『あそぶ』
「それっ!」
レインの掻き上げた水を被ると同時に、グレイは彼女の胸元から目を逸らした。川に沈むのと一緒に、心は罪悪感に沈んでいた。
しかし、どこか嬉しく思っている自分も確かにいて、より罪悪感は増した。この感情は、さっき感じた嬉しさとは、また違うやましい気持ちのはずだった。
「スノウちゃんもおいでよー! 楽しいよー!」
レインが、ほとりの方でしゃがむスノウに手を振った。
「クロムも来いよー!」
グレイはバツが悪くなって、スノウから少し離れたところの岩場に座るクロムを呼んだ。
2人は少し躊躇いながらも、グレイとレインの方へ向かった。
クロムとスノウは履き物を脱いで一歩踏み出し、川底へ足を降ろした。
「あーっ、わーっ」
「ひゃっ!? つ、冷たい……」
パシャッパシャッと、足を交互に上げ下げする。スノウは助けを求めるように手を伸べながら、おぼつかない足取りでグレイの元へ向かう。
だが、川の流れに足を取られ、よろめいて咄嗟にクロムの袖に掴まった。ハッと見上げると、クロムと目が合う。
「ごっ、ごめんなさい……」
傾きかけた陽の光で表情はよく見えなかったが、スノウは慌てて離れた。
「スノウちゃん! クロム! いくよ〜!」
レインは、先ほどグレイの前でしたのと同じ態勢になった。呼ばれたクロムは彼女の方を振り向いたが、たちまちスーッと天を仰いだ。
瞬間。バッシャアと2人に水がかけられた。
「はうぅ!」
スノウは、あまりの冷たさに、甲高い悲鳴をあげる。
「えへへっ! ねっ?」
レインは、スノウの反応を窺うように笑いかけた。スノウは、その眼差しを受けて、口元を震わせた。
「レインちゃん…………もうっ……!」
ザッバァ! スノウも、レインめがけて思いきり水をかけた。だが、その量はレインのより遥かに多い。飛沫をかけるというより、波そのものを投げるかのような勢いだ。
「わあ!」
レインはスノウの一撃に呑まれ、尻餅をついた。グレイは助け起こそうと近寄るが、すぐにレインは一人で立ち上がった。
「あはははっ! スノウちゃん結構豪快!」
「私だって……やられっぱなしじゃないもんっ!」
レインとスノウは、互いを見つめて快活に笑った。
「川の女神が2人いる。訊ねてくれ。『あなたが落としたのは金の斧? それとも銀の斧?』俺が落としたのは、恋の音……そしてどっちの斧ももらう!」
その声に誘われるように、ネルシスが濡れた髪を靡かせてレインとスノウに近づく。
それを見ていたブルートは、おもむろに片腕だけ熊に変身させ、水底へと肘まで埋める。
「おらぁ!」
凄まじい腕力と体表面積、そこから繰り出された大質量の水の壁に、ネルシスは押し流された。
「楽しそうだな! 俺たちも混ぜろ!」
「チルドも〜! チルドもやるーっ!」
ヘイルとスリート、チルドとグロウもそこへ加わる。
「ルールを決めましょう。2チームに別れて、上半身の80パーセント以上――」
スリートが何やら仕切り出したが、ヘイルが服の襟から水を注ぎ入れて黙らせた。
していると、向こうからブルートの水流に呑まれたネルシスが戻ってきた。髪はボサボサで、息も少し荒い。
「よくもやったなブルート。よくもやったな……つまり俺には仕返しの権利がある! 目には目を、水には水を!」
ネルシスは抱きつくように、飛びかかるように全身を使って波を掻き立て、ブルートに浴びせた。
「ぶえっ――」
短い悲鳴と共に、ブルートは波に呑まれた。
「キャハハーッ!」
それに巻き込まれるも、楽しげに笑いながら流されるチルド。
「わ! 大丈夫?」
グレイは心配になって駆け寄るが、チルドは自力で立ち上がる。
「ネルシスおにいちゃんにやられたー!」
チルドは、悔しそうにぐーっと仰け反った。びしょ濡れの小さな身体が、シャツなどほぼ無意味に透けて見えた。グレイはそれを見て、とてつもない禁忌に触れた気がして、すぐに目を逸らした。
すると、どこからともなく、チルドの背後にグロウが現れた。グロウはチルドの両脇の下から腕を通し、お腹のあたりを抱えて、自分の方へ引き寄せた。
「女の子の秘密を守ろうの会〜」
なんやかんやで、グロウはチルドと付かず離れずの距離感を保っている。チルドを抱き寄せて水が制服に染み込み、彼女の抜群のスタイルが浮き彫りになる。
グレイがそれに気づくより先に、少し遠くの方から、ネルシスの水に流されたブルートがよろよろと戻ってきた。細長い手足が濡れて、いつもより艷やかに見える。二の腕を伝う水滴が、指先へと落ちていく。レインやグロウに比べて控えめな胸さえ、身体に張りついた制服によって、目立ってしまっていた。
グレイは、またも違う方向を慌てて向いた。一瞬の間に窺ったブルートの表情は、怒りからか恥ずかしいのかは知れないが、真っ赤になっていた。
「……見たでしょ?」
「ごめん。見ようと思って見たわけじゃないんだ。だから……」
「……もう」
ブルートは、不満ながらも納得はしてくれたようだ。グレイの日頃の行いから得られる信用が実った瞬間だった。
と、次の瞬間。
「きゃっ!」
短い悲鳴が聞こえ、振り返る間もなくグレイの方へ誰かの背中が迫ってきた。グレイは咄嗟に上体を捻り、その両肩を支えた。今にも、壊れてしまいそうなくらい細い肩を、グレイはしっかり掴んだ。
「ごめんなさ――」
謝りながら振り向くスノウと目が合った。彼女の肩越しに、2人の視線が重なる。普段は目元を隠している前髪も、レインとはしゃいでいる内に乱れ、今や彼女の瞳は一切の帳をなくしていた。
グレイは、初めてスノウの顔をちゃんと見た気がした。前髪に遮られていた彼女の素顔は、どこか幼気の残した可愛さで、まるでアネモネのように白い。
意外とハッキリしている瞳がグレイを認めた途端、そんなスノウの顔が一気に紅潮した。
「ごっ……ごごごごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
スノウはすごい勢いでグレイから離れ、ヘヴィメタルのライブ並に激しく頭を上下させて謝った。
グレイは彼女の髪についた水滴が顔にかかって、ほどほどに痛かった。
「大丈夫大丈夫、大丈夫ですから。よかった、怪我とかなさそうで」
グレイはそう言ってスノウを宥めた。が、正面から向かい合うと、ブルートと同じくらい――あるいはブルートより――華奢な身体が、グレイ本人の意思と関係なく、視界に入った。
少し背が低いこともあって、スノウの首筋や、びしょ濡れの制服から浮かび上がる鳩尾や下着が、完璧に見えてしまった。
グレイは反射的に、ギュッと堅く目を閉じた。しかし、気配的にスノウはその場から動こうとしていない。だが、言えばきっとスノウはブルートの比ではないほど恥ずかしがるだろう。この状況を察することが、スノウにとって幸が不幸か、グレイには判断がつかなかった。
「【戯式】! くらえグレイ!」
していると、クロムの咆哮と共に、グレイは背後から体感バケツ一杯分ほどの水を被った。スノウも若干巻き込まれ、少し後ずさる。
後ろを見ると、やはりクロムがいた。モノを見たこともない玩具めいた形状に変型させ、得意そうに笑っている。
「お前このっ……!」
それから、グレイたちはしばらく遊んだ。時間を忘れ、使命を忘れ、楽しそうに精一杯はしゃぐ姿は、まさに青春だ。
グレイも、先ほどまで気がかりでならなかった【預言者】のことなどは、どこかへいってしまっていた。仲間たちと過ごす休暇。心からの笑顔。瞬間瞬間が喜びに満ちていた。
気がつけば、夏の終わりを告げる涼風が、身体を震わせていた。
「――ま、ワイはぬいぐるみやから、濡れたらアカンから入らないだけや。決して忘れられてるわけではないで…………」
その様を、ボスタフは木陰に縮こまって見つめていた。