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3話

「なぁ、瑞貴」

 瑞貴の隣の席でシャーペンの分解作業をしていた耕太が、そう瑞貴に話しかけてくる。

「何?」

「スプリングがどっか行っちまったんだけどさ。そっちに転がってねぇ?」

「知らないよ。そのうち帰ってくるんじゃない?」

「スプリング少女か。いいなそれ」


 幸せそうなので、瑞貴は答えずに放っておくことにする。

 筆箱の中で光っているのはスプリングに思えるが、あえて耕太の夢を壊す事もない……という瑞貴なりの優しさだ。


「瑞貴―、ついでに耕太―」

「聞いたかよ瑞貴。俺はお前のオマケらしいぜ?」


 やってきた綾香に、耕太は大袈裟な手振りで悲しみを表現してみせる。


「バーカ。さっさと帰ろうよ」

「ん、そうだね」

「おう」


 瑞貴達が荷物をまとめて立ち上がろうとした、その時。

 瑞貴のズボンのポケットから、携帯が滑り落ちる。

 転がり落ちた携帯は、くるくると回転しながら綾香の足元へ滑っていく。

「おっと」

「あ、ごめん」


 拾ってくれた綾香から瑞貴が携帯を受け取ろうとすると……何故か、綾香はその手をペシンと叩く。

 何だか、さっきも同じような目にあった気がするな……と瑞貴が考えている間にも、綾香がカチカチと音を立てて瑞貴の携帯の操作を始めている。


「ちょ、僕の携帯……」

「相変わらずアドレス増えないわねー」


 なんて奴だ、と瑞貴は戦慄する。

 綾香は、携帯のアドレスチェックをしているのだ。

 プライバシーの侵害という言葉を恐れぬ行為に瑞貴が戦慄している間にも、綾香は慣れた手つきで携帯を弄り続ける。


「あれ? 知らない人の名前だ。女の子?」

「ちょっ!」


 瑞貴は、綾香の手から慌てて携帯を奪い返す。

 表示されていた名前は、紅林茜。


「なんだよ、お前もついにエア彼女持ちか?」


 瑞貴の横から耕太が、携帯を覗き込んでくる。


「何、エア彼女って」


 綾香の不審そうな顔に、耕太は得意げに指を振って見せる。

「説明してやろう。家族しかアドレスが入ってねぇ寂しい男の為に生まれた奇跡のシステム。勝手なアドレス入れて、それっぽい名前を入れればあら不思議」

「瑞貴、アタシのアドレス消えてるんだけど」

「あれ?」

「ちょっと貸して、もう一回入れるから」


 綾香は瑞貴の携帯を奪い取ると、カチカチと操作し始める。

 消した記憶は無いのに、いつ消えたのだろうか、と瑞貴が考えていると……綾香はふう、と息を吐く。


「よし、出来た。もう消さないでよ」


 そう言うと、綾香は満足そうな顔で瑞貴に携帯を渡す。


「おい待て。俺に説明させといてスルーかよ。女性向けにエア彼氏ってのもあるんだぜ?」

「アタシは今の耕太をエア幼馴染にしたいんだけど」

「マジか。俺を胸一杯に吸い込むつもりかよ」


 想像すると、瑞貴は急に気持ちが悪くなった。

 そんな汗臭い空気はご免こうむりたい。


「耕太、気持ち悪い」


 綾香の素直な感想に、瑞貴は心の底から同意した。


「それより、瑞貴のエア彼女のことだけどよ」

「なんでエア彼女って決めつけるのさ」

「え、ほんとに彼女なの?」


 耕太と綾香に、瑞貴は違う、という意味を込めて手を振る。


「違うよ」


 瑞貴がそう答えた、その瞬間。携帯が、鳴りだした。

 表示された名前は……紅林茜。


「私は違わなくてもいいんだけどな」


 瑞貴が通話ボタンを押した途端、電話の向こうの声はそう言った。


「え? あ、茜?」


 瑞貴は思わず、そう聞き返す。

 不思議な、此処ではない何処かの世界。

 そう感じていた向こうからの電話。

 それは一気に、茜の存在感を濃厚にさせた気がしていた。

 そう、それはまるで茜がこの場にいるかのような感覚。


 ……もし、茜がこの場に居たのなら。

 そう考えた、その瞬間。

 瑞貴の中で何かが、ガチリという音を立てて変わった気がした。


 そして、瑞貴は見た。

 耕太の机の上に居る、少女の姿を。

 間違えようも無い、赤い服と銀の髪。

 茜が、こちらに背を向けて座っている。

 携帯を耳元に当てた茜が、瑞貴へと振り向いて。

 嬉しそうに、顔をほころばせる。

 その光景に瑞貴の心臓が、大きく飛び跳ねる。

 思わず瞬きをすると、そこに居たはずの茜の姿はかき消える。


「ど、どうした瑞貴」


 いつの間にか、電話は切れていて。

 耕太が、心配そうな顔で瑞貴を見ている。


「ちょっと、何その汗。すごいわよ?」


 瑞貴の体を、大量の汗が流れ落ちる。

 なんだろう、と瑞貴は考える。

 今、何かが決定的に変わってしまった気がした。

 視界が、世界が。何かが変だった。

 此処にあるのに、目の前にあるのに。

 声も、姿も。いつもより遠く感じる気がするのだ。


 視界が歪む。

 世界が、遠くなる。

 いや、違う。

 世界が、近くなる。

 世界が、混ざり合う。


「おい、瑞貴!」


 揺さぶられて、瑞貴はハッとする。

 あの変な感覚は、体の中から消えている。


「あ、ごめん。なんだか、疲れたみたいだ」

「しっかりしてよね……心配するじゃない」

「うん、ごめん」


 綾香や耕太に心配をかけてしまった事を、瑞貴は素直に反省する。

 先程見えた、あの姿。

 瑞貴は、それを鮮明に思い出す。


 想像する。想像してしまう。

 例えば、茜がこの教室にいるのなら。

 例えば、クラスメイトであったなら。


「念の為、家まで送っていったほうがいいかもね」

「そうね。耕太、万が一の時は頼むわよ?」

「げえ、俺一人でかよ?」


 瑞貴の前で三人が、そんな事を話している。


「やだなあ、皆で送っていくけどさ。私と綾香じゃ力仕事は無理でしょ?」

「そりゃ茜には無理かもしれねえけどよ。綾香は意外とげぅっ」


 綾香に蹴られてうずくまる耕太と、それを見てニヤニヤと笑う茜。

 いつも通りの、その光景に……瑞貴は、戦慄した。


「あ、茜……?」

「何? ミズキ」


 どうして、茜が此処に居るのかが瑞貴には理解できなかった。

 茜は、此処には居ないはずだ。

 それに、綾香も耕太も、茜の事は知らないはずだ。

 なのに、どうして。どうして、この光景を。

 瑞貴は、いつも通りだと思ってしまったのか。


「おめでとう」


 隣に立っていた茜が、瑞貴の耳元でささやく。


「望んだ世界が、ミズキの前に現れる。銀幕はもう、ミズキと世界を隔てない。その他だった立ち位置は、通行人くらいにはなるかもしれない。正直、想像以上だ。私は、すごく嬉しいよ」

「な、何を……? どうして……」


 どうして、ここにいるのか。

 どうして、瑞貴と同じ学校の制服を着ているのか。

 どうして、耕太や綾香と親しく話しているのか。

 全てが、瑞貴の理解の外だった。

 この中でこの光景をおかしいと感じるのが自分一人である事が瑞貴の混乱を更に加速させていく。


「君の望んだ世界へようこそ、ミズキ。そしてありがとう。この時を、ずっと待ってたよ」


 瑞貴の視界は、暗転する。

 耕太と綾香の、慌てた声を遠くに感じながら。

 瑞貴の意識は、そのまま暗い場所へと沈んでいった。


「おはよう、ミズキ」


 瑞貴が目を覚ました時、冷たいものが瑞貴の目の上からどかされる。

 濡れタオルを持った茜が、瑞貴の顔を覗き込んでいた。


「……おはよう。あの2人は?」

「綾香は下でおかゆ作ってる。耕太はサッカー見てる」

「そっか」


 丁度いい、と瑞貴は思った。

 聞きたいことが、瑞貴にはたくさんある。瑞貴は起き上がると、茜の顔を見つめる。


「聞いても、いいかな」

「何?」


 少し考えた後。

 瑞貴はまず、最初の疑問を口にする。


「どうして、此処にいるの?」

「ミズキが呼んだからだよ」


 茜は、あっさりとそう口にする。


「私とミズキの縁は、こっちとあっちを繋げてる。ミズキが向こうに行けるように、私もこっちに来る事ができるんだよ」


 それはつまり。

 瑞貴がダストワールドに行っていたのは、茜が僕を呼んだからなのだろうか、と瑞貴は考える。

 だが、それでは説明できない事がある。

 茜はダストワールドの人間であって、こちらの世界の人間ではない。

 なのに何故、耕太や綾香は茜の事を知っているのか。

 それは、二つの世界の移動という事象と関連しているとは瑞貴には思えなかった。

 そんな瑞貴の考えを読み取ったのか、茜は肩をすくめてみせる。


「世界は矛盾を許さないからね。私のような異物でも、入り込んだらそれを最初からあったように組み込もうとするんだよ。向こうに帰った時にどうなるかは分からないけど。たぶん、全部なかったことになるのかもしれないね?」

「でも、茜はここにいるよ」

「今は、ね」


 向こうに帰ったら茜はまた、あの場所に居るのだろうか、と瑞貴は考える。

 あの無音の世界に、一人きりで。

 そう考えた時、瑞貴の口から自然と言葉が飛び出していた。


「ねえ、茜」

「何? ミズキ」

「よかったら、ここにいないかな」


 驚いたような顔をする茜。

 初めて見る表情に、瑞貴はドキリとする。

 やはり、向こうに帰ってしまうつもりだったのだろうか。

 そう考えると、瑞貴の中に正体不明の焦りにも似た感情が生まれる。


「君はそうじゃないのかもしれない。でも、やっぱり1人は寂しいものだと、思う。だから」

「ここに居てほしい……って言うの?」

「うん。茜が嫌じゃなければ、だけど」


 茜は天井を見上げると、目を閉じて何かを考える素振りをみせる。


「いいのかな。私が何だったか忘れた?」


 怪人赤マント。

 確か、そう言っていたと瑞貴は思い出す。

 でも、瑞貴にとって茜は、茜だ。

 他の事なんて、何の関係も無い。


「そっか。ミズキ、ありがとう。とても嬉しいよ」


 茜はそう言うと、唐突にあのニヤニヤ笑いを浮かべる。


「ところでね、ミズキ。今、ご両親いないよね」


 そう。遠竹家の父親は海外赴任していて、母親もそれにくっついて行っている。


「さて、問題です」


 瑞貴の耳元に唇を寄せ、茜は小さく囁く。


「私は今、何処で暮らしている設定になっているでしょう?」


 何処で暮らしているのか。

 それは当然の疑問だ。

 世界が矛盾を許さないというのならば、矛盾の発生しないような場所であるのは間違いない。

 ならば、現状で一番矛盾無く茜が存在できる場所。

 そして、茜がこういう言い回しでわざわざ瑞貴に聞いてくるといいう事。

 それはつまり、一つの事実を指し示す。


 遠竹家に茜は住んでいるということになった。

 つまりは、そういうことだ。


「さて、それを踏まえた上で。今の台詞、事情を知らない人が聞いたら、どう思うでしょうか?」


 開け放たれたドアの向こうで、綾香がぼうっとしているのと。

 耕太がすごい顔をしているのが瑞貴には見えた。

 裏切り者を見る目だ、と瑞貴は感じた。


 瑞貴は素早く現状を整理する。

 つまり、茜と瑞貴は同居している。

 そして、甲斐甲斐しく世話をする茜と、ベッドの上で此処に居てほしい、という瑞貴。

 茜が嫌じゃなければ、という言葉。

 聞きようによっては、非常に不味い意味にも聞こえる言葉だろう。

 だが、茜が一言フォローを入れれば解決する程度の状況でもある。


「ち、違うよ! ねえ、茜」

 

 瑞貴が一縷の望みをかけて見た、茜の顔には……あのニヤニヤ笑いが浮かんでいる。


「嬉しい! 私もミズキと一緒に居たい!」


 そのニヤニヤ笑いが2人にバレない角度で、瑞貴に抱きついてくる。

 更に状況が悪くなったことを、瑞貴は確信する。


「許せねえ……これがモテ・ディバイドってやつかよ……許せねえぜ」


 血の涙を流しそうな勢いで、耕太がキレる。

 この状況をモテ格差と呼んでいいのか瑞貴には疑問の余地が残るところだったが、綾香はまだ固まったままだ。

 茜からのフォローが一切期待できない以上、綾香をどう納得させて誤解を解くかは苦労のしどころだ。


「自分から受け入れたこと、忘れないでね。これから苦労するよ、ミズキ」


 もう苦労してる。

 瑞貴はそう言いたいのを、ぐっとこらえて。

 発言の意味を違う方向にとった耕太の怒りのボルテージが更に上がる。


「……ひょっとしなくても、わざと誤解される言い回ししてるよね」

「何の話?」


 瑞貴が茜をジト目で見ると、茜はニヤニヤ笑いを一層強めてみせる。

 瑞貴は、怪人赤マント……紅林茜という人間像が、少しだけ理解できた気がした。


「瑞貴。ちょっと、分かりやすく説明してくれる?」


 その時、フリーズしていた綾香が再起動した。

 誤解を解くにはどうしたらいいのか。

 瑞貴は必死で頭の中で言い訳を組み立て始める。


 そのまま必死の言い訳を続ける事、数時間。


「おい瑞貴、俺ぁまだ納得してねえからな」


 夜になっても、まだ耕太は納得しきれていない様子だった。

 玄関口で、まだしつこく追及してくる。


「だから違うってば」


 瑞貴が何も言わないでよ、と目線で茜に視線を送ると茜は顔を赤らめて、視線をそらしてみせる。

 余計なことはしないでよ、にするべきだった……と瑞貴が後悔しても、もう遅い。

 般若みたいな顔になる耕太の肩を、溜息まじりの綾香が掴む。


「だからアレは茜の冗談だってば」

「納得できると思ってんのかよぉ、あぁ?」


 どうしたものかと瑞貴が考えていると、助け舟は意外な方向からきた。


「もういいよ。帰ろ、耕太」


 綾香が溜息をつきながら、頭をかいている。


「よく考えたら、茜ってイタズラ好きだし。いつもの冗談だよ」

「そりゃそうだけどよ……」

「そもそも瑞貴にそんな甲斐性ないってば」

「まぁな」


 納得するなよ、と言いたくなるのを、瑞貴はぐっとこらえる。


「おやすみ、瑞貴。念の為、今晩はしっかり寝てなよ」

「茜にイタズラすんじゃねえぞ」

「大丈夫。イタズラするのは私だから」


 冗談だと思って笑う耕太と綾香を見ながら、瑞貴も乾いた笑いを浮かべる。


「うん、おやすみ2人とも」


 2人を見送ると、瑞貴は携帯のカレンダーを開く。


「そっか。明日も学校なんだなあ。なんだか慌ただしくて、すっかり忘れてた」


 特に理由はないが、瑞貴は何となく空を見上げてみる。

 空に浮かぶのは、綺麗な月。

 視線を下ろす、その時に。正面の家の屋根に、人影が見えたような気がして。


「え……?」


 瑞貴は、もう1度視線を上げる。

 でも、誰も居ない。

 暗闇を見透かすように、瑞貴は目を細める。

 やはり、誰も居ない。

 気のせいかと視線を下ろすと。

 視界に、黒い人影が一瞬だけ目に入る。


 何か、いる。

 あの屋根の上に、何かが。

 その何かが、何なのか。


 想像する。

 あれは、何なのか。

 何をするものなのか。


 想像する瑞貴の肩に、誰かが手を置く。

 振り返ると、そこには茜がニヤニヤ笑いを浮かべて立っていた。


「何やってるの、ミズキ」


 茜が、いつも通りの口調で瑞貴に語りかける。

 どう伝えるべきか混乱する。

 下を向く時にだけ見える人影なんて、どう説明したら。

 言葉も出ないまま正面の家の屋上を指さす瑞貴。

 その先を視線で追うと、茜はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「ああ、影法師だね。どこにでもいるじゃない、あんなの」

「か、影法師?」


 茜の本当にどうでもよさそうな口調に、瑞貴は少しの冷静さを取り戻す。


「うん。罪悪感とかそういうのを食べてる奴だよ。最近は増えてるよ?」

「なんだか、下を向く時にだけ見えて……」

「ああ、ああ。下を向くってのはほら。謝罪に似てるからね。食事と勘違いして、姿を見せることもあるかもね」


 瑞貴の説明にもならない説明に、茜はスラスラと答えてみせる。


「でも、おかしいなあ。ミズキ、もっとちゃんと見てる? 今のミズキなら、下なんか向かなくても見えるはずなんだけど」


 その言葉に瑞貴は、ぞっとする。


「下を向かなきゃ見えないなんてのは、普通の人だよ」

「僕は、普通の人のつもりなんだけど」

「ちょっと違うね」


 茜は、すぐにそう切り捨てる。

 瑞貴の真正面に近づくと、茜は瑞貴の顔を見上げる。


「私なんか引き込んだ時点で、ミズキは普通の人から少し外れてるよ。今のミズキは、見ちゃいけないものが見える普通の人、ってとこかな」


 聞いていると、ひとつも良い点が無いように瑞貴には思える。


「ないよ」


 一刀両断、少しの慈悲もない言葉だ。


「でも」


 茜は、瑞貴の首に手を回す。

 ニヤニヤと、あの笑いを浮かべながら茜は囁く。


「でも、それがミズキの望んだ世界だ。望んだ非日常は、いつでもすぐ目の前にある。ほら、もっとよく見て」


 もう一度、あの屋根の上を。

 瑞貴は目を凝らして眺める。凝視する。


 想像する。

 もし、あそこに何かがいるのなら。

 例えば、黒い影法師。


「……見えた」


 屋根の上に、黒い人影が体育座りをしている。

 瑞貴の視線に気付いたのだろうか。

 なんだか申し訳なさそうに手を振っている。

 思わず手を振り返す瑞貴を見て、茜は満足そうに頷いた。


「ね? 見えたでしょ?」


 確かに、見えた。

 あちこちの屋根の上に、影法師が。

 正面の屋根に。

 隣の屋根に。

 更に、その先の屋根に。

 そして、瑞貴の家の屋根の上にも。

 影法師の居ない屋根なんて、見えなかった。


 どこまでも続く、黒い影の群れ。

 マンションにも、各部屋のベランダごとに影法師がいるのが分かる。

 数え切れない程の影法師が、瑞貴の視線に気づいて。

 黒い影達は、一斉に手を振ってみせる。


 目の前で繰り広げられる光景に、背筋が寒くなるのを瑞貴は感じた。

 それは今まで、こんな状況に気付いていなかったのか、という驚き。

 それは、今までの常識が非常識だったと思い知らされたが故の恐怖。


「心配いらないよ。あれは、大体は悪質なものじゃあないから」


 大体は悪質じゃない。

 それは、悪質なものもいる、という意味を併せ持つ。


「まあ、たまには悪いのもいるよ。でもそれって、人間も同じでしょ?」


 寒いから中入ろうよ、という茜に促されるまま。

 瑞貴は逃げるように家のドアを閉めた。

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