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プロローグ

 例えば、の話をしよう。

 例えば、何かに対して怒る事があったとしよう。

 例えば、何かに強い興味を持ったとしよう。

 怒りはいつか消えるし、興味もいずれ消える。

 再燃する事はあっても、それは以前抱いていた感情と同一では無い。

 ならば、その感情は何処へ消えたのか

 消滅したのか、空気へ溶けて消えたのか。

 元より形を持たないではないか、という論理は通らない。

 それらの感情は確かにそこにあって、確かにそれを感じていたのだから。


 ならば、その感情は何処へ消えたのか。

 持ち主にすら見えず、不必要となり捨てられた感情の数々。

 それらは、消えてはいない。

 持ち主の外へ……そして、やがて世界の外へと捨てられた感情達は、やがて集まり世界を成した。

 それもまた、当然の事だ。

 人を人として形作り、社会を形成し、世界を造るのが感情なのだから。

 そして世界を成した感情達は、やがてそこに住まう者達を作り出した。

 捨てられた感情から生まれたが故に欠落し、肥大化し、歪な心を成す者達。

 それは妖怪とも、怪異とも、あるいは怪人と呼ばれる者達。

 これが世界に寄り添い続ける欠落した世界、ダストワールドの始まりである。


「寄り添いながら、決して交わらない二つの世界。例えるなら、銀幕の向こう。確かに見えているのに届かない、もう一つの風景」


 そこは、何処かの学校の教室。

 いや、正確には教室では無い。

 ダストワールドには、そもそも学校などというものはない。

 自分を捨てた世界への未練を捨てきれず寄り添い続けるダストワールドは、常に世界の形を真似続ける。

 故に、この学校の教室の風景もまた、何処かの学校を模したもの。

 その教室に、一人の少女が佇んでいる。

 どれも同じに見える机達の一つを、愛おしそうに撫ぜながら少女は微笑む。


「でも、出来る。私からは届かなくても。向こうから望むなら、私はいつでも手を取る準備は出来ている」


 銀色の長い髪を揺らしながら、少女はゆっくりと手を宙へと伸ばす。

 少女が纏うのは、ドレスにも似た赤い服。

 この教室を染める夕日よりも鮮烈な赤を纏う少女は、一人の少年の名前を呼ぶ。


「ミズキ……君の声が、段々近づいてくる。もうすぐだよ。もうすぐ届く……。そうしたら、全力で引っ張ってあげる」

「……そこまで執着してるとは、意外なの」


 少女の服の内側……正確にはポケットの中から、そんな声が聞こえてくる。

 何処か憂鬱そうな、気だるそうな声。

 その声に、赤い少女は笑顔を崩さぬまま答える。


「当然じゃない。私は今……ミズキに、殺したいほど恋してるんだから」

「そのミズキとかって奴に同情するの」


 ポケットの中の声は、溜息混じりにそう呟く。


「大丈夫だよ。ミズキもきっと、私に恋してくれる。ミズキに好きになって貰う為だけに、私は私を作り変えたんだから」


 そう、赤い少女の姿はダストワールドに生み出された時の姿とは大分異なる。

 たった一人の少年の心を掴む為だけに、少女は自分の身体を作り替え続けてきた。

 ダストワールドに降り積もる感情を取り込み、少年の為だけの自分であるように……自分の為だけの少年であるように願いながら。

 その在り方は、ダストワールドでは珍しいものではない。

 元より捨てられたモノから出来た彼女達は、常に自分の求めるものを……あるいは、自分を必要とするものを欲し続けているのだから。


「ねえ、待ち遠しいよミズキ。早く此処に来て。ミズキだって、それを望んでるんでしょう……?」


 ダストワールドに響く、赤い少女の声。

 その視線は、陽炎のように揺らめく銀幕の向こうの風景に……正確には、そこに映る一人の少年に注がれ続けている。

 少年の名前は、遠竹瑞貴。

 どこにでもいる、ごく普通の少年である。

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