むみゃあ
グレイとブルートは、しばらく晴れやかな緑に満ちたペティの森を歩いていた。
「みんな、無事かな」
グレイは空を仰いだ。自分はブルートのおかげで助かったが、他の仲間の安否は知れない。通信も不能となった今、2人は完全に孤立している。
「なんか、爆発とかはしてなかったと思うわ。みんなのことだし、ちゃっかり生きてる……と、思いたい」
ブルートは気丈に振る舞っているが、段々と弱気になっていくのが、声色から伝わってきた。
その時、すぐ傍でガサッと物音が聞こえた。
「ウゥッ!?」
ブルートは彼女のものと思えないほど低い声で唸り、機敏な動きでグレイの背中に隠れた。グレイも、何事かと身構える。左手はブルートを庇うように広げ、右手でいつでも剣を振るえるよう神経を集中する。
ガササと草を掻き分ける音と共に出てきたのは、小さいリスだった。
「っ…………ハァ」
ブルートは心底安心したようにため息をついた。彼女が肩の力をフッと抜いたのが、グレイは背中越しにわかった。
「ブルートって、意外と怖がりなんだね」
グレイは雰囲気を和ませるつもりで言ったが、ブルートはムッと怒ったように口を尖らせる。
「怖がりとかじゃないじゃん! あたしはね、みんなとはぐれちゃって独りであんたが起きるの待ってたの。空から見渡しても一面ずーっと森、森、森。それに、この森にはペティとかいう小人がいるっていうじゃない? あたしたちのスネくらいのちっちゃい小人。おぞましいでしょ? 不安になるなって方が無理な話じゃない!? どう思う!?」
「……ごめん」
グレイは責任を感じて謝った。たしかに、ブルートが心細い思いをしている原因は、全て自分にある。自分が、ブルートを守らなければ――グレイは固く決意した。
「……分かればいいっ。それに、小人じゃなくてリスでよかった。かわいかったし、眼の保養ってやつね。じゃ、先へ行こ」
ブルートは機嫌を直したようだった。グレイはホッとすると同時に、ネルシスと話す時とえらく違う態度に、首を傾げた。だが、それを言ったら今度こそ完全に怒られると思い、黙っておくことにした。
すると、またしても傍の茂みから、ガサガサという音がした。
「ひゃうぅ!」
今度は甲高い悲鳴をあげ、飛び上がってグレイにしがみつくブルート。グレイは反射的に彼女の身体を支えた。
次は何だ――警戒しつつ音のした方を見つめていると、近くの木陰から何かがゆっくり迫ってくる気配がした。草の動き方から、さっきのリスより大きいものであることが分かった。
ガサササーッと、ついにそれは2人に正体を現した。
それは二頭身だった。膝から下の半分程度の身長、極端に短い四肢、身体と同じくらいの大きさの頭。グレイたちを見つめる瞳は楕円形で、くりんっととぼけたような眼差しを向けている。綿菓子のようにふわふわな髪の毛は、ライラック色のサイドテールだ。
「むみゃあ(逃がしました)」
それは気の抜けた、言葉と呼べるかも分からない音を口から発した。それは意味不明だが、不思議とグレイたちは音が耳に入るのと同時に、言葉の主の伝えたいことが分かった。
絵に描いたネコのようなω型の口。指のない、魚肉ソーセージのような手足。ふくろうのように傾げた小首――。
「かわいいいいいいいいいいいいいい!」
ブルートは、その小人へ向けて両手を伸ばし、ジタバタ暴れた。グレイはたまらずブルートを放したが、そこで初めて、自分が彼女を抱っこしている態勢だったことに気がついた。それも、咄嗟のことでお尻や肩なんかを――。
ブルートが気づかなくてよかった。目の前の生き物の頭やほっぺたを遮二無二なでる彼女を見て、グレイは心からそう思った。
「かわいい、かわいい! かわいいかわいいかわいいかわいいかわいい! かわいいぃ! かわ…………いいっ!」
半狂乱になって、ブルートはその小さい生き物を愛でる。
「……それ、多分ペティだよね」
グレイは一応、言ってみた。それは、圧倒的に小さいがどう見ても人の姿をしている。すなわち小人――ペティ族の1人だろう。
「ペティ……こんなかわいかったんだ! なんで!? なんで今まで知らなかったの!? かわいすぎる! 帰りたいっ! 持ち帰って、こう…………かわいいよーっ!!」
ブルートは語彙が破綻していた。どうやら、ペティのビジュアルはあまりにツボだったようだ。
「むぅ(やめてください)……むぅ(はなしてください)……」
ペティはジト目になって拒否しているようだが、身動きはほぼ取れておらず、ブルートの愛玩攻撃に成す術がない。
「…………ブルート。なんか、嫌がってる気がするから、1回放してあげよ」
グレイはペティへの情けから、そう言った。なぜかその小人は庇護欲を掻き立てられ、ブルートの気持ちが決して分からなくはなかった。
「ハッ……そう、だよね……ごめんね…………」
ブルートもペティの声を聞いていたらしく、我に返って距離をとった。グレイは、彼女が自分の方へ寄る時、手の甲でジュルッとよだれを拭くのが見えた。
「えっと…………ペティ、さん、ですか?」
グレイは気を取り直して、恐る恐る訊ねた。ペティが怒っているかもしれない。また、なにが小人の逆鱗に触れるか見当もつかない。用心するに越したことはなかった。
「むん(そうです)」
ペティは腕を前で組み(少なくとも、グレイにはそうしているように見えた)、頷いた。ブルートが隣で『ふぐぅ……!』と悶えたが、グレイは無視した。
「あの…………ここで、何を?」
「むぅ(好奇心に負けてしまいました)……」
「好奇、心……?」
「むんっ(ちょっと気になって)」
なんだか親しみやすい。グレイは話していて思った。少なくとも敵意は全くなさそうだ。
「むっ(わたしはモニです)」
ペティは、まるで挨拶するように片手を挙げ、名乗った。
「あ、俺はグレイです」
「あたし、ブルート! ねぇ、ブルート! ブ・ル・ー・ト!」
ブルートは意地でも、モニに自分の名前を呼ばせたいようだ。とてつもない眼力は、傍目から見て怖い。
モニは彼女が何をしたいのか分からないらしく、首を一層傾げて言った。
「むん(ブルートさん)?」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!」
ブルートは声を裏返らせて歓喜した。あまりに騒ぎ過ぎて、グレイは少しうるさかったが、モニは気にしていないようだ。
「むんむん?(あなたたちはなにしてるんですか?)」
今度は、逆にモニからグレイたちへ質問してきた。それにもブルートが過剰に反応し、グレイの腕を掴んで上下に激しく揺らした。
「むんむんって……むんむんって! 2回……2回言ったよぉ!」
「てってっ、痛い……俺の腕をむんむんするな!」
グレイはさすがに鬱陶しくなって、ブルートに弄ばれる腕を振りほどいた。
「俺たちは、仲間を探してるんです。俺たちのと似た、色んな色のマントをしてるんですけど…………」
グレイは手がかりを求め、モニに訊いた。モニは知らないと言いたげに、更に首を傾げる。
「そうですか…………」
落胆するグレイ。この返答には、さすがにブルートも正気を取り戻したようで、いつの間にか静かになっていた。
そんな2人を見て、モニは何か閃いたのか、ポンと掌を鳴らした。グレイは、モニの頭上で電球が点灯する様が見えた気がした。
「むぅ(なら、わたしが一緒に探しますよ)!」
それは、突然の申し出だった。グレイとブルートは、あまりに唐突な展開に面食らった。
「え……でも、そんな厄介になるわけには…………」
グレイが言葉に困っていると、モニはぴょんと跳んで、グレイの頭の上に乗った。腹這いになって、グレイたちの行く手を指差す。
「むっみゃあ(さあ、いきましょう)!」
ブルートは吹き出して、肩を震わせながら近くの木をドンドン叩いた。