レッジの依頼
グレイたちは正規軍の施設にいた。ヴァントを介してアノクタラ山脈の最寄りの正規軍拠点へ赴く準備を待つ間、詳細なブリーフィングをウィルから受ける。
アノクタラ山脈は、王国北部に位置する最高峰3,546メートルのアノクタラ山を中心とした山岳地帯である。グレイたちが【預言者】の情報を報告した後、【預言者】から直々に所在地の書かれた書簡が、ケントルム宛に送られてきたという。
ブリーフィングによると、グレイたちは876メートル地点の登山道のチェックポイントまでエクゥスアヴィスで移動し、そこから先は徒歩で山を登り、1,709メートル地点にいる【預言者】と会う旅程となる。
「聖王様の仰っていたように、【預言者】の預言が世界に与える影響は計り知れない。自分の利益のために預言に関心を寄せる者も少なくないからな。それに、こちらからの過干渉は民衆の不信感をも招きかねない。
だから【預言者】は基本的に所在地を公開せず、平時は隠遁し、ケントルムをはじめ公的機関から【預言者】に対する接触は基本的に行われない。
普段は、今回のように【預言者】からの預言の報せを受けて初めて動くものなんだ」
ウィルは、先ほどの聖王に対するクロムの発言をたしなめるように付け加えた。
そこへ、ブリーフィングが終わるのを見計らったかのように、施設の軍人がウィルを呼んだ。ウィルが軍人についていったのを見ながら、クロムがスッとグレイの真横に立つ。
「絶対に聖王は何か隠してる。見たろ、あの挙動不審な態度を」
「たしかに……辻褄が合うように事実を継ぎ接ぎしてる感じはするな」
グレイは宙を仰いだ。やはり聖王の動向は、クラウンから接触を受けた前後であまりに変化が著しい気がしてならない。
「やあ、みんな」
グレイが声を振り返ると、そこにはレッジがいた。
「レッジさん!」
レインが嬉しそうに笑って駆け寄る。レインは、異世界に来て間もない頃から世話を焼いてくれるレッジを、とても慕っている。もちろん、ウィルやエモに対しても例外ではない。
「どうしてここに?」
「たまたま別件で用事があってね。君たちはアノクタラ山脈へ行くんだったね。今の季節、あそこは寒いよ〜?」
「あー…………」
レインが嫌そうな顔をすると、レッジはおかしそうに笑った。
「気温の変わり目だから、足場も不安定で急な崩落も起こる。危険な道のりになるから、気をつけて。
――そうだ、ちょうどよかった。みんなに頼みがあるんだ。……というより相談、かな」
グレイたちはレッジの話に耳を傾けていた。
「クラウズ・クラウドの被検体が底をつきかけている。今後も、できるだけ生け捕りにしてくれないかな? 救世軍全体にお願いしたいんだ」
教員というよりは、研究者としての依頼らしい。
「数、足りてないんですか?」
グレイが訊ねた。クラウドはまだしも、クラウズは1度にあれだけたくさん湧いてくるのだから、かなりの数のサンプルがあるはずだ。
「詳細なデータを採るには、やっぱり相当踏み込んだ調査を行わなければならないんだけど、クラウズやクラウドは生命活動が停止すると粒子化してしまう。現状どうしても一定以上の調査ができないから、先へ進むための手法を色々試している段階なんだよ。
それには、とにかく大量のサンプル体が必要だ」
「それ、俺たちより正規軍に言ったらどうだ? 兵隊の数は圧倒的に多いだろ」
クロムが言った。口調の割りには苛立った様子はなく、ただ思ったことを言っただけらしい。
「君たち、救世軍と正規軍や警備隊との被検体の提供率、どれくらい差があると思う?」
レッジが問うが、グレイは肩をすくめた。
「私、あんまりできてない……」
レインがバツが悪そうに頬をひきつらせる。
「そう。救世軍と正規軍とのサンプル提供率は、実は差はほとんどないんだ」
グレイは意外に思った。それが救世軍の値が少ないということなのか、それとも正規軍が多く提供していると示しているかは、判断がつかなかった。
「正規軍や警備隊は、たしかに人数は君たちより多いが、戦力では劣る。市民の避難や自衛に手一杯で、生け捕りにする前に殺してしまうこともままある。
知ってるかい? 加減したり、抵抗に遭うリスクを鑑みて、敵をただ殺すよりも生け捕りにする方が、基本的には難しいんだ。
しかも、正規軍や警備隊はクラウドに太刀打ちできないというのが現況だ。だから、クラウドに関しては君たち救世軍のサンプル提供が頼りなんだけど……」
レッジは少し言葉を選んでいるようだった。
「救世軍は、なんというか…………手心を加えない風な感じがしてね。圧勝できるほど戦力差のあるクラウドが相手でも殺し切ってる。救世主としては当然のことだが、もう少し、殺す直前にサンプルとしての使い道があることを思い出してもらえるかな」
グレイたちは頷いた。
「救世主がクラウズを殺しちゃいけないなんてな」
ただ、クロムは1人だけ皮肉を言う。すると、レッジは慌てて首を横に振った。
「違うよ。もちろん、クラウズを倒すことは世界を救うことに繋がる。民間人を守る上でも大事なことだ。それに、自分の身の危険を感じた時は、当然全力で倒していいんだ。
ただ、なんてことのない相手には、ちょっとだけ余命を与えてくれると助かるってことだよ」
「うん、分かってます。クロムも意地悪言わないの」
レインが2人の間に割って入ってフォローした。クロムは救世主の使命に関しては、やけに他所からの口出しをされると露骨に不機嫌になる。
「今、奴らのことはどれくらい解ったんですか?」
グレイは話題を転じた。クロムの怒りっぽい性格は、こうしてグレイかレインが気を利かせる形で手綱を握っている。
「うーん…………既知の成分と未知の成分の混合生命体、としか確定情報はないかな。この世界に存在する生命のあらゆる構成物を少しずつ含有していて、且つ全く見たことのない物質も混じってる。だから、この世界の生命の歴史と関わりはあるんだろうけど……クラウズの研究で分かったのは、これくらいだね」
レッジは渋い顔で唸った。
「――クラウドのことは?」
グレイは、望み薄と感じていたが、それでも訊いた。
「…………クラウズの研究進捗が10パーセントなら、クラウドは1パーセントかそれ以下だ。クラウズもそうだけど、クラウドは本当に分からない。クラウズとクラウドは、本当に進化の前後の関係にある生物とは思えない。
たしかにクラウズに見られた未知の物質は、クラウドにも確認された。けれど、他の構成物は全く関連性がないし、姿的に当たり前だけどクラウドはより人間に近い構造だ。不思議なのが、あのクラウズの形態を経てそうなっていること。クラウズからクラウドへ至る、その進化の過程が全くの不明なんだよ。
さらに、クラウズ同士、クラウド同士でさえ体組織の成分に一貫性がない。まるで、あちこちから色んな物質を寄せ集めて、姿形だけそれっぽくしたような…………」
レッジは自分の世界に入り込んだように、延々と語る。それはもはやグレイたちに対する説明ではなく、自らとの対話だった。
すると、ヴァントの準備が整ったと告げるサイレンが鳴り響く。グレイたちはもちろん、レッジも我に返る。
ウィルが駆け寄ってきて、こっちへ来い、と手で合図する。
グレイたちは各自のエクゥスアヴィスに騎乗し、手綱を操ってゆっくりとヴァントの前へ進んでいく。
ゴオオォォォと重低音が轟き、青い門の転移魔法陣が展開される。
「諸君。必ず無事に預言を持ち帰れ」
ウィルの声を背後に聞き、グレイたちはヴァントを潜っていった。