好きでしょ
グレイとブルートは、休暇で訪れたペティの森で出会った小人族――モニとトカンの友達カルデトを助けるため、彼らの天敵クァールが潜む巣穴へと入っていった。
グレイは中へ入ると、まずジメジメとした嫌な湿気に顔をしかめた。腐った木のような悪臭もする。地面は急な傾斜になっており、泥に足を取られれば滑落してしまうだろう。壁に手をつくと、暗闇に呑まれた指先は目には見えなくなった。
グレイは両手に秘剣ヤーグを出現させ、左右の刃同士を擦ると、左手の剣に火を灯した。剣をかざすと、遥か地下へと続く無限の暗黒が行く手に伸びていた。先は見えず、ただ巣穴の深さを物語っている。
グレイは右手のヤーグを消失させ、ブルートの方へ手を伸べた。
「行こう。かなり深いから、足下に気をつけて」
ブルートは『うわっ』と僅かに身を引いた。
「ちょっと……なんか手汚れてる……ヤだなあ」
ブツブツ不満を独り言ちながらも、ギュッと力強くグレイの手を取った。細くてスベスベした手指だ。グレイは思いながら、慎重に巣穴の中を進んだ。巣穴の幅は人2人分もないため、縦一列となってブルートがグレイの後に続く。
2人は足腰を踏ん張って、ゆっくりと斜面を降っていく。一歩一歩、泥濘を抉るように。細心の注意を払っていても、柔らかい土は容易に2人を漆黒の渦中へ引きずり落としかねない。
しばらく歩くと、グレイはズッと態勢が崩れそうになり、パッと反射的にブルートの手を放して再び壁に手をつく。
「わぁ!」
ブルートは慌ててグレイの両肩に掴まった。彼女の体重が背中にのしかかり、グレイは四肢に一層力を込めた。
「ブルート……それ結構きつい……」
グレイは上ずった声で言った。この状況で、ブルートを支えられるほどの余裕は、さしてない。
「……グレイ……このまま掴まっててもいいかな? あたし、汚いから壁に手つきたくない……」
「俺だって嫌なんだよ? でも、しょうがないじゃん危ないんだから。俺も自分のことで割りと手一杯だし……」
「グレイが落ちたら引っ張り上げるから〜! お願い〜!」
「そんな子どもみたいな……」
グレイは溜め息をつきはしたが、それ以上は拒絶しなかった。
「ネルシスがいたらすぐ体洗え――」
ブルートは言い終わらない内に口をつぐんだが、既に遅かった。ブルートがネルシスに会いたがるなんて、すごく珍しいことだ。普段なら大抵は、憎まれ口を叩き合うか、ネルシスが一方的な暴力を受けるかのどちらかなのだが。今のブルートの声音は、やけにつまらなげというか、寂しげとさえ感じられた。
そのことに触れれば怒られることは、これまでの付き合いから明白だ。だから、グレイは気づいていても黙っていることにした。
それから、しばらく沈黙したまま2人は巣穴を降り続けた。足下はもちろん、行く手に広がる暗闇の先へも気を配り、神経は少しずつすり減っていく。トカンからも、有事には耳を塞ぐという謎のアドバイスも聞いていた。その真意は定かでないが、その文句はグレイの脳裏でしきりにチラついていた。
「――グレイ」
「なに?」
ブルートに呼ばれ、グレイは返事をした。
「グレイとレインってさ……どうなの?」
「どうって、なにが?」
「付き合わないの?」
唐突な問いに、グレイは僅かに肩をピクッと震わせたが、あくまで平静を装った。
「付き合うって、なんでいきなりそんな……」
「グレイ、レインのこと好きでしょ」
グレイは動揺のあまり足を滑らせ、真っ暗な急勾配をズザアァァァと降下した。
「うおおおおおおおおおおお!?」
「きゃあああああああ! グレイーーーーーーー!!」
ブルートはグレイの肩を掴む力一層強め、一緒に滑落していく。2人は上体をふらつかせながらも、絶妙なバランス感覚によって転倒せず、さながらスキーのように巣穴の奥深くへ吸い込まれていく。ブオオオオオという荒々しい音と共に、闇の奥から冷風が顔を引き伸ばすかのようだ。
グレイは、片手のヤーグに灯した炎で辛うじて目の前が見えているが、行く手にはどこまでも続く漆黒しかない。自分たちが滑り落ちているというより、先頭のグレイの体感では、凄まじい勢いで闇が無限に迫ってくるという方が正しかった。
行き止まりや障害物があっても、この視界と速度では、とてもじゃないが避け切れない。頼りになるのは反射神経以外にない。グレイは端的に言って怖かった。
そんな恐怖のアトラクションは、実際のところものの数秒で終わった。突如、地面が途切れ、グレイたちは滑落のスピードそのままに宙を飛び、思いきり固い地面に叩きつけられた。
グレイはヤーグを取り落とし、重く鋭い音が鳴ってどこかへ吹っ飛んでいくのが分かった。持ち主の手元から離れたことで、剣に灯った炎は消え、辺りは暗闇に塗り潰された。
「うぅ……痛…………」
グレイはうつ伏せに倒れていた。腹に打撲と擦り傷からくる痛みが、ジンジンと灼くように拡がっていく。
他にも腕や膝に鈍痛を覚えるが、それ以外に外傷はないようだ――背中にのしかかる重みを除けば。
「グレイ……分かりやすい……」
ブルートは、しっかりとグレイの肩に掴まったまま呟く。よほど怖かったのか、全身をグレイに密着させたまま、しばらく動こうとしなかった。
やがて、グレイは手元にヤーグを出現させた。手触りからして、ここの地面は泥ではなく湿った岩盤だ。剣を地面に掠らせ、刃に火を点ける。
グレイが上体を起こすと、ブルートはそれを察知して背中から退いた。
「ごめん……大丈夫? 怪我はないか?」
グレイはブルートを灯りで照らした。煌々と燃ゆる炎で浮かび上がったブルートは、全身が泥だらけだ。
「ううん、平気。どこも痛くないよ。……グレイが庇ってくれたから。ありがと……」
ブルートは、少し唇を尖らせて言う。グレイは、背中にしがみつくブルートを守るため、あえて受け身を取らなかった。本来なら軽減できたダメージを、ブルートが負うはずだったダメージと共に、一身に引き受けたのだ。
「たまたまだよ」
グレイは照れ隠しに、素っ気なく答えた。すると、ブルートは項垂れてトボトボとグレイに近づいてきた。彼女の頭が、グレイの胸につく寸前まで迫っている。
「えっ……ブルート?」
ブルートはグレイの服の袖をつまみ、その身を委ねた。
「汚れちゃった…………」
なんだか意味深なことを言うブルートだった。
本日より定期更新を目指して執筆いたします。
皆様にコンスタントに物語を届けられますよう、頑張ります。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。