間延びした口調で言いながら、たまたま近くにいたヘイル、スリート、ネルシスら成人組の顔を覗き込んだ。
「隊長、どうしたんですか? 急に普通の生活とか、子どもだからとか…………」
グレイは素朴に疑問だった。
今まで、あくまでウィルはグレイたちに救世主として接してきたはずだ。
あえて、そうするよう厳しく自身を律してきたようにも見えた。
グレイの問いを聞いて、ウィルは呆然としていた。
「そんなことより、まずは預言だろ。1つ目の預言の3分の1を読み解いただけで、まだ『赤の下と白の上』だとか、『土の門』だとか分からない部分が多い。
俺たちには手つかずの『Χ』の預言も残ってるし、奪われた『Ρ』の預言のことだってある。
まだまだ問題は山積みだ。ひとまずこいつらに専念した方がいいのは間違いない」
クロムが痺れを切らしたように言う。
「そうですね…………あのっ、ラバルムさんも、よければ一緒に来ませんか? ウェイク島」
スノウが恐る恐るといった調子で提案する。
「あっ、それいい!」
ブルートが賛同する。
「え……私も、ですか?」
ラバルムは虚を突かれたようにたじろぐ。
「で、でも……私は早く【預言者】の役目を果たさないといけないですし…………」
躊躇うラバルム。
すると、チルドがガバッとラバルムに飛びつく。
「行こうよーラバルムおねえちゃん!」
ぶらんぶらん、としがみつかれ、ラバルムは少し困ったように笑う。
そんな彼女の背中に、レインが優しく手を置いた。
「ケントルムは、同行しちゃいけないなんて一言も言ってないよ。
サンボダイさんが遺してくれた預言に示された場所……ラバルムちゃんも一緒に来れば、何かのキッカケになるかもしれないし」
「レインさま…………」
ラバルムは嬉しそうにはにかんだが、それでも逡巡しているようだ。
グレイは迷った末に、口を開いた。
「一緒に行こう。部屋に缶詰になってばかりが【預言者】として覚醒する秘訣ってわけでもないなら、少し息抜きしたってバチは当たらない」
「グレイさま――」
ラバルムはグレイの目を真っ直ぐ見つめ、少し俯いた。
やがて、決心したのか顔を上げる。
「――はい。私も行きますっ……!」
話がまとまり、先ほどまでの陰鬱とした雰囲気から一転、グレイたちは和やかな空気で帰路につく。
やがて談笑し、いつものαD2隊に戻ったようだった。
そんな一行の後ろ姿を、ウィルはやや離れたところから眺めた。
「…………変わったのは、俺なのか? それとも――」
ウィルは、かつてグレイが元の世界へ帰りたいと願っていたのが、もはや遠い昔のことのように思えた。