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十二精霊物語  作者: 山崎 空
9/11

09.解放



 熱い、と感じた。

 アルバの指が触れた場所が、確かな熱をもっていく。彼女の血を媒介にして、新たな魔力が流れ込もうとしている、予兆。


 いつのまにか、いつかと同じようにエプルは暗闇の中にいた。上も下も、右も左も真っ暗で、地面も空もない。

 そこは人形の中だった。

 見下ろした体は、足の先から腰の辺りまで不自然に黒く染まっている。まるでこの場の闇が、彼の体にうつったよう。

 これは侵食だ。緩やかに消失へと導く侵食。エプルの意思や力を絡めとる、酷くおぞましいもの。

 腰の辺りまでということは、既に彼の半分は闇に飲み込まれている。

 いったいこれに、どれ程の力と記憶を取られたというのか。前回は無気力のまま気がつかなかったそれに、今回は明確な怒りを覚える。


 いつも覗いていた二つの光が、遠くに見える。この暗闇を照らすには到底たりない小さな光だ。

 それでも、エプルは不安を感じなかった。

 自分の存在がどれほどこの人形に、このおぞましい闇に飲み込まれていたのか今は残酷なほどはっきりと分かる。

 ひとりなら絶望していたかもしれない。


 けれどこの暗闇のうちのどこかに、アルバの存在を感じた。

 優しくて力強い、覚えのある清涼な魔力は、ゆっくりではあるが確実にこの場に広がりつつあった。

 彼女の力が、確かに流れ込んでいる証。


 とても温かく、安心する。こんな暗闇の中ですら。

 だからこそこの暗闇に屈せずにいられる。自分自身を、しっかりと保っていられる。侵食がこれ以上進まぬよう、はねつけられる。

 アルバの力は、既にエプルの力だ。


 外部から流れ込んでくる力に呼応してか、闇はざわついていた。まるで幾百もの虫が警告の音を鳴らしさざめくようで、得体の知れない生き物が不快感にうごめくようでもあった。

 エプルは、アルバの存在を強く感じる方へと歩き出そうとした。

 しかし三歩も行かないうちに、ジャラリと何かが不快な音をたてた。

 自分の腕を見下ろすと、鈍色の鎖がはめられていた。鎖の先は、暗闇の奥にかき消えてしまって見えない。


『ああ』


 先ほどまで目に見えなかったそれが明確に姿を現したということは、それだけこの闇が脅かされているという事実。


 これが自分を捕まえるもの。

 なんて禍々しいのか。


 鎖を引っ張ると、その分だけ鎖は不快な音をたててのびた。根本は変わらず見えず、けれどそれを確かめたいとは思わない。

 エプルは視線を前方に戻した。

 鎖がのびるなら歩ける。音は不快だが我慢できる。こんなものに捕らわれたまま動かないなど、論外だ。


 アルバの事を思い浮かべながら、彼は歩みを進めた。引きつった顔、呆れた顔、青ざめた顔、怒った顔、心配した顔、そして――満面の笑顔。

 他の表情は何度も見たのに、笑顔だけは少ない。半ば脅すように協力を取り付けた身としては当然の事かもしれないけれど、少し寂しいと思った。

 できれば、アルバの笑顔をもっとみたい。彼女が笑ってくれれば、エプルも嬉しい。

 すべてが終わった後のお礼は、アルバが笑ってくれるものがいい。

 そう思った。


 どのぐらい歩いただろうか。

 時間などこの空間に意味はない事を、エプルは知っていた。

 今やこの暗闇のざわめきは酷いものになっている。それはこの場の崩壊を、怯えるようでもある。


 前方に、小さな光が見えた。

 外を覗きこめた穴から入ってくる光よりも強く、ほんのわずかなものだったそれは、徐々に大きくなり、この闇に光の亀裂を広げていく。

 もう、出口はすぐそこだ。

 それに向かって走り出そうとして、両腕が強く後ろに引っ張られた。

 鎖だ。

 まるで悪あがきでもするように、鎖が彼の行動を阻んでいた。


『あと、少しなのに』


 あと少し歩けば、そこに彼女がいる。

 この暗闇から抜け出せる。

 けれども鎖は、もうのびない。

 あとほんの少しの距離。光の亀裂は、もう目の前だ。

 どうすればいい? どうすれば、自分の力を封じるこの鎖を壊すことができる?


『………アルバ』

 

 無意識にその名前を呼んだ。


『何?』


 返事が、返ってきた。


『えっ!』

『何してるのよエプル』


 声は遠くから聞こえてくるようで、実際はすぐ近くで響いた。

 目前だった光の亀裂は、さらに闇を引き裂き、エプルが立ち尽くしていた辺りをも白く染めていた。

 そんな中、すぐ目の前に、当たり前のように立っている少女がいる。

 人形のままでは見上げるしかなかった、その姿。

 もう確認するまでもなかった。


『アルバ? どうして?』

『力は上手く送り込めたわ。自画自賛するくらい完璧よ。もう出口は用意してある。後はここから出るだけ』


 迎えに来たのよ。とアルバは言った。


『そんなことできるの?』

『できたから。できるんじゃない?』


 この場にそぐわないほど明るい声が響く。

 アルバは、エプルに向かって手を差し出した。


『行こう』


 鎖につながれてこれ以上動かなかった腕が、自然と前に伸びた。

 鎖は、光に寝食されるように見る間に錆びて、たやすく壊れた。

 アルバの温かい手を、強く握る。

 エプルは一度だけ後ろをふりかえり、そして二度とふりかえらなかった。

 


   *



 その場所に、一際まばゆい光の柱があがった。

 アルバは思わず人形から手を放した。

 背中をアルバの血で染めた人形は、何の抵抗をすることもなく泉の底に、地面の上にぽすりと落ちた。

 それはもう動くことも話すこともない、ただの人形。中にはもう誰もいない。誰も、捕らわれていない。

 光の泉に、アルバが初めて見る顔の人物が一人。光の柱の消失と共に姿を現した彼は、青年と呼ぶにはどこか幼い顔。けれど高い身長と思慮を秘めた鋭い目は、少年ともいいがたい。

 銀糸の髪に、深い緑色の瞳。どこか近寄りがたい雰囲気。

 人のような姿だが、人ではない。

 その証拠に、彼は宙に浮いてアルバを見下ろしていた。


「……エプル」


 話し口調から想像していたのとは、少し違っていた。正直にいえばもっと柔和な顔をしているのかと思った。

 それでも、目の前にいたのはエプルだ。


「アルバ」


 エプルは泣き笑いのような表情を浮かべて、今度は自分からアルバに向かって手を差し出した。そうすると近寄りがたい空気は一変して、柔らかくなる。

 彼はどうやらとても表情豊からしい。鋭い目も表情が変わるだけで親しみやすくなった。その辺は想像通りかと、アルバは少し笑った。


 その手に素直につかまってその場に立ち上がる。

 体にほんの少しの脱力感はあったものの、少しだけ足元がぐらついた以外は普通に立つことができた。


「……初めまして?」


 アルバはおどけたように言った。


「初めまして」


 エプルも同じように返した。

 そうしてひとしきり笑いあうと、彼は彼女を力強く抱きしめた。彼女も同じ分だけ彼を抱きしめた。

 何も言わなくてもわかる。エプルとアルバの間には、確かに見えない絆が芽生えていた。

 幻想的な光の泉に、その光をまとう精霊の青年と少女。まるで物語の中のような美しい光景は、本人たちにはわからぬこと。


「ありがとう」


 表しきれない感謝が込められたその言葉は、全ての終わりを告げるのにふさわしい言葉になった。




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