遺されたもの
どうも、abyss 零です。
大変長らくお待たせいたしました。
本編どうぞ。
聖峰アノクタラでの任務からしばらく経った、ある日の夕方――グレイたちは教室に居残って、机の向きをズラし顔を突き合わせていた。
その輪には、次期【預言者】――ラバルムもいる。彼女を含め、全員が険しい面持ちで机のある一点を凝視していた。
そこには、ノートの切れ端が1枚、レインの筆箱を重しに置かれていた。そこには、数行の文字列が、空白を隔てて2つ記されていた。
巌と三角の中心と孤独の少女
赤の下と白の上の彷徨
4の1なる土の門
13人が空に八芒星を望む
魚が海を渡り地を泳ぐ
太陽が浄化と救いをもたらす
前者は、最初に【預言者】――サンボダイと出会うと同時に手渡された預言。
そして後者は、メシアの襲撃から辛くも守り抜いた、2つの預言の片割れ――『Χ』だ。
しかし、いずれも現物はケントルムに回収されたため、今グレイたちが見ているのは写本だ。
「どう?」
ブルートが、誰へともなく訊ねる。その声は低く、うんざりしている風だ。
「全然」
レインが、同様に力なく答える。
気怠げな夕焼けに似合わぬ、ぞんざいな溜め息が周囲でチラホラ吐き出された。
「一体、どういう意味なんでしょう……」
スリートが言った。彼は場の空気と異なり、疲れ果てたような様子ではなく、意欲的に眼前のメモを見つめていた。
「――ダメだ」
クロムが、ガタンと椅子の背にもたれ、教室の天井を仰いだ。
それを皮切りに、何人かがそれぞれ姿勢を崩す。
グレイも、たまらずズルズルと椅子からずり落ちた。
「なんも分かんねえ…………」
隊長ウィルから、学院の授業より預言の解読を優先するよう指令を受けたグレイたちだったが、成果は芳しくなかった。
「抽象的すぎるんだ。なんだ『赤の下と白の上』って」
ネルシスが顔をしかめて、預言を写したメモ用紙を指で叩いた。
「1つ目は、まだ何が言いたいか分かる気がするけど……2つ目はさーっぱりだね〜」
グロウは、もはや欠伸をかいて、机に突っ伏しかけていた。
「女の子を探せばいいのかな〜?」
チルドが椅子の後ろ脚をシーソーのようにして、揺らめきながら言う。
「八芒星、魚、浄化と救い――ラバルムさん、なにか心当たりはありますか?」
スノウは、『Χ』の預言のうち意味深な単語に注目していた。
ラバルムは、力なく首を横に振った。
「ごめんなさい、どれも聞き慣れない言い回しです…………」
ラバルムは長年サンボダイと、アノクタラ山脈で【預言者】の後継として生活を共にした。
それゆえ、眼前の2つの預言に刻まれた独特な語句が示唆するものに見当をつけられると踏んでいたが、だとしたら解読にこれほど困窮してはいない。
預言の現物を押収したケントルム、ひいてはパラティウムの要職に就く重鎮らも解読が難航しているらしいことから、一般的な表現というわけでもないようだ。
「ですけど、預言は基本的に起こる出来事の時系列通りにもたらされます。今回…………ばばさまは『神の喉仏』で1つ、クラウドが襲ってきてから更に2つの預言をしました。
つまり、『巌』の預言が直近に起こり、次に『13人』の預言が実現すると考えていいと思います」
ラバルムの語気は、亡きサンボダイに触れた辺りで、僅かに曇った。本人は態度に出さないようにしているようだが、やはり誤魔化せないほどショックは大きいらしい。
無理もない――グレイはラバルムの落ち込みように気づいて、自身も落胆した。
サンボダイを殺めたのは、他でもない自分だ。ラバルムが悲しい思いをしているのは、自分のせいなのだ。
「――メシアに奪られた預言が、どの位置づけか分かりますか?」
メシアに襲撃された最中にサンボダイがもたらした、2つの預言――『Χ』と『Ρ』。メシアは、瀕死のサンボダイから『Ρ』を奪い去った。
その『Ρ』が『Χ』の前後どちらで起こる出来事なのか、グレイには分からない。
メシアが持つ預言が、今こちらの手元にある2つの預言の間か後、どちらに起こる出来事を記すのか……重要に思えた。
しかし、この問いかけは、やはりグレイには辛かった。
サンボダイに預言を手渡されながらその場で内容を確認せず、あまつさえ預言を強奪したメシアを逃したのも、また自分だ。
あの時、メシアを倒せていれば。もっと強ければ――グレイの自責は絶えない。
「私、『Ρ』の預言の方が後にもたらされたのを見ました。ばばさまの預言は、いつだってしっかり見ていますから…………」
ラバルムは、隣のグレイと向き合って答えた。
彼女はグレイを責めない。サンボダイをこの手で殺める、その瞬間に居合わせていながら。
それが、グレイには何より苦しかった。
「じゃあ、起こる順番としては『巌』の預言の次に『Χ』、最後に『Ρ』ってことだね」
レインが整理する。
目の前のメモに書かれた2つの預言。
その先に何が起こるのか、メシアは――クラウンは知っている。
「逆に言えば、奴らは持っていった預言より前に何が起こるのかは分からない」
クロムが言った。
「ってことは、今のうちに先手を打てるってことだろ。【首都防衛戦】の後、俺たちで話したのと変わらない」
グレイはハッとした。
そうだ。立ち止まってはいられない。過去は、もう変えられない。
なら、今なにをして、どんな未来を掴み取るかだ。
「――そうだな」
今やるべきことは2つだ。
サンボダイの遺した預言とラバルムを守ること。
もう1つは、預言に記された未来を紐解き、戦いを終わらせることだ。
もう2度と、ラバルムを悲しませはしない。
「…………なあ。今までずっと言ってなかったことがあるんだ」
不意に、ヘイルが切り出した。
「なんだよ」
「もしかして、何か気づいたのか、預言のこと!?」
「なに!? そうなのか!?」
「ええい、なんでもいいですから、もったいぶらずに言ってください!」
投げやり気味なネルシスの返答を皮切りに、グレイら男性陣がヘイルに詰め寄る。
ヘイルの面持ちは、なお険しい。
「『巌』ってなんだ。どういう意味だ?」
ヘイルの問いに、なんとも言えない沈黙が流れる。
静寂のあまり、クロムの舌打ちが一際目立って聞こえた。
「――えっと、巌って言葉、そのものの意味ってこと?」
「ああ、単純に巌って言葉の意味だ」
レインが訊き返すと、『当たり前だろ』と言わんばかりにヘイルは答える。
「巌っていうのは、大きな岩のことです。私も最初、分からなくてチルドちゃんと一緒に調べました」
スノウが説明する。
「みんな事前に調べたりしてたのか……」
「お前も見習っとけ」
感心するヘイルに、ネルシスが毒づいた。
「俺も、クロムに教えてもらうまで知らなかったよ」
グレイは照れながら言った。その拍子に足を組み替えると、ポケットに何か入っている感触がした。ラバルムがいる方のポケットだ。
手を突っ込むと、何やら紙が入っている。それに気づいたのを察したのか、ラバルムがチラリとグレイを見た。どこかのタイミングで、彼女が忍ばせたらしい。
グレイは折りたたまれた紙を膝の上で開き、書かれている短い文章に目をやった。
『今夜、2人きりで話したいです』