19話
「なーるほど。そうしたら、あそこの同族が俺に槍を突き刺す、と?」
ふらふらと立ち上がる茜を赤マントは一瞥する。
「この勝負に茜は関わらない。これなら受けるか?」
「その勝負。君が負けたらどうすんの?」
乗ってきた、と瑞貴は確信する。
ならば、あともうひと押しのはずだ。
「僕の命を賭けてる。これじゃ不満?」
「不満だね。そもそも君を殺す気はねーって言ってるじゃんよ。真っ二つになった君の切り身なんて、欲しくないんだけど?」
「それは、僕がこっちに来れる切符だから?」
先程から赤マントは、瑞貴の事を切符君と呼んでいる。
なら、殺したがらないのも理解できる。
切符は、使える状態でなければ意味が無いのだから。
「別にこっちの世界とか興味ねぇんだよ。虐殺にも興味はねぇな」
「なら、何しに来た……!」
「おいおい、寝てろって。今は切符君と話してんだよ」
赤マントは茜の繰り出す槍を自分の槍の横腹で弾き、そのまま茜の腹部に拳を突き入れる。
「ガッ……」
「まぁ、あれだよ。俺はね、切符君をあっちに連れ帰りたいんだわ」
赤マントの放つ回し蹴りが、崩れ落ちた茜を再びフェンスに叩きつける。
痛めつけられる茜を見て……瑞貴は赤マントを、思い切りぶちのめしたい衝動にかられる。
でも、まだダメだと瑞貴は自分を抑制する。
こいつを確実に倒さないといけない。
そう自分に言い聞かせ、瑞貴は奥歯を噛み締める。
「なぁ、切符君……あー、遠竹君……いやいや、ミズキクン。俺達さぁ、最高のコンビになれると思わね?」
「思わない」
「そう言うなよ。ミズキクンの事、気に入ってるんだぜ? 俺は向こうでミズキクンに最高の大冒険を提供してやれるし、ミズキクンは俺が何かブッ殺したいなーって思った時にこっちから人間を浚ってこれる。そうすりゃあ、互いにハッピーで無敵なコンビさ」
狂っている、と瑞貴は思う。
そんな取引が成立するはずがない。
会話が通じる分、更にタチが悪い。
だが、瑞貴はそれでも会話を続ける。
「つまり、アンタが勝ったら、僕についてこい……と?」
「おう。こんな良い条件ねぇだろ?」
「分かった。それでいこう。その代わり僕が勝ったら、必ず攻撃を受けろ」
瑞貴は、手の中の十円玉を強く握る。
「いいとも。約束するぜ」
赤マントがそう答えた、その瞬間。
「今の約束、確かに頂きました」
瑞貴の手の中の十円玉が、空中へと飛び上がる。
ぐにゃりと曲がって、広がって……それは狐の面を形作る。
そして、そこから浮かび上がるように長い金髪を後ろで縛った琴葉の姿が現れる。
「こっくりさんか……! なるほど、君の入れ知恵かい!」
「いいえ。これは紛れもなく、彼の作戦。遠竹君、負けたら許しませんよ?」
琴葉は、そう言って笑う。
瑞貴と赤マントの会話を聞いていて、琴葉はゾクゾクとした感覚が身体の中を駆け巡るのを感じていた。
瑞貴が何を考えているのか、琴葉には分かる。
何を琴葉に期待しているのか、琴葉には分かる。
琴葉がそれに気付かなければこの作戦は破綻するというのに、瑞貴は琴葉を信頼して賭けた。
素晴らしい、と素直に琴葉は瑞貴を心の中で賞賛する。
恋とは、ここまで人を強くするものなのだろうか。
もっともっと、探求しなければならない。
その為には、この二人目の赤マントは邪魔でしかなかった。
「ミズキ……」
「ごめん、茜。文句なら、終わった後で幾らでも聞くから。だから、今だけは僕を信じて」
フェンスに寄り掛かったままの茜は俯いて、伸ばしかけた手をぎゅっと握る。
「分かった。ミズキを、信じる」
赤マントは、その様子を気だるげに見ていて。
溜息をつくと、瑞貴へと視線を戻す。
「で、始めていいのかな?」
「いつでも」
瑞貴は、そう言って集中を始める。
必要なのは、たった一撃だ。
それだけ防げれば瑞貴の作戦は成立する。
例えば、赤マントの攻撃を防ぐなら。
仮定する。
仮定した光景を、瑞貴は自分の目に映る風景に思い描く。
想像する。
赤マントの攻撃を防ぐ為に練り上げたイメージを。
「じゃあ、いっくぜぇっ!」
赤マントの速度に、瑞貴の目では追いつけない。
だが、もう幻視している。
視界が歪む。
世界は遠くなり、世界は近くなる。
それは、混ざり合う世界のイメージ。
一瞬の目眩の後に……赤マントの目の前に、ダストワールドの教室の机が現れる。
「おいおい、こんなもんで防げると思ってんのかよっ!」
赤マントは、楽々とそれを飛び越す。
「約束は一撃だからなぁっ! 引っかかったりはしねえぜっ」
槍を振り上げ、高速で落下する赤マント。
けれど。
もう一度、世界は混ざり合う。
瑞貴の幻視したものは、もう一つ。
掲げた両手の中にある、剣の姿の六花。
赤マントが振り下ろした槍は、瑞貴が掲げた両手に現れた剣に空しく弾かれる。
「んな……っ! なんじゃそりゃ!」
赤マントは体勢を立て直し、後ろに下がる。
「……約束は一撃。僕の勝ちだね」
机は、赤マントの攻撃範囲を限定する為の囮。
約束は一撃だから赤マントが机に攻撃してくれれば、それでよし。
蹴飛ばそうと刺そうと、あるいは斬ろうと瑞貴は赤マントの一撃をどうにかしたことになる。
瑞貴が限定した状況で赤マントが最速の一撃を繰り出そうとするなら、上から来るしかない。
刺突か斬撃かは賭けだったが……赤マントが斬撃が好きなのは充分に瑞貴は見た。
剣の状態の六花は瑞貴には扱いきれない重さだが……両手で支えるくらいなら、出来る。
そして、それさえ出来れば瑞貴でも上からの一撃を防ぐ事は可能だ。
「アンタが上手く引っかかってくれて助かったよ。モノを考えない奴だったら、こんなの不可能だった」
「……なるほどね。まんまとしてやられたわけだ」
「そして、約束だ。アンタは、攻撃を受けなきゃいけない」
「そうだな。まあ、一撃くらいならくれてやるよ」
そう言うと、余裕そうに溜息をつく赤マント。
だが、そんな余裕を許すつもりは、もう瑞貴にはない。
「琴葉さん」
瑞貴は勝負が始まってから、ずっと含み笑いをしている琴葉に声をかける。
やはり琴葉には瑞貴の企みがバレていたようだ、と瑞貴は思う。
だからこそ、この作戦は生きてくる。
「ええ、ええ。分かっていますとも」
琴葉の手の中に、青い火が生まれる。
それを見て、赤マントが訝しげな顔をする。
「おいおい、どういうこったよ」
「どうも何も。僕は、僕の攻撃を受けろなんて一言も言ってない」
そう、瑞貴の一番の狙いは赤マントが避けられないようにする事。
今まで茜の攻撃を、赤マントは避けていた。
だが、これなら。
「そして僕は、一撃を受けろとも言ってない」
攻撃を受けろ、と。
瑞貴はそう言った。
つまり赤マントはこれからの攻撃を、防ぐ事は出来ても。
避ける事だけは、絶対に出来ない。
「おいおい、そんなんアリかよ!」
普通なら、無しだ。
だが、琴葉ならば。
瑞貴の曖昧な言葉を最大限拡大解釈して、契約とする。
そして、こっくりさんの契約は絶対に破れない。
これが、瑞貴の立てた作戦。
「さて。覚悟はいいですね赤マント」
手の中の青い火を遊ばせながら、琴葉は笑う。
「よぉ、遠竹。やりやがったじゃねえか。今の使い方は合格点だぜ!」
「六花さんを信じてましたから」
「言ってくれるねえ!」
剣の姿から人間の姿になった六花が、笑いながら瑞貴の頭を撫でる。
そう、この作戦は六花無しでも成り立たなかった。
もし六花が赤マントの攻撃を防ぎきれない何かだったなら、この作戦は最後の最後で失敗してしまう。
だが、瑞貴は信じた。
六花なら、赤マントの攻撃を防ぎ切れると。
「おまたせ、茜!」
だが、その誰よりも瑞貴は、茜を信じている。
例えこの作戦が成功しても、赤マントは攻撃を防ぐ事は出来る。
だから、赤マントを倒せる人が必要だった。
それが茜には出来ると、瑞貴は信じた。
その信頼を感じて、茜は自分の中に流れる感情を再確認する。
「……ミズキのバカ。心配したんだからね」
茜が、立ち上がる。だが、その手には銀色の槍はない。
「ねぇ、ミズキ。今度は、私を信じてくれる?」
そんな問いかけ。悩むまでもないと瑞貴は思う。
「信じるよ。僕は絶対に、茜を疑わない!」
「ミズキ。私の事、好き?」
瑞貴は、握る拳に力を込める。
初めて会ったあの日。
瑞貴は、望んだ理想を見つけた。
「……好きだよ。茜は、僕の理想の女の子だ。最初っから、一目惚れなんだ」
だから瑞貴は、正直にそう告げる。
その言葉を受けた茜は眼を閉じて、手を上に掲げる。
「そうだよ、僕は茜が大好きだ……もっと、もっともっと茜と一緒にいたいんだ!」
自分と茜の恋の前に、立ち塞がる赤マントが、瑞貴には許せない。
だから瑞貴は拳を握って、全力で叫ぶ。
湧き上がる思いの強さに負けないくらい強く、大きく。
「茜……そんな奴、ぶっ飛ばしちゃえ!」
閉じた茜の眼から流れ落ちるのは、涙。
泣きながら、茜は笑っている。
「約束したよね。ミズキの憤りも、悔しさも。全部私が晴らしてあげるって。ミズキを悲しませるものは、一つ残らず私が貫いてあげるから。だから……待ってて」
再び開いた茜の目に、強い光が宿る。
茜の掲げた手の中に、赤い光が集まっていく。
それは強く、激しく輝いて……赤マントが、驚愕の声をあげるのが分かる。
「私も、ミズキが好き。大好き。ミズキを、誰にも渡したくない」
赤い光が、輝く。
収縮していく光。
それでもなお輝き、集まる光。
茜の中から溢れ出る赤い光は、茜の手の中へ。
全方向を照らすかの如く輝く光を見て、赤マントは恐怖する。
何が起こるか、赤マントには理解できない。
この感情が何であるかは、理解できる。
だからこそ、理解できない。
何故それが武器の形をとるのかが、赤マントには理解できない。
「だから、今こそ使いこなしてみせる。暴走しそうな、この感情を」
茜の手の中の光が、大きな棒のような形をとり、茜はそれを強く握り締める。
「理解できる。これが、私の恋。誰にも譲りたくない、負けたくない。絶対に、勝ちたい」
茜の手の中に集まった光が、赤い巨大な槍に姿を変える。
怒りや殺意だけではない。
憎しみや、義憤だけでもない。
恋だって、戦いの原動力だ。
恋するからこそ、人は自分を高め……時として、恋心をぶつけ合う。
だからこそ、茜の恋は武器の形をとる。
「私の恋は邪魔させない。私の恋は、誰にも負けない。だからこれは、私の絶対無敵の恋の槍。そんな槍で防げると思うなよ、赤マント」




