スケルトンの存在感
俺の体はスケルトンであった。透明ではなくスケルトンなのだ。
その理由は、透明人間というのは完全に見えない存在である。
しかし、スケルトンは体の皮膚が見えないだけであり、筋肉や臓器などの組織は見える。簡単に言えば人体模型状態だ。
そんなわけで、スケルトンな体である俺は透明人間よりも不便な生活を送っていた。
小学生からは人体模型が動いていると恐れられ、中学生からは化け物だと罵倒されるのだ。
しかし、高校生にもなればそんな風に差別的な考えをする者も少ない。高校で俺は逆に個性がある目立つ存在となっていた。
そんなある日、俺の体質を聞きつけた学者たちがスケルトンを戻せるかもしれないと言ってきた。
いくら周りが受け入れているとはいえ見た目は普通であった方が良い。おそらく友人たちも口では個性があっていいと言っているが内心は気味悪がっているハズだ。
俺は、学者たちの提案を受けた。
そして、生まれてから数十年悩まされ続けたスケルトンはあっという間になくなった。
手術費も俺の体を調査することによる謝礼金で払うことができた。
今日は、スケルトンでなくなってから初めての登校だった。
「よお、おはよう」
「え? 誰だ……」
「ほら、スケルトンだった奴だよ」
「ああ、お前か。……何か普通になったな」
「普通? どういうことだ?」
「そのままの意味さ。スケルトンだった時の方が印象に残りやすかった」
友人は立ち去ってしまう。
その後も他の友人に話しかけてみたが皆、俺に関心がなくなってしまったかのような反応を示すのだ。
どうやら俺はスケルトンな方が存在感があるようだった。
お読みいただきありがとうございます。
「スケルトンな方が存在感があった」というのをやりたくて書いた作品です。しかし、スケルトンより透明な方がよかった気がしないでもないです。
「透明人間」という作品はよくあるので「スケルトン人間」という題材で書いてみました。




