痛み、そして気付かぬ変化。
久々すぎるので、あまり期待しないで下さい。
パチリ、と朝に目が自然と覚めるように、燈静は意識を取り戻した。
「あれ…?」
起きたとき特有の、夢を見ていたような間隔に起きたと同時に襲われ、意識が軽く揺れる。
(何の夢……見てたっけ…)
何だか凄い密度の濃い夢を見てたような気がうっすらとするのだが、思い出せない。というよりも、思い出そうとすると頭に靄がかかったようになる。
(本当に、何だっけ…)
かなり大事な事を夢で見た気がする。それも、今にかなり関係する夢を。
「……………」
起きたばっかの頭で、出来る限りの集中力でそれを思い出そうとするが…。
「……ダメだ、思い出せない…」
欠片も思い出せはしなかった。
その事に少量の悔しさを感じながら、それ以上夢の事を思い出そうとはしなかった。
それよりも。
「……確か、ディオ=クーリエさんって方が…」
自分が庇ったはずの、ディオ=クーリエと名乗った青年はどこにいるのかと寝たまま視線を彷徨わせると。
「お、起きたか!」
寝てる足先の方から、溌剌とした声が聞こえてきた。
寝たままの姿勢のまま視線を巡らすと、ディオが曲がり角から笑顔で出てきた所だった。
「あ、ディオさん…」
「あー、無理に喋らなくていいぞ?」
「え…?」
「いやあのな?お前が俺を庇ってくれた時に、銃弾がお前の左肩に当たって、こめかみ辺りを掠っていったんだよ。その痛みでお前は今まで気絶してたんだ」
「そう、だったんですか…」
言われてから気付いたが、確かに左肩のあたりが痛かった。動かそうとするとかなりの痛みが走った。
「…!」
「あーもう!無理に動かそうとすんなよ!知識無いけど、一応軽い止血して包帯巻いただけなんだからよ!」
「……何でそんなに用意がいいんですか…」
「撃たれた時用にな」
無駄にキリッとした顔で言うディオに、流石の燈静も溜息をつくしかなかった。
とはいえ、正直助かった。
もしも、ディオが包帯を持っていなかったらとすると…。
「…っ」
ゾッとした。真面目に死んでたかもしれない。
いや、死んではいなかったかもしれないが。血は止まることは無かっただろう。
「あ、ところで」
「おう?」
「銃撃ってきた黒服の方々は?」
「庇われた後、十秒で気絶させてあっちの影に縛っておいた」
「へ、へー…」
(十秒て…)
明らかに普通の人間の所業ではないだろう。
そう燈静は思ったが、何とか心の内に留め苦笑いで返した。
……ただ、顔はかなり引きつっていたが。
「まぁ、それはともかくとしてだ」
その後、すぐにディオは真面目な顔に戻り、少し声を小さくして燈静に問う。
「これからどうするか、だな」
「ですね…」
目下の問題としては、一番重要度が高い問題を話題に出され、怪我をしてるはずの燈静も痛みを忘れ、思案し始める。
色々な事があって一時的に脳から追い出されていたが、二人共それぞれ違うものに追われているのである。
燈静は自分を売り飛ばそうとする者らに。ディオは、燈静は知らない誰かに。
(……だとすると)
一緒に逃げることは一番ダメな方法か。と燈静は結論を出す。
そもそもが、ただ曲がり角でぶつかっただけの知り合いにも満たない二人である。
そんな二人が、協力して追っ手から逃げるというのは、流石に有り得ない。
メリットよりもデメリットの方が多いし、混乱する可能性がある。
だから。
「……ここで別れるのが一番いいんでしょうね」
「ま、それが妥当か」
燈静がそう言うと、ディオも同じ事を考えていたのか、特に反対するような事は無かった。
片目を閉じ、両手を軽く広げ、肩をすくめる。その動作はそれ以外は手が無いという事を雄弁に語っていた。
「……それじゃ、ここに居座っててもすぐに見つかるでしょうし、別れましょうか」
そう言って燈静が立ち上がろうとすると、慌ててディオが止めに入った。
「ちょちょちょ。まだ痛いんだろ?まだ休んでろって」
「いや、そういうわけにもいかないでしょう…」
ここで痛みがなくなるまでじっとしていたら、確実に燈静達は見つかってしまう。
自分一人なら何も問題は無いのだが、ディオが一緒となると流石にマズイ。
だから、今すぐにでも動きたいのだが…。
(……絶対に動かなさそうだよなぁ…)
恐らく、というよりも絶対にディオは燈静を心配して動かそうとはしてくれないだろう。
出会ってから一時間も経っていないが、そんな確信が燈静にはあった。
(……どうしよう)
ここで打開策がパッと思いつく程、燈静の頭は良くも柔軟でも無い。
だから、する事は一つ。
「……いいから、別れますよっ。さっきディオさんもそれしか方法が無いって言ってたじゃないですか」
「いやまぁ、そうなんだけどさ…!」
「今認めましたよね?ねぇ?」
「うぐ」
相手の反論を悉く、切り捨てる。……つまるところ、屁理屈と一緒である。
だが、この方法が存外良かったのか、ディオは悔しそうな顔をして黙ってしまった。
(意外と成功するもんなんだ…)
……やった本人が一番驚くのはどうなのだろうか。
(まぁ、これでディオさんも諦めてくれるはず)
そう思い、息を吐いた。その直後。
「あーもう、こうなったら!」
突如ディオが叫び、黒服たちを転がしてある路地へと曲がっていった。
「……?」
その行動の意味が全くわからず、首を傾げた燈静だったが、一分もしないうちにディオが戻ってきた。
そしてその戻ってきたディオはというと。
「……あの、それなんですか?」
「見りゃわかるだろ?」
「……」
ディオの言う通り、確かに見れば分かる。わかるのだが……問題なのは、その持って来たものをどう使うかなのである。
「……もう一度聞きますよ?その日本刀、どうする気ですか」
「どうする気も何も、使うんだが?」
何に対して。とここで聞けるほど、燈静は勇者ではない。
何となく、自分が斬られるような想像をしてしまい、燈静の体がカタカタと震え始めた。
それに対して、ディオはスッと刀を持ち上げ―――燈静に差し出した。
「……へ?」
「へ?じゃなくて受け取れよ」
「いや、何でですか?」
「護身用?」
「随分と物騒ですね!?」
「今の状況が元から物騒じゃね?」
「……確かに」
ディオの言う通り、今置かれている状況はかなり物騒である。それなら、こちらもかなり物騒な護身用の武器を持つのは、あながち間違いではないのだろう。
そうやってうんうん、と燈静は頷き。
「って、そうじゃないっ!」
すぐに我に返った。
チッ。と舌打ちが聞こえた気もしたが、特に気にせず燈静はディオに向き直る。
「まずそれどっから持って来たんです!?」
「あいつらの片方が持ってた物を拝借したぜ☆」
「明るく言う事じゃないっ!」
最早それは窃盗ではないだろうか。と燈静は思った。
……それよりも先に、銃刀法違反がありそうなものだが。
「というか、何で僕に渡すんですか!?」
「そりゃ、怪我人だし」
「理由になってません!」
「正確には、怪我人のお前が体術でどうにか出来ないだろうから、何かでカバーした方がいいんじゃね?と思った結果」
「簡潔にありがとうございます!」
その心遣いはありがたい。だが、もっと他の方法は無かったものか。
「……って、何で日本刀?明らかに人殺せるもんを渡すなんて…」
「それしか近場にねぇんだから、しゃーねぇじゃん」
「……そうですか」
もう反論する気も無くなったのか、深い溜息を一つ吐き、燈静は日本刀を素直に受け取った。
(……まぁ鞘あるし、抜かなきゃいい話だよね)
自分にそう言い聞かせ、燈静は一度鞘から少し刀身を抜く。
すると。
(……あれ?)
フワッと、体が浮いたような間隔に包まれた。
一瞬感じた不思議な感覚に、キョロキョロと首を巡らす燈静。
そんな燈静に心配そうにディオは「……マジで大丈夫か?」と声をかけてくる。
そんなディオに「あぁ、何でもないです。はい」と明らかに不審な物言いをして、気付かれない角度で首を傾げる。
(何だろう……一瞬、体が宙に浮いたような感覚が…)
今まで感じたことの無い感覚だったが、すぐに消えてしまった為、若干感じたかどうかすら怪しい。
「……?」
心底不思議だったが、ずっと気にしてるわけにも行かず、すぐに頭を切り替える。
「ふーっ…」
「……んじゃ、行くか?」
「……行きましょう」
その言葉で、二人は互いに向き直る。
「短い間だったけど、色々とあんがとな」
「こちらこそ。というか、こっちしか助けられてませんけどね」
その燈静の言葉にディオは苦笑いを浮かべ、右手を差し出す。
意図を理解し、燈静も右手を差し出し、互いに手を握り合う。
その行為の意味は、互いの無事を祈る。
知り合いともいえない二人だが、そんな行為を自然としていた。
似た境遇だからなのか。それとも互いに助け合ったからなのか。理由はわからないが、とにかくそうした方がよいとわかっていた。
そうして、数秒間手を握った後、二人は手を離し。
「それじゃあ、お元気で」
「そっちこそな。またどっかで会えたら会おうぜ」
「えぇ、是非」
その言葉を最後に、二人は向いてる方向へ一歩を踏み出す。
そして、知らない人のようにそばを通り過ぎる。街中で、誰かとすれ違うように、言葉を交わさずに。
そのまま、燈静は暗闇に覆われた路地裏へと消えていった。
「……行ったか」
燈静が、暗い路地裏に消えてから一分後。ディオは燈静の気配が消えたのを確認してから、呟いた。
「ったく……面白いけどめんどくさい奴だったなぁ…」
わしわしと右手で髪をかき乱し、一人呟く。
「つーか、前後の記憶が少しごっちゃになってるのはいただけねぇなぁ、やっぱ」
そう呟き、溜息一つを漏らし、今まで髪をかいてた右手で顔を覆い。
「くくっ…」
耐え消えられなくなった笑いを一つこぼした。
「くくく……あっはっはっはっは!」
そして、とうとう堪えきれなくなり、誰かの迷惑になる事も憚らず大声で顔を抑えたまま笑い始める。
そうして十分なほどに笑った後、大きく息を吐き。
「あー……マジで笑える人間に会えるとはねぇ…♪」
心の底から嬉しいとでもいいたげな声でそう呟いた。
「いやはやいやはや……偶には遊びに来るもんだねぇ、ほんっと…」
ディオは感慨深くそう呟き、覆っていた右手を顔から外す。
そして、銀色の瞳で先程燈静が消えていった方向へ顔を向ける。
「……『黄泉返り』に『神具』にあいつが細工したプラスアルファ。そして『壁越え』……ははっ、いいねぇ、これ……見てる分には百パー楽しめるラインナップじゃねーの…!」
銀色の瞳をギラギラと光らせ、ディオは暗闇を睨む。
「まぁ、本来俺がここまで関与するのは色々と駄目だが……気紛れな俺だから、いいよなぁ」
まぁ、どうでもいいんだが。と最後に付け足すように呟き、燈静の消えた方向とは逆の方向を向く。
「……精々足掻けよ、風峯燈静。そっから先は深い闇の中。一人悲しく誰も助けに来ないような闇の中で絶望に向かって沈むのかどうかはお前次第。まぁ……だけど」
その場で右手で円を描くように回し。
「今回だけは、この俺が助けてやるから……楽しませてくれよ?」
いつの間にか持っていた簡素な槍を肩に担ぎ、暗闇に消えていった。
* * *
ディオと別れてから数分後、燈静は暗い町を走っていた。
「はっ、はっ、はっ…!」
別れてからずっと走ってるせいか、若干息苦しい。だがそれでも、燈静は走る。
何故なら。
『おいっ!あのガキがここら辺にいるって連絡があったぞ!』
『何だと…!ガキのくせしてもうここまで来るとはな…!』
そんな会話が先程から、どこからかひっきりなしに聞こえてくるのだ。
もしも、ここで少しでも休んだとしたら…。
(絶対に捕まる…!)
その確信が燈静にはあった。というか、経験則である。
厄介事を引き寄せるというか。何かしらの出来事を自分の近くに引き寄せる体質を、昔から自覚してる燈静である。
それだけで、大抵の事は自分が納得できるあたり少し悲しい燈静である。
それはともかく、怪我をおして走ってるので、いい加減に辛くなってきた燈静である。
なので、どこかで一度休息を取りたい。取りたいのだが。
(突破口が見当たらない…!)
先程から聞こえてくる声は、最低でも二人分。
もし一人だったら、気付かれないように影から気絶させられるのだが…。
二人以上となると、確実に傷つく。それは怪我をしている今では避けたい。
ならば、どうするか。燈静は必死に考える。
(気をそらす……駄目だ。それを実行できるような物はここにない。気付かれないように逃げる……この辺の地理を知らないし、もしも別の誰かと鉢合わせたりするかもしれない。戦って気絶させる……怪我が酷いわけじゃないけど、選択肢としては最悪。最悪だけど…)
「……これが、一番いいかなぁ…?」
何となく、これが最上の選択肢だと、燈静は思った。
特にこれといった決め手があったわけではない。
強いていうなら、直感である。
(……よしっ)
一度決めたら、後は速かった。
先程ディオから貰った日本刀の鞘を左手で握り、右手を柄に近い鞘の所で握る。
いわゆる、居合い切りの構えのようだが、燈静には刀を抜く気が無いので、居合い切りとは少し違うこのような構えになる。
「ふーっ…」
深呼吸するように大きく息を吸い、吐く。
そして、集中力を極限まで高め。
「――っ!」
声の聞こえてきた方向へ、全力で飛び出した。
全速力のまま角を二つ三つ曲がると、先程の声の主であろう黒服の男達が燈静の視界に入った。
『な、こい――』
片方が気付き、何かを言いかけたところで、燈静は左手を鞘から離しながら右手を全力で振るった。
ビュン。と音を立て鞘に収められたままの刀は声を出そうとしていた男の脇腹に吸い込まれていった。
『がっ!』
勢いがつきすぎたのか、何かが折れるような感覚が燈静の手に伝わってきたが、それを我慢しながら燈静はもう一人の男に視線を移す。
『この野郎…!』
突如出てきた燈静に驚きながらも、懐に手を入れていた。
それを見て燈静は、振るった刀をそのままの勢いを少し殺しつつ、男の懐に向けて突いた。
突きは間髪入れずに、懐に入れていた男の手に当たった。
今度こそは、手の折れる音と共に感覚も伝わってきた。
「…っ!」
その感覚に戸惑いながら、燈静は突いた刀を手首の力だけで思い切り跳ね上げさせた。
跳ね上げられた刀は、勢いよく痛みで呻きはじめた男の顎を捉える。
『ご…!?』
数秒も経たないうちに異なる痛みが男を襲い、男は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
普通ならここで攻撃はやめるものだが、燈静はやめはしなかった。
膝をついた男の側頭部を、手加減せずに蹴りぬき、地に叩きつける。
ゴゴッ!と地と頭がぶつかる音を立て、男はピクリとも動かなくなった。
それを確認してから、燈静は「ふー…!」と大きく安堵の息を吐いた。
(な、何とかなったぁー!)
ただ、その心の中と心臓は安堵はしてなかったが。
「はー…」
一度落ち着こうと、大きく深呼吸をする。
そのおかげで、燈静の心は落ち着き、今やった事を冷静に見つめなおせた。
「…………」
まだ、骨を折ったであろう感覚が残る右手を見つめる。
その心は、不思議と落ち着いていた。……いや、正確には特に何も感じてはいなかった。
燈静も、誰かを傷つける事は過去にあった。それでも、ここまで酷い傷を負わせた事は一度も無い。
だから燈静は、罪悪感かもしくは恐怖を感じるかと思った。
のだが、実際には何も感じなかった。
「……何でだろうな」
燈静はボソッとそう呟くと、右手を軽く握り、倒れた男達をそのまま放置し、その場を去った。
* * *
「……?」
「お嬢様?どうかしましたか?」
「……少し、外が騒がしいですわね」
「でしょうか?とはいえ、今は真夜中といえる時間なのですが…」
「……六花」
「はい?」
「……少し、外に出ますわよ」
「……無駄ではあると思いますが……外に出ずに寝る気は?」
「寝る前の散歩ですわ」
「はぁ……わかりました。せめて、防寒だけは万全に」
「わかってますわ」
* * *
「……よし」
曲がり角から首だけを出し、左右を確認してから燈静は角から体を出す。
そして、もう一度辺りを見回し、本当に誰もいない事を確認してから燈静はその場に座り込み、「はぁ……つっかれたぁ…」と、心の底から搾り出したような声を出した。
先程から数十分間、ずっと気を張って行動してた燈静。だが、ただ気を張って行動してただけでは燈静は疲れない。
なら何故、ここまで疲れているのか。
それは…。
(……そりゃ、音を大きく立てればわらわら寄ってくるよねー)
ということである。
補足するなら、男達を倒した際に立ててしまった音で、他の黒服の男達を呼び寄せてしまったのだ。
あらゆる場所から寄って来る男達を、会わないようにわざと遠回りするようにするのは若干ながら面倒くさかった。
それでも、燈静は慎重に道を選び、どうにかその包囲網を抜けてきたのである。
そして、今は小休止というわけである。
「ふぅ…」
息を落ち着けながら、燈静はこれからの事を考え始めた。
「これからどうするか…」
そう呟くと、数個の案が燈静の頭に浮かんできた。
案その一。このまま逃げ続け、どうやってか日本へ帰る。
案その二。男達を全員倒し、日本へ連れて帰ってもらう。
案その三。諦めてここで死ぬ。
「………」
その三つの案を燈静はそれぞれよく考えて…。
(……アホか!?)
その場で頭を抱えた。
(アホか!アホなのか、僕は!!)
自分を罵倒しつつ、更には自分に対して駄目出しをし始めた。
(まず一個目!どうやってって何!具体的な案もなしか!いや、思いついてもどうせ船に忍び込むとか、そういう事だろうなぁ!)
最早犯罪である。……というか、今の燈静自身が密入国してるような状態なので、もう犯罪自体は犯しているのではないか。
(次に二つ目!もう色々と舐めてる!!僕は漫画の主人公じゃないんだから、そんな大勢相手にして勝てるわけあるかぁ!)
そもそも、先程のように不意打ちならまだしも、真正面から行ったところで勝ち目は万に一つも燈静には無いのだが。
(最後に三つ目!一番駄目だよ!まだ死にたくないし、諦めて死ぬほど聞き分けよくないよ!!)
……というか、ここで燈静が自殺しようと男達にはあまり関係の無い話ではある。死んだ燈静のまだ使えそうな内臓を取ればいいだけの話なのだから。
とはいえ、全部を否定してみたのだが……何の方針も無いまま行動するのが一番まずかったりする。
なので、どうにかしなければいけないのだが。
(……うーん)
三つのうちどれかを選ぶわけにも行かないので、他のにしようと必死に頭を働かせるが……思い浮かびはしてくれなかった。
(うー……しょうがない。一個目の案を採用するしかないか…)
渋々ではあるが、無いよりはマシと自分に言い聞かせ、燈静は休憩を終わりにして立ち上がる。
「……よし、行こう」
数分程度だが、休めたことには変わりはない。多少疲れは癒せた。
爪先をトントンと地に当て、首をぐるりと一回りさせる。
「……よっし!」
軽く自分に気合をいれ、燈静はその場を後にし、新たな曲がり角へ向かう。
曲がり角につくと、燈静は曲がり角から首を出す前に、目を閉じて耳を澄ます。
「………」
数秒間耳を澄まし、何も聞こえない事を確認し、首だけを出して左右を確認する。
それをして、誰もいない事を再確認すると、そろそろと燈静は角から体を出す。
「よし」
その最終確認をすると、燈静は右に向かって小走りで走り始めた。
そして、数歩を走った瞬間。
左膝の後ろから前に向けて、一瞬だけ何かが燈静を貫いた。
最初は、何が起こったのかわからなかった。
ただ脳が理解を示す前に、走り出していた燈静の体は中途半端に膝カックンでもされたかのような格好になっていた。
そして、走り始めだったとはいえ、それは速度を出そうとした行為であった。
つまりこの二つを組み合わせると。
トップスピードで走っていた最中にこけた時、ろくにバランスが取れないのと同じような状態に燈静はなったのである。
「あ」
そして、燈静の脳が今起こった状況にやっと追いついた時には、燈静の体は地面と擦れあってザザザと音を立てていた。
そのまま、一メートル未満程燈静の体は滑って、止まった。
そこで、これら一連の始まりとなった場所に、脳がまた追いついた。
「い、づぁ…!?」
絞るような声が出た。普段なら出るはずの無いような声が。
だが、それを気にする余裕は燈静には存在しない。
ディオからもらった日本刀を手放し、場所も省みず、思考を放棄して、燈静は左膝に両手を押し付けて体を丸めた。
両手を押し付けた左の膝からは、ドクドクと両手を勢いよく濡らす程に血が流れていて、あっという間に燈静の両手を自信の血で染めさせる。
「づ、が、ぃ…!」
しかし、そんな自身の手を濡らす自分の血の感覚など燈静は知覚出来ていなかった。
何故なら、それを処理するはずの脳が別のだけで一杯だったからである。
(痛い熱い痛い熱い痛い熱い…!)
左膝から伝わる激痛と、灼熱と形容できるかもしれない熱。その二つだけが燈静の脳を占めていた。
普通なら、このまま最低でも五分はこの二つに脳を支配され、動けないだろう。
「はーっ、はーっ…!」
だが、恐るべき事に燈静はすぐに対応した。時間にして、倒れてから一分も経たずに。
「この、程、度ぉ…!」
痛みを歯を食いしばるという行動だけで優先的に押さえ込み、熱に関しては放っておく事にした。
ズズズ、と丸めた体を匍匐前進するように体勢を変え、右手と右腕だけで這って進む。
傷自体が熱を発しているかのような熱を感じているが、そんな熱程度、燈静には『慣れた事』である。
『慣れた事』。これが燈静が一分と経たずに対応できた秘密である。
風峯燈静という人物は、一日に最低三つは何かしらのトラブルを「自分が原因で起こす」か「自分の周りで起こす」人物である。
喧嘩に巻き込まれるのはよくある事であるし、目の前で車同士がぶつかる事も少なくは無かったりする。
そして、主に前者の理由が原因で悲しいかな痛みは慣れている。……とはいえ、喧嘩程度で今回の痛みに慣れるわけが無いのだが。
つまり、事実としては別にある。……まぁ、その事実とは実の母親からのよくある突発的な暴力からなのだが。
そして、今回でいう熱に耐えれる理由は勿論後者である。
実は燈静、買い物先で火事が起こり、一人だけポツンと業火が燃え盛る中に取り残された事などもある。その経験から、熱に関しては大体が大丈夫になってしまった。
……しかし、多種多様なトラブルに巻き込まれてきた燈静でも、左足が動かないといったようなトラブルだけには巻き込まれたことは無い。
というよりも、切り傷かすり傷ならともかく、四肢のどこかに怪我を負うようなトラブルには巻き込まれたことは無い。
なので、今回のようなケースは初めてであるのだが。
「っつ…」
燈静は特に気にした様子も無く、先程手から放してしまった日本刀を右手に掴みなおし、それを杖にして立ち上がろうとしていた。
痛みに顔をしかめつつ、燈静は何とか立ち上がる。
(……左足は動かないかなぁ)
未だに熱を発している左足を一瞬だけ見て、燈静は左足を引き摺るように歩き出す。
ズズ、ズズ、ズズ、とリズムでも刻むように歩く。
格段に移動速度は落ちているが、それでも何とかなる程度だと燈静は判断し、少しだけ歩くスピードを上げた。
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾッ!!!!
「―――――!?」
体中に虫を這わされたような感覚が襲ったのは、その直後だった。
その感覚は、「寒気がする」や「ゾワゾワ」といったような言葉を混ぜ合わせたものを数十個集めたような感覚だった。
そんな未知の感覚は、流石の燈静も感じたことはあるわけなく。
気持ち悪さに体を震わせ、右足を普通の歩幅よりも前に出してしまう。
自身が命令を出していない行動を取ったせいで、ガクン!と体全体が下がり、左足と右足の両方に均等に体重がかかる。
その結果、体重をかけてはいけない左膝に自分の半分の体重がかかり、痛みを発し、燈静は顔をしかめる。
そうするのと頭の辺りで、チュイン、ビスッ!という音が連続で聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「……え?」
一秒未満ほどの時間で、連続して聞こえた音に、痛みすら忘れて燈静は呆然とする。
何が起こったのかはわからない。ただ、視線の先。地面には先程までは無かった、小さい穴のような跡があった。
(……やばい)
その跡を見て、燈静は背筋が凍った。
小さい穴。それはよく見ると穿ったような跡であった。
そして、その跡が出来る前に聞こえた「チュイン」という音。それは頭の辺りから聞こえた。
つまり、何かしらの飛び道具が使われた事になる。と、燈静は結論を出す。
そしてそのまま、その飛び道具とは何か、を今度は燈静が考え始める。
が、その答えはすぐに出た。
燈静に気付かれず、なおかつ地面に小さい穴を開けることが出来、そして証拠があまり残されないような飛び道具。
それらの条件に一致する飛び道具は、燈静の中では一つしか知らない。
(ライフル…っ!?)
ゲームなどでは、狙撃銃と呼ばれる事もある銃である。
燈静もそういったところからの知識であり、日本で生きてきたので縁遠いにも程がある代物だった。
どれだけ弾が飛ぶのか、どれほどの威力なのか、どれほどの速さなのか。一切情報を知らない燈静。
ひとまず知ってることといえば、「遠くから撃たれる事が多い」という、誰でも知っていそうな事だけだった。
とはいえ、一つだけ情報を知っている事が燈静には安心感を作ってくれるようで、パニックにはなっていなかった。
(銃があるなら、それを使う人がいる…!なら、そいつを倒せば…!)
……いや訂正しよう。普通にパニックに陥っていた。
というのも、先程説明したように、燈静がライフルについて知ってることといえば、「遠くから撃たれる事が多い」という事である。
つまり、「遠くから」、対象を撃つのが普通なのであって、近くで撃つわけは基本的に無い。
そしてここで、今の燈静の状態を確認しよう。
逃げ続けて体力は底を付きそう。左膝に怪我を負い、走ることはおろか歩く事すらままならない。
……つまりだ。「遠く」にいるであろう銃撃者を、今の燈静が追いついて倒すなどということはほぼ不可能なのだ。
それすらわかってないあたり、燈静のパニックさ加減もよくわかる。
だが、自分がパニックに陥ってる事すら理解出来てない燈静は首をキョロキョロと回し、辺りを見回す。
だが、周りは壁であり、誰かがいそうな気配も無い。
(前にいなきゃ……後ろ!)
唯一無事な右足を軸にし、勢いよく半回転して後ろを向く。
それが、結果的には幸運だった。
半回転して、後ろを向いた瞬間。
燈静の右肩の付け根辺りに、そこそこ強い衝撃が突如として襲い掛かった。
「……ぁ…!?」
左膝の時に受けた痛みとは、比べ物にならないほどの痛みだった。
声が出ないほどの痛みとはこういうことをいうのだと、燈静はどこかで感心した。
そんな内に、燈静の体は回転していた最中に別の力を受けたおかげで、また地面に倒れた。
ドン、と地面に倒れた音を耳が捉えたのを皮切りに、燈静は大声を上げた。
「う、ぁ、ぁあああああああああああああああああああ!!!」
左手で右肩を押さえ、ただただ叫ぶ。
別に、叫ぶほど傷が痛いわけではない。なら何故叫んでいるのか。
簡単に言ってしまえば、耐え切れなくなった。
今まで何とか耐えてきたこの出来事に、心が耐え切れなくなったのだ。
必死に押さえつけてきた心の堤防が、今の撃たれた痛みに耐え切れなくなり、感情が爆発してしまった。
恨み言を言える相手はいない。嘆いた所で何が変わるわけじゃない。それなら、叫ぶしかない。
叫んで、心の均衡を保とうとするしかない。
「ああああああ、ごほっ、げほっ!」
だが、咳き込み、叫ぶのを中断させられると、急速に頭は冷えていった。
(撃たれた。撃たれた、どこから?前のどっからか…!?)
倒れたまま前方を睨むが、暗闇の中で銃口が見えるわけも無く。見えるのはただ暗いだけの道だった。
(くっそ…!)
その事実に歯噛みしていると、燈静はもう一つ自信の体に起こっている変化に気付いた。
(…?)
それが最初は何かはわからなかったが、すぐに理解した。
(……レーザーポインター?)
自身の体を動く、小さい赤い点。それを燈静は、会議などで使うレーザーポインターの光だと判断した。
(つまり…)
赤い点を追って、再び暗闇に目を移すと。
「……見っけ」
少し遠くの建物の屋上に、その光源があった。つまりはそこに狙撃者もいるのだろう。
狙撃者を見つけたことで、燈静の気分が若干高揚したが、すぐに下がった。
ちょうど心臓の位置に、赤い点は狙いをつけていたからである。
(マズイ…っ!)
ゾワっと嫌な予感が全身を駆け巡るが、燈静にはどうする事も出来なかった。
体を動かす事も、何も出来なかった。
そして。
赤い点が、一瞬だけブレた。つまり、撃たれたのだ。
「――――」
撃たれた事を理解は出来た。が、それだけで、何も出来ない燈静はただ銃弾が自分の心臓を撃ちぬく事をただ待った。
……………………………………………………。
しかし。どれだけ待っても、予想していたような衝撃は無かった。
いつの間にか瞑っていた目を恐る恐る開くと。
「大丈夫ですか?」
目の前にはメイドがいた。
「……………」
一瞬、燈静は幻覚でも見てるのかと思った。
だが、目の前のメイドは時間が経っても消えないし、むしろ心配してるような表情でこちらを見ていた。
つまりは、現実。リアルであった。
(……えー…?)
それにしては、色々と突拍子が過ぎて、意味がわからなかった。というか、理解を放棄している感じもある。というか、完全に放棄したい燈静だった。
「えーっと……本当に、大丈夫ですか?」
メイドが恐る恐ると言った感じで、燈静に話しかける。
その行動に燈静は「あ、え、あーっと…」と、情けない声を出す事しかできなかった。というよりも、困っていたのだが。
(メイドさんに話しかけられるって、普通じゃないよなぁ…?)
そもそも、メイドが目の前にいること事態が普通では無いのだが、先程から大量に血が流れているせいか、意識が若干朦朧としている。ついでに言うなら、思考も低下している。極めつけには、気を抜いたらその場で気絶しそうだった。
「……大丈夫じゃなさそうですね」
「大丈夫ですからね!?」
「左足と右肩から血を流しながら何を…」
「こんなの日常茶飯事ですから!むしろ、普通ですから!」
「それを聞くと尚更大丈夫じゃなさそうですね」
大丈夫なのにー!と叫ぶが、メイドさんは額に手をあて、やれやれといった風に呆れた溜息をついていた。
カツッ。
そんなやりとりをしていると、燈静の背後でヒールが立てる音が聞こえた。
その音に、思わず振り返った。と同時に。
「六花」
と短く、命令するような第三者の声を燈静の耳が捉え、ゴヅン!と衝撃が燈静の後頭部を襲った。
その衝撃に、一瞬で燈静の意識は闇に落ちた。
* * *
チュンチュン、と小鳥のさえずる音が聞こえた気がした。
「んー……」
もぞもぞと、朝日の眩しさから自分を守るように、布団をかぶる様に手繰り寄せる。
「くかー…」
そうして、光が少なくなったことに安堵し、また心地よい眠りの世界へ…、
「……ん?」
行こうとした所で、完全に目が覚めた。
「…………………」
そしてたっぷり五秒ほど思考停止した後、勢いよくかぶった布団を跳ね上げ、体を起こす。
そのままの勢いで、目に入ってきたのは―――
「……ここどこぉ?」
燈静の記憶の中には、一切合致するものが無い部屋だった。
言ってしまえば、庶民が有り体に想像する金持ちの部屋であった。
広い面積、一目見ただけで高価だと分かる調度品、そして今自分が座っているベッドのフカフカさ加減。
……どっからどう見ても、金持ちが住んでいる豪邸とかの、一部屋だった。
(なんでどうしてどうやってー!?)
自分が何故この部屋にいるのか。それが一切分からないし理解できない燈静は、やはりパニックになった。
意味も無く手を宙にかざしてあわわと振ってみたり、意味も無く右と左を振り返ってみたり。
わかりやすいにも程があるレベルの、パニックだった。
と、そんな風に燈静がパニックになっていると、ガチャリと音を立てて、扉が開いた。
当然、音がしたらそっちを基本向くのが人間である。燈静も例外に漏れず、そちらを向いた。
「―――――」
そして、燈静の中の時が止まった。
扉を開けて入ってきたのは、一人の少女。
日の光に反射してキラキラと光る金の髪を持ち、意志の強さを窺わせるような少しつった形をした目の中に見える赤い色の瞳。
それら二つのパーツが燈静には一番最初に目に入って印象的だったが、視点を少し引いて見ると、顔立ちは美少女と呼べるレベルそのものだった。
「……!」
それを燈静の脳が認めると、心臓が一つ大きく跳ねた。
ドクンドクンと心臓が早鐘のように打ち鳴り始め、息も若干速く浅くなっていく。
しかも、部屋に美少女が訪れたという事実が、燈静に更に緊張を促す。
「起きましたの?」
そんな燈静の緊張など知るはずの無い少女は、扉を後ろ手に閉めながら、話しかけてきた。
「え、あー、はい」
突然話しかけられた事に、微妙につっかかりながらも返答すると「そうですの」と少し安心したように微笑んだ。
「っ!」
その微笑みに、また燈静の心臓は大きく跳ねた。
その間にも、少女はベッドに近づいてきていて、燈静の心臓は音が外まで聞こえるのではないかというほどまでにバクバク鳴っていた。
「さて」
いつの間にか、少女はベッド側におり、側にちょうどあった椅子に座った。
その行動に頭の中で疑問符を浮かべていると、少女は燈静を真正面から見据えて。
「少し、話しません?」
笑顔でそう言った。
「……はい」
その笑顔に見蕩れた燈静に、断るすべは無かった。
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