『守護者』
大変お待たせいたしました。
深く抉れた傷口が痛む。出血が著しい。痛みと失血で、目眩や寒気がする。グレイは腰のホルダーからキュアドリンクを取り出した。
今回の任務はあくまで【預言者】と会うこと。クラウドとの戦闘は想定してなかったが、ペティの森での一件でいかなる時もキュアドリンクは持っておいた方がいいと学んだ。
本当に持ってきてよかった――思いながらグレイは覚悟を決め、胸から腹まで伸びる5本の赤い筋に、満遍なくかけた。
「っ…………ぁああああああああああああああああ!!」
急速に回復する傷口からは、更なる激痛が駆け巡る。まるで傷に沿って身体が燃えているようだ。
重傷であるほど、キュアドリンクの副次反応は強まる。これまで何度もキュアドリンクで傷を回復してきたが、この痛みには慣れない。
グレイは耐えきれず叫び、思わず片膝をついた。
「ぅおらあ!」
レーベが、その隙を突いて追撃を試みる。血塗られた右腕が空を薙いだ。
グレイは咄嗟に横へ転がった。キュアドリンクを使うことで多少なりとも怯むことは分かっていたが、それでも使わないより現状はマシになる。あの傷で戦っていても、勝算はそれほど高くならない。
レーベはすかさず左腕の2撃目を繰り出す。巨体に見合わぬ俊敏さに、回避が間に合わないと悟ったグレイはヤーグを構え防御した。
「摩擦・『弱』」
レーベがニヤリと笑って呟いた瞬間、攻撃を完璧に受け止めたはずのヤーグが、レーベの爪の先端からずれ落ちる。
まただ――やはりどれほどしっかりガードしても、摩擦を操られると無意味らしい。
グレイは空いた左拳でレーベの腕を殴り、間一髪で攻撃をいなした。同時に、跳び退いて距離を取る。
「摩擦・『無』」
レーベがまたも呟いた。直後、グレイは着地した瞬間、足を滑らせて頭から転倒した。
思いきり後頭部を結晶で覆われた地面に叩きつけてしまい、脳が揺れ視界が歪む。生温かい感触から、血が出ているのが分かった。
グレイはおぼつかない意識で懸命に思考を働かせる。今の着地は、地面があまりに滑り過ぎだ。
「今のは痛えなー。お前の足と着地点との摩擦をなくした。本当は滑りながら壁に激突する間抜けな姿を拝みたかったんだが、これはこれでアリだな」
レーベはふらつきながら起き上がるグレイを嘲笑する。グレイは辛うじて聞こえていたが、何か言う余裕はなかった。
再びキュアドリンクを取り出す。しかし、栓を開けようとした途端、小瓶はグレイの手先から逃れるように溢れ落ち、地面に落下して割れてしまった。
「そいつはもう使わせねえよ。人間は摩擦がなきゃ、その手で物を掴むことすら出来ねえのさ」
グレイはふらりとよろめいた。脳震盪でも起こしたのか、レーベの声が遠く聞こえる。
寒い…………眠い。
「グレイさまっ!!」
名前を呼ばれ、意識が覚醒する。声の主を振り返ると、洞窟の坂の上から、ラバルムが瞳に涙を滲ませてこちらを見つめていた。
グレイの思考は瞬時にクリアになった。まだ寒いが、もう眠くはない。ヤーグを堅く握り直す。
敵のペースに呑まれては駄目だ。勝つためにはどうすればいい――神経がピンと張り詰める。
「どこ見てんだ、死ねぇ! 摩擦・『強』」
レーベが剛腕を振りかぶって突進してきた。グレイは確かな意思を持った眼で、レーベと対峙する。
グレイは左のヤーグを肩に担ぎ、右のヤーグを下げくるくると弄んだ。やはり、この態勢が一番しっくりくる。グレイは動こうとしなかった。
そしてレーベの一突きが、グレイの腹部に突き刺さった。
「ごっはぁ……!」
腹と口から血が滴った。
「グレイさまああああああ!!」
ラバルムの悲鳴が、はっきり聞こえた。
「身体を腰から真っ二つに引き裂いてやる!」
レーベが吠え、その白かった腕がみるみる鮮血で赤く染まっていく。グレイは、深々と腹を抉られるのが分かった。
凄まじい激痛だ。体温は更に下がり、吐血して喉が焼けるようだ。口の中は鉄の味がする。だが、まだ意識は鮮明だった。
グレイは自らの腹を貫いたレーベの赤黒い腕に、2本のヤーグを上下から同時に突き刺した。
「ぎぃいいいやあああああああああああ!!」
レーベが絶叫する。ヤーグは刃の根元まで突き刺さっており、レーベの右腕は肘の前後を完全に貫通されていた。
「くっそおおおおおおお! わざとかわさなかったなぁ!? 痛っっってえええええええ!」
レーベは貫かれた右腕を、グレイの腹の内部で痙攣させた。その振動で痛みは増したが、グレイは何とか意識を保っていた。
「やっぱり…………俺とお前との間に生じる摩擦が強まるなら、俺の攻撃も同じ影響を受けるはずだ。お前が摩擦を強めるタイミング――俺が攻撃を食らった瞬間に、俺も攻撃をお前に当てれば、確実に傷を負わせられる」
「馬鹿なんじゃねえのか…………そんなことのために捨て身で――」
「腕一本もってけるんだ――これくらい安い」
グレイは上下から突き刺したヤーグを、それぞれ左右にちぎるように裂いた。
レーベの右腕が、ゴトンと地面に落ちた。同時に、グレイは腹からズボォともう一方の腕を抜かれ、その場に崩折れた。
「ああああああああああああああああああ!!」
レーベは血飛沫の噴き出す右肘あたりを掴んで喚く。グレイも、壊れた蛇口から垂れ流されるように、腹から大量の血が溢れ出た。
「クソッ! クソックソォ! 俺の腕がぁ…………」
レーベが巨大な体躯で地団駄を踏んでいるのが、振動で分かった。しかし、グレイはまたも意識が混濁し始めていた。
出血が多すぎる――さっきはラバルムの呼びかけで我に返ることが出来たが、そう長く保つわけもない。
だが戦いは終わってない。グレイは力なくヤーグを支えに片脚を持ち上げた。
「小娘ぇ! お前の健全で健康な肉体をよこせぇ!」
レーベの怒号を聞くと、グレイの意識は再び冴えた。走り出そうと脚を動かすが、感覚が麻痺してうまくいかない。
グレイがわざと傷を負い続けたのは、摩擦が強まるタイミングで決定打を叩き込むのも大きな理由だが、それだけではない。
レーベは互いの体を入れ替えることができる。白熊から姿を奪ったように、瀕死になってから肉体を交換されては終わりだ。何より、勝ったとしても一生白熊のままは御免だ。
「待て……レーベ…………」
声が掠れてうまく出ない。顔を上げると、レーベは既にラバルムの方へ向かい、坂を駆け上がっていた。
ラバルムは恐怖に身が竦んでしまったのか、逃げようとしない。あるいはレーベの凄まじい俊敏さに、反応が追いつかないのかもしれない。
グレイは残った力を振り絞り、レーベめがけてヤーグを投げた。剣はレーベの右足首に刺さった。
「がぁ!?」
レーベは一瞬怯んだが、それでも彼の巨躯は止まらない。刺さったヤーグを抜いて投げ捨て、その悪辣な剛腕をラバルムへ伸ばす。
グレイは【アサルトサイド】を発動し、著しく向上した身体速度でレーベの前に立ちはだかった。命を縮めるような行為だが、躊躇いはない。レーベが放ったヤーグを出現させ、振り下ろす。
だが、ヤーグの柄が滑り、グレイの手元を離れた。それを、レーベがキャッチする。最初からこれを狙って――グレイは悟った。
「摩擦・『最強』」
レーベは勝利を確信した笑みを浮かべ、ヤーグでグレイもろともラバルムを貫いた。
「どうだ!? 自分の武器で仲間もろとも殺される屈辱はよぉ!!」
レーベが歓喜に吠える。
「え…………」
ラバルムが、その身に起きたことを信じられていないような吐息を漏らした。
「痛く……ない…………」
「…………あ?」
ラバルムの呟く言葉を、レーベは訝しむ。
「――知らなかったか?」
グレイは両手でレーベの残った腕を掴む。力を込めると、五指が深々と白い体毛に覆われた肉に食い込んだ。
レーベが強めた摩擦と、【アサルトサイド】の相乗効果だ。
「魂が具現化した武器や魔法じゃ、敵と認識していないものに危害を加えることはない。攻撃が当たっても、殺傷力は無効だ」
グレイは【アサルトサイド】を解除し、レーベの持つヤーグも再出現させた。
「ラバルムは俺が守る」
2本のヤーグが独りでに宙を浮かび、グレイとラバルムを囲むように回転し始めた。
「【ガーディアンフィールド】」
グレイに腕を掴まれたレーベは、為す術もなく回転する2本のヤーグに斬り刻まれた。