ラバルム
クラウドを倒したグレイは、拐われかけた少女の元へ向かう。極寒の吹雪の中、心許ない熱を帯びた剣のみを暖にさせて横たわらせるのは気が引けたが、あの状況ではやむを得なかった。
「大丈夫!?」
グレイは少女に呼びかける。生きているのは分かるが、それでも凍えていないか心配だ。
しかし、少女は勢いよく起き上がって、グレイと頭をぶつけた。吹雪く音に負けじと、ゴンッと鈍い音が響く。
「うぅ……痛いよぅ……寒いよぅ…………」
少女はフラフラと上体を揺らした。グレイは脳を握られるような鈍痛に涙を滲ませながら、少女の無事を確かめる。
「よかった……無事みたいだね」
滲んだ涙は瞬時に目尻で凍った。微笑もうとすると、霜が触れて目に凍みた。
少女は目をパチクリさせたあと、バッと立ち上がった。ドサ、とヤーグが雪の上に落ちる。
「そうだ! 私、変な人に襲われて……あっ、おまえですね! 私に変なことしたの!」
少女はグレイを指差し、足元の雪を丸めて投げつけた。
「うわ、ちょ――」
雪とは言うが、ほぼ氷の塊だ。腕で防いだが、当たった場所はジーンと痛んだ。
「この、この、このっ! やっぱりばばさまの言ってた通りです! 外の世界は危険でいっぱいなんだ! 悪さをする人たちがたくさんいて、みんな私に嫌なことをするんですねーっ!」
「待って待って待って! 俺じゃない! 俺じゃないよ! 俺は君を助けようとしただけなんだ! ……俺が悪者なら、とっくに君に酷いことしてるよ!」
やたらめったら雪を投げてくる少女に、グレイは懸命に説得を試みた。すると、ピタッと投擲が止まった。
少女はしばらくグレイを凝視すると、いきなり服の襟を引き、なにやら胸を確認し出した。身体を捻ったり、回ったりしたかと思うと、ズボンの中に手を入れてモゾモゾし始めた。
グレイは視線を逸らして、それが終わるのを待った。
「――たしかに、どこも怪我してないです。大事なものも奪われてない。…………本当に、あの人から助けてくれたんですか?」
「ああ、あいつは倒したよ」
少女はホッと安堵すると、ぺこりと頭を下げた。
「勘違いして、悪口を言ってごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺も、もう少し良い方法があったかもしれない。……俺はグレイ。君は?」
グレイは、とりあえず名乗った。
「私はラバルムです。本当は言っちゃいけないんですけど…………実は私、【預言者】さまの弟子なんです!」
両手を腰にやって、控えめな胸を張るラバルム。
「……え、【預言者】の弟子!?」
グレイは突拍子もない告白に、一瞬遅れて聞き返した。
「はい! すごいんですよ? 世界で1人だけですっ!」
「【預言者】って、弟子とかあるのか……」
【救世主】は、世界に厄災が降りかかる時、その時代によって誰かが選ばれる。
【預言者】も同じシステムかとグレイは思っていたが、どうやら違うらしい。
ラバルム、【預言者】の弟子――グレイは、先ほど戦ったクラウドとの遭遇を起点に、一気に事態が明らかとなったように思った。
「あっ、いけない! ばばさまに叱られちゃう! 門限までに帰らないとこわいから、私は行きます! グレイさま、本当にありがとうございました――」
「待って! 今から【預言者】――サンボダイさんのところへ?」
「へ? はい、もちろん」
グレイは駆け出したラバルムを、慌てて呼び止めた。
「俺を案内してくれるかな。俺は救世主なんだ。【預言者】に会うためにここへ来た。――もしかしたら、【預言者】が危ないかもしれない」
「救世主様!? え、ほんとに……それに、ばばさまが危ないって、どういうこと!?」
ラバルムはグレイの両肩を掴み、鬼気迫る表情で詰問する。
「さっき君を襲ったのはクラウドだ。【預言者】を狙って、ここまで来てるのかもしれない。一刻も早く【預言者】と会って、無事を確認しないと」
「あれが、クラウド……そんなぁ…………眼が赤いとは聞いてたけど、そんなの見れないよぉ…………」
ラバルムはヘナヘナと座り込んでしまった。なんだか起伏の激しい子だ――グレイはラバルムを助け起こしながら思った。
「ひょっとして、自分が【預言者】の弟子って、あのクラウドに言った?」
「ううん、言ってないです。だってそんな、会ったばかりの信用できない人に、内緒の話をするわけないじゃないですか」
「会ったばかりの俺に話しましたよね」
「だって、グレイさまは私を助けてくれた恩人だもん」
話しながら、グレイは訝しんだ。あのクラウドは、ラバルムを誘拐して【預言者】に辿り着こうとしたと考えていたが、ラバルムは彼に自分が【預言者】の弟子と打ち明けてはいない。
誰でもいいから拐おうとして、それがたまたま【預言者】の弟子だったのか…………いや、それはあまりに出来すぎだ。それに、クラウドは【預言者】がいるこの山へ来たのだ。つまり、【預言者】がどこにいるのか知っている。
ということは――事前にラバルムが【預言者】の弟子と知っていたのだ。
「仲間と合流します。そしたら、道案内をお願いできますか?」
「はい、もちろん! グレイさまの言うことなら、私は喜んで聞きますよ! あ……でも、ばばさまの言うことが一番です、ごめんなさい。ばばさまには逆らえない……だからグレイさまに右と言われて、ばばさまに左と言われたら、私は左に行きます…………」
「分かった……ちょっと待ってて」
もしかすると、ラバルムは【預言者】の弟子といって、山籠りでもしているのかもしれない。
なんとなく、彼女の一挙一動からは、人と話したいという好奇心のようなものが窺えた。
グレイはレインたち、それからウィルと通信した。
「こちらグレイ。応答願います」
『こちらレイン。聞こえるよ』
『こちらウィル。どうした』
双方とも連絡がついた。
「今さっき、クラウドと遭遇しました。隊長、ポルタ発生の連絡が来てないんですが……」
『なに。こちらでもポルタの発生は確認されてない。…………あぁ、少し待ってくれ』
そう言って、ウィルからの音声が切れた。
『グレイ、大丈夫?』
「ああ、問題ない。報告が終わり次第、そっちと合流するよ。……1人、随伴してもらうことになる」
『え、さっき言ってたクラウド?』
「いや、違うけど…………」
そこまで言って、グレイは『しまった』と閉口した。任務へ向かう直前、レッジに言われたではないか。
クラウドを生け捕りにしろ――また忘れて、つい殺してしまった。この目で粒子化したのは確認したから、サンプルの遺留は見込めない。どうして、いつも頭から抜け落ちるんだろう。
まあ、戦いの最中に敵を生け捕りにする余裕なんてほぼないし、それに今はそれどころではない。【預言者】にまつわる重大な危機の予兆かもしれないのだ。グレイは頭を切り替えた。
『待たせてすまない。ポルタ発生を探知できなかった原因が判明した』
ウィルの声だ。
『アノクタラ山脈は聖峰――すなわち信仰の対象たる聖地だ。加えて、そこに住まう【預言者】への接触は、公私を問わず原則として許されていない。
ポルタの発生は、近隣住民による通報か、ポルタを構成する物質の発生から探知していたが、聖峰アノクタラはその習わしのために探知機材が設置されていない。
だから、こちらでポルタの発生を確認することはできないんだ』
『そんな……じゃあ今までずっと、【預言者】は無防備だったのか!?』
クロムが声を荒らげた。その気持ちはグレイも分かった。【預言者】は未来を視る。その力は、敵に狙われるには十分すぎる。
その【預言者】の近くにポルタが開いても、救世主軍はおろか、正規軍や地元の防衛隊さえ感知できないというのは、あまりに危険だ。
むしろ、よくここまで無事でいられたものだ。
「…………敵は、もう【預言者】の居場所を知っているものと考えます。少なくとも、この山にいることは知っているはず。
【預言者】の弟子を名乗るラバルムという少女を救出したので、これからレインたちと合流し、彼女を伴って【預言者】に会います。レインたちとの位置関係を教えてください」
『了解。…………北西3キロだ。みんな、くれぐれも気をつけてくれ』
「はい」
グレイは通信を終えた。
「ラバルムさん、背中に乗って。しっかり掴まっててください」
しゃがんで背を丸めると、ラバルムが膝で頬杖をつき、正面から視線を合わせてきた。
「グレイさまグレイさまっ、ここはどうかひとつ、ラバルムって呼んでほしいですっ。私とグレイさまの仲なんですから」
「いや、でも初対面でいきなり呼び捨ては失礼――」
「助け助けられの仲なんですから、いいんですよ」
ラバルムの眼差しから、なにか切実なものを感じ取って、グレイは言われた通りにすることにした。
「…………ラバルム、背中に掴まって」
「〜〜〜〜〜っ! はいっ!」
目をキュッと閉じて、嬉しそうに肩を震わせるラバルム。彼女が背後に回ったのを確認して、グレイは【アサルトサイド】を全開にした。
背中に、ギュウと軽くて柔らかい感触が伝わる。
「グレイさまグレイさまっ、グレイさまの背中……すっごくあったかいです〜…………」
「あったかくしてるからね」
この雪山でブレイズを使って飛行するのは、その凄まじい炎熱で雪崩を誘発する可能性があり、危険だ。総じて、ここではヤーグの『炎の能力』は使えない。
だが、『熱の能力』なら、氷雪を融かさない程度に調節すれば何とか使える。グレイは秘術・【業火】で熱を吸収し、それを自らの肉体へ還元することで、身体能力を格段に上げることができる。
【アサルトサイド】は、炎の能力を極限まで低下させる代わりに、その身体能力増強効果を爆発的に上昇させる。
「思いっきりいくから、絶対に放さないで」
「はい、グレイさま」
グレイは両足に力を込め、周囲の積雪が弾け飛ぶほど空高く跳んだ。