『L』
グレイは満身創痍だった。立っているのもやっとだ…………だが、ついにメシアを倒した。メシアに直撃した炎が未だ煌々と燃ゆる様を、グレイは見つめていた。
ふと、サンボダイの安否を思い、グレイは彼女に駆け寄った。傍で屈むと、サンボダイはグレイの気配を察知したのか、短く呻く。
まだ生きている――だが、それも辛うじてだ。全身が焼け爛れ、痛々しい真っ赤に膿んでいる。左半身は攻撃の余波のためか潰れている箇所も多く、ズタボロの衣服が剥がれ出た皮膚の深層にへばりついている。
「サンボダイさん…………」
今は手元に回復の手段がない。グレイは仲間に連絡を取ろうとした。
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
すると。高々と煙を上げる炎の中から、咆哮が轟いた。グレイは聞き覚えのある声に戦慄し、振り返る。
メシアが、フラフラと炎の中から現れた。サンボダイと同様、全身が重度の火傷を負っているが、それでも生きている。
あの攻撃を食らって、まだ死なないのか――驚愕していると、更に驚くべきことが起こった。
こちらへ近づいてくるメシアの傷が、徐々に癒えていくのだ。
「やっぱり……お前は、俺が殺す……!」
メシアは愉しそうに宣言する。赤々と焼けた肌は元の形へ戻り、破壊された肉体は本来の姿へと回帰していく。
回復魔法の類いか――メシアが得た【救世主】の力は、攻撃の手段ばかりではなかったのだ。
グレイは、ストン……と尻もちをついた。もう戦う余力は残っていない。目の前に、絶望が迫っていた。
「――がぁっ!?」
その時。メシアの胸から再び金の粒子が溢れ出た。メシアは苦痛を堪えるように呻き、胸を押さえる。
同時に、彼の背後で赤い粒子が集まり出した。それは門の形となり、やがて怪物の大口のように開いた。
ポルタだ――中から、2つの人影がやって来る。
「時間だ、メシア」
短髪を刈り上げた男性が、目を閉じたままメシアの方を向く。その体躯は凄まじく、やや細身ながら2メートル近くはある。
メシアは振り返って、彼を睨む。
「ナザレ……なんだ、てめぇ……」
メシアは喧嘩腰だが、胸から漏れ出す何かに蝕まれているのか、ついに片膝を着いた。
すると、ポルタから現れたもう1人が、メシアの腕を抱いて介助する。
「どうしたの? 辛そう」
それは少女だった。川の清流のような曲線の茶髪が、腰辺りまで伸びている。額には花飾りを着けており、目元や鼻筋は物腰柔らかげで、美しいな相貌だ。
「パナギア……お前まで出張ってきたのかよ」
メシアは文句を言いながらも、傍らの少女――パナギアに助け起こされた。メシアを抱き留めるパナギアの手つきから、2人は親密そうだ。
グレイは憔悴し切って身動きが取れなかったが、3人を静観していた。長身の男――ナザレは不明だが、パナギアの眼は見逃さなかった。
メシアと同じ、赤い眼――やはりクラウドだ。
「――それは、【預言者】か?」
すると、グレイたちに気づいたのか、ナザレがメシアに訊く。
彼は、まだ一度も目を開けていないというのに。
「死にかけのが【預言者】だ。もうすぐ、俺が未来を視る力を手に入れる」
メシアは、手を出すなと言わんばかりに、ナザレをポルタの向こうへ押しやる。
「……えっ! じゃあ、そこに座ってるのって、もしかしてグレイ!?」
今度は、パナギアが関心を向けてきた。グレイは警戒して、ヤーグを握る。だが、このまま再び戦闘が始まっても、勝機は限りなく少ない。
どうするか摩耗した頭脳で懸命に考えていると、パナギアがにこやかに手を振ってきた。
「いつもメシアの相手してくれて、ありがとうね!」
笑った? ――グレイは困惑した。今までメシアをはじめ、闘争や殺戮の快楽などで笑う、狂人めいたクラウドには何度も遭遇してきたが、あんなに敵意も悪意もない笑顔は、初めてだった。
なんなんだ、こいつらは…………。
「パナギア、うるせえ! 引っ込んでろ! 挨拶なんかすんな! ……くっ」
メシアが苛ついたように怒鳴る。だが、胸から湧き出す粒子の奔流は止まらず、顔をしかめる。
「…………死ぬのを待つのも面倒だ。殺そう」
ナザレは冷淡な口調で言うと、グレイたちへ向けて手をかざした。掌に、紫色の禍々しい魔力が溜め込まれていく。
グレイは身構えた。あれはやばい――直感が、本能が命じていた。全身の毛が逆立ち、不可解な震えが身体を硬直させると同時に、奮い立たせる。
あれを食らったら、死ぬ。
「――やめようよ」
すると、ナザレが攻撃を放つ寸前で、パナギアが止めた。
「今回は長居できないって話だったでしょ。もうポルタも限界だし、戻ろ?」
パナギアが指したポルタは、たしかに独りでに閉じようとしていた。
今まで、ポルタがこんなに早く閉じることはなかった。
一体どうなっているんだ――グレイには分からないことばかりが、目の前で起こっている。
「知るか。なら次にポルタが開くまでに、俺が救世主どもを根絶やしにする」
「強がらないっ」
パナギアは、メシアの頭をパシッと叩く。あのメシアを、だ。
「その金色の変なやつ、多分【救世主】の力に何か起きてるんでしょ。さっきから本調子じゃないみたいだし、今は帰ろ。
【預言者】が死にかけなら用は済んだし、救世主は次で皆殺しにすればいいじゃん」
サラッと残虐なことを言ってのけるパナギア。やはり、どんな顔を見せてもクラウドはクラウドだ――グレイは、それまでの迷いが吹っ切れたようだった。
「……たしかに、今のお前の状態は、クラウン様のご教唆を仰ぐ必要がありそうだ。一先ず帰還しよう。
見たところ、どうせあれが出来ることは何もない。間もなく、【預言者】は死ぬ」
ナザレが手を下ろし、魔法は放たれずに霧散した。グレイは、一先ず安堵したが、同時に焦りも覚えていた。
ナザレが言わずとも分かっている。早く手を打たなければ、サンボダイは死んでしまう。そうなれば、【預言者】の未来を視る力が、彼女の魂ごとメシアに喰われてしまう。
だが、今この状況で、グレイは動けなかった。それほど、眼前の3人が放つプレッシャーは凄まじい。
目を離した途端、殺されそうだ。
「ほら行こ。…………聞き分け悪いなぁ!」
パナギアは、メシアを引きずるようにポルタの中へ入っていく。
「――グレイ! てめえ覚えとけよ! 俺が万全ならなぁ、お前なんか瞬殺なんだからな! 今回だって、実質俺の勝ちみてぇなもんだろうがよ!? 前回は…………なんかよく覚えてねぇからノーカンだ!
とにかく! 次こそ最期だ! 覚えとけよ!!」
メシアは散々グレイに向かって吠えた挙げ句、パナギアにポルタの内側へ放り投げられた。
パナギアは、仕方ないとでも言いたげに溜め息をつき、グレイを振り返った。
「これはもらっていくね」
パナギアがグレイに、サンボダイの預言『Ρ』を見せつけた。いつの間にか、メシアから取り上げていたらしい。
「よかったら、またメシアに付き合ってあげてね。バイバ〜イ」
パナギアは朗らかな微笑みと共に別れの言葉を残して、ポルタの向こう側へ去っていった。
せめて預言だけは奪われるわけにはいかない――グレイは『Ρ』を取り返さんと全身を奮い立たせたが、それでも身体は動かなかった。
次いで、ナザレも後に続こうと引き返そうとする。
「――待て!」
グレイは息の詰まるような威圧感を跳ね返し、ナザレを呼び止めた。
「お前たちはなんなんだよ……」
恐怖――グレイは、自らの胸の真ん中で確実に鎮座するソレに負けじと、そう訊ねた。
得体の知れないものに対する、根源的な恐れ。しかし、だからこそ彼らの正体に一歩踏み込むことで、有益な情報を掴めるかもしれない。
ナザレは振り返り、真っ直ぐグレイの方を向いた。その眼は、やはり閉ざされている。
「欲しい答えはこうだろう――余等はクラウドだ。レジェンド級のな…………」
そう言って、ナザレもポルタの奥へと姿を消した。同時に、緊張の糸が切れたグレイを隔絶するように、ポルタが完全に閉じ切った。
レジェンド級クラウド――つまり、救世主を殺したクラウド。メシア以外の個体を初めて見たが、彼は真の【救世主】イーヴァスを殺し、最初に誕生したクラウド。
メシア以外のレジェンド級クラウドの存在は、彼とは全く違う意味を孕む。
パナギアとナザレは、グレイたち救世軍の仲間を殺したクラウドなのだ。