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山小屋での一時 (SIDE:M)

 グレイたちは、女性陣が入っている浴場へ忍び込もうとしていたボスタフを捕まえ、女将に縄を借りて卓の脚に縛りつけた。

 

「こういう手合いは1人で十分なんだけどな」


 クロムが呆れて溜め息をついた。


「何を言う。こいつをスケープゴートにして、俺が私欲を満たす。これぞ適材適所」


 ネルシスは身動きの封じられたボスタフを一瞥し、満面の笑みで言う。


「なあ。俺はよく知らないんだが、高山病とか平気なのか? この山」

「そういえば、登山自体に関する注意は聞けませんでしたね。たしかに、標高1,000メートル超ともなると、色々と問題が生じてきそうです。既に凍傷と雪崩の危険は想定できますが……あとで女将さんに聞いてみましょう」


 ヘイルとスリートが、今後のことを話していた。グレイも登山の経験がなく、ましてや雪山にまつわる危険性などについて知識はなかった。

 すると、部屋のドアをノックされ、グレイが応じると、レインが顔を覗かせた。


「みんなー、私たち上がったよー」

「ああ、分かった」


 短いやり取りで用は済んだらしかったが、レインは一瞬、縄で縛られたボスタフを見て、何とも言えない顔をした。

 そのままレインは何も言わずに去ったが、後になってグレイは、説明をしないとまずかったのではないかと悔やんだ。


「したら、行くか」


 クロムが立ち上がり、着替えの入った袋を掴む。


「ボスタフはどうする?」


 グレイは、だんまりを決め込むぬいぐるみを見た。


「1人にしておくと、絶対また悪さする。一緒に風呂に入った方がいいだろ」

「ネルシスさんが言うと、説得力が違いますね」


 結局、ボスタフは連れて行くことになった。


「ぬいぐるみが風呂なんか入ったら、生地が傷んでまうやろ!」


 ボスタフは抗議したが、グレイたち(主にネルシス)は聞き入れなかった。

 男5人が、ライオンのような外見のぬいぐるみを連れて、ぞろぞろと階下へ降りていく。

 脱衣室で服を脱ぎ、体を流してから浴槽へと身を沈める。


「ああぁぁぁ〜〜〜」


 グレイは天にも昇るような極楽の心地よさを覚えた。適温の湯が全身を包み、冷えた表皮や硬直した筋肉を暖め、ほぐしていく。

 その愉悦たるや、内側から真の自分が解き放たれ脱皮できそうなくらいだ。体の芯を、そんな至福の快感がなぞっていった。


「これやべー……」


 あのクロムも、語彙力が失われるほど、極上の湯を味わっている。


「ええ、風雪に晒されながら山を登ったからというのもあるでしょうが、素晴らしい温泉です……」


 スリートが眼鏡を真っ白に曇らせて言った。


「人間とは難儀やな。裸になってあったかい水に浸からなきゃ1日を終えられないなんて」

「たったそれだけで幸せを感じられる奴もいるんだよ」


 ボスタフの憎まれ口をあしらい、ネルシスが畳んだ手拭いを頭の上に乗せた。


「おい、あっちにも風呂があるらしいぞ!」


 ヘイルが、浴場の隅の扉を指差した。グレイたちも興味津々で見に行く。


「…………これ露天風呂じゃないか?」


 クロムが目を細めて言った。ちょうどドアの頭の位置がガラスとなっており、そこから向こう側が見えるようになっているのだが、霜ができて視界は悪い。

 だが、よくよく見てみると、雪山の白銀の景色が広がっているのが分かる。


「雪山で露天!? いや、それはさすがに…………」


 グレイは後ずさった。聞くだけで、ドアから冷気が中へ流れ込んでくるかのような錯覚に襲われる。


「たしかに、魅力的ではありますが、あの寒さの中を全裸で湯に浸かるのはさすがに死――」

「いいじゃないか! 入ってみよう」


 スリートが言っている最中にも構わず、ヘイルは外へ通じるドアを開けた。途端、身の毛もよだつ寒波が一気に浴場を突き抜ける。


「ああああああああ! 馬鹿、閉めろアホ!」


 皮膚を剥がれるような寒さに、グレイは歯をガチガチ鳴らしながら、つい口調を悪くして怒鳴った。


「いやマジで閉めろ! ぶっ飛ばすぞヘイル!」


 それよりも荒々しい物言いをしたのは、クロムだった。


「風呂にさえ入ればいける! 来いよみんな!」


 ヘイルはわざわざドアを開けっ放しにしてグレイたちを振り返る。


「ほんっとにあなたはいつも考えなしに迷惑を撒き散らしますね! ハイキングに行った時だって!」


 スリートは3ヶ月近く前の件を蒸し返しながら、震える我が身を抱いた。

 グレイが逆立つ毛を撫でながらふと見やると、ボスタフが水分を吸ってやや変色した生地を凍らせて、湯船の縁で固まっていた。


「まあ、この雪山と吹雪の中で露天風呂に入るってのも、男が磨かれるってもんだ」


 割りとネルシスが乗り気なのが、グレイは意外だった。


「よしきた、珍しく意見が合ったな、ネルシス! ほら、みんなも来いよ!」


 ヘイルは尚もグレイたちを煽る。こうなると、ヘイルは全く引かない。風雪が浴場に充満していくのもお構いなしに、ドアを開けたまま扇動し続ける。

 グレイは観念してヘイルたちについていった。どうせ、もう浴場も外の吹雪を受け容れ、対して暖かくはない。室内も屋外もさして変わらないだろう。

 そうは思ったが、いざ外へ出ると、様相は違った。外気は剣山が突き刺さるかのような極寒で、凍える肌は擦り過ぎて火が出そうだった。


「おぉぉ…………」


 意味を持たない唸り声が、喉の奥底から溢れる。舗装された道のりも、足の裏を灼くように冷たい。なんで自分がここにいるのか、グレイは一瞬にして見失った。

 視界を染める白い吹雪の中、とりわけ白いもやが見えた。それはドラム缶に似た巨大な円形の筒から立ち上っており、どうやらあれが露天風呂らしいことが分かる。

 風呂を見つけるや否や、グレイたちは駆け出した。自らの体で風を切ると、寒さはより強まる。しかし、そうまでして一刻も早く温かい風呂に身を投じたかった。バシャンと、グレイやクロム、スリートが一斉に露天風呂に飛び込む。


「あああああぁぁぁ〜〜〜〜…………」


 冷え切った体が、急激に弛緩した。頭だけは吹雪の中に晒されているが、肩から下は湯に浸かっており、その温度差が反って心地いい。思考はクリアで、体はリラックスしている。

 なるほど、こうなるのか。グレイは多幸感に包まれながら露天風呂を満喫できていた。


「これ、ありだ」

「あ〜、ありだな」


 恍惚としたグレイの独り言に、クロムは同調した。


「寒空の下に全裸でいながら温かいという矛盾が生む絶妙な気持ちよさです。すごい……こんなにも気持ちのいいものなんですね」


 スリートも、眼鏡を額の上に乗せてゆったりとしている。珍しく、ヘイルのことを褒めているようだった。


「おうとも。たまには俺の言うことも信じる気になったろう。俺はこういうことに造詣が深いんだ!」


 グレイは眼を閉じて天を仰ぎながら、それは嘘だと思った。露天風呂に入ろうというヘイルの提案は、絶対にいつもの後先考えない思いつきだという確信があった。

 だが、それを今ここで言うほど、グレイも野暮ではなかった。結果として良い方向へ転がったのならば、それでいいのだ。


「おい、見ろ」


 ネルシスが掌を水面から出すのを、4人は見つめた。水魔法で掌の中央からピューと細い噴水を発したが、それはたちまち低温の外気によって凍り、氷柱になった。

 ネルシスは4人に掌から伸びる氷柱を見せつけながら、何も考えていないような間の抜けた顔をして言う。


「チルドの下位互換」


 ややウケだった。


「つまんな」


 クロムは口の端を歪めながら言い放つ。笑いは少し大きくなった。


「あー……これ出られないやつだ」


 あがれば、また極寒の外気に晒される。頭はずっと冷やされているから、逆上のぼせる気配も一向にしない。

 一生ここに入っているのが幸せなのではないかとグレイは思った。

 すると、バシャッと勢いよくヘイルが立ち上がった。他の4人の顔や髪に飛沫がかかる。


「よし!」

「今のどこに『よし』になる流れがあったんだよ」


 ネルシスは鬱陶しそうに言った。ヘイルは構わず風呂からあがって、なんとそのまま外へ走り出した。


「え、ちょ、なになになに」


 グレイは戸惑うばかりで、思考が止める方向へ向かない。クロムたちも、呆然とそれを見ている。

 十数歩進んで立ち止まると、ヘイルは仁王立ちした。

 ――全裸で。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ヘイルは遠くへ向かって叫んだ。吹雪の音を越えて、空気を裂いて、山を貫くような雄叫びだ。


「見てるこっちが寒なるわ」


 グレイが声の方を振り返ると、湿気を帯びてやや変色したボスタフが、窓から顔を出して頬杖をついていた。


「ボスタフ。生き返ったんだ」

「誰が死んだんじゃボケェ。あれは材質的に、一時的に動けなくなっただけや」


 ボスタフが、カピカピの短い腕を振るった。まだ霜や氷がついている。


「分かんねえなあ」

「ヘイルさんのことが分かったことなんて、1度だってありましたか?」


 クロムが呟くと、スリートはとっくに諦めているような調子で言った。

 ヘイルは、なおも叫び続けている。己を奮い立たせているのかは知れないが、その声が山小屋の中にも聞こえているであろうことは、容易に想像がついた。

 決して逆上せることのない、雪山の露天風呂。いつまでも出てこない男性陣をレインたちが呼びに来るのには、しばらくかかった。

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