編入試験
日本のとある屋敷の一室にて。
三が日最終日、つまりは一月三日。そして時刻は午後十一時。
そんな遅い時間に、風峯燈静は一人机に向かって参考書とノートを開き、ノートにシャーペンを走らせていた。
「えーっと、これとこれが同じだから……こうやって」
時々ペンが止まる事もあったが、基本的にはペンは止まる事無くノートに文字を記していっていた。
カリカリサラサラペラッ。
「……………あれ?」
順調にペンが進み、空いた手で参考書のページをめくると、燈静は止まった。めくったページの先の一番最初の問題を見て固まったのだ。
「……えーっと、これは多分…」
見た限り、わからないと思ったが、ひとまず今まで解いてきた方法に当てはめて解こうとしてみる。が。
「……あー、駄目だ。これじゃ絶対に出ない…」
解き続けた結果、意味のわからない答えが出ようとしている事がわかり、消しゴムで書いた式全てを消す。
そしてそのままシャーペンで解いては消しゴムで消し、解いては消しは繰り返す。
「……わっかんねぇ…!?」
何度も何度も解きなおすが、それでも答えが一向に出ないのでとうとう燈静は頭を抱えた。
そのままうーうーと唸っていると、コンコンとノックが聞こえた。
「どーぞー…」
頭を抱えた体勢のまま小さく入室を促すと、「失礼しますねー」と声と共に一人の女性が入ってきた。
「……どうしたんですか、頭抱えて」
「六花さぁん…」
入ってきた同僚のメイド、志姫六花に燈静は泣くような声を出す。
「何ですか?」
「問題、わかんないところが…」
「あー…」
その言葉で納得したようで、六花は同情したような表情で燈静の側に歩み寄る。
「どれです?」
「これです…」
と、燈静が泣きを見た問題を見ると六花は「ちょっと借りますね」とシャーペンを借りてノートに式を書き始めた。
淀みなく、止まることなく書き進められる式。それに燈静は軽く見蕩れた。
「……という式ですが……わかりました?」
「あ、はい。バッチリと。……僕が単にプラスとマイナスを逆にして計算してた事だけが」
「初歩的にも程がありますよ?」
はい…。と燈静が沈むと、六花は「それよりも」と話題を変える。
「燈静君、明日の事ですが…」
「何かあるんですか?」
「まぁ、特に変わった事はないはずです。多分」
「多分!?」
「いえまぁ……明日のスケジュールを見てもらったほうが早いですかね」
そう言うと、六花はまたノートに明日のスケジュールを書き始めた。といっても、あるであろう出来事だけだが。
午前:試験(英国数)
午後:軽いスポーツテスト、戦闘試験
「といった感じでしょうか?」
「……変わった所って戦闘試験の部分だけですよねー」
「まぁ…」
苦笑を返され、燈静は溜息を軽くついた。
戦闘試験と言われても、つい最近まで一般人だった燈静である。本格的に漫画や小説、アニメのような戦闘をしろと言われたら大声で「無理!」と叫ぶくらいである。
……まぁ、喧嘩程度でいいなら普通に出来るのだが。
「まぁ、戦闘と言ってもある程度が出来ればいいですから…」
「喧嘩程度でいいんでしょうか…」
「いいんじゃないでしょうか?基本、スポーツテストで判断してるようなものですし」
「スポーツテストはあまり自信ないんですけど…」
「……シャトルランが百以上なら大丈夫ですよ」
「ギリギリなラインっ!?」
因みに、燈静のシャトルランの平均は百前後である。これまた微妙なラインであった。
「まぁ、大丈夫ですよ。……落ちてもお嬢様が無理矢理入れるでしょうから」
「それ一番駄目なパターン!」
そうは言っても、もし燈静が試験に落ちたら確実にカルラは理事長権限を乱用するであろう。
普通に試験に受かろうとするだけでもプレッシャーなのに、そういう意味でも、燈静にプレッシャーはかかるのであった。何とも悲しい事である。
「胃が痛くなってきたかも…」
「大丈夫ですよ。……きっと」
六花さぁん?!と燈静が叫ぶも、六花はどこ吹く風で笑うだけである。
と、そこで六花は思い出したように「そういえば、燈静君?」と沈んでいる燈静に声をかけた。
「何ですー…?」
「沈んでないで聞いてください…」
呆れたため息を吐きながら、六花は一枚の紙をノートの上に置いた。
それを見た瞬間、沈んでいた燈静はパッと起き上がった。
「これって…」
「えぇ」
軽く頷き、
「明日の試験。それを受けるもう一人の執事のプロフィールですね」
「……この人も、僕と同じで?」
「えぇ。執事になったのも最近のようですね」
それを聞き、燈静はその履歴書とでもいう紙を手にとってよく見る。
書いてある欄一つ一つに目を通すと同時に、六花も暗唱するかのように言葉を紡いだ。
「大神零司、年齢十六歳の男」
その名前を追って見ると、写真も貼られていた。
茶色の髪、どこか無気力さが感じられる茶色の瞳。そしてそれらを複合した結果平均より遥に整った顔。
「経歴、ほぼ不明」
経歴の欄に目を移せば、そこはほぼ真っ白。通っていた小学校と中学校の名は書いてあったが、それ以外には何もなかった。それが、かえって不気味さを感じさせるほどに。
「……それ以外はほぼ白紙」
それだけしか、欄には書かれていなかった。
「……この人、本当に試験受けさせていいんですか…?」
「いいも何も…」燈静から紙を受け取りつつ「断れない、んですよ」
「は…?」
六花の言葉の意味がわからず、燈静は短く聞き返す。
それに六花は軽く息を吐きながら「……三代名家、覚えてます?」
「あー、確か……お嬢様の十鳳家、三虎家、八妖家ですよね?」
「えぇ。その三家のご令嬢、お嬢様以外のご令嬢は二人共、刻ノ森に通ってるんです」
「はぁー…。それって刻ノ森がお金持ちの通う学校だからなんですか?」
「まぁそういった面もあります。といっても、もう一つの面の方が強いんですけどね」
「もう一つの面?」
「えぇ」そこで区切り、六花は軽く息を吸い込んで「理事長の娘だからですよ」
「……え?」
思考が軽く止まった。
思考が再起動する前に、もう一度六花のいった言葉を反芻する。
『理事長の娘』
「……ちょ、ちょっと待ってください」
「はい?」
「理事長って……お嬢様だけじゃないんですか?」
「そうですよ?」
きょとんとした顔で即答され、また燈静は固まった。
そんな燈静を見て、六花は思い出した。そういえばと。
「そういえば言ってませんでしたね。刻ノ森の理事長は三代名家、つまりは三人で成り立ってるんですよ」
「何で?!」
「さぁ?」
あれ!?と燈静は大げさに驚くが、六花からしてみれば理事長が三人いることは常識なので燈静の驚きようの方が驚きだった。
だがすぐに「あぁ」と得心した。
(普通は理事長一人でしたっけ)
一年位前、自分の通っていた高校でもそうだった事を思い出した。だからどうしたという話なのだが。
「まぁ、話を戻しますと」
「あ、はい」
「理事長の娘……今回は三虎家のお嬢様の執事なんですよ、この大神君は」
「……なるほど」
つまり、こういう事である。
刻ノ森の理事長の一人、三虎家の娘が執事を編入させるので編入試験を受けさせるという。例え、その編入試験を受ける執事が素性の知れないものだとしても、理事長の娘の執事である。断るわけには行かない。
……というよりも、断ることが出来たとしても三虎家の理事長が権限を使ってしまえば試験無しで編入させる事も可能だったりする。
万が一の場合はカルラも権限を使って、燈静を入れさせようとするので間違いない。
「とまぁ、こんな感じですね」
「……何とも言いがたいですね」
「そうですね…」
苦笑する燈静と、疲れた表情の六花。何とも対照的である。
と、そこで六花は思い出したように燈静に視線を向けた。
「……というか、明日も早いんですから早く寝るべきでは?」
「いやー、そうしたいのは山々なんですけどね。何か緊張して眠れないというか…」
「……それじゃあ、強制的に寝ます?」
「頑張って寝ますっ!!」
割と本気の目だったので、思わず敬礼して答えてしまった燈静だった。
* * *
そして、試験日当日。一月四日。
時刻は九時十分前。
その時間に、燈静はとある教室の前にいた。
外見は至って普通にイメージするような教室。
少し顔を上げて教室のドアの近くにかかっているプレートを見れば「試験室1」とある。
それを見て、燈静は手元に持っていた紙に視線を移す。
そこにも「試験実施室:試験室1」と書いてある事を確認して、ふぅと息を吐く。
(今回は迷わずに済んだなぁ…)
心の底からそう思う。
何せ、過去一回受験の時に町で迷って時間内に受験する学校につくことが出来なかった経験があるのだ。
それを思うと、今回に関しては本当に良かったといえるだろう。……まぁ、一応今回は時間が過ぎても明日受けることが出来るようになっているのだが。
(というかこの学校広いんですよね)
紙を四つに折りたたみながら、燈静は朝に六花に見せられたこの学院の全体図を思い出す。
(時計だからなー、上から見ると)
刻ノ森は若干特殊な構造をしている。
燈静の感想のように、上から見た場合はまんま時計のような丸い形をしているのだ。
まぁ、それ以外にも少し特殊な部分があるのだが、ここでは省略しよう。
四つに折りたたんだ紙を服の内ポケットに入れ、深呼吸を一つする。
「……よし」
腹をくくり、勢いよく扉を開ける。
開いた扉をくぐり、中へ入る。その教室は燈静が通っていた高校の一教室とあまり大差ない教室だった。
ただ違うのは、机が大量にあるのではなく真ん中付近にポツンと一つだけあるのともう一つ。
人が一人いた。
教壇の上で、燈静に対して背を向けて本を読みつつ座っていた。
少しの間見つめていると、気付いたのか体を燈静に向けた。
「あぁ、悪い悪い。ちと没頭してた」
ヤハハ、と笑いながら振り向いたのは亜麻色の髪と赤い縁の眼鏡をかけた、顔立ちの整った外国人。ただ、青年といった感じでなかった。
その理由は、服にあった。
自分の髪の色と同じ薄い青色のブレザー。それに少し濃い色のネクタイを若干緩めて着ていた。
「風峯燈静、でいいんだよな?」
「あ、はい。そうです」
いきなり投げかけられた質問に答えると、目の前の人物はうんうんと頷いた。
「んじゃ、あそこ座って」
そう言って指差したのは、ポツンと置かれた机である。
やはりこれが自分の席かと思いながら、言われた通りに座る。
そうすると、机の上にポンポンと紙の束を一つと薄い紙を置かれた。
「んじゃ、それが問題用紙と解答用紙なー」
「はい」
「っと、自己紹介忘れてた」
(え、それいるの?)
そう思うと、目の前の人物はジトッとした目を燈静に向けて「……そらいるよ」と小さく言った。
「何かごめんなさい…」
「まぁ、いいけどな」
「いいんですか」
「いいんだよ。というか自己紹介させてくんね?」
「あ、はい」
そこで少し離れて、自分を指差し。
「刻ノ森学院高等部二年C組所属、フィルナ=ネリーシャだ。今日一日お前の監督官やるんでよろしくーっ」
「生徒が監督官するんですか…」
「まぁ、正月終わったばっかだしな。……酒におぼれて使えない教師が大半だしな」
「今何言いました!?」
「ナニモイッテナイゾ?」
「片言!」
「はーい、試験スタート。一科目は英語で時間は六十分なー」
「え、ちょっと!?」
突如試験開始と言われ、慌てて解答を始める燈静。
それを見て、フィルナと名乗った少年は一つ頷き教壇に戻っていった。
それを視界の端に収めながら、燈静は問題を見てうぇ、と眉をひそめる。
(大問一個目から五ページに及ぶ長文……うぇー…)
見ただけでやる気というかそれに近い何かが大きく削れたが、意を決してペンを持つ。
(……頑張ろう!)
うん!と小さく自分に喝をいれ、問題に向かった。
* * *
三時間後。
「はい終了―。ペン置けー」
「はーい…」
フィルナに言われたとおり、持っていたペンを転がすように投げ置く。
コロコロと転がるペンを体を投げ出して止めつつ、大きく息を吐く。
「はぁぁぁぁぁ…」
「はい、お疲れーっ」
「いや本当に疲れましたよ…」
「ヤハハ。まぁ、結構名門っちゃ名門だぜ?ここ」
ですねー…。と机に突っ伏したまま答える。顔を上げないまま答えるのは失礼だが、顔を上げる気力すら湧かないのだった。
それを特に気にした風もなく、フィルナは今しがた終えた数学の解答用紙を回収する。
「んー……よし。昼休み入っていいぞー」
「どれくらいですかー…?」
「まぁ、一時間半はあるんじゃね?知らねえけどさ」
「いや、試験官なのに知らないって」
燈静が顔だけを上げてそう糾弾すると、フィルナは少し不満そうに頭をかいていた。
そしてそのまま「なったの昨日だし、しゃーねぇじゃんかよ…」とふくれたように言った。
「……どういう事ですか?」
「どういう事も何も、そのまんまの意味だよ」
「昨日試験官になったと…?」
そ、と簡素に答えると、フィルナは教壇に置いていた少し大きめな本を持って扉の側に寄った。
「ほれ、出るぞ」
「あ、待ってください」
そこでやっと体を起こし、筆記用具と国数英の問題用紙を持参した鞄に突っ込み急いで教室を出た。
そのまま、教室を出て鍵を閉めているフィルナを横目に見つつ、これからどうしようかと燈静は考える。
(ひとまずお嬢様たちと合流したい……けど普通にこの学院迷いそうだよなぁ…)
さてどうするか、と少し真面目に悩んでいると、後ろから肩をつつかれた。
「何ですか?」
「いやあのさ?燈静って、どうせ理事長と志姫さんと合流したいんだろ?」
「えぇまぁ…」
「んなら、一緒に行こうぜ。どうせ行き先一緒だし」
それを聞き、助かったと燈静は思った。先輩であるフィルナがいるなら、この学院でも迷う事は無いだろう。
「……それじゃ、よろしくお願いします」
「おう。んじゃ、行こうぜー」
* * *
さて、ここで刻ノ森学院について二つほど説明しておこう。
まず最初に、刻ノ森学院には初等部、中等部、高等部と三つに分かれている。
初等部は小学校、中等部は中学校、高等部は高校といった学校の代わりの名称である。
そしてこの三つの学部。一応は初等部からはエスカレーター式である。余程成績が悪い事がなければ、あまり苦労する事無く高校までは卒業できる。
とはいえ、全員が全員初等部からのエスカレーター組などではない。ちゃんと、初等部から中等部。中等部から高等部に上がる際に、外部から受験で五十人程度が入ってくる。
なので、初等部の際に約百人が高等部を卒業する際には約二百人になるのである。
次に二つ目。学院の内部に関してである。
先程説明したように、初等中等高等と三つの学部がある。
その三つの学部をたった一つの校舎に無理矢理にでも押し込む事は中々にできない。
なので、無駄に広い敷地を使ってそれぞれの学部によって分かれているのである。
いつか燈静が思ったように、この学院は上から見ると円のようなのである。ついでに言うなら、半径は五キロを超える円であるが。
なので、初等部は時計でいうところの十二。中等部は時計でいうところの一。高等部は時計でいうところの十一の場所にある。
そして円の中心部分に、初等部中等部高等部全ての教員がいる教員棟がある。この場所に理事長室もある。
……さて、ひとまず説明はここで終えて燈静達に戻そう。
そんなわけで燈静とフィルナは…。
「……もう意味わからないんですけど…」
「ヤッハッハ!まぁ、無駄に広いからなー。この学院」
高等部から教員棟に向かうバスの中にいた。
何故バス?と思う人もいるかもしれない。が、ここで思い出して欲しい。
刻ノ森学院の半径は約五キロなのだ。そして、教員棟は中心部分にあり、高等部は時計でいう十一の部分である。
五キロはないにしても、相当距離は開いている。歩く事は誰しも馬鹿馬鹿しいと思うだろう。
なので、教員棟とそれぞれの学部棟の間にはバスが何本か通っていたりする。
今燈静達が乗っているのはその中の一つである。
「というか、来る時にも思わなかったのか?」
「来る前は緊張で何も目に入んなかったんですよ…」
「それは緊張しすぎだな」
ですよねー。と言いながら、燈静は首だけ振り返って窓の外を見てみる。
窓の外に広がるのは、舗装された道路のようなとても広い道。それと、遠くに見える木々。
「……あの、ネリーシャ先輩?」
「ん?どした?つか、そっちで呼ぶな」
「じゃあ、フィルナ先輩?」
そうそう、と少し機嫌よさそうな声が返ってきたので、改めて問う。
「この学院……迷う森があるって聞いたんですけど…」
「あぁ、外である噂の一つか」
「はい。で、それって……あるんですか?」
「あるぞ?」
「……どこにですか?」
「んー……まぁ、校門の近くの森が一つだろ?」
因みに校門は時計でいう六のあたりである。
「他には……それぞれの学部棟の後ろあたり」
「でもそれって、あんま森無さそうですけど?」
「まぁ、そう思うんだろうけどな。……学院七不思議の一つなんだよ」
は?と聞きなれない言葉に、燈静は外を見ていた視線をフィルナに向ける。
ふざけてるのかと思ったが、フィルナは真面目な表情で続けた。
「学院七不思議の一つで『円の森』ってのがあってな」
「『円の森』…?」
「学部棟の森ってさ、外から見ると短く見えるじゃん?」
「はい」
「でもそれは違うんだよ。あそこ一度入ったら骨になるまで出てこないんだよ」
「はぁ?!」
「冗談でもなんでもないぞ。実際、面白がって入った奴らはみんな骨で帰ってきたし」
「え、いやそれ…」
「真面目な話だからな?」
「それはわかってますけど…」
ありえない、と思う心の片隅でどこかありえると確信していた。
「まぁ、その森の仮説の一つに『実は同じ所をぐるぐる回ってるだけじゃないのか』ってのがあってな。ぐるぐる回るって所から『円の森』って名前がつけられたんだよ」
「……何か微妙なネーミングですね」
「………も一個同じ読みで言われてるけどな」
「何か言いましたか?」
「いんや?……お、もうそろそろ着くぞ」
* * *
バスから降りて、歩く事五分。教員棟四階、最奥。
そこに「理事長室」と書かれたプレートの下に少し大きめの木製の扉があった。
「てな訳で到着」
「……遠いですねー」
「そらなー。普段誰も来ない場所だし」
誰も来ない場所なら遠くにあるのは普通だと説明され、燈静も納得する。
「んじゃ、入る、か…?」
扉の前に立ったフィルナ。が、ノックするように手を上げた途端に止まった。
「……フィルナ先輩?」
「しっ」
燈静がどうしたのかと聞くと、フィルナは口に人差し指を立てた。
(……黙れ?)
そのジェスチャーの意味を燈静が理解すると、フィルナは扉にそっと近づき耳を近づけた。
(何か話してるのかな…)
そう思って、数十秒待ってみる。
そうしてると、真剣に聞き耳を立てていたフィルナの顔が徐々に怒りの表情を露にしていった。
どうしたのか、そう燈静が尋ねる前に、
「祐樹ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
扉を蹴り破る勢い、ではなく。実際に扉を蹴り破りながら部屋の中へフィルナは入っていった。
「って、何やってんですかぁあああああああ!!」
一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返って部屋の中に飛びこむ。するとそこでは。
「おいコラ祐樹ぃ!何で今日の朝に連絡寄越すかなぁ!危うく寝坊する所だったわ!」
「すまん、忘れてた」
「いやいやいや!?何でそんな大事な事忘れちゃってんのお前!」
「……まぁ、フィーだしいいかなぁ。って思ってさ」
「その微妙な信頼感なに!?」
「さぁ?」
「そこははっきり答えろやぁ!」
亜麻色の髪の青年が黒色の髪の青年に馬乗りになって胸倉を掴んでいた。
尚、かなり顔同士は近づいているし、二人共顔立ちは悪くない。ので、見る人がこの光景を見たら……まぁ、恐ろしい事になるのではないだろうか。
「…………うわぁ」
そんな事を燈静も思ったようで、扉を文字通り蹴破って部屋に突入したフィルナを咎める気もなくなった。というよりも、むしろ避けたい気持ちが浮かび上がってきた。
「……うわぁ」
「……これはないですわね…」
そうやって燈静がいやな顔をしていると、奥の方からここ数日ですっかり聞き慣れた声が聞こえてきたのでそっちに視線を移す。
移した先には、自分の主であるカルラは「理事長」とプレートの置かれた机の向こうで。同僚の六花はその机の横で顔を苦そうにしかめていた。勿論、視線はフィルナ達に向いていた。
(まぁ、やっぱそうなりますよね)
それを見て、ほっと一つ息を吐いて安堵した燈静。
「六花、燈静…」
そうしてると、カルラは頭が痛いのか、右手でこめかみのあたりをトントンと叩きながら二人の名前を呼んだ。
呼ばれた二人は何も言わずに顔を引き締めカルラを見る。
それを確認せずカルラは空いてる左手で犬を追い払うかのように振った。
その行動を見て、燈静と六花は同時に動いた。
燈静は、扉の近くに立てかけてあった自分の日本刀を手に取り、六花はどこからか通常のより少し長い箒を取り出した。
そして、燈静は三歩近づき、フィルナへ鞘に入ったままの刀を。六花は七歩近づいてフィルナに乗られいている少年に箒の柄を突きつけ。
「「喧嘩は外でやってくれます?」」
二人共、声を揃えて満面の笑みでそう言った。
「「……すいません」」
それを聞いた二人は、顔を引きつらせながら謝り、すぐに離れた。
「はぁ…」
「全く二人共…」
六花と燈静が呆れた声を出すと、先に起き上がったフィルナが口を開いた。
「いや、本当にすいませんでした……頭に血が上りましてー」
「……フィルナ先輩、反省してます?」
言葉から謝罪の感情が見られず、燈静が聞くと。フィルナはいい笑顔で親指を立てて、
「ぜんっぜん!」
と答えた。
それを聞いた瞬間、燈静はフィルナの喉へ鞘を突き出していた。手加減する事無く、全力で。
だが、喉を潰そうと突き出されたそれは悠々とフィルナが右手一本で掴んでいた。
「……あっぶねー」
「一切そんな素振り見えないんですけどねぇ…!?」
「それは見えてないだけじゃね?」
「それは違う!絶対に違う!!」
うがー!と怒る燈静だが、フィルナはヤッハッハと笑いながら鞘を押し返した。
押し返された鞘を右手で持つと、パンパンと手を叩く音が聞こえた。
その音の聞こえていた方向を見ると、先程フィルナに馬乗りになられていた少年が両手を揃えてこう言った。
「まぁまぁ、ひとまずお昼食べません?」
少し微笑みながらのその言葉は、少し気が立っていた燈静すらそうしようと思わせた言葉だった。……まぁ、言ってしまえば少年の出す雰囲気にのまれただが。
「この騒動の元はお前だけどな!!」
ただ、フィルナが少年の後頭部をその直後に叩いたので色々と台無しだったが。
* * *
ガタガタ。ガタガタ。
「……また乗るんですねー」
「どうせ昼飯食った後戦闘試験だしな。ならあらかじめ移動しといた方がいいだろ」
「まぁ、そうなんですけど」
釈然としない気持ちのまま、燈静はバス内の席で振動に揺られる。
(個人的には自転車とかの方がいいんだけどなー…)
実はバスに乗るまでに少し探してみたのだが、自転車を貸し出してるような所はなかった。まぁ、あっても乗りはしなかっただろうが。
(体、ほぐしときたいなぁ…)
「燈静」
そんな事を考えてると、頭に軽く叩かれた感触と声。
「はい?何ですか、お嬢様」
そう言いながら振り向くと、真後ろの席に座っていたカルラは口を扇で隠しつつ「……手ごたえは?」と聞いてきた。
手ごたえ?と一瞬何の事を言われたのか燈静は理解できなかったが、すぐにテストの事だと思い至った。
「手ごたえは……そこそこってとこでしょうか」
「そこそこ…………六花?」
燈静の報告を聞いて、カルラは少しの間をおいて隣に座っていた六花に問う。
問われた六花は苦笑しつつ、「嘘ついちゃ駄目ですよ?」と言った。
「……ナ、ナンノコトデスカ?」
「片言になってんぞ、燈静」
フィルナの鋭いツッコミに「キノセイデスヨ」とまた片言で返す。
「……燈静君?」
それに、六花が笑みを深める。
「ごめんなさい嘘つきましたー!」
そして燈静はすぐさま屈した。もしここがバスの中ではなかったら土下座までしていただろう。
「何で嘘つく必要あるんだよ…」
謝り続ける燈静に、フィルナが呆れた声で聞く。それに「だって…」と燈静は自信が無いような声で、
「……自信満々で言って結果が散々だったら目も当てられないじゃないですか…」
「……燈静、あなた…」
カルラがまさか。と口を開いた。燈静は怒られるのか、と思ったのだが続いた言葉は違った。
「青葉にいた頃テストでやったんですのね?自信満々に言ってたら答えの欄が一個ずつズレてて、点数が大幅に下がったとか…」
「エスパーッ!?」
経験したその事をまんまに言われ、思わず立ち上がってしまった。
「……当てるお嬢様もお嬢様ですけど……燈静君…」
「やめて下さい!そんな哀れんだ目で見ないで!?」
「大丈夫だ燈静。今日のテストはきっと違う……違うさ…」
「あの、フィルナ先輩?いやなフラグ立てようとしてません?」
「大丈夫ですわ燈静。例えそんな事が起ころうと、私が合格させますわ!」
「それをやらない為に頑張ったのに、それで合格するって色々と本末転倒ですからね!?」
「……盛り上がってる所悪いけど、もうつくよ」
少し離れた所に座っていた、黒い髪の少年に言われ、燈静は前方を見る。
外から見ても分かるくらい広い体育館が見えた。
* * *
「……広いなぁ」
体育館に入ってから最初の感想はそれだった。
バスを降りてから一番近場の入り口から入ったのだが……奥行きが半端じゃなかった。
「バスケのコート何個分なんです?」
「縦で五個はあるんじゃね?」
「長すぎませんかね!?」
隣に立つフィルナと話しながら、渋々燈静は体育館を進む。
一個目のバスケコートを通り過ぎた頃、フィルナが「そういえば」と燈静に問いかけた。
「燈静、お前飯いらねぇの?
その質問に、燈静は苦笑を一つ漏らし、「お腹減ってないんですよ」と答えた。
まぁ、実際は腹が減らないのではなく、減った気がしない。の方が正しいのだが。
「……緊張してるんか?」
「えぇまぁ」
当たらずとも遠からずなので、曖昧に答える。
(緊張といえば、緊張なんだけどなー…)
どこか違う。そう燈静は感じていた。
中三の頃高校を受験した時のような緊張ではない。その時は軽い腹痛があった。
だが、今回に関しては何か違う。
腹痛の時のように腹の辺りがチクチクとした感じではない。
背中の辺りがゾワゾワとしていた。それも今日起きたときから。
その感覚に、一応風邪かと思い熱も測ったが、いつも通りの平熱だった。
(……なんだろうか、嫌な予感がする…)
「おーい、燈静ー?とっととスポーツテスト始めんぞーっ!」
「あ、はーい!今いきまーす!」
ひとまずは今やる事に集中しよう。そう結論づけ、いつの間にか三コート分先に行っていたフィルナの元へ、小走りで駆け寄っていく。
その途中でふとある事を思い出し、走りつつ後ろを振り向く。
振り向いた先には、入り口の近くでカルラと六花が話していた。
「あれ?」
一人足りない。あの、理事長室でフィルナに馬乗りにされていた黒髪の少年がいなかった。
「…?」
どこか行ったのかな?と思うと「燈静―!」とフィルナが少し怒りを含んで怒鳴ったので、急いでフィルナの元へ駆けて行った。
* * *
「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、あ」
少し速いテンポで、聞こえる音に合わせて小さく呟いていると燈静が倒れこむようにこけたのがフィルナに見えた。
「二階連続でバツ、と」そう呟きつつ手元のシートに「×」と書きつつ「はい、シャトルラン終了―。お疲れー」とこけたまま起き上がらない燈静に声をかける。
(百八回。ま、ギリギリ合格ラインだな)
手元のシートを見てそんな事を思いつつ、フィルナは燈静に近づく。
「おーい、大丈夫かー」
「だい、じょう、ぶっ」
「じゃないよな、どう考えても」
息も絶え絶えな燈静に苦笑しつつ、手を差し出す。
燈静は差し出された手を掴んで起き上がりながら、呼吸を少しずつ整える。
「すー……はー…」
「ゆっくり息整えろよー」
フィルナに言われたとおり、ゆっくりと息を吐いて吸う。
「……ふぅ」
「落ち着いた?」
「はい」
「んじゃ、行くぞ」
「どこにですか?」
燈静の問いに、フィルナは何も言わずに右親指を燈静から見て右に向ける。
その方向に顔を向けるが、体育館の壁しか見えない。
「……壁?」
「行きたいなら試験放ってどうぞ?」
「いや、指した方向が壁なんで」
「……普通、その先って思わねぇ?」
フィルナの言葉に、え、そうなんですか?とでも言いたげな表情になる燈静。それを見てフィルナは文句を言う気が一瞬で失せた。
「……いいから行くぞ」
「はーい」
呆れたフィルナに付いて、入ってきた時とは別の場所から出る。
すると、すぐ目の前に和風な感じの建物が目に入った。
「……剣道場?」
思わず呟いた言葉に、フィルナは「よくわかったな」と少し驚いた風だった。
「剣道場ってことは……戦闘試験って」
「まぁ、思ってる事とは少し違うんじゃね?」
「え?」
何が違うのか、それを問う前にフィルナは剣道場の入り口を開け「祐樹―!いるかー?」と奥に向かって声を上げていた。
それに答えるように「いるよー」と少し小さく声が返ってくると、フィルナは燈静を手招きした。
「…?」
何をやるのか、全く想像がつかないまま手招きされた燈静は剣道場に入る。
「……ここも広い」
入った剣道場は、縦に二つ横に二つ剣道の試合が出来る広さだった。
(そんなに部員いるのかなぁ…)
そんな事を思いながら、回りを少し見ながら燈静は歩いてく。
入り口から最も遠い奥には、カルラと六花がいた。
入ってきた燈静に気付いたようで、六花は片手を振り、カルラは片目を閉じて燈静を見ていた。
(頑張れってことかな)
それに少し気合が入った。
「……よしっ」
右手を握り締め、気を引き締める。
と、そこで視界の端に二人組を捉えたのでそちらに視線を向ける。
視線を向けた先には、一人の女生徒と自分と同じく執事服を着た少年がいた。
女生徒の方は、少しくすんだ金髪をツインテールに結んでいたのが一番の特徴だった。
執事服の少年は、茶色の髪と、横顔だから少し分かりにくいがやる気の無さそうな瞳をしていた。
その瞳に燈静は昨夜見せてもらったもう一人の事を思い出した。
(大神零司……でしたっけ?)
少し見た程度なので名前しか覚えてなかったがそれで十分だろうと燈静は思う。
どうせ今は、他人の事を気にしてる暇などないのだから。
と、そこでパンパンと手を叩く音が燈静の耳に入り、そちらを向く。
向いた先には理事長室で見た黒髪の少年と、少し後ろにフィルナがいた。
あんな所にいたのか、と燈静が思うと黒髪の少年が口を開いた。
「はい、それではこれから戦闘試験を始めるんで二人共少し俺の前に来てくれる?」
言われたとおりに燈静、そして大神零司が黒髪の少年の前に集まる。
黒髪の少年は、二人が集まるとうん、と一つ頷き「それじゃあ、戦闘試験の説明するね」と切り出した。
「といっても、至って簡単なんだけどね」
「簡単?」
燈静が聞き返すと、「そう」と少年は続けた。
「ただ単に二人に戦ってもらうだけだから」
「……え?」
予想外の言葉に、一瞬燈静の思考が停止する。
「……簡単ですね」
大神零司は燈静と違って特に思考が停止した風でもなく、ただ普通だった。
それに対して燈静は、「え、ちょ、ちょっと待って下さい!」と慌てていた。
だが、黒髪の少年は「却下」とにべも無く燈静の言葉を切り捨てる。
(えぇー…)
切り捨てられた燈静が文句ありげに睨むが、少年は無視して話を続ける。
「というわけで一応のルール。1、相手を殺してはならない。後に障害が残る怪我も禁止。2、こちらがストップをかけたら止まる事。やめなかった場合は即刻試験不合格とする。……これだけだから、簡単でしょ?」
シンプルではあった。が、何かひっかかりを覚える燈静。
「質問は受け付ける気ないし、始めようか」
(勝手だなぁ)
そう思う燈静だった。
「というわけでこれだけは支給してあげるよ」
そう言って二人に渡されたのは、竹刀だった。これを使えという事だろうと燈静は解釈した。
「あ、言い忘れてたけど場所はこの剣道場だけだよ?出ても不合格だからね?」
「十分広いですよね…?」
「まぁね。さ、それじゃあ始めるから二人共離れて」
言われたとおりに、二人は五メートルほどの距離を開けて離れる。
竹刀を握り、剣道の試合でもやるかのように燈静は構える。
対して、大神零司は特に構える事無く竹刀を肩に担いでいた。
(やる気ないのかなぁー…)
傍から見てもやる気は無さそうだったが、ここまでやる気が無いというのは燈静をイラっとさせた。
(……大怪我させなければいいんですよね…)
燈静は弱いといえるかは微妙な実力ではある。強いわけではないが弱いわけでもない。それが一番ぴったり来る表現である。
だが、燈静はそこら辺の不良などには絶対に負けない自信はあった。複数人で囲まれたら流石にどうしようもないが、一人なら確実に勝てると思っていた。
(……絶対、勝つ)
そもそもこの勝負に勝つも負けるもあるのか怪しいが、怒りが湧き上がっている燈静がそれに気付くわけがない。
と、そこで大神零司と燈静の目が合った。
茶色の瞳。それを見た途端、燈静は今朝から感じていたゾワゾワ感が一気に増えたのを感じた。
背中を昇る気味の悪い感触。
(……なんで?)
それを疑問に思うと同時に、少年が手を上げるのが見えた。
疑問を頭から追い出し、正面の相手に集中する。
(何をやれば合格とかはわからない。だから、やれる事をやる!)
そう決心し、竹刀を更に握り締める。
「それじゃー……始め!」
声と共に手は振り下ろされ、試験が始まる。
まずは様子見と、横に動こうと燈静は横に体重をかける。
それと、右目の目の前に竹刀の切っ先が飛んできたのは同時だった。
「―――え?」
それが何なのか、全く分からなかった。
ただ、痛みが右目を襲い、視界の右半分が暗くなった。
それだけだったが、燈静は右目に何かが飛んできたとわかった。
だが、わかっただけである。
「ぃ、づぁ…!」
突如として襲い掛かってきた痛みに、右目を押さえ膝をついてしまう。それがどういう事かも分からず。
(何、何、何!何が、一体何が…!)
一瞬でパニックになる燈静。その耳にガシャ、と少し重めのものが落ちる音が聞こえる。
(竹刀…?まさか……竹刀を投げてきた…!?)
あまりにもそれは予想外。予想外すぎる。
(やりすぎじゃ…!?)
それでも止めるような気配は無い。
(これでも続行…!?マジで言ってんですか…!)
少し驚愕したが、すぐに切り替えて目を押さえていた手を離し、立ち上がろうとする。
が。
「ご…っ!?」
立ち上がろうとした所で、今度は顎から脳に突き上げるような痛みが走った。
その痛みが蹴られた事によるものだと分かるのに、蹴られて倒れこんだ後から数秒かかった。
「つ、ぁ…!」
痛みを歯を食いしばって我慢し、転がるように距離を取る。
右目が痛みで開かず、視界自体が半分。かつ、顎から脳に衝撃を入れられ、軽い脳震盪でも起こしたかのように、視界はグニャグニャ歪む。
それでも、歪んだ視界でも、その人物はくっきりと確認できた。
「あー……手加減しすぎた」
そんな事を言いながら、投げたであろう竹刀を拾って肩に担いでいた。
「……まー、いいや。めんどくせぇけど」
やる気の無い声でそう言い、燈静へゆっくりと近づいてくる。
(ヤバイ…!)
一歩近づかれるごとに、本能からの警鐘がうるさくなっていく。
それほどまでに、目の前の人物はヤバイと、二撃食らってようやく理解した。
(どうする…!)
ビジョンは見えない。
(どうすれば…!)
勝てる要素は微塵も見当たらない。
(どうしたらいいんだよ…!)
どうしたらいいのかすら、わからなかった。
この日。燈静は『鬼』を見る。
大神零司という『鬼』を。
やっと出したいキャラの一人出せた…!
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