クァールの群れ
グレイとブルートは、小人族のカルデトを助けるため、彼らの天敵クァールの巣穴の奥深くへと潜った。道中、クァールの鳴き声と思しき爆音が巣穴中に轟いたが、それもやがて止み、2人は最悪の可能性を想起する。
グレイたちはヤーグの炎と、地面に残されたクァールの足跡を頼りに、カルデトの元へ急いでいた。光源の乏しい暗闇を、危うい足取りながら全速力で走る。
すると、2人の前に、二手に伸びる分かれ道が立ちはだかった。どちらも一寸先からは暗黒が広がっていて、何が待ち構えているか分からない。
「えっ!? どっち行けばいいの〜!」
ブルートはその場でしゃがみ、足下を凝視した。グレイが掲げる松明代わりのヤーグの炎が、地面についたクァールの足跡を仄かに照らした。
グレイも片膝をつき、顔と明かりを近づけ、どちらの道が最近使われたか見比べた。モタモタしていると、カルデトが食べられてしまう。間違った道を行ける猶予は、もしかしたらないのかもしれないのだ。
「――こっちだ!」
グレイは左の道を選んだ。道は細くなっており、さっき滑落した巣穴の入口と同じくらいの幅だが、斜面になっていないことが、決定的な違いだった。
しばらく一本道を走ると、ふと辺りが開けたのが分かった。しかもに、今度は近くで、何かが動く気配がしている。それも、無数に――。
グレイとブルートは、本能的に息を殺した。静まり返ったその空間に、グルルルゥ……と、重く低い音がいたるところから聞こえてくる。よく見ると、グレイが持つヤーグの炎の灯りを受け、2つの並んだ丸い光が、暗闇の奥から何組も浮かび上がる。
グレイたちの予感は、そこで確信に変わった。ここが、クァールの縄張りだ。
「…………」
「…………」
グレイとブルートは石のように固まっている。この視界が極端に悪い暗闇では、まともに戦えない。ヤーグの炎といっても、灯りとしての役割にも限度がある。それに、ブルートの周りを照らしながら戦うのも厳しいものがあるだろう。
血生臭い悪臭が鼻につく。まるでクァールの野性を誇示するかのようだ。にじり寄り、唸り続けるクァールたちと相まって、迷い込んだ獲物に対する威嚇か、あるいは殺害予告なのかもしれない。
グレイは、後ろでブルートが呼吸を圧し殺すように、ゴクリと喉を鳴らすのが分かった。
湿り気を帯びた地面を踏みしめる足音と、心臓を揺らすような重低音の唸り声が、確実に2人を取り囲んでいる。近づくそれらの音が、グレイたちに嫌でも実感させていた。
グレイは臨戦態勢をとるため、ジリジリと両脚を肩幅くらいまで開いていった。すると、左足に何かが当たった。眼だけ動かして見てみると、黄土色のゴワゴワした毛皮が横たわっていた。そこら中がズタボロに食い荒らされており、そこから白い骨と、赤い血が覗いている。――クァールに食べられた動物の亡骸だ。
グレイはある考えを閃いた。空いている左手からもう片方のヤーグを出現させ、足元の死骸に突き刺す。秘技・【炎天】を発動させると、その遺骸は瞬く間に全身を燃え上がらせた。
グレイは、炎上した亡骸ごとヤーグを洞窟の中央上部へ投げた。天井に突き刺さったヤーグと、それに貫かれた燃える遺骸によって、グレイたちのいる空間は仄かに明るくなり、視界が甦った。
クァールたちは天井の明かりに目をやり、忌々しげに一斉に吼え、再びグレイら2人を凝視した。その数は……およそ20匹。
クァールの姿は、豹柄の体毛に覆われ、一見すると巨大なネコ科の哺乳動物だ。だが、耳は後頭部あたりから生え、頬からはその体躯以上に長い口ひげが、筆のように伸びている。体長は2メートルほどで、グレイたちの知る猫や虎よりも遥かに大きい。そんな猛獣が、ざっと見積もっても20匹、グレイたちを獲物として狙っていた。
「…………」
「…………」
グレイとブルートは、鋭い牙を光らせてこちらを睨むクァールたちを前に、ただ動向を窺っていた。なにが彼らを刺激し、襲いかかってくるかも知れない。それに、カルデトの安否を確認するまで、下手なことは出来ない。
僅かな灯りを頼りに、グレイたちは目を凝らして小人の姿を探した。すると、グレイはブルートに脇腹を小突かれたのに気づいた。チラと見やると、ブルートは微かに顎先を動かし、クァール群れの後ろを指した。
そこには、地面に横たわる小さな人影があった――カルデトだ。しかし無事かどうか、口惜しくもここからでは分からない。
「……俺が囮になる」
「……わかった」
グレイはそよ風のような小声で囁いた。ブルートも意図を汲み取り、短く応える。
「3で動く」
グレイは、松明代わりに掲げたヤーグを持つ手を、ギュッと力んだ。隣で、ブルートがゆっくり頷くのが、視界の端に映った。
「1……2……」
グレイのカウントに合わせ、ブルートも少しずつ態勢を低くしていく。緊張感が漂う。
「3!」
グレイは叫ぶと同時に、秘技・【炎天】をクァールたちの足元へ放った。トーチの役割を担っていた炎が炸裂した時には、既にブルートは変身魔法【タロン・タスク】で鳥に変わり、頭上を舞っていた。
ブルートは素早くクァールの群れの背後に着地し、鳥の両足でカルデトの体をしっかり掴むと、瞬時に飛び立った。
一方、攻撃を受けたクァールたちは、一斉にグレイめがけて駆け出した。
「先に行け!」
グレイはブルートに叫びながら、飛びかかってきたクァールを、ヤーグの背で殴り飛ばした。クァールたちも、あくまで自然の摂理に則って狩りをしたに過ぎない――出来れば傷つけたくはなかった。
1匹目が地面に叩きつけられるのを待たず、2匹目がグレイに襲いかかる。同時に、3匹目のクァールが頭上のブルートめがけて跳び上がった。グレイは反射的に左手にヤーグを出現させようとしたが、思い留まった。
もう片方のヤーグは、動物の死骸を貫いて天井に突き刺さっている。その燃える死骸は、今この場で唯一の光源だ。ヤーグを手元に呼び戻せば、その微かな灯りも消え、巣穴は暗黒に包まれてしまう。
グレイは咄嗟に秘術・【業火】を発動し、右手のヤーグが刃に帯びた熱を、自分の身体能力向上に回した。2匹目のクァールを殴り飛ばし、3匹目のクァールに激突させた。2匹のクァールは空中でぶつかり、短く悲鳴をあげてドサリと倒れた。
幸い、ブルートは無事そうだ。だが、グレイの身を案じてか、彼女の羽ばたく速度は僅かに遅くなっていた。グレイはそれに気づき、ブルートを見上げる。瞬間的に重なった眼差しで、グレイはブルートの迷いを感じ取った。
「早く!」
数十匹のクァールと対峙するグレイを捉えつつも、ブルートはカルデトを掴んだまま彼の頭上を通り抜け、来た道を引き返していった。
グレイは背中越しにブルートが去っていくのが分かった。目の前では猛獣の群れが、血肉を欲して渇いた殺意を向けている。
さあ、生存競争の時間だ。