懐かしいモノに別れを
編入試験より、一日開いた一月六日の早朝。
十鳳家のある一室の中で、風峯燈静の意識がうっすらと浮上した。
「ぁぁん…?」
毎朝起きる時のクセである、変なうめき声を出しながら、燈静は七割近く寝ている意識で、右手を頭の方に勢いよく振った。
ぼすっ。
「…ぅ?」
望んでいたゴツゴツした硬い感触ではなく、ふかふかした柔らかい感触が振った右手の甲で感じられ、意識が一気に覚醒した。
「あれぇ…?」
完全に起きた状態、だが目はまだ瞑った状態で右手をもう二、三回同じように叩きつけると、同じ回数だけふかふかと手の甲は跳ね返された。
そこまでして、ようやく燈静は目を開いた。
最初に視界に入ったのは、黒だった。
「………………あぁ、そっか。カーテン閉めてるんだっけ…」
その事を思い出し、重いまぶたを擦りながら、布団を蹴ってどかし、ベッドの縁に腰掛ける。
そしてそのまま、数秒間だけ目を瞑る。
「……よしっ!」
次に目を開いた時には、眠気など吹っ飛んでいた。
勢いよくベッドから立ち上がり、窓まで近づき、カーテンを横に引っ張る。
瞬間、日光が目に入ってきたので、顔をしかめながら徐々に光に目を慣らしていく。
三十秒もすると、普通に目を開く事が出来るようになった。
「朝って、こういうの慣れないんだよなぁ」
眩しいという事が昔から苦手なので、そんな文句を呟きながら、部屋の空気を入れ替える為に窓を開ける。
空けた途端、朝の冷たい空気が部屋に向かって勢いよく吹き込んだ。
「さむっ!」
一気に感じる温度が変わったことで、軽く体が冷え込み、縮み上がり、体は震えた。
「うー、さっさと着替えよ…」
そう呟くと、燈静は窓を開けたままにして、窓のすぐ右にあるクローゼットを開けた。
* * *
同日、午前九時。十鳳家食堂にて。
燈静は椅子に座ったカルラを軽く揺らしていた。
「お嬢様―、起きて下さいよー」
「ねむ、い……ですわよぉ」
ゆさゆさと肩を揺さぶっても、カルラは眠そうに唸るだけで、起きようとする素振りは微塵も無かった。
「いやもう九時ですし、朝ごはん出来てますよ?」
「後、……時間後で食べる…」
「え?何時間後ですか?」
一部だけよく聞こえなかったので、もう一度言うように催促すると、軽く唸ってから小さく呟いた。
「後、七時間…」
「夕方になるのでやめてください」
「いいじゃ、ありませんのぉ…」
カルラの文句を聞き、否定すれば文句が飛んでくるほどには、意識が覚醒してると知った燈静はさっきよりも少しだけ大きくカルラの肩を揺らした。
「ほら、明日からお嬢様も理事長代理で学院行くんですから。今日から早く起きれるようにしといてくださいよ」
「別に、朝早くから……行く用事なんてそうそうありませんわよぉ…」
「いや明日って、始業式ですよね?理事長挨拶あるって、六花さんに聞いてますからね?」
「余計な事をぉ…」
恨めしそうにカルラが呟くと、食堂の扉が開いた。
燈静はすぐに振り向き、カルラは億劫そうに薄く目をあけながら扉の方を見ると、六花が呆れたような表情で立っていた。
「あ、六花さん」
「まだ、完全に起きてはないんですか?燈静君」
「えぇ、まぁ…」
燈静の苦笑と共に告げられた言葉に、六花は溜息を一つ吐き、つかつかと二人に歩み寄る。
そして、カルラの側についたと同時に、箒をどこからか取り出し、
「起きないと殴りますよ?」
と、ニコニコ笑顔でのたまった。
それを聞いたカルラは、半分以上眠気が吹き飛んだようで、さっきよりはしゃきっとした目で、「……後、五分……だけ」と懇願するように呟いた。
だが。
「却下です♪」
そんな楽しげな声ですぐに却下され、箒で額を叩かれた。
「きゃぅ!?」
スパンといい音を立て、カルラは仰け反った。
「い、痛い…」
「起きない方が悪いんですよ?」
「あはは…」
仰け反ったまま額を押さえるカルラに、容赦ない言葉を投げかける六花。そんな二人のやり取りに苦笑する燈静。
まだ、この屋敷に来てから半月も経っていないが、日常となった光景である。
そんな光景の中に自分がいる事に、燈静は嬉しく思った。だが、同時に―――
「…………」
その感情を自覚すると、嬉しさが消えてしまった。が、それは顔に出さないように努めながら、軽い喧嘩に発展しそうな二人を止めるべく口を開いた。
「六花さん、お嬢様の目も覚めた事ですし、ひとまずそこまでにしましょう?」
「…そうですね。これ以上叩く必要も無さそうですしね」
「二回目を予定していた…!?」
「目が覚めなければ……まぁ、二割増しで」
顎に指を当てながらそう告げた六花に、二人は軽く戦慄しながら、それぞれすべき事の為に体勢を戻したり、場所を移動した。
「それでは……いただきます」
「さっさと食べてくださいね、冷めますし」
「本当、メイドらしからぬ発言ですわね…」
そう言いつつ、非難の目を向けるが六花はただ笑ってその視線を受け止めるだけで特に堪えた様子も無かった。
それを見て一つ溜息を吐いて、カルラは目の前に用意された朝食に箸を伸ばした。
因みに、今日の朝食は和食である。
燈静としては、屋敷の外見はどう見ても洋風だし、カルラも外国のお嬢様といった風なのだから、洋食で固めた方がいいのではないかと思っていたりする。
だが、カルラは和食が意外と好きだし、今日の朝食は和食しかあまりまともに作れない六花が作ったので、何ともいえない。
「…変な所でちぐはぐというか」
「何か言いました?燈静」
「いえ、何も」
「それならよろしい」
そう言いつつ、カルラは食べながら不審な目を燈静に向けているが、燈静は目を閉じてただじっと立っているだけである。
カルラから見ればそうであるが、当の本人は心臓が早鐘を鳴らしているし、背中には軽く汗を流しているが。
そんな事がありながらも、十分後にはカルラも全ての朝食を食べ終わり、食後の緑茶を飲んでいた。
「ふぅ…」
二、三回コップを傾け、一息ついたところでカルラは六花に視線を向けた。
「今日の予定は?」
「刻ノ森の始業式用のスピーチ原稿……だけですね」
六花から告げられた予定を聞いて、ピタリとカルラの動きが止まった。
そして、錆び付いた機械のように緩慢な動きで首を六花に向け、
「それだけなら私……寝てても良かったはずですわよね…?」
と、怒りを含めた声でそう言った。
それを聞いた六花は、にっこりと笑い、さも楽しいといった声音で。
「嫌がらせに決まってるじゃないですか♪」
「六花ぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
早起きさせられた理由が、ただ単なる嫌がらせだという事に、カルラの怒りは一瞬で頂点に達した。それを聞いていた燈静も、うわぁ。といった表情で六花を見つめている。
「…流石に冗談が過ぎましたか?」
「いや、冗談で言ってませんわよね!?あなた、冗談で言ってませんわよね!?」
「いや流石に冗談です。七割は」
「三割は本気なんですのね!?」
「えぇ」
「認めたっ!?え、六花さん嫌がらせの為だけに、僕にお嬢様起こしに行かせたんですか!?」
「はい。惰眠むさぼられると働いてるこっちとしては、腹が若干立ちますから…」
「それだけの理由で私の睡眠、妨げられたんですの!?」
「十分な理由だと思いますけどねー。まぁ、文句があるなら後で聞きますから、話の続きいいですか?」
そう六花が言っても、まだ何か言いたげなカルラだったが、六花が手で制したのでそれ以上はひとまず言わずに、話の続きを待った。
「それで続きですが……まぁ、お嬢様に関してはさっき言った通りです。私も、いつも通り。それで燈静君」
「はい」
自分の名を呼ばれ、燈静は自然と背筋が伸びた。
何を言われるのかと、少しワクワクしながら待っていると……燈静の前に少し分厚めの財布が差し出された。
「…………」
財布を見る。
「…………」
六花を見る。
「…………」
もう一度、財布を見る。
「…………えっと、これは一体」
「ひとまず受け取ってくれます?」
「あ、はい」
六花に言われ、財布を受け取るとずっしりとした重みを感じた。中身がかなり入っている事がわかった。
(お使いでも頼まれるのかな?)
「というわけで燈静君。それで買い物してきてください」
「わかりました。それで、何を買って来たらいいんですか?」
「燈静君の必要だと思うもの、ですね今回は」
「……はい?」
一瞬、言われた意味がわからずに燈静の思考は停止した。
だがすぐに、再起動して理解した。
「あ、今屋敷になくて必要なものですか。えーっと…」
「…何を勘違いしてるんですか?」
「え?」
「燈静君自身が、必要なもの。と言いましたよね?」
「……?」
意味がわからずに、首を傾げる燈静。そんな燈静に、「何でこんな所だけ馬鹿なんですか…?」と呆れながら六花はもう一度、今度は詳しく言った。
「燈静君自身が、これからの生活で、必要なものを買ってください。そう私はそう言ったんです」
「……あー!なるほど!それなら最初から言ってくださいよー」
手をポンと鳴らし、納得したといった燈静だが、六花からは最初から分かると思っていた。何故なら…。
「というか燈静?あなた……色々と足りないでしょう?日常品」
「いや、そうでもないかと思うんですが…。筆記用具とかはありますし、服は……これがありますし」
「執事服があるからといって、私服が無いのは流石にどうかと思いますわよ…」
「そうですか…?」
燈静としては、今置かれている状況で私服を着る機会なんて無いだろうと思っているので、必要ないと判断している。
そんな燈静の思考を感じ取ったのか、カルラは心の底から呆れた風な溜息を吐いた。
「馬鹿ですの?」
「酷い!」
「お嬢様。燈静君は馬鹿に決まっているでしょう?」
「六花さんまでバカ扱いですか!?」
「それはそうでしょう。年頃の男の子が遊ぶことに興味が持てないなんて……馬鹿以外に何と言えばいいんですか?」
「他に言い方あるはずですよね!?後、遊ぶ事に興味はありますからね!?」
「じゃあ、私服。買ってきなさい燈静」
「えぇー…」
ここまで言われても、尚渋る燈静を見て、カルラは指をビシッと突きつけた。
「別に、私は仕事に生きろとは言ってませんわよ!」
「……でも、仕事ある以上やるのが普通なんじゃないですか?」
「そんなわけないでしょう」
バッサリと切り捨てられると、燈静としては言い淀んでしまう。今まで仕事があるならやる事が普通だったのだから、尚更にだ。
そしてカルラは、言いよどむ燈静を見て、更に強い口調で言い放った。
「ともかく!高校生かつ執事として生活するなら、遊びに行く事を普通にすること!いいですわね!!」
「…わかりました」
完全に納得したわけではないが、一応は納得した。
確かに、ずっと仕事というのも、自分の年を考えると中々にキツイ事ではある。気を抜かずに、ずっと仕事……想像しただけで、燈静は嫌になった。
そう思うと、確かに私服くらい買っておいて、たまには遊ぶのもいいかと思うのだった。
「それじゃあ、燈静君。今から行ってもいいですよ」
「はい。あ、ところでこの財布、幾らくらい入ってるんですか?」
「ざっと、五十万くらいでしょうか」
「……そんなに使わないだろうけど、貰っておきますね」
いささか多すぎやしないかと思うが、不測の事態が起きた時用に入っているのだと、燈静は必死に自分に言い聞かせる。……何せこんな大金、持ったことは今まで無かったので、軽く不安になってくるのである。
「それじゃあ、行ってきますね!!」
そんな不安を吹き飛ばすように、大声を張り上げ、燈静は食堂から出て行った。
「携帯電話は必ず契約してきてくださいねー!!」
背中に、そんな六花の声を聞きながら。
燈静は、久々に出かけることに少しだけ高揚していた。
「…そういえば六花。燈静の試験結果ってどうなってますの?」
「特に危なげも無く合格してますよ。……燈静君にはまだ言ってませんけど」
「…その結果、届いたのは何時ですの」
「昨日の夕方には届いてましたね」
「何をやってますの…」
「単純に忘れてました」
* * *
「んー…」
タンタンと軽快に先程買ったばかりの携帯を叩きながら、燈静は街中を歩いていた。
歩きながらの携帯は本来やってはいけないものだが、一月の初めの、ちょうど昼の時間であるせいか、燈静の歩いている歩道の周りには人一人見当たらなかった。
なので、燈静も若干の罪悪感を感じながらも歩きながら携帯をいじくっているのである。
「ん……適当に一番新しい携帯にしたけど……慣れないなぁ。タッチ式って」
適当に日本にいなかった日のニュースを、右手の親指で下にスクロールさせながらそうボヤく。
何せ、さっきから下に行きたいだけなのに、妙な所をタッチしてしまって別に見ない場所に飛んでしまい、一々戻さなければいけないのだ。それを繰り返すと、イライラが募るものである。
「……そういえばもうお昼だっけか」
一番上に表示されている時間をチラッと見た後、携帯を閉じてコートのポケットに突っ込みながらそう呟く。
「お昼どうしよっかなー」
腹を左手でさすりながら何を食べようかと考える。
「私服はさっき買って屋敷に全部送ったし……執事服で入るのもなんかなぁ…」
自分の今の服装……執事服の上にコートだけを着た状況をどうかと燈静は思う。
出かける前に言ったように、今の燈静には私服は一着も無い。外国でカルラに拾われた時の私服は色々あって捨ててしまった。だから、今燈静はどこに行くにも執事服を着るしかないのである。
「中々着慣れない状況で、店の中で注目される…」
そんな状況をひとまずシュミレートしてみる。結論はすぐに出た。
「……恥ずかしさで死ぬ、うん」
注目される事は好きではない燈静としては、それだけは避けたい。とすれば、昼食は自ずと決まった。
「久々にハンバーガーでいっか…」
テイクアウトして公園かどっかで食べればいい。そうすればコートを脱ぐ必要も無いし、腹も膨れるので大変よろしい。
そうと決めれば、即行動である。
携帯をいじくりながら、下を向いて歩いていたので、特に道を把握する事無く進んできた。なので、今がどこか確かめる為に顔を上げると、
「あ…」
懐かしい光景が目に映った。
何の変哲も無い、所々にひびの入ったコンクリートの壁。その壁は途中で少し広めに途切れており、その間には少し錆びた黒いレールが敷かれていた。
そして、今燈静が見ているのはレールで分けられた右の壁の中の一部分にポツンとある、石で作られたものだった。
質素な石のプレートにはこう彫られていた。
『市立青葉高等学校』
「……何だか、懐かしいなぁ」
半月ほど前まで、燈静が通っていた高校であった。
約一年ほど通っていたこの高校。ほぼ毎日、喧嘩じみた争いや、戦争と言い表せるような喧嘩が起こっていたりしていたが、燈静にはそれが新鮮で楽しかった。
だが、それももう思い出としてしかならない。
親に売られた、あの日から。この学校からには通えなくなった。
それが、燈静にはとても寂しかったし、悲しかった。
「……はぁ」
その事を思うと、悲しい感情と共に父親への憎悪が溢れ出しそうになるが、軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「行こう…」
このままここにいると、いつまでも動かないだろうと判断した燈静は、開いていた校門から眼を背け、歩き出そうとした。
だが、そうした瞬間。聞きなれた声を耳にした。
「おいおい、久々に見かけたと思ったら誰にも挨拶しないで帰る気なのかぁ?燈静さんよーっ」
声が聞こえた途端、燈静は弾かれたように振り向いていた。
振り向いた先には、いつの間にか、青葉の制服である薄い青のブレザーを着た、一人の少年が校門を背もたれに立っていた。
黒がかった茶髪を首の辺りまで伸ばし、右の前髪をヘアピンで止めた髪型、そして黒い瞳でこちらを見ている、燈静にとって親交の深い少年。
「秀さん…!」
「よぉ、燈静。終業式ぶりー」
駆け寄る燈静に軽く右手を上げ挨拶する少年の名は、桐田秀。通っていた頃の一番仲の良かったクラスメイトである。
「本当に久々ですね…」
「全くな。メールしようが電話かけようが一切返事すらなかったが……何やってたんだ?」
秀がそう訊くと、燈静は気まずそうに顔を背けた。その行動で何となく察したのか、秀は「すまん、今の無し」と言って手を叩いた。
「いえ、別にいいんですが…」
本当はあまりよくは無いが、ひとまずそう言って話を切ってから、今度は燈静から尋ねた。
「ところで秀さんは今日は何で学校に?」
まだ青葉高校は冬休みである。とはいえ、明日は始業式なのだが。
「あー。まぁ、手伝い。生徒会の」
「……秀さんとうとう生徒会に入ったんですか?」
「入ってねーよ。何で皆そういう事言うんだ…?」
そりゃねぇ…。とジト目で見つめると、自分でも分かってるのかバツが悪そうに首の後ろをかき始めた。
「言って欲しいですか?何でそう思うのか」
「勘弁してください、耳にたこが出来るレベルで聞いてますんで」
「……生徒会役員でも無いのに、生徒会にいては生徒会の仕事手伝う人が、始業式の前日に生徒会の手伝いとか言ったら、そうだと思いません?」
「てめぇ、言うなって言ったよなぁ!?」
「こういうのって言いたくなりませ、ごめんなさい謝るんで掴まないで!」
笑って言ってる間に、青筋立てた秀が燈静のコートの胸倉を掴み始めたので、燈静は笑いを消してすぐに謝り始めた。
だが、すぐに顔から消した笑顔がまた出てきてしまった。それを見て、秀はさらに青筋を立てながら尋ねる。
「な、ん、で、てめぇは笑ってんですかねぇ…?」
「ご、ごめんなさい…。でも、懐かしくて…」
「…………」
懐かしい。その言葉を聞いた途端、秀は気まずそうな顔になって手を離した。
離されて、軽く燈静が咳き込むと二人の間には沈黙が下りた。
その沈黙は、軽く数分ほど続き、先に秀が破った。
「懐かしい、ね…」
「はい……僕、退学させられましたからね…」
「一応、俺も理由は知ってる。お前の親父が勝手にしたらしいんだろ?」
「えぇ、まぁ」
「そか」
そう言うと、秀は片目を瞑って何やら考え始めた。そして、すぐに目を開き校門に頭頂部を当てるように上を向き、
「隠れてる馬鹿共。出て来い」
そう、虚空に向かって言った。
「へっ?」
突然の事に素っ頓狂な声を出した燈静。意味がわからなかったが……すぐにわかった。
「なーんだよ、わかってたのかよ」
燈静と秀の声ではない、三つ目の声。それが秀が背もたれにしている校門の裏の方から聞こえてきた。
そして、それを皮切りに更に三つの違う女性の声が次々と校門から発せられた。
「まぁ、秀だしねー」
「私達の事はお見通しってわけなのね」
「……昔から、じゃないそれ…?」
(あー、この声って…)
その声を聞いて、燈静も校門の後ろに隠れている四人がわかった。
「いいからとっとと出て来い。かなり早いが、プチ同窓会と行こうや」
『りょーかい』
四つの声ではもってそう言うと、次々と人影が現れた。
一番最初に現れたのは、燈静よりも背の高い男子だった。
百八十は普通に超えている身長に、暗い茶髪をスポーツ刈りよりも少しだけ短い長さにして、黒い目でこちらを見てくる男子生徒。
名前は高町弾。クラスこそ違ったが、秀と同じように燈静の友達である。
そして次に出てきたのは、弾より一回り小さい女子だった。
明るい茶髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、ちょっと垂れた茶色の目をこちらに向けてくる、パッと見でもスタイルが良いとわかる女子生徒。今日は特に髪を結んだりして無いようで、ストレートだった。
名前は陽月美沙。こちらもクラスは違ったが、友達である。
そして三番目に出てきた、秀ほどの身長の女子。
キラキラと光る金髪を腰よりも少し下までストレートに伸ばし、一見きつそうな青色の目でこっちを見ている女子生徒。肌も白く、日本人ではない事がわかる。
名前はリャーチ=リパート。またもやクラスが違う、燈静の友達である。
そして、最後に出てきたのは美沙よりも更に少し小さい身長の女子。
色素が抜けたような真っ白で、癖っ毛らしく所々ピョンピョンと跳ねてる、首までの長さの髪。そして、眠そうな目つきでこちらを見ている褐色肌の女子生徒。
名前はラビ=グラッソ。またまたクラスが違う、燈静の友達である。というよりも、秀以外はクラスが違うのである。
四人とも薄い青のブレザーを着ており、秀と同じく登校していたことがわかった。
それぞれ右手なり左手なり視線なりで、燈静に「久しぶり」と挨拶して、二人ずつに分かれて秀を真ん中にしてそれぞれ秀と同じように校門に寄りかかった。
「……相変わらず仲がいいですねー」
「そりゃ幼馴染だし?」
呆れた燈静に、秀はどこか誇らしげにそう言う。
燈静の記憶にある限り、この五人の幼馴染は集合すると同じような行動をとっていた。それが仲がいい、というだけの理由で片付けていいものかと思う。
何か、それ以上の何かがある気がしてならないのだが……ひとまず今は置いておく事にした。
「それで、弾さん達も生徒会の手伝いで?」
「そうよ。家にいたって暇なだけだしね」
「宿題も全部とっくに終わらせたしねー…」
「……ゲームも、やりつくした」
「かといってダラダラするのも性に合わないのよ」
「だから、今日の朝ヘルプ頼まれた俺についてきたって事」
「なるほど」
ひとまず、秀以外のメンバーもいる理由がわかった。要はただの暇つぶしであると。
ただ、そうすると一人ここにいる事が少し疑問であった。
それを燈静は特に気にする事無く口にした。
「弾さん役に立つんですか?」
「喧嘩売ってんのか」
「いやだって、弾さん……じっとしてるの苦手ですよね?」
そう言うと、弾は息を詰まらせ、言葉を探すようにあっちこっちに視線と飛ばし始めた。
その行動に秀達は苦笑を漏らし、代表して秀が答えを言った。
「まぁ、実際役に立ってねぇよ。つか、邪魔」
「えっ!?」
「無駄に図体でかいから、生徒会室が狭いんだよね…」
「ちょ、美沙!?」
「整理してた書類もばら撒いて、二度手間にしたしね」
「リャーさん!?」
「……邪魔」
「ラビぃ!?」
「ボロクソ言われすぎじゃないですかね、弾さん」
「俺自身びっくりだよ!」
四人から非難され、弾は頭を抱えてその場に蹲った。
哀れな姿だが、四人の弾を見る目は白けた目である為、燈静は苦笑するだけで何も言えない。
そうしてると、今度は美沙が話題を振ってきた。
「そういえば燈静君さ」
「はい?何ですか美沙さん」
いやさ。と前置いてから、
「転校……みたいなことするの?ほら、ここはもう無理なわけだし…」
言われて、そういえばと燈静は思い出した。
(僕、結果どうなったんでしょうか…?)
試験日から今日に至るまで、何一つ結果に関することは知らされていない。というか、刻ノ森に関することすら話題に出た記憶が無い。
もしかしたら、と最悪の予想が頭をよぎる燈静を不審に思ったのか、リャーチが目を心なしか吊り上げながら「燈静」と短く催促した。
催促された燈静は、少し慌てて視線を二度ほど左右に振り、
「まぁ、一応……刻ノ森の編入試験を受けまして、結果待ちです」
そう言った直後、空気が凍った。
蹲っていた弾も、燈静を目だけで催促させたリャーチも、今聞いた言葉が信じられないといったように思考と動きを止めていた。
それを溶かしたのは、秀だった。
「……冗談でも、なんでもなく?」
「冗談でもなんでもなく」
「あの金持ち高校?」
「はい」
その言葉で一瞬、五人は再び止まり、
『はぁ!?』
と、日本人の三人が大声で叫び、燈静に詰め寄った。
「は、ちょ、燈静お前!?何があったらそんな高校の編入試験なんぞ受けるんだよ!?」
「え、燈静君まさか私たちに遠慮とかして言ってる!?気にしなくていいんだよ、本当の事言ってもいいんだよ!」
「そうだぞ、燈静!どこも受けられないって言っても態度なんて変わるわけないんだぞ!!」
「皆失礼ですね!?」
駆け寄るなり失礼なことを言ってきた三人ともを殴ってやろうかと密かに燈静が思うと、
「……三人とも、これ」
いつの間にか燈静の背後に回っていたラビが、燈静のコートを軽くめくっていた。
最初は三人ともその行動の意味を首を傾げていただけだが、遅れてリャーチが燈静に近づき、「あ、執事服」と言うと三人とも『あー』と納得して離れた。
「執事服……お前、どっかのお嬢様にでも拾われたのか?」
「拾われたって表現はどうかと思うんですがね、秀さん。まぁ、あながち間違ってないんですけど」
「誰々?」
「十鳳カルラお嬢様ですよ」
「……十鳳…!?」
名前を聞いた途端、ラビの眠そうな目がカッと見開かれた。
それ程驚く事なのかと燈静は疑問であるが、秀達もおおよそラビと同じようなリアクションだった。
「マジかよおい。すっげぇ運だな、燈静…」
「僕自身も驚いてますよ…」
「そっかー…」
うんうんと秀が頷くと、四人もなるほどといった雰囲気を出し始めた。
「遠くなりそうだなぁ…」
「まぁ、執事になっちゃいましたからね…」
「だな……ま、メールなりが出来りゃいいさ。携帯あんだろ?新しいの」
「よくわかりましたね。えぇ、さっき買ったばっかりのが」
秀が制服から携帯を取り出すと、燈静も携帯を取り出し早速アドレスを交換した。
秀が終わると、美沙、弾、リャーチ、ラビと次々とアドレスを交換していき、からだった形態にいきなり五人の連絡先が入った。
そして、最後のラビのアドレス交換が終わると秀が「さて」と終わるを知らせるように手を叩いた。
「そんじゃ、ひとまずここでお別れだ」
「はい」
「俺らはいつでもここで待ってる。だからま、たまにゃ遊びに来い」
「はい!」
「そんじゃ……またな」
「またねー、燈静君っ」
「また遊ぼうや、燈静」
「また会いましょ、燈静」
「……また、ね」
それぞれ笑顔で別れを言い、それに燈静は笑顔で「また!」と言って背を向け、そのまま去っていった。
「……行ったか?」
「……見える範囲にはいないから、大丈夫」
「そっかー…」
燈静の姿が見えなくなった頃、校門前で秀達は軽くそんな会話を交わし、
『はぁぁぁぁぁぁぁぁ…』
一斉に、深い溜息をついた。
「燈静が、あの燈静が、あのトラブルメーカーじみた燈静が…!」
「よりによって、刻ノ森に行っちゃったかー……私達、仕事増えるなぁ…」
「仕事だからしょうがないんだけどね…」
秀、美沙、リャーチがそれぞれ愚痴をこぼすと、一緒に溜息をついていた弾とラビは薄く笑って、
「まぁ、でも……ここでの心労は減るよな」
「……そこは、喜ぼう?」
「かねー…」
そこでまた秀は溜息をつき、「あ」と小さく呟き、今さっき取り出していた携帯を開く。
そしてそのまま手の中で弄りながら、思い出すように空いてる手でこめかみにリズミカルにタンタンと叩く。
「どしたの、秀?」
「いや、なんか……刻ノ森の名前、どっかで見た気がしてな…」
「……燈静、じゃなくて?」
ラビの問いに、「そ。別の誰か」と短く返し、携帯のメールフォルダを開いた。
そして、『知り合い』と書かれたフォルダを開いた途端、「うわぁ」と困った声を出した。
その突然出された声に、四人とも驚き、何があったかと訊くと。
「……最悪な組合せ出来ちまったぁ…」
と、力の無い声でそう呟いた。
言葉の意味が理解しづらかったので、代表してリャーチが秀の携帯を取り上げ、表示された画面を見た。
瞬間、リャーチも秀と同じように「うわぁ」と声を漏らした。
「いや、二人がそうなるって何があったんよ…?」
「聞きたい?」
「その言い方に不安があるが……まぁ」
弾がそう言い、美沙とラビも頷くとリャーチは頭を抱えながら地面に座り込んでしまった秀に携帯を返しつつ、
「私たちの知り合いが、もう一人。刻ノ森に編入が決まってるのよ…」
「知り合い?……いや誰だよ」
そう訊かれるが、リャーチは答えずに秀に視線を送る。
頭を抱えながらも、その視線を受けた秀はゆっくりと顔を上げ、言った。
「……零司。大神零司。あいつも刻ノ森編入するんだとさ」
* * *
「しまった、話し過ぎた。というか、馬鹿やり過ぎた」
そう小さく呟きながら、燈静は人の多くなってきた道を早歩きで歩いていた。
ついさっき携帯で確認した時刻は14:03であり、気付かないうちに秀達と結構な時間話しこんでいたらしい。
高校から離れて少しした所で燈静の腹が鳴り、何時かを確認して驚いたのがさっき。
もう適当に道を歩いて、最初に見つけたファストフード店でお昼を買おうと思い、今歩いているのだが…。
(……まーた、懐かしい道歩いてるんだよなぁ、僕)
さっきから目に入る光景全てが記憶に新しく、そして懐かしい光景ばかりなのであった。
(バイトに行く時の光景だもんなぁ……学校も思いでいっぱいあるけど、バイト先も結構あるんだよな…)
そう思うと、働いていた時の記憶が蘇り、また寂しい気持ちが出てきた。
「………そういえば、バイトクビになってるかな」
無断欠席してかつ連絡がつかない。となると、クビになってる可能性は高い。
そう思うと、早歩きだった足が段々と鈍っていくのを燈静は感じた。
(この道行くのやだなぁ…)
道をこのまま行けば、バイトをしていた店に着く。着いてしまう。
(どうしよ…)
どうするか考えると、足はとうとう止まった。道行く通行人は立ち止まった燈静を怪訝な眼で見ていくが、燈静にはそんな事は気にならなかった。
今燈静の頭には、このまま行くか、それとも踵を返して別の道を行くか。それだけだった。
「ほんと、どうしよ…」
空を仰ぎ、そう呟く。
正直な所、行って事情を説明して謝りたい。謝りたいのだが……一つ、燈静の頭によぎる行きたくない事情。それが燈静を今葛藤させてる原因である。
(行ったら、死ぬ…!いやでも…!)
うんうんと唸り、悩み始める燈静。
そのまま、色々と傍から見ると面白い悩み方をした後、燈静は決めた。
「……行こう。行って、謝ろう」
* * *
そんなわけで、燈静が少し前まで働いていた店、「Pace della mente」へと、燈静はやってきた。
ただし、店の表ではなく、裏にだが。
「……こ、これは逃げじゃない。まだ店は普通にやってるから、普通に入ると迷惑がかかる。うん、それだけ。それだけ…!」
自分に言い聞かせるようにそうは言うが、結局は逃げているだけである。
結局の所、怖いのだ。責められる事が、怒られる事が、ではない。
拒絶される事が怖いのだ。
謝るとなれば、燈静は普通に店に入り、休んでいた事情を話すことになるだろう。
その時、どんな顔をされるかを想像すると、燈静の心は暗くなる。
恐らく、どんな事を思っても表面上は「大変だったね」とでも言うだろう。
なら、その奥は?心の奥ではどんな事を思っているかなど誰にも知る事は出来ない。
もしも、「近寄らないで欲しい」と思っていたら?
もしも、「もう二度と関わりたくない」と思っていたら?
もしも、そんな事をこれから先思われてしまったら、燈静は盛大に傷つくだろう。
だが、燈静はいや、と頭を振ってその最悪の想像を振り払おうとする。
この店の従業員はそんな事は考えない。そう燈静は思う。
しかし、一度最悪を想像してしまうと、思考はそっちへとどんどん引っ張られてしまう。
そうやって、店の裏口で一人悶々していると。
ガチャ、と店の裏口のドアが開き、大きく青いゴミ箱を持った男が一人出てきた。
男は片手でゴミ箱を持ちながら、「ったく、ちゃんと捨てろっての」とぼやきながらもそっとゴミが集められている所にゴミ箱を置いた。
ちょうどその場所は燈静に背中を見せるような位置であり、燈静の姿は見えていないようである。
(……やっばー)
そんな男の姿を見て、燈静は冷や汗が流れるのを感じた。
先程まで自分を沈ませていた考えなど、遥か遠くまで吹き飛び、代わりにどうやって逃げようかという考えが脳を占拠した。
そして、脳はすぐに決断を下した。今すぐここから逃げろと。
それに従い、燈静は後ろに一歩下がった。その時、靴を引きずるように下がってしまったので、ジャリ、と音が鳴ってしまった。
「ん?」
その音が聞こえたのか、男は後ろを見た。
そして、燈静と男の目が合った。
「…………」
男は目を見開き、今見ているものが信じられないといった表情で。
「…………」
燈静は、どうやって逃げようかと必死に考えながら、そのまま二人は一分ほど見詰め合っていた。
そして、時間が流れ、男が笑った。
「ははは…」
その笑い声は、聞く人皆を楽しい気持ちにさせるような、軽快な声であった。
だが、燈静にはその笑い声は死神の笑い声にしか聞こえなかった。
「はははははははは…」
笑いながら、男はユラリと体を揺らしつつ一歩を踏み出した。
「…っ!」
その瞬間、燈静は弾かれたように背中を見せ、走り出した。
「待て、や」ジャッと地面を擦るような音がし、「ゴラァァァァァァァ!!!!」叫び声と共に、ブン!と何かが振られたような音が立った。
燈静が何をしたと、意識をそちらへ傾けた瞬間……背中に硬球が当たったような痛みが走った。
「いっ…!?」
突然の鈍い痛みに、走り出してた体はバランスを崩してしまい、ケンケンでもするように足がもつれた。
「とっ、とっ、とぉっ!?」
燈静が必死に失ったバランスを取り戻していると、背中の方から、ダン!と強く地を蹴ったような音がした。
その音に猛烈に嫌な予感がした燈静は、思わず後ろを見てしまった。そして、後ろを向いている途中にダン!といましたばかりの音より一際強い音が聞こえた。
そして、後ろを向いたときに見えた光景は―――男が大きく飛び上がり、両足を揃えて蹴りだそうとしていた男の姿だった。
(あ。終わった)
そう思うと同時に、燈静の体は蹴られて吹き飛び、燈静は意識を飛ばした。
* * *
「う…」
気持ち悪い感触と共に、燈静は意識を取り戻した。
思考にべったりと糊でもつけられたような気色悪い感覚を感じながら、燈静はゆっくりと自分の周りを何となく見渡した。
瞬間、燈静は「っ!?」とその場で跳ねるほどに驚いた。
「え、は、何で!?」
意味がわからなかった。何故―――「Pace della mente」の店の中の一角に座らせられているのか。
混乱が極まりそうになったその時、正面から声がかけられた。
「久々の感想がそれか?」
呆れたような声。その声に、燈静は何となく、今自分がここにいる理由がわかった。
「……そりゃ、気絶させられた挙句この場所に連れてこられたら困りますよ?」
話しながら、燈静は体ごと目の前に座っている人物に向け、
「ねぇ?切さん」
先程、自分をドロップキックで気絶させた男にそう言った。
男―――切は、燈静の言葉を受け、ケラケラと笑った。
「いやぁ、悪い悪い。頭に血が上ってなー」
「上って、ドロップキックかますってどうなってるんですか」
「さあ?」
何でだろうなーと、自分でも分かってないようである為、燈静は溜息をついた。
「まぁ、んなこたぁどうだっていい」
よくない。そう言いたい燈静だったが、切が真面目な雰囲気を醸し出し始めたので、姿勢を正した。
それを確認して、切は話を切り出した。
「さて、訊くが。何で無断欠席した?」
「……黙秘で」
「次。何で連絡が取れなかった?」
「…………黙秘で」
「理由は?」
「………………」
最後の質問には、燈静は何も言わずに苦虫を潰したような顔になった。
「………あー、どーすっか」
その表情を見て、切は頭をガシガシとかき始めた。
その困ったような仕草に、燈静は耐え切れなくなって顔を俯けた。
「あー……んー…」
俯いた状態で聞こえる、困った声。燈静の隠してる事情を聞くかどうか迷っているのだろう。
(まぁ、でも……普通は聞きますよね…)
無断で休んだ事はともかく、連絡がつかなかったことに関しては切としては聞かなければいけない立場である。
だが、燈静からすればそれは答えられない。というのも、さっきの三つの質問の答えが全て繋がっているからである。
もし、最初の質問に「気分が最近まで優れなかった」と答えたとする。
すると、「なら何故連絡が取れない」という問題が出る。
「風邪を引いて喉をやられた。なので声が出せなかった」?メールで店に連絡するか、家族に代理で電話してもらえばいい。
「実は最後のバイト日の帰り道で、携帯を落としてしまい連絡を取れなかった」?交番に聞くか、携帯会社に頼むなりある。それに、家の電話を使えばいい話だ。
「連絡を取れない状態にあった」?どんな状態だ。
と、このように二つ目の質問で詰む。
だからといって、馬鹿正直に「親に借金背負わされて、その道の人から逃げてました」と言うわけには絶対にいかない。
言ったら最後、切が出てくるまで考えていた最悪の事が現実になりえない。
それだけは避けたい。だから、燈静は何とか誤魔化そうと必死に頭を回転させ―――
「―――っし、どうでもいい!!」
させ……ようとして、思考がエラーを起こした。
イマナンテイッタ?
「……あの、切さん今なんて」
「ん?どうでもいいって」
「何が…?」
「お前の隠してる事情」
「っ」
キョトンとした表情で言われたので、一瞬呆けてしまったが、すぐにテーブルを叩き、立ち上がった。
その音に、周りの客は視線をこちらにやっているが燈静は気付かずに叫んだ。
「ふざけてるんですか、貴方副店長でしょうが!」
「だから?」
「だからって…!普通、何も言わないとしても理由ぐらいは聞くでしょう!?」
「まぁ、普通はそうだわなぁ」
そう言って、からからと軽快に切は笑う。
そんな切に、燈静は頭に血が上っていくのを感じた。
そしてそのまま、怒鳴り散らそうとした。その時、切が笑いを引っ込め「でも、生憎と普通じゃねぇんでな?」と諭すように言った。
「は…?」
突如そんな事を言われても、燈静には理解が出来ない。そんな様子に、切は小さく笑い、成績の悪い教え子に教えるように、優しく言った。
「この店のスタンス……つーか、まぁ店の感じ?そこは普通じゃねぇだろ?」
「…………」
何も言わずに、燈静は頷いた。この店でバイトとはいえ働いていたわけであるから、当然知っている。
何も言わない燈静を見ても、切は笑いを崩さずに続けた。
「『Pace della mente』。まぁ、日本語に直すと『心の平和』なんて、かなり大げさになっちまうんだが……うちの店、料理だけじゃく、そういう平穏もお客様に提供したいっていつも店長言ってるだろ?」
「……えぇ、何度も聞かされましたからね。よく覚えていますよ」
だろ?と相槌を打ち、切は頷く。そして、笑みを崩し、燈静を睨んだ。
その睨みに、燈静は思わず仰け反ってしまったが、切は構わずに続けた。
「じゃあ、俺はそれをするだけだ。てめぇの話したくないことを、根掘り葉掘り聞いて、てめぇの心乱してちゃ、俺は実行できてねぇだろ。平穏を提供するなんて、お笑いになっちまう」
確かにそうなのだろう。燈静が話せば、嫌な事を話すので心は乱れる。
「俺は嫌だ。実行できない事も、てめぇの心を抉る事も。どっちもしたくねぇ。だから、聞きやしない。気にもしない。だからまぁ……話そう何ぞ考えなくていいし、無理すんな、燈静」
それを聞き、居心地悪く燈静は椅子に戻った。それを見ると、こちらに視線を送っていた他の客も視線を外した。
それに今更気付き、顔を赤くしながら燈静は切に向かってぼやく。その言葉と共に、空気は弛緩していった。
「……普段適当なくせに、こういう時はまともなんですね」
「どういう意味だコラ。反論はしないが」
「そこは普通反論する所じゃないんですかね?」
「自覚してんなら、反論の意味がねぇよ」
「それもそうなんですが…」
せめて一言くらい言えと、燈静は思うのだった。
(というか、自覚してたんですか…)
それなら、前からもっとちゃんとして欲しい事が沢山あった。オーダーして忘れられていた料理とか、店のど真ん中で関節技を決めないで欲しいとか、色々とだ。
まぁ、言った所で「知らん」と返されるのが落ちなのだろうが。
ともかく、問題は解決した。
なので、後は店から出るだけだ。色々と一気に襲い掛かってきたせいで、空腹は遥か遠くまで吹き飛んでいっているので、ここにいる理由も無い。
テーブルに手をつき、立とうとすると、切の手が伸びて燈静の手首を掴んだ。その行動は逃がさないと暗に言っていた。
それを感じながら、燈静は恐る恐る切へと質問を投げかける。
「……あの、切さん?」
「まぁまぁ、まだ話は終わってねぇぞ?」
「え」
目以外を笑わせ、そう言う。無理矢理笑おうとしているのだろうが、明らかに怒りは隠せていない表情になっていた。
それを見つつ、燈静は嫌な予感をビシビシと肌で感じていた。
「休んだ理由はさっき言った通り、聞かない」
燈静の手首を握っている手に力が込められた。微かに嫌な音がしたが、燈静はそんな事は気に出来なかった。
「だけどよぉ、連続無断欠席した事に関しちゃ…」
更に力が加えられ、やっと燈静は痛みを感じた。そして同時に、暴力の気配も感じた。
「俺は許す気はねぇよ?」
殴る蹴るなんていう、原始的な暴力ではない。もっと近代的で、よくいろんな場所で見られる、精神的部分が多い暴力。
「つー訳で罰だ。近々新メニューとか、期間限定で出そうと考えてるピザ五、パスタ五、デザート十。……ぜーんぶ、試食してもらおうかぁ?」
『数』の暴力。よってたかって殴る蹴るをくわえる場合もあれば、大人数で口論で攻め立てる場合もある。
しかし、今回は少し違う。
一人で、次々と出される、それなりに量の多い料理を全てたいらげろと切は言う。
それは相当な苦行である。例え燈静が食欲旺盛な高校生だとしても、パスタ五皿を食べた所で腹は完全に膨れるだろう。
だがそうなっても、切は怒りの混じった笑みを浮かべながら、次々と料理を出すだろう。そして恐らく、燈静が食べなければ、椅子に縛って無理矢理口に入れて完食させようとしてくるだろう。
そうなってしまえば、胃の中のもの全てを戻すか戻さないかになってしまうだろう。
流石に戻したものまで食べろとは切も言わないだろうが、戻せば燈静の精神が大きく削られる。それこそ三日くらい何も食べられないレベルで。
それだけは避けたい。だが、手首を万力のような力で握られているのでどうしようもない。
「は、はははははは…」
逃げられないことを悟った燈静は、最早笑うしかなかった。
* * *
それから大体四十分が経った。
「……吐く…っ!」
気を抜けば込み上げそうになる異物を、どうにか中に押し留めながら燈静はフォークをピザに突き刺し、テーブルに突っ伏しながら唸った。
燈静が突っ伏したテーブルの端には、船のような皿が五つ、普通の大皿より大きい皿が四枚、汚れながら重ねられていた。
それは、今まで燈静が食べてきた料理の皿だった。パスタ五皿にピザ四皿。これでもか、というほどに次々と出てきた料理を、燈静は出る側からやけになって全て平らげていった。
パスタを全て平らげる頃には、腹は満腹に近い状況になっても。
三皿目のピザで胃の中のものを全て戻しそうになっても、燈静は今まで黙々と食べ続けていた。
それを、ずっと燈静の目の前で見ていた切は多少驚きながらも、容赦なく、わざと多めに料理を盛って、持って来たりしていたが。
まぁ、ともかく。
五皿目のピザで燈静は限界の限界を迎えた。これ以上胃に物を入れれば、一瞬で吐くほどの限界である。
「うぶ…」
フォークを持っていないほうの手で口を抑えると、切が小さく笑い「無理すんなー」と声をかける。
だが、もういいやとは言わないので、燈静は無理はせずとも食べなければいけない。
(食べなきゃ……殺される…!)
この店の従業員全ての共通の認識の一つに、『高垣切は怒らせてはいけない』というのがある。
これは、バイトだろうと正社員だろうと、一番最初に教えられる事である。
燈静が最初にバイトに入り、先輩から教えられたのも、やはりこれであった。
その時はエピソード付きで教えられたのだが……そのエピソードが恐ろしかった。
ここを蹴落とそうとしてクレームをつけた客を血祭りに上げたとか、食い逃げをしようとした客の精神を壊したとか。とにかく、聞くだけでゾッとするようなものばかりだった。
なので、普段は怒らせないように皆、気を張っていたりする。……まぁ、万が一怒らせてしまっても、すぐに謝れば関節技をかけられるだけで済むのだが。
とはいえ、今回はそれは無理な話である。
(笑ってるからなぁ、切さん…)
水を飲みながら、燈静は泣きたくなった。
ここまで怒るとは思っていなかったし、ここまでの拷問をしてくるとは思ってもいなかったからである。
まぁ、怒らせてしまったことはしょうがないので頑張ろうとは思うのだが。
「……無理ぃ」
「ピザ半分残ってるぞー」
「ギブアップしたいです」
「却下」
「真面目に勘弁してください…!」
「デザートは減らしてやるから、さっさとしろ」
「鬼…!」
「倍がよろしいか?」
「ごめんなさい」
時々、そんな会話をしつつ、ゆっくりと確実に燈静は残りのピザを胃に収めていく。
そして、ピザが後四分の一になった所で。
「……切さん、すいませんが」
「あん?」
従業員が一人、二人のいるテーブルに近づき切を呼んだ。
呼ばれた切は、顔だけを向けて何だと態度で言う。
「後どれくらいで、ここ空けられます…?」
「このペースだと、一時間はかかるんじゃね?」
「うぶ」
聞いてる間にも、燈静が吐きそうになったのか口を押さえ、それを従業員は苦笑で見た。
「そうですか……なら、相席いいですか?」
「……まだ、客途切れないのか…?」
その言葉はどうなんだと思いながら、燈静はここ一時間近く見ていなかった店内を、見渡した。
見渡した店内は、空いている席が無いほどに人がいた。
いつの間にこんなにいたのか、食べる事だけに集中していた燈静は知らない。
バイトしていた頃、こんな時間に客がいっぱいいる事は記憶に無かった。
異常なことに、首を傾げていると切達は会話を続けていた。
「まぁ、俺らは別にいいんだが……客の方はいいって言ってるのか?」
「言ってなければ、言いませんて」
「それもそうか」
「それじゃあ、案内してきます」
「おー」
切が手を振って、従業員が客を案内するべく入り口に駆けて行くと、切は立ち上がって燈静の隣へと移動した。
「うぇ…。別に、裏で食べさせてくれても良かったんじゃないですか…?」
「あー、それは俺が自分でストップかけられるようにここ選んだ。お前が自分の顔の輪郭おかしくなりたいなら、裏行ってもいいぞ?」
「ここでお願いします」
何となく振った話題が、予想以上の怖さだったので、燈静は黙々と食べる事を決めた。これ以上話題を振ると、何かがまずいと本能が警告していた。
そんなわけで、少しずつピザを口に運んでいると、複数の声が近づいてきた。
「何で、こんな時間にお前は昼飯食いたいのかねぇ。おやつじゃねぇんだぞ」
「しょうがないだろう。お昼食べないで出かけたんだから」
「そもそも、穂波が昼前に起きた事が原因だと、あたしは思うんだけどねぇ」
「姐さんの言う通りだよなぁ。五時くらいまでお前、どうせゲームやってたんだろ」
「うるさい」
「図星かい」
「…………」
ピザを口に運ぼうとしていた手が空中で止まった。
(……つい最近聞いた声がするなぁ)
それも、若干自分の中でトラウマを残した人の声が、だ。
(あ、会いたくない…!)
あっちがどう思ってるかは知らないが、こっちは会ったら感情がごちゃごちゃになって気まづくなることを確信していた。
だが、燈静の思いとは裏腹に従業員に連れられ、三人の男女が姿を現した。
最初に燈静の視界に入ったのは、少しくすんだ金髪だった。
一昨日剣道場で見た女子生徒。三虎穂波であった。
二番目に見えたのは、燈静が知らない女性だった。
背は燈静とそれ程変わらない。髪を染める事に失敗したのかどうかわらかないが、頭頂部のあたりが黒く、後は金髪……言ってしまえばプリンのようなショートカットの目つきのきつめの女性。
そして、最後に燈静が見たのは。
(……ですよね)
その男を見て、燈静は内心で溜息を吐く。最初から分かっていた事ではあるが、予想が外れてくれなくてがっかりする。
燈静ががっかりしていると、男もちょうど燈静を視界に収めたところだった。
「……あ」
まさかといった風に、目を軽く開く男。
その男へ、燈静は自分から先に、嫌な顔で話しかけた。
「先日はどーも、大神さん」
男―――大神零司は、燈静の言葉に薄く笑った。




