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6話

「おや、ボクに興味があるのですか?」


 含み笑いをするような音が聞こえてくる。

 姿は見えないけれど、瑞貴と同じくらいの年代の声に聞こえる。


「実を言うと、ボクも貴方に興味があります。よかったら話をしませんか?」


 その提案は、とても魅力的なものに聞こえた。

 一体どんな場所なのか、まるで分からないこの世界。

 瑞貴が知っているのは、この教室だけだ。

 茜のいた、この世界。

 それをあのドアの向こうの人は、もっと知っているのだろうか。


「僕も、色々知りたいと思っていたんです。教えてくれますか?」

「イエス、いいですとも。では、呼んでいただけますか?」


 別に呼ばなくても入ってくればいいのに……律儀な人なんだなあ、と瑞貴は苦笑する。


「あ、はい。どうぞお入りください」

「ありがとう」


 お礼の言葉と共に、ドアが開く。

 そこにいたのは、瑞貴と同じ男子の制服を着込んだ人だった。

 顔の部分を狐のお面で覆っているせいで、表情は分からない。

 その人が後ろで縛った長い金色の髪からは、何処となく女性のような印象もある。

 一言で言うなら、正体不明。

 何となく好奇心をそそられるような……不思議な印象の人だった。

 同い年に見えるが……何故か、敬語を使わなきゃいけないような圧力がある。

 狐面の人物のピシッと伸ばした背筋を見て、瑞貴も慌てて姿勢を正してみせる。


「申し訳ありませんね、ボクは色々と手順を重視しなきゃいけないタイプなんです」

「あの……僕を此処に呼んだのは僕だって言ってましたけど」

「イエス、言葉通りです。正確には意識の移動ってところでしょうか」


 意識の移動。

 そういえば茜は揺り戻しって言っていたな……と瑞貴は思い出す。

「それより、座ったらどうですか? ボクも座りたいですしね」


 狐面の人物は、立ったままの瑞貴にそう促して。

 瑞貴がいつもの自分の席に座ると、狐面の人物は瑞貴の正面の席に座った。


「貴方の存在はこちらと向こうの両方に同時に存在していて、恐らく意識はその二つの間を振り子のように揺れ動いているんだと思います。貴方の意識がどちらに移動するかで、主となる肉体が確定する……というと分かりますか?」


 何となく、分かる気がする。

 そうなると、遠竹瑞貴という個人の意識はあっちにはないということで。


「意識の無い方の肉体は、どうなるんですか? 何か、問題が出るんでしょうか」

「ノー、その可能性はほとんと無いはずです。ボクはそういう状態になったことはないですが……貴方の場合、あっちの体に問題は出ないんじゃないでしょうか。影は薄くなるでしょうけど、基本的に貴方の行動パターンに準じた動きをしてるはずですよ」

「こっちの体には問題が出るってこと……ですよね」


 今の論調だと、そういう意味に瑞貴には聞こえる。


「イエス、その通りです。こっちの貴方は、ほとんど存在してないに等しい。ボクだって、貴方がこっちに来るまで気付かなかったくらいです。具体的に言えば、貴方の意識が離れた瞬間に極限近くまで存在感が薄まると思われますし……たぶん、此処に在るだけっていうのに近くなるんだと思います。けどまあ、貴方が望むなら。こっちの世界に比重を移す事も可能ではあるでしょうね」


 こっちの世界に比重を移す。

 それはつまり、向こうの瑞貴がほとんど存在しない、幽霊みたいな状態になるということなのだろうか。

 そんな瑞貴の考えを読んだかのように、狐面の人物は肩をすくめてみせる。


「まあ、貴方の想像してる通りだと思いますよ。なんなら、そのままこっちに存在を完全に移すことだってできますよ」

「そういえば此処って……ダストワールドっていう名前だって聞きましたけど」


 瑞貴の言葉に狐面の人物は、軽く頷いてみせる。


「言葉通りですよ。此処は貴方の居た世界で溢れる感情が、行き場を無くして捨てられる場所。それが形を成したのがこの世界であり、ボク達であると言われていますからね。ボク自身は成り立ちにこだわりはありませんけど、気にする奴はそうやって皮肉るんですよ」


 捨てられた感情で出来た世界。

 茜のクリームパンも今考えると、そういう事だったのだろうか。

 そう気付き考え込む瑞貴をよそに、狐面の人物は立ち上がり教室の後ろの掃除ロッカーまで歩いて行く。

 そのロッカーの前で振り返って、瑞貴にこいこい、というジェスチャーをする。


 なんだろう、と思いつつ瑞貴が掃除ロッカーの前まで行くと、狐面の人物はロッカーをガチャリと開けて見せる。

 その中に入っていたのはホウキやモップではなくて、不気味な柄の剣だった。


「なんで掃除用具入れにこんなものが……」

「ある意味掃除の道具ですけどね」


 とんでもない事言う人だ、と思いつつも瑞貴は剣を手に取ってみる。

 ズシリとした金属の重さは、それが玩具ではない事を瑞貴に知らせてくる。

 とてもではないけど、瑞貴には使えそうにはない。

 まあ、使う機会なんて無いだろうが。


「で、これが何か?」

「何って、呪いの剣ですけど」

「うひゃぅばっ!」


 瑞貴は思わず、剣を離して飛びのいてしまう。

 なんてもの触らせるんだ、という抗議の視線を狐面の人物へと向ける。


「こらこら、避けちゃダメですよ。呪いの剣だってだけで誰も触ってくれなくて、自己嫌悪で行方不明になってたんですから。やっと見つかったんですよ?」

「……どうしよう。どこからツッコミいれたらいいのか分からない」


 頭を抱える瑞貴をスルーして、狐面の人物は指を一本立ててみせる。


「さて、では問題です。貴方は、その剣がとても欲しいとする。果たして、今日この場で持ち帰る事ができるでしょうか?」


 もう一度、瑞貴は剣を触ってみる。

 冷たい金属の感触、確かな重さ。

 自分自身がワープしているのなら、持って帰る事も可能なのだろう。

 でも、意識だけが移動しているのなら。


「不可能……ですよね」

「イエス。貴方の場合は意識の移動ですからね。ただし、貴方がこっちに存在を移して剣を手に取り、向こうへと再度存在を移すという手段をとるなら、話は変わってくるわけです」


 瑞貴は剣をロッカーに片付けて、考える。

 そういえば、茜は向こうからダストワールドに帰る時に「最初から居なかったことになる」と言っていた。

 なら、瑞貴は。

 存在をダストワールドに移すと、向こうの瑞貴はどういう扱いになるのだろう。

 最初から居なかった事になるのだろうか?

 そんな事を瑞貴が考えていると、狐面の人物が口を開く。


「心配そうな顔してますね。でもまあ、存在をこっちに移しちゃう人っていうのは珍しい事例じゃないですよ」


 狐面の人物は、気軽な口調でそう瑞貴に教えてくれる。


「神隠しっていうでしょう? 感情を制御しきれなくて、自分ごとダストワールドに捨てちゃう人間って、結構いるんですよ?」


 それはつまり。

 原因不明の行方不明ということだ。

 その事実に。

 そして、それを気軽に言う狐面の人物に、瑞貴はぞっとする。

 この人にとって、人間なんていうのは、そのくらいの重みしかないんじゃないだろうか。

 そんな考えが瑞貴の頭の中に浮かぶ。


「おやおや、なんて顔するんですか。これでもボクは人間は結構好きな方なんですよ?」


 冗談交じりの口調で言う狐面の人物。

 そこで、瑞貴は気付く。

 狐面の人物は、どことなく胡散臭い雰囲気が漂っている。

 気をつけないと、取り返しのつかない事になりそうな……そんな予感がする。

 そもそも、この狐面の人物は何者なのか。

 今更そんな事に気が付いて、瑞貴は思わず一歩後ろに下がる。


 どうして今まで、そんな事に考えが及ばなかったのか、と瑞貴は戦慄する。

 この狐面の人物が誰なのかは分からないが。

 きっと、瑞貴は絡めとられる寸前だったのだ。


「あの……色々と、ありがとうございます」

「いや、気にしないでください。それに、ボクも貴方に聞きたい事があるんです」


 ようやく瑞貴が搾り出した言葉に答えると、狐面の人物は瑞貴にお面の奥の視線を向ける。


「貴方と、この教室からは赤マントの匂いがします。それも相当濃い。そんなに深く赤マントと関わってるクセに、どうして君は生きてるんですか?」


 射抜くような視線を瑞貴は感じる。

 どう答えるべきなんだろう。誤魔化すべきなんだろうか、と瑞貴は考える。

 けれど、答える前に狐面の人物が口を開く。


「想像はつきます。この部屋に居たのは赤マントです。貴方と何らかのつながりを作って、向こうの世界に存在を……完全に移行したんでしょう?」

「は、はい。でも」


 瑞貴の言葉を遮ると、狐面の人物は教室の壁を拳でガン、と叩く。


「ボクは正直、驚いてます。赤マントに、人をたぶらかそうなんていう考えが浮かぶなんてね。でも、それ以上に貴方に驚いてます。貴方は赤マントと知って、そいつを受け入れたのですか?」


 瑞貴は、茜の言葉を思い出す。

 赤マントは、普通は人を殺す。

 きっとそれは、こちらでも常識なのだろう。

 だから、この人はこんなに怒っている。さっきは胡散臭い人だと思ったけれど、人間を心配してくれているのかもしれない……と、そう瑞貴は考える。

 だからこそ、瑞貴は正直に答える事にする。


「はい。僕は茜を……赤マントを、そうだと知って受け入れてます。最初は、ちょっと行違いもありましたし、まだほとんどお互いの事を知らないけど……でも、それでも僕は。茜は人を、殺さないと信じてます」


 狐面の人物は、しばらく無言のままだった。


「それは、本気で言ってるんですか?」

「はい。信じられません、か?」


 瑞貴自身、それは仕方の無い事だと思った。

 だが、狐面の人物は瑞貴の言葉を否定しなかった。


「信じるも信じないもありませんよ。今貴方が嘘をつけば、ボクには全部分かりますからね」


 そのまま、天井を見上げて。

 腕を組み、時折瑞貴の方を見る事を繰り返して。


「……その茜って名前は貴方が?」

「いえ、2人で決めました」


 無言の後、ようやく紡がれた言葉に瑞貴はそう返す。

 紅林茜。

 この教室で2人で決めた、瑞貴と茜をつなぐもの。


 狐面の人物は組んでいた腕を解くと、長い……とても長い溜息を、ついた。


「ボクが何か、知ってますか?」

「いえ……」


 正直、サッパリ分からなかった。

 だから正直にそう答えると、狐面の人物は再び溜息をつく。


「貴方は、すぐ殺されるタイプですね」

「はは……茜にも似たような事言われてます」


 狐面の人物は納得するように頷くと、自分の正体を告げる。


「こっくりさんですよ、ボクは」

「あ、それで質問にイエス、ノーで答えてたんですか?」

「イエス。まあ、クセみたいなものですね」


 そう言って、苦笑するように笑い声をもらすこっくりさん。

 だが、イエスかノーかの2択っていうのは、分かりやすくていいと瑞貴は思う。 茜はイエスとノーの中間くらいしか無さそうだし、綾香は言葉より先に拳が出る。

 理知的っていうのは、きっとこういう人の事をいうんだろう、と瑞貴は1人で納得して頷く。


「ふう……貴方が考えなしに赤マントを引きこむバカ野郎だったら、この場で引き裂いてやろうと思ってたんですけどね」


 前言撤回。その本気な言葉に、瑞貴は笑うしか出来ない。


「ああ、ちなみに嘘ついても切り刻むつもりでしたよ。ボクは、嘘つきが大嫌いなんです」

「そ、そうですか……」

「まあ、ここに入った時点では7割くらい引き裂いたら許してあげようかなぁ、とは思ってましたけどね」


 上機嫌に言うこっくりさんに、瑞貴はようやく本質を理解する。

 この人も、相当危ない人だ。自覚が無さそうな分、茜より怖いかも。どうしよう、早く帰りたい。そう考えて、自然と椅子から腰が浮きそうになる。


「でもまあ、貴方の事は気にいったかもしれません」


 マズイ、と瑞貴は思う。

 こういう時は、ロクなことにならない。

 気にいったから引き裂くとか言われても困る。

 しかし、どうやってここから逃げればいいのか。

 オロオロする瑞貴を、こっくりさんはキョトンとした顔で見ている。


「どうしたんですか? トイレなら気にせず行ってきて構いませんよ?」


 違います。帰りたいんです、とは言えずに瑞貴はぐっと黙り込む。

 しかし、いつもどうやって帰っていたかが分からない。


「あ、あのぅ」

「うん?」


 瑞貴は観念して、こっくりさんに帰り方を聞くことにする。

 うん、きっと大丈夫。帰りたいって言ったくらいで引き裂くなんて言わないはず……と自分を納得させる。


「そろそろ帰りたいなあ、って思うんですけど。そのう。帰り方が……」

「イエス、いいですとも。問われれば答えるのがボクですから。教えてあげますよ」


 よかった。やっぱり基本はいい人だ……と瑞貴は安堵する。


「でも、その代わり。ボクのお願いを一つ、聞いてくれませんか?」

「あ、はい。僕に出来ることなら」

「うん、簡単な事ですよ」


 こっくりさんが、狐のお面を頭の上の方へとずらす。

 現れた顔は……瑞貴が想像していたよりも、ずっと綺麗だった。

 金色の髪と、金色の目。

 その金色を引き立てるような、白い肌。

 モデルか何かだと言っても通用しそうだ、と瑞貴は思う。


「ボクにも、名前をくれませんか?」

「あの」

「何ですか?」


 男ですか、女ですか、と聞くのは凄く失礼な気がして瑞貴は黙り込む。

 初めて見たこっくりさんの素顔は、とても女性的だ。

 たぶん女性だろうが……間違えた時の事を考えると、確かめた方がいいようにも思える。

 たぶんイエスかノーで答えてくれるだろう。

 そう考えて、瑞貴は質問を口にする。


「あの、性別伺ってもいいですか?」

「女だよね、っていう確認の意味なら許してあげますよ」


 どうやら、してはいけない類の質問だったようだ。


「いや、だってほら。男子の制服着てますし。間違えたら失礼かな、と」


 右頬にビンタ一発、返す手のひらで左頬にも一発。

 引き裂かれなかった分、瑞貴は運がよかったのだろうか。


 そして瑞貴とこっくりさんは、名前について話し合って。

 狐嶋琴葉。

 結局、それがこっくりさんの名前になった。


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