表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
157/182

未来のための犠牲

 ポルタが完全に閉じ切った後も、グレイはしばらく虚空を眺め続けていた。

 やがてハッと我に返り、サンボダイの顔を覗き込む。まだ息はあるが、このままだと長くはない――。

 グレイは仲間たちに通信を試みた。


「誰かっ、キュアドリンクを持ってないか!? サンボダイさんが危ないんだ! スノウ……誰か、応答してくれ…………!」


 グレイの悲痛な呼びかけも虚しく、返ってくるのは呻き声ばかりだ。


『悪い……キュアドリンクはさっきの戦いで使い切った…………』

『私は持ってるけど、そっちへ行けそうにない……ごめんね…………』

『今、ネルシスさんを治療してます……もうすぐっ、もうちょっとで終わりますから……!』


 クロム、レイン、スノウからは明確な応えがあった。しかし、いずれにしろ今この場で他に頼れる者は、いない。

 その上みんな、さっきのメシアの攻撃でボロボロなのだ。きっとサンボダイと同等か、それ以上の重傷を負っている仲間もいるだろう。まだ誰の死亡も報告されていないが、今後どうなるか…………。

 現状、サンボダイの回復手段はない。どうすれば――。


「ばばさま!!」


 戸惑っていると、ラバルムがおぼつかない足取りでやって来た。彼女も動けてはいるが、身体は血や焦げ跡で損傷が激しい。

 衣服も焼けていて、この雪山の寒さに晒されながら、ところどころ肌が露出している。胸や下半身など際どい部分も見えそうだが、グレイはそんなことを意識している場合もなく、助けを請うように彼女を見つめた。

 ラバルムはグレイの隣で膝をつき、一緒にサンボダイの容態を窺った。


「――あたくしを、ころせ…………」


 掠れた声が、弱々しく漏れ出た。


「時間がない……このままじゃ、あたくしの……【預言者】の力が、奪われる…………奴らに未来を視られたら、終わりだ」


 サンボダイが、皮膚の剥がれた瞼を見開き、グレイに訴えかけた。その切実な瞳に、グレイは思わず視線を逸らした。


「ダメです……俺には、あなたを殺める手段がない……あなたを敵とは思えない…………」


 グレイの武器・ヤーグは、自らの魂が具現化したものだ。敵と認識したもの以外に、危害を加えることは出来ない。


「その手があるだろう…………」


 サンボダイは、よろよろと震えながら、グレイの手を力強く掴んだ。


「絞め殺せっ…………!」


 グレイは、言葉が出なかった。


「いけません、ばばさまっ! 一体なにを仰るんです!? なにも死んじゃうことはないです! きっと……きっと助かりますから…………」


 ラバルムが目に涙を溜めて、瀕死のサンボダイを励ます。

 しかし、サンボダイは首をゆっくり横に振った。


「その『きっと』は……賭けるには、あまりにリスクが大きい…………」


 サンボダイは、今度はラバルムの手を、しっかりと握る。


「これから……何があっても……止めちゃいけないよ…………」


 ラバルムは、堪えきれなくなったように泣き出した――全てを悟ったようだ。サンボダイは、彼女の頭を撫でる。

 しかし、まだグレイは覚悟を決められないでいた。死なせたくない。だが、手立ては思い浮かばない。このままみすみす死なせれば、サンボダイの言う通り、戦局は大きく不利に傾いてしまう。

 ならば、やはりこの手で――揺らいでいると、サンボダイと目が合った。


 その瞬間が、グレイには永遠のように感じられた。


「…………頼んだよ」


 微かな声を聞いた瞬間、グレイは決心がついた――いや、まるで自らの内側から何かに命ぜられるように。衝動に近い切迫感に駆られ、グレイはサンボダイの喉元を両手で絞めた。

 力を込めると、細くシワの深い首は容易く軌道を狭めた。


「ぐっ……か、はっ…………」


 死を受け入れたはずのサンボダイだが、苦痛のあまり息が零れる。決意と裏腹に、身体は生理的に抵抗し、じたばたと四肢がもがく。

 それでも、重度の火傷で瀕死の、高齢な老婆だ。グレイの行いを妨げることはなかった。

 みるみる、グレイの両手が、サンボダイの命を縮めていく。


「やだ! グレイさまっ…………!」


 ラバルムはグレイを止めようと腕を伸ばしたが、その手に触れる前に静止した。空中で、何を掴むでもなく、彼女の五指が震える。

 何があっても――サンボダイの言葉を、噛み締めているようだった。

 ラバルムは唇を噛み、(かぶり)を振ってサンボダイを見つめた。


「ばばさま……ばばさま!」


 ラバルムはサンボダイに呼びかける。

 最後の時を、僅かでも共に過ごすことを選んだのだ。

 サンボダイは、絞殺されゆく苦痛を味わってなお、微笑んだ。


「この先っ……辛いことも、ある……けど……常にっ、自分が幸せになる未来を……選び続けるんだ…………」


 最期の言葉を、紡いでいく。


「ラバルムや……ごめんねぇ……あんたの人生、歪めてしまった…………」


 サンボダイの眼から、一筋の涙が伝う。

 ラバルムは、激しく首を振った。


「そんなこと、ないですっ…………! 私、ばばさまと一緒に過ごせて、楽しかったよ! だから、ばばさま……泣かないで…………」


 グレイは辛かった。この手でサンボダイの命を奪い、ラバルムから未来永劫、引き離そうとしている。

 だが、やめなかった。自分よりも遥かに、想像を絶する苦痛を、2人は感じているはずだ。ここでやめれば、それは全て無駄になる。

 それだけはあってはならない――グレイは掌でサンボダイの首が絞まる感触を覚えながら、力を入れ続けた。


「あたくしも、幸せだよ…………」


 サンボダイとラバルムは、まっすぐ見つめ合っていた。2人にどんな思いが錯綜しているのだろう。グレイには、計り知れない。


「ありがとう――」


 サンボダイの身体の痙攣が止まったのを、グレイは悟った。恐る恐る両手を放しても、2度とその老体が動くことはなかった。

 一瞬、グレイは目眩に似た視界のぐらつきを覚えたが、思いの外その心情は平然としていた。

 やるべきことを成し遂げた充足感と、自分の力不足を嘆く罪悪感とが、ぜになっている…………ただ、それだけに感じた。


「ばばさまあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ラバルムの悲痛な叫びが聞こえた。堰を切ったように、止めどなく涙が溢れ出ているのを見て、グレイは初めて自分がしたことを正面から受け入れた気がした。

 同時に、背筋が凍るような後悔の念に襲われる。もっと何か出来たのではないか。これが本当に最善の道だったのか……。

 恐かった。生き物は、これまで何度も殺めた。クラウズも、クラウドも、ついこの間は罪のない動物も。それでも今回ばかりは、心に重いものがのしかかる実感から、目を逸らすことは出来ない。


 グレイは初めて、人間を殺してしまったのだ――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ