スタート
一転。
十二月二十四日。
日本ではお馴染みのクリスマスイブであるこの日。
大半の人は喜びに胸を躍らすこの日。
一人の少年は、正反対の位置にいた。
「……………はぁ」
カーテンに光を遮られた部屋の中、ベッドから重苦しい溜息が響く。
その溜息が聞こえたベッドは軽く膨らんでおり、誰かが入っている事が見て取れた。
「はぁ…」
もう一度重い溜息が漏れ、ベッドの布団が乱暴に飛んだ。
飛んだ布団の下から一つの人影が立ち上がり、ベッドのそばのカーテンを乱暴に開ける。
シャー。と小気味いいカーテンレールの音と共に、遮るものの無くなった小窓から光が少年に降り注ぐ。
その光を鬱陶しそうに目を細めながら、少年は窓の外を見やる。
「……………」
そして、見えた光景にとある感情が湧きあがり、逃げるように窓から背を向けベッドから降りる。
そのままもう一つあるカーテンを先程より乱暴に開ける。
ベッドの側の小窓より大きい窓が露となり、少年の全身を照らす。
薄青色の髪に中性的から少しだけ女性的に寄った顔立ちを持った少年。
風峯燈静。
それが少年の名前。
いつもは優しい顔立ちなのだが、今日は違った。
その顔は不快に染められており、目には誰から見てもわかるほどの殺意が込められていた。
「………………気分悪」
そう呟き、頭をガシガシとかく。いつもはそういう所にも少し気を使っているのだが、今の燈静にはそんな余裕が無かった。
頭をかきながら窓に背を向け、机に視線を向ける。
机の上には、ぐしゃぐしゃに握りつぶされた茶封筒が一つ置いてあった。
「……………」
それを乱暴に引っつかみ、燈静は部屋を出た。
* * *
『―――のように、鳥を焼く際には』
「……………」
あれから数十分後。燈静はリビングのソファーに座ってテレビを見ていた。
テレビの中では、年配の司会者と女性のアシスタント。そして日本人の顔の造形の癖に、妙に眩しい青髪の年近い少女が一人の料理人の周りに立っていた。
料理人という所から、番組のカテゴリは料理番組である。
作っているのは、今日に合った料理。鳥の丸焼き。
果たして作る家庭がどれだけあるのか。そんな事を思いながら、画面の左上に映っている「10:34」という時刻だけを見て、燈静はテレビの電源を切る。
そしてテレビを切ったリモコンを適当に投げ捨て、膝を抱えるように座りなおす。
その体勢を取ると、自然と視線はソファーの前の小さなガラステーブルへと移った。
ガラスの上に乗った、ぐしゃぐしゃの茶封筒とそれとは正反対である綺麗な茶封筒。
何となく、その二つは自分を指してるようであり。
「―――っ!!」
それが心の底からムカついた燈静は、ガラステーブルを下から蹴り飛ばした。
ガシャンと割れる音を響かせ、テーブルはくるくると回転しつつ斜線にあったテレビを壊した。
「はーっ……はーっ…!」
蹴った際に尋常じゃない痛みが足に走ったが、怒りの方が痛みを遥かに超している燈静は痛みなど感じてない。
「くそ…!」
両手で頭を乱暴にかき、足を強く地面に叩きつけ、行き場所の無い怒りを何の罪も無い床にぶつける。
ダダダダダダダダダダダダ!!と地面が揺れ動くほどの蹴りを床にお見舞いした後、「ふざけるな…!」と心からの呪詛を紡ぐ。
その呪詛は、ぐしゃぐしゃになった茶封筒に向けられたものであり、同時に自分の両親に向けられたものでもあった。
「あああああああああああああああああああああ!!」
呪詛を吐いた後に突如として叫び、ソファーを掴み無闇矢鱈に振り回す。
ソファーは意外と重い。
そしてそれを振り回すということは……物を壊すということに近い。
しかも、狭い室内で振り回すとどうなるか。それは明確である。
「ああああああああああああああああああああああああ!!」
横薙ぎに振るったソファーがガリガリと音を立て壁を深く削り、ガシャンと再びガラスの割れる音を鳴らし、ガチャガチャと電話などをなぎ倒す。
そしてそのまま数周振り回し、ソファーを投げ捨てる。
ガガッ。と壁を少し突き破った所でソファーは停止した。
「はぁ……はぁ…!」
肩で息をするほどに疲労はした燈静。それでも、内から湧き上がってくる怒りは収まろうとはしてくれなかった。
「くっそ…!」
頭をまた乱暴にかき、燈静は散乱した部屋の中から二つの茶封筒を探し出し掴むと、出かけるべく自分の部屋へと戻っていった。
* * *
(あぶな…!)
そしてそのおよそ十分後。
燈静は自分の家の近くの自販機に隠れながら、そんな事を思った。
自販機に隠れているとはいっても、顔だけは自販機から自分の家の方向に出していたが。
そして、思ったことの原因はその向いている方向の先にあった。
距離にしておよそ百メートル前後。
その辺りには、自分の家がある。だが、今回はその家の前に黒一色の車が一台止まっていた。
車の方向は燈静の方が前を向いている。
故に、燈静からは運転手くらいは見える。
しかし、運転手は見えなかった。
運転席に運転手がいないわけでは決して無い。
フロントガラス越しに一つの人影が浮かび上がってるので、いるのはわかった。なのに、鮮明には見えない。
つまり、
(曇りガラス……ってとこか)
そう結論付け、燈静は目を細め頭を働かし始めた。
(普通―――一般家庭とかじゃ後ろのガラスが曇ってる事はあるけど、フロントガラスまでは曇りガラスをつけない)
「……という事は、か」
小さく呟き、車を今までよりも注視する。
すると、後部座席から二人、助手席から一人の男が出てきた。しかも、全員が黒いスーツらしき服装という出で立ちで。
それは燈静の目から見ると、
(……ヤクザとか、そんな感じの方々だよなぁ…)
何故自分の家の前にいるのかは、自分が誰よりもわかっている。
それを読んだかのように、三人の男達は燈静の家の玄関の方へと歩いていった。生憎、自販機で見えないがドアを叩いている事だろう、と燈静は予想していた。
そしてその予想が当たっているとすると…。
「……逃げよ」
一瞬浮かんだ嫌な想像を振り払うように、燈静は自販機の影から走り出した。
目的地など決めず、振り返らずにただ一心に。
そして、ここで視点を燈静の家辺りに移そう。
時間にして、燈静が自販機の陰から走り出したのと同時。
「オイコラァ!いるんだろが!出て来い風峯ぇ!」
後部座席から出てきた内の、いかにもな強面である一人が、大声で叫び玄関のドアを壊れる勢いで蹴る。
ミシッ、と軋む音がしたがドアは壊れる事は無く、更に家の中からの反応も無かった。
「……反応ありませんね」
何も音の無い事に、蹴った男とは違う後部座席から出てきた男が、助手席から出てきた気だるげな雰囲気を醸し出している男に話しかけるが、話しかけられた男は何も言わずに家を凝視していた。
「どうします?蹴破って中に入ります?」
ドアを蹴っていた男が、家を凝視している男に確認するように言うと「……いんや、その必要は無さそう」と返した。
「はぁ…」
その返答に、いぶかしげに男は首を傾げた。
それを気にせず、気だるげそうな男は「どーせ、逃げてる可能性が高そうだし…」と言って大きな欠伸を一つ漏らした。
「なら、どうします?」
「そーだなー……まー、普通に網張っとけ。相手は高校生だし、公共関係の乗り物に関しては重点的に。それ以外は所々わざと穴を開けて追い込むように人員配置」
「「わかりました」」
男の指示に、二人はすぐさま車に近づいていった。
その背中を見ながら、男も車に足を向け―――ふと足を止めた。
「…………」
気だるげそうに視線を下に向け、首だけ振り返る。
そして見えるのは、どこにでもあるような一軒家。
「…………ほんと、人生何があるもんかわかんねぇもんだね」
感慨深くそう言い、
「子供を売る親がいるとか、さ」
小さくそう呟くと、首を戻し車へと歩み寄っていった。今度はもう、振り返りはしなかった。
* * *
幸せな人間がいれば、同時に不幸な人間もいる。
いつか、そう国語の授業で聞いた気がする。
(……詳しくは覚えてないけど)
その時少し眠かったし…。と燈静は口の中で呟き、覚えてる記憶を緩慢に思い出す。
あれは、教科書の内容だったか。それとも先生の雑談の中の、なんでもない会話だったのか。
それすらおぼろげな事を思い出したが、内容だけははっきりと覚えていた。
―――たとえば、結婚式とかって余程の事がない限り幸せだろう?
―――だけど、その日と同じ日に離婚をする人だっている。離婚はある意味不幸だろう?
―――他にも、同じ日に入院する人もいれば、退院する人もいる。
―――まぁ、つまりだ。この世には正反対の事が常に起きてるって事だ。
確かにそうだ。と思う反面、極論だ。と思う。
確かにこの世には正反対の事象など無数にあるだろう。燈静の脳はそう思う。
だけど、それを言えるのは違うだろう。と、反対の意見を燈静の中の何かが発言する。
何故だ。と、脳。
お前はそれを経験したのか。と何か。
それ以降、脳は何も答えずに沈黙した。
「……経験、ねぇ」
自分の中で異なる何かが会話してるのを何とも思わず、燈静はそう呟く。
「経験なら、今してるし」
吐き捨てるように言い、今まで地面に向けていた顔を持ち上げる。
すると自然に視線も上がり、暗い公園のベンチからとある光景が目に飛び込んできた。
「……幸せそうだよなぁ」
それは、思わず燈静の口からそう言わせるほどの光景だった。
小さい子供が両手を両親と思われる親と手を繋いで歩いている光景。
年の近そうな男女が、寄り添って歩いている光景。
同じ制服を着た同性のグループが歩いている光景。
それらのどの光景も、人が浮かべているのは笑顔で。
その笑顔はどれも、光のおかげではないほどに輝いて見えて。
「…………」
それを見て、燈静は今の自分を再確認する。
服装は、至って普通のコートを着ている。
周りには誰もおらず一人。
鏡が無いのでわからないが、恐らく笑顔では決してなく、沈んだ表情。
そして、その表情は暗い公園のせいでもないほどに暗く見えることだろう。
「ははは…」
対比して、思わず笑いが漏れた。
それほどまでに正反対で。それほどまでに差がありすぎて。
途轍もなく、泣きたくなった。
だが、
「…………す」
それ以上に湧いてくる感情もあって。
泣きたくなる気持ちはその感情に塗りつぶされた。
それと同時に、思考もその感情に塗りつぶされていって。
「……たぞ!!」
と、そこで突如燈静の耳にこの日は似合わない声が聞こえた。
その声の聞こえた方向に視線を移してみると、公園の別の入り口から黒いスーツに身を包んだ男達が二人、こちらに向けて走ってきていた。
「………」
それを確認すると、燈静は座っていたベンチからゆっくりと立ち上がり、
「………あはっ」
歪に笑った。
* * *
「はっ、はっ、はっ…!」
あれから数十分後。燈静は街頭の光すらあまりない道を必死に走っていた。
勿論、何も無いのに走ってるわけではない。
理由は、
「待てやゴラァ!」
「てめぇ、よくもやりやがったな!」
つい数十分前、公園で燈静に向かって走ってきた男二人から逃げてるからである。
―――あの笑った後、燈静は何故か二人の男に対して走り出した。
その行動に、男達は虚をつかれた様に驚き、その状態の二人を燈静は思い切り殴った。
幸いと言うべきか、その後すぐに燈静は正気を取り戻した。
そしてすぐさま脱兎のごとく逃げ出した。が、殴られた二人は燈静を見つけたとき以上の気迫で追ってきた。
(何であんな事したんだろうか…!?)
そんな事を逃げながら思うが、そもそも行動した燈静がわからないのであれば、誰にもわかるはずが無い。
ともかく、必死に逃げているのだ。
距離は、百メートルは離れてないが五十メートル以上は離れている。
追いつかれもしないが、撒けもしない何とも微妙な距離だった。
「はっ、はっ…!」
もう長い事走り続けているので、燈静の体力は底をつきそうだった。
それでも、燈静はとある感情に従って走り続けていた。
(こんな所で捕まるわけには行かない…っ!!)
確かな決意を胸に、限界の足に鞭打ちさらにスピードを速めようとした。
その時、前触れも無く、曲がり角から一人の男が現れた。
「っ!?」
突如目の前に現れた男に、燈静はブレーキをかけようとするが、スピードを上げたばかりの足がそれを許してはくれなかった。
(ぶつかる!)
燈静がそう思うのと同時に、男がこっちを向き、
強烈な痛みが、燈静の腹を襲った。
一瞬その痛みに気づかないまま、燈静は前に進んでいた。
が、すぐに「ぐぅ…!?」腹の強烈な痛みに、前に転がるように身を投げ出した。
ズザッ、とコンクリートが燈静の肌を擦るがその痛みよりも、腹の痛みの方が強かった。
「ぐ、がぁ…っ!?」
声はおろか、呼吸すらまともに出来ないまま、体中から脂汗が吹き出る。
それでも、その痛みの原因であろう男に視線を動かした。
が、視線を動かした先には男はいなかった。
(あ、れ…)
おかしいな。そう思った刹那。
そっ、と首の辺りに手のような感触が生まれた。
それを誰のかと思う間もなく、バジッ。という音が耳の奥から響いた。
「―――ぁ」
それは、スタンガンのような感じの電流の音に似ていた。
(ま、さか…っ)
その痛みに意識を手放しかけた燈静は、必死に意識を保たせる。
それとほぼ同じくして、今度は鼻の辺りに蹴りを入れられた。
不安定な意識にそんな痛みを入れられれば、答えは一つ。
「が…」
短い悲鳴を漏らし、燈静の意識はそこで途切れた。
……何がしたいのだろうか、私は。
ともかく二話目でした。
短いし、グダグダだし…。
……まぁ、ともかく。
誤字脱字の報告がありましたら、どうぞ。
では!