白い雪、赤い瞳
赤い瞳――クラウドが何故ここにいる。グレイは左手のヤーグ・ドレインソードを右手に持ち替え、構えた。雪で視界が遮られるのを嫌い、空いた左腕を額辺りで傘代わりにする。
瞬間。クラウドの不敵な笑みが、間近に見えた。一瞬で距離を詰めたのだ。左からの掌底をかわし、クラウドの突き出した右腕を掴んで背負い投げる。
グレイは、積雪の上に叩きつけたクラウドに馬乗りになって、喉元に剣先を突きつけた。
「どうしてここにいる。お前の目的はなんだ」
尋問すると、地響きのような低い笑い声が聞こえた。白い雪景色の中でグレイを見つめる2つの赤い瞳が、やけに不気味に映った。
「その顔は、勘づいてはいるが、あえて訊いているって顔だぜ――グレイ!」
どうして名前を――疑問が浮かぶ前に、グレイは背中に膝の強烈な一撃を入れられ、クラウドの頭上に前のめりに倒れた。
振り返ると、今度は目の前に蹴りが飛んでくるのが見え、反射的に左腕でガードする。
グレイはすかさず、右手を支えに身体を浮かせ、クラウドの腹に蹴りを入れた。クラウドがよろめきながら後退し、その隙に態勢を立て直す。
「へえ、やるな」
クラウドは腹についた雪を払いながら言った。
「俺の能力は摩擦係数に干渉する魔法。それによって超高速移動しているが、それに反応できるとはな」
「じゃあ、お前が殺した人間の能力を使ったらどうだ」
「いや、今の数発で確信した。お前には使うまでもない」
「そういう御託を並べる奴を、俺は今まで倒してきたんだよ」
グレイは跳び上がって、ヤーグを振るった。接地していると雪に足元を取られる。なるべく空中にいる時間を増やした方が身軽に動ける。
「たしかに空中戦なら積雪を無視した行動ができる」
クラウドは、自らの脳天めがけて振り下ろされるヤーグに動じることなく言った。
まるで、グレイの魂胆を見透かしたように。
「だが空対地のデメリットもある。それは――」
クラウドは脇腹の辺りで腕を構えた。手は開かれ、先ほどのような掌底を繰り出そうとしているのは明白だ。
グレイは剣から炎を放ち、その勢いでクラウドの掌底を避けた。だが反応が遅れ、掌が頬をかすめる。
その時。クラウドの掌が触れた箇所に、抉られるような痛みが走った。激痛に怯み、グレイは着地と同時に雪の上を転がる。白い雪に、赤い血が飛び散った。
「――空中では回避行動が制限される。と思ったが、その様子だとお前にはあまり関係ないようだな」
皮肉めいたクラウドの言葉と、左頬の滲みるような痛みに、グレイは顔をしかめた。
掌がかすった程度で、どうしてこんなにも深い傷が――。
「俺の手とお前の頬が当たった瞬間の摩擦を極限まで高めた」
またしても、クラウドは見透かしたような口調で言う。
「摩擦が高まった一撃は、通常より遥かに大きいダメージを負わせる。まあ、諸刃の剣ではあるがな」
やれやれと挙げたクラウドの右手には、血が滴っていた。
「っ…………」
グレイは今、不利な状況にある。炎の能力を無闇に使えない雪山という地形では、グレイは主力を封じられていることになる。
たとえ炎を使うとしても、手元にあるのは、熱の吸収に長けるドレインソードだけだ。炎の放出に特化したスタンブレイドは今、クラウドに連れ去られかけていた少女に持たせている。気を失っている彼女は、あれがなければきっと凍え死んでしまう。
つまり、熱源のろくにない極寒の地で、グレイは攻撃に不向きな方のヤーグ1本で戦わなければならないのだ。
「――なら、当たらなければいい」
グレイはヤーグ・ドレインソードを左手に持ち直し、前方へ突き出した。すると、ドレインソードから紫色のオーラがゆらゆらと放たれた。
オーラは徐々に大きく、濃くなっていき、それと共にドレインソードは先端から無色透明の破片へと分解されていく。
やがてドレインソードは完全に消失し、代わりに残った破片と紫のオーラが、グレイの周囲で渦巻いた。
「【アサルトサイド】」
破片は更に細かく分解され、粒子状になってグレイの周りで煌めき、グレイ自身が身体から紫のオーラを放ち始めた。
対するクラウドは、警戒しているのか、その様を凝視したままジリジリと臨戦態勢をとる。
「当たらなければいい、か…………そんなの、データにないぜ」
「データ?」
グレイは眉をひそめた。およそクラウドが口にするとは思えない言葉だ。
「その朱いマント、灰色の双剣、剣から放つ炎――あのメシアを追い詰めたグレイってやつだろ。戦闘中に生じた熱を吸収し、それを炎へ変換して操る。また吸収した熱によって身体能力を向上させる。たしかそんな感じだ。
だが今やってる技は、俺の見たデータにはなかった…………なんの真似だ」
グレイは驚愕した。そこまで能力の詳細を知っているとは――背筋に走った悪寒が、気候のせいだけではないのが分かった。
「お前がここにいる目的を言うなら、教えるよ」
グレイは瞬時に我に返り、はぐらかした。
「お前が薄々気づいていることを話して、俺の知らない情報を知ることができるのか。なら話すぜ。こんな好条件はない」
クラウドは余裕のある笑みを浮かべた。
「俺は【預言者】の居所を探りに来たんだ。その女に居所を吐かせるつもりだったが、お前から訊くことにする。で、その後お前を殺し、その能力もろとも魂をもらう」
グレイは一瞬でクラウドの目前まで移動し、顔面を思いきり殴った。クラウドはあまりの威力で宙に浮き、遥か遠くまで吹っ飛んだ。
さらにグレイは、クラウドの体が地面に着く前にひとっ跳びで距離を詰め、空中で何十発ものパンチを顔面に浴びせた。
初撃の勢いが弱まると、クラウドは積雪を割るように地面を転がり、氷塊でもあるのか一際大きな白い膨らみに激突した。
「【アサルトサイド】――ドレインソードの性能を最大限まで高めて、その力と同化する。炎が使えなくなる代わりに、周囲のあらゆる熱を吸収して身体能力を極限まで上げる。そのデータとやらに入れておくんだな。もっとも、持ち帰らせはしないが」
グレイは、衝撃で空いた巨大なクレーターへ向かって言った。雪が舞って見えないが、その奥にはクラウドの亡骸があるのだろう。
「グオオオオオオォォォ……!」
すると、雪煙の奥から獣の咆哮のような声が聞こえた。グレイは身構える。【アサルトサイド】で超強化された徒手空拳を受けて、まだ生きているのか……。
白く濃い靄が次第に晴れ、大きなシルエットが黒く浮かび上がる。体長はグレイの2倍ほどもある。凄まじい体躯に、思わず後ずさる。
やがて姿を現したのは、白熊だった。
「……………………!」
正確には、おそらく元の世界の白熊に酷似した別の生き物なのかもしれないが、グレイは戦慄した。
全身が白くゴワゴワした体毛に覆われているが、鋭い爪が光る右腕は、真っ赤に染まっていた。
さっきの咆哮が、この白熊のものなのか、それともクラウドのものなのか、グレイは判断がつかなかった。
「……君の家?」
白熊の背後には、岩盤が削られて出来たような洞穴が広がっていた。白熊の住処らしい。クレーターは、その入り口部分を大きく抉っていた。
その中心に、もはや頭部の原形を留めていないクラウドの亡骸があった。腹部には凄惨な裂傷があり、白熊の右腕の血痕と符合した。
グレイは、次はこっちに襲いかかってこないか身構えた。家を破壊し、もしかしたら眠りを妨げてしまったのかもしれない。だとしたら、怒りの矛先は自分にも向くだろう。
「ごめん…………」
グレイは、白熊の眼から視線を離さなかった。なるべく身体を動かさないように、ゆっくりと下がる。
すると、白熊は洞穴の奥へと去っていった。グレイはホッと胸を撫で下ろし、少女の元へ向かう。
すれ違いざま、クラウドの遺体が、赤い粒子となって曇天へ吸い込まれていくのが見えた。