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十二精霊物語  作者: 山崎 空
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05.変化


 まるで何も見えない坂道を滑り落ちるようだ。

 それは一瞬の出来事だった。

 エプルは瞬きをするような短い時間自分を見失い、そしてすぐに取り戻した。それから、自分自身の瞼を上に押し上げた。


 彼は何かの入れ物の中にいた。この場の気は酷く淀んでいて、暗く、重い気分になる。清浄なものを好む精霊とは相反する場所だ。とても長くいたいところではない。


 真っ暗なその場所の中で、たった二つだけ光が見えた。

 丸い光だった。

 エプルは光に近づいた。

 そうすると、その光はいつの間にか彼自身の視線になった。

 光だと感じたのは入れ物の外の景色。

 ぐらりぐらりと視界が揺れるのは、入れ物が揺れているからだろう。

 どうして?


「エプルっ」


 声が聞こえた。

 全く知らないような、けれど知っている声だ。

 誰の声?

 答えはすぐにわかった。


 声の主は、こちらを覗き込むように見下ろしているまだ年若い人間の少女だ。

 その体から感じるあふれんばかりの魔力は、ひどく優しいくせに、力強い。精霊たるエプルを無条件で惹きつける、とても好ましい魔力だ。

 彼女は誰? 誰、だった?

 まるで霞がかかったような意識を、いよいよおかしいと思う。知っている、自分は彼女が誰か、知っている。

 そう強く思った途端、霧が晴れるように記憶が戻って。


「ちょっと、返事をしなさいよエプルっ。一体急にどうしたの?」

「…………やぁ、アルバ」


 少し疲れたように、彼はそう答えた。



 元の役割を思い出したように、アルバの膝の上で動かなくなった人形は、彼女の何度目かの呼びかけにようやく答えた。


「良かった………」


 ほっとして、無意識にそうつぶやいていた。

 何が良いのだろう?


「本当に、良かった」


 わけもわからずもう一度アルバはそう言った。


「僕、今どうしたのかな?」

「知らないわ。ただ、急に動かなくなって、話さなくなっただけ…。まるでただの人形みたいに」

「……そうかぁ……うん、今は大丈夫。もう、大丈夫」


 ちっとも大丈夫そうじゃない、疲れた声で人形はそう言った。


「アルバ。エプル様を、ちょっとこっちによこしてちょうだい」


 ミラはそう言うと、アルバの手から人形を受け取って、目の前まで持ち上げた。

 しばらく右へ左へと視線を動かし、ぐるりと人形を一通り見回した。


「何かわかるの叔母さん?」

「……見た感じは普通の人形だね。エプル様、この人形の服を脱がしてみても良いでしょうかね? わたしは癒し手のなりそこないですが、もしかしたら何かわかるかも知れません。姉さんと同じように、先代から知識だけは受け継ぎましたから……」

「かまわないよ」


 彼の許可を取ると、ミラは人形を膝の上に乗せ服の襟紐とボタンを丁寧に外した。

 空色のワンピースを半ばまで脱がすと、人形の体をくるりとミラはひっくり返した。

 くるくると動いていた視線が、ぴたりとある一箇所で止まる。

 その背中を見て、ミラは眉をひそめた。


「……………これは」

「…何か見つかったの?」


 アルバは身を乗り出して、人形の背中を覗き込んだ。


「………何これ…」


 最初、それはただのしみに見えた。

 人形の背中の、ちょうど中央にある黒ずんだ小さなしみ。

 よく目を凝らしてみると、そのしみが丸い形をしているのが分かった。綺麗な円を描いているそのしみの中央に、同じように黒い模様。


「………違う、しみじゃないわ」


 はっきりとした形を見てとって、アルバはつぶやいた。

 それはごくごく小さな魔方陣だった。

 丸い円の中に六芒星。その円をぐるりと囲むように細かな文字が、まるで焼印のようにはっきりと書かれていた。


「これ、何?」


 なぜだかあまりいいものには見えなかった。直感的に、アルバはそう感じた。


「…………やれやれ。なんてこったい。こんな物が、まだ残っていたなんて…」

「一体、何を見つけたの?」


 人形は不安そうに自分の後ろへ声をかけた。


「…………原因が、わかりましたよ」


 ミラは苦い顔のままそう言うと、人形の服を元通りに着せなおした。

 その魔方陣だけで、全てが分かったようだ。


「え?」


 まさか本当に分かるとは思っていなかったのか、人形は驚いたように声を上げた。


「叔母さん、その印に一体どんな意味があるの? あまり、いいものには見えないんだけど」

「あんたは昔から勘がよかったねアルバ。そうだよ。これはけっしていいものなんかじゃない。これはね…」


 小さな背中に、そっとミラは手をおいた。


「これは、精霊をこの人形の中に閉じ込めるための呪いの印さ…。遠い過去の遺物だよ」


 昔。この島に国ができるよりも昔。

 精霊を捕まえて、自分たちの意のままに操ろうとした集団がいた。

 そのために用いたのが、呪いをその身に刻まれた人形たち。人間には何の害もない普通の人形だが、精霊が触れると、たちまちその内側に精霊を封じ込めてしまう。

 閉じ込められた精霊は、月の満ち欠けのようにゆっくりと自我を奪われ、やがてただの木偶とかす。

 術者の言いなりに力を使う、文字通り人形になる。

 今現在アルバたちが問題にする人形が、まさしくそれだった。


「やがて、力を使い果たした精霊は、人形に囚われたまま命を落とすそうだよ……。ずっと昔に全て処分されたと先代から受け継いだ書物には書いてあったんだけどね…。まだ残ってるなんて」


 ミラは信じられないように語ったが、誰よりも信じられないのは閉じ込められた精霊本人だった。


「そんなっ」


 声を震わせ人形は叫んだ。


「じゃあ、なんだか記憶がとんでいるのはそのせい? 僕は、僕はもう消えちゃうの?」

「エプル……」


 人形はミラの膝の上から飛び降りると、首を勢いよく左右に振った。

 誰だって、自分が消えてしまうと聞けば取り乱すだろう。それも自然の理に沿うわけではなく、悪意あるものの故意によってだ。

 とても納得できる事ではないのは、精霊も同じ事。


「いいえ。いいえエプル様。まだ貴方は自我を保ってらっしゃいます。使い手の術者がいないかぎりは、貴方が消え去ることはありません………それに、その人形から抜け出す手立てがないわけではないのです」

「え?」

「わたし達癒し手の一族にその人形の事が伝えられているのは、その呪いから精霊を開放する手立てを知っていたからです。その方法も、わたしは受け継ぎました。………ただ」


 言いにくそうにミラは目を伏せた。


「それを実行にうつせるだけの力をもった、正当なる癒し手はもう、いないのです……」


 三年も前に、途絶えてしまった唯一の手立て。

 人形は、飾りのような五本の指をぎこちなく握りしめた。相当強い力をこめているのか、両腕はカタカタと震えていた。

 そのままの状態で立ちつくしていた人形は、しばらくしてから、ふと全身から力を抜いた。その場にうずくまるように座り込むと、その姿は一層小さくなる。


「わたしが受け継いだのは、ほぼ知識だけなんですよ…。姉さんほどの高い魔力があれば、こんな老いぼれでも役に立てたのですが……」

「………叔母さん」


 今まで黙っていたアルバが、そっと口を開いた。


「その方法は? どうすれば、エプルをこの人形から開放できるの?」

「え?」

「…………アルバ?」


 ミラと人形の声が重なった。


「だって、やってもみないで諦めるって私嫌なの。不可能かどうかは、やってみないとわからないじゃない」


 床の上に座り込んだ人形をアルバは抱き上げた。


「叔母さんができないなら私がやるわ。だって、エプルは言ったでしょ? 私に精霊医特有の魔力を感じたって。そんな事自分じゃ良く分からないけど、もしかしたら少ない力でもその方法を実行できるかもしれないわ」

「癒し手の力を……そうかい、じゃあ姉さんの言ってたことは本当だったんだね」


 ミラは目を細めてアルバを見た。


「………え? 叔母さん、それってどういうこと?」

「姉さんは次の癒し手を見出さなかった。だけどね、アルバ。姉さんが生前に一度だけわたしに言ったんだ。もしも癒し手を私の代で途絶えさせなければ、次の癒し手はアルバになるだろうって。でも、あの子には余計なものに縛られず好きなように生きてもらいたいから、癒し手は私の代で必ず終わらせようって」


 好きなようにしなさい。

 好きな事を求めなさい。

 それがきっと、お前を将来導くものになる。

 何度も繰りかえされた言葉。込められた思いと優しさ。

 お祖母ちゃん、貴女は。


「………こんなにも、私を愛してくれたのね」

「わたしはその時その言葉が信じられなかったよ。だって当時のあんたからは、癒し手になれるほどの魔力は感じなかった。正直今もそうだよ。でも考えてみれば、わたしにはわかるはずがないんだ。癒し手を継げなかったものには、次代の癒し手を見出す力はないからね」


 自分も、先代の癒し手に見出されるまで魔力を感じる事などできなかったとミラは話した。

 自分にそんな魔力があることすら分からなかった。


「………最初に言っておくけれど、先代の癒し手に何も教わってないあんたには限りなく不可能に近い事だ。なにせ、まだ力の存在を感じる事もできなければ、どれぐらいの力を持っているかもわからない」


 自分の力の存在がわからなければ、それをコントロールすることもできない。

 それはとても危険な事だ。


「力のコントロールができなかったわたしには、それを教える事はできないんだ。そもそも感じられない力を制御する事は難しい。………それでもあんたは、試したいとそう言うんだね?」

「…………」


 返事はすぐに返せなかった。

 遠まわしに、命を落とす危険があるとミラは言う。

 アルバは抱き上げた人形を見た。

 人形は、先ほどからずっと彼女を見上げていた。

 一言も話さないで、視線をそらすこともなく。


「やるわ」


 人形をいっそう強く抱きしめた。


「……アルバ……」


 小さく彼は名前を呼んだ。


「………言ったじゃない。きっと何とかなるわよ」


 人形に話しながら、アルバは自分自身にむかってそう言った。

 怖気づいていたら、何も始まらない。

 上手くいく事も、上手くいかなくなる。

 最初はあんなに厄介だと思っていたこの人形の存在が、今はかけがえのないものに見えた。

 失われてはいけない存在だと感じた。

 それが全てだ。

 助けを求められたのは自分。

 だから最後まで付き合おう。


「なんとかするわ」


 もう一度アルバはそう言った。



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