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サンボダイ

 グレイたち10人は、夕食の並ぶ食卓を囲むように座った。アノクタラ山脈の山小屋で、女将が振る舞ってくれた料理だ。

 山菜やきのこなどの山の幸をはじめ、木の表皮から採った出汁で作った味噌汁や、周辺地域の名産の米で出来た炊き込みご飯といった品目が主だった。


「救世主の皆様、長旅お疲れ様です。どうぞたくさん食べて、ご静養くださいませ」


 女将は料理を出し終え、丁寧な所作でグレイたちをねぎらった。


「「あ、女将さん」」


 グレイは立ち去ろうとする女将を引き止めたが、全く同じタイミングで、全く同じ台詞を別の誰かが言った。重なった声のした方を向くと、レインと目が合った。


「はい、なんでございましょう?」


 女将は少しおかしそうに微笑みを湛えていた。


「……レイン、先いいよ」

「いや、グレイが先に言いなよ。私のは大したことじゃないし」

「俺もそんなに急ぐ話じゃないよ。レインの方がちょっと早かったから、先に言って」

「そう? じゃあ……」


 譲り合いの末、結局レインが折れた。


「ここの温泉って、どんな効能があるんですか?」

「そんなこと?」


 グレイは思わず口走った。本当に大した話じゃなかった。あんなに先を譲った自分が、グレイは少し恥ずかしくなった。


「だって、すっごくいいお湯だったし、お肌もすべすべになった感じがするから、みんな気になっちゃって」


 照れ笑いを含ませてレインは言う。彼女の笑顔を見ると、なぜか全てを許せてしまう。

 グレイは少しずるいなと思った。


「ここの温泉は、聖峰アノクタラの清らかな水脈を直接汲んだものでございます。血行の促進による滋養強壮や健康、また清水に含まれる成分による肌のコーティングで美容効果も見込まれております」


 女将は楽しそうにレインたちを見ながら説明する。


「えー、いいなーっ! あの、そのお水、貰えたりって…………」


 ブルートが厚かましいことを言っていた。こういう時、彼女は割りとがめつい一面がある。


「それは……申し訳ございません。ここの温泉に使われている水は、お売りするものではなく……救世主様であっても、聖峰の水をお譲りすることはできないのです。

 聖峰からお借りした水は、浸かった人に溜まったけがれを浄化します。穢れを吸って淀んだ水は聖峰の大地に撒き、聖峰がその水の穢れを洗い流して再び水脈へ還すという循環が、アノクタラを聖域たらしめております。

 その均衡を乱すことは許されておりませんので……申し訳ございません」

「どうりで、さっきの水がすごく綺麗だったわけだ」


 ネルシスが何か納得した。露天風呂でしょうもないギャグを言いながら、そんなことを感じ取っていたらしい。

 どうやら、この山は信仰の対象として、かなり神聖視されているようだ。グレイは目新しい世界観に初めて触れ、少し感心していた。


「すみません……ムリかなぁとは思ってたんですけど、ダメ元で…………」

「ダメモト…………?」

「え? あぁ、えっと……ワンチャンあるかなって……」

「ワンチャン……?」

「……………………」


 元の世界の語彙が通じないことに、ブルートは閉口した。日本独特の言葉ではないのかと、グレイはしばらくして考えた。


「あと、俺たちは明日から更に山を登るんですが、なにか注意すべき点などはありますか?」


 ヘイルが女将に訊ねる。グレイが聞こうとしたことだ。


「そうですね……山に酔いやすい人は、ここくらいの高さでも高山病になって体調を崩すこともありますが……。ですけど、救世主の皆様なら、問題ないかと思います」


 女将がにこやかに言う、その口調から、本心であることが分かった。救世主だからといって、寒さや薄い酸素、高所に耐性があるとは限らないのだが。

 こうした根拠のない期待をされるのも、グレイたちは慣れっこだった。

 救世主だから問題ないという偏見は、なにもこの女将に限らず、世界中の全市民にほぼ共通しているだからだ。


「もちろんです。ですが、念のため対処法や、他のリスクについても教えていただけますか?」


 スリートがうまくかわして、女将と話を続ける。女将は『ええ』と快諾し、山を登るにあたって必要な知識をグレイたちに教えた。


「――ありがとうございます。道中は十分気をつけます」


 女将の忠告を聞き終え、スリートは深々と礼をした。


「最後にもう1つだけ」


 グレイが、女将の去る前に口を開いた。女将は絶えず人当たりの良さそうな笑顔で、『なんでしょう?』と耳を傾ける。


「【預言者】はどんな方なんですか?」


 ふと脳裏に去来した問いだった。


「サンボダイ様という高齢の女性です。クラウズの襲来や崩御されたイーヴァス様が今回の【救世主】様であるということを預言された、偉大なお方なのですよ。過去に何度か、1回で2つの預言をしたこともある、歴代でも有数の【預言者】様でもあります」


 女将は誇らしげに答える。


「1度に2つの預言って、すごいことなのか?」


 今度はクロムが問う。


「はい。【預言者】様は、大半が1度につき1つの預言をして、数ヶ月から数年の間、次の預言をお待ちになられます。

 しかし、ごく稀に2つの預言が1度に訪れることがあり、歴代の中でも特に力のある一握りの【預言者】様のみが出来ることなのです」


 グレイたちは食事を摂りながら、女将の話を聞いていた。


「女将さんは、【預言者】に会ったことは?」

「ございません。なにぶん、俗世の者からの【預言者】様への接触は固く禁じられております。同じ山に住んでいても、お会いすることは適いません」


 グレイは、この女将が【預言者】について語る口調に、どことなく既視感を覚えていた。

 そしてそれが、まだこの世界に召喚されて間もない頃、ウィルとレッジにイーヴァスのことを訊いた時に似ているのだと得心がいった。

 たとえ会ったことがなくても、【救世主】や【預言者】に絶対的な信頼を寄せ、その美談を語る。この世界の人々には、そういう傾向がとても強い。


「ふゎ…………」


 チルドが控えめな欠伸をかいた。


「チルドちゃん、眠い?」


 隣のスノウがそっと傍に寄る。


「ううん、へーき……」


 しかしチルドのまぶたは、パチクリせわしく瞬きしている。


「……今日は大人しく寝とくか。明日も登るし、しっかり休まないと」


 グレイは残り少なくなっていた料理を、口の中へかっ込んだ。


「そうだね。本当なら、動物は冬眠してるような環境だもん」


 ブルートが味噌汁をすすった。


「食べて寝るだけの生き方が許される世界……いいなぁ…………」


 グロウは日向の猫のように目を細めて羨ましがる。


「人間はやるべきことをやって初めて人間になる」


 クロムがそれっぽいことを言うのを横で聞きながら、グレイはペティ族の長老ニッチェの言葉を思い出していた。

 自分らしく、自由に生きる――ニッチェは、そうすることをグレイたちに願っていた。また、そのためにと得た『あそび』の心のおかげで、グレイは新たにより強い力を手に入れた。

 救世主の使命は、果たさなければならないことだ。選ばれた自分たちには、その責任がある。


 しかし、主観的にも客観的にも、そこに自由はない。自らの意思で救世主となったことは事実だが、使命という動機に自由が介在していないこともまた事実である。

 自由は力をくれたが、これまで使命から力を与えられたことはあっただろうか。だとすると、使命を果たすために強大な力を要する救世主は、矛盾した存在なのではないか。

 胸の真ん中に芽生えた異物感を、グレイは食べ過ぎだと思うことにした。

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