「幽霊が見えるんですのよ」と、後宮の黒猫が空を仰いだら
「私、幽霊が見えるんですのよ」
夏の暑い盛り。
場所は後宮の一角。
庭園を流れる小川のせせらぎと風鈴の音色が交じる中、上級妃猫鈴はそう言った。
「そう」
四阿の日陰の下で対面に座るは、同じく上級妃美華。
ただ猫鈴の話題に関心が無い様子で、素っ気なく返して冷たい茶に口付けた。
「わざわざ人を誘って何の話かと思えば。くだらない。用がそんなことなら帰らせてもらうわ」
「まあそう邪険にしないでくださいな美華様。お茶を飲み終わるまでくらいの時間をちょうだいしてもバチは当たらないでしょう?」
「私は忙しいの。一分一秒あれば身綺麗にしていたいのよ。わからないでしょうね、陛下の寵愛を賜ったことのない貴方には」
「クフフ、それは仕方のないことですわ。美華様もご存知のとおり、私は所詮後釜。先の上級妃であらせられた麗雪様の席に就いただけの新参者ですもの」
と、猫鈴は口元を隠しながら笑った。
「分は若輩なりに弁えているつもりですわ。陛下がまだ青い実をご所望ならいざ知らず、熟れた実は今のうちに味わわねば、食べ頃が過ぎて腐ってしまいますもの」
「なんですって?」
ギロリ、美華が眉間に皺を寄せ凄むが、向けられた威圧はどこ吹く風。
黒い髪の少女は涼しい顔で受け流した。
「そんな怖い顔をなさらないで。まるで悪鬼に取り憑かれたようですわよ。……ああ、話が逸れてしまいましたわね。では初めから。私、幽霊が見えるんですの」
「妄言に興味は無いわ」
「信じられないのも当然でしょう。まあ話の種にでも聴いていってくださいませ。何も怪しげな術や呪いの類ではございません。鳥が誰に教わるわけでもなく空を飛べるようにように、萌えた緑が花を咲かせるように、私が霊をこの目に映すことも、それらと同じように自然の摂理なのです」
「そう言うわりには、些か超常的な話ね」
「クフフ、たしかに。こんな話、今まで誰一人として信じた者はいませんでしたもの」
猫鈴は親や友人の一切が気味悪がった、と付け加えた。
それからテーブルの上の茶菓子を一つつまみ上げ、小さな口で一齧り。
「あら、おいしい。美華様もお一つ如何ですか?」
「結構よ」
「お饅頭はお嫌いでしたか」
それは残念、と少女は饅頭をもう一口。
舌の上の甘さを茶で流し込み、再度話を始めた。
「さて、この幽霊というのが数が多いこと。特に此岸と彼岸が近くなるこの夏の盛りは。そこにいるだけで害は無いのですが、これが如何せん厄介なのです。なんせ私に見える幽霊は全て、この世に未練を残した、所謂悪霊や怨霊と呼ばれる類のものでして。一人や二人なら、ああまたか……で済ませられるところ、それが十や二十と集まれば、まあ居心地が悪いというか気分が悪いというか」
幽霊は言葉を発さない。
何かに触れられるわけでも、取り憑かれるわけでもない。
しかし怨みに彩られた負の表情は、見ているだけで気が重くなるのだと、猫鈴は憂鬱そうに言う。
「子どもの頃は怖くて大泣きしたこともありましたが、あるとき気付いたのです。彼らもかつては同じ生者。恨みつらみを残しては死んでも死にきれない。なので私は彼らを冥界に導く手伝いをすることに致しましたの」
「冥界に導く? 経でも読むというの?」
「まあ、クフフ。美華様は冗談が御上手ですわね。それで祓える幽霊なら、私は意に介しませんことよ。頭にお花畑とは、本当に羨ましいこと」
猫鈴の揶揄った態度に憤り、美華は立ち上がるなり手元の茶を彼女へとぶち撒けた。
「いきがるんじゃないわよ!! たかが片田舎の貧乏貴族の娘が!! 私を誰だと思っているの?! 大陸を席巻する大商会の末娘である私に、いったい何なのその口の利き方は!! 同じ上級妃だからと対等なつもり?!」
「……クフ、クフフ。まさかまさか。同じと思われては困ります。言ったでしょう? 分を弁えている、と」
濡れた髪を拭きながら、その金色の目は対面の美女を見据えた。
「冥界に導くというのはつまり、未練を断ち切るということ。さすがにこの世に遍く全員をというわけにはまいりませんが、この手が届く範囲、私に出来る範疇ならば、彼らの無念を晴らすために尽力してきました」
猫鈴は茶で濡れた顔で微笑んだ。
「端的に、復讐です」
「復讐……?」
「人を貶め、苦しめ、失意の底に落とした者への報復ですわ。恥には恥を。辛苦には辛苦を。死には死を。簡単な話でしょう? クフフ」
そこまで聴いて初めて、美華の額に冷たい汗が滲んだ。
「そ、そんなことをして、あなたに何の得が……だいたい、なんでそんな話を私に……」
「先の問いの答えは言わずもがなただの偽善。後の問いの答えは、言わなければわかりませんか?」
スッ……と細い指が彼女の背後を指す。
「ずっと睨みつけておりますわよ。美華様の後ろで。恨めしい顔をした麗雪様が」
「ひっ?!!」
よろけた美華は、腰掛けを倒して背後に目を向ける。
が、彼女の目には何も映らない。
「不慮の事故だったそうですわね。階段で足を滑らせた麗雪様が、打ち所悪く亡くなったのは」
「な、何を……」
「美しく、最も皇帝陛下の寵愛を受け、正妃に一番近く、また他の妃たちにも慕われていた麗雪様。その分妬み嫉みも多く受けていた。まさかそれで本当に殺されることになるとは、本人も思わなかったでしょうが。ねぇ美華様、差し支えなければ教えてくださいな。あなたはどういう気持ちで、麗雪様を突き飛ばしたのか」
「ち、違……私は、何も……」
誤魔化しは通用しませんよ。
指差し数える猫鈴はまた微笑んだ。
「一、二、三……一人に対して恨みつらみを抱く幽霊がこんなに多いのも珍しいこと。相当人には言えないことをしたのですね。愛玩代わりに使った宦官、気の発散に甚振った侍女、そちらの女性二人はお姉様ですか? 自分より可愛がられる姉たちさえも嫉妬の対象だなんて、悍ましいよりも浅ましさが勝ちますわね」
自身しか知りようのない秘密。
誰しもを欺き隠し通してきたそれらが容易く暴かれていく。
幽霊に……否、それ以上に目の前の少女に慄えた。
これはいったい何なのだ――――――――
「わた、私を……どうする、つもりなの……」
「言ったでしょう? 恥には恥を。辛苦には辛苦を。死には死を。美華様には彼女たちが味わった苦痛と屈辱を味わっていただきます」
「わ、私は上級妃よ!! そんなことをすれば、あなただってただじゃ……」
「同じ上級妃と思われては困ります。言ったでしょう…………はぁ、お喋り鳥でもあるまいし、何度同じことを言わせれば気が済むのです? だいたい……いったい何故、たかが地方の貧乏貴族の娘でしかない、経歴も技量も愛嬌も無い私が、幾十幾百という妃たちを押し退けて上級妃に召し抱えられたとお思いですか?」
誇らしげに、或いは自虐的に、猫鈴は言う。
「私なんかを選んだ好事家がいるからです。死者の復讐の代行を、公務として定めた方が」
この国で最も尊く、また権威ある好事家は、今まで誰一人として信じなかった少女の物言いに一言、おもしろいと手を伸ばした。
「その目を私のために使え。さすれば地位と望むだけの自由を与えよう。たかが一人の娘にかの御方が直接授けた言葉です。誰にも褒められない。認められない。信じられない。やりたいからやっているだけの私に、大義名分を与えてくれた。他の妃とは少し違うという意味がおわかりになりまして? 閨を共にするでなく、機嫌を取るわけでもない。美華様……あなたのような罪人を白日の下に晒すことなく断罪する。そうしてこの後宮の治安と安寧を保つのが私の役目なのです」
リン……と風鈴の音が鳴る。
「だ、誰か!! 誰かいないの!! 誰か!!」
「誰も来ませんよ。上級妃同士の秘密のお話には聞き耳を立ててはいけない。暗黙の了解です。そもそもあなたがここに来た時点で、私のやりたい事の八割は終わっていることですし、今更足掻くのはみっともないですよ?」
「た、助けて!! お願いよ見逃して!! 悪気があったわけではないの!!」
「何人も死に追いやっておきながら、そんな言い訳が罷り通るわけはないでしょう? 因果応報……あなたの順番が来たというだけの話です」
猫鈴が立ち上がると、美華は青い顔で尻もちをついた。
卓の縁をなぞりながら、おもむろに歩を進め、皿の上の饅頭を手に取る。
そうして倒れる美華の傍へとしゃがんだ。
「あ、貴方が望むもの、何でもあげる……!! 手に入らないものなんて無いわ……!! ねぇ、いいでしょう……? 赦して……お願いよ……!!」
「墓前の手向けは饅頭以外にしましょう。小麦は苦手なようですし」
「ぁガッ?!」
口に無理やり饅頭を詰め込み、ジタバタと暴れる美華の口を押さえ続ける。
「いっそ呪い殺すことが出来れば、こんな暴挙に出る必要もないのですが」
「ぶはっ!! ぉえっ!! げっ、ごぼぇ!!」
饅頭を飲み込んだのを確認し、嗚咽する彼女の背を猫鈴は優しく撫でた。
「一定の食材を口にすると、肌に出来ものが浮かんだり、咳やくしゃみが止まらなくなる方がいます。あなたの場合は小麦でしたね。一口でも呼吸が難しくなるのだとか」
「か、ひゅ……あ、助け……誰か……」
「まあ醜いお顔。クフフ……ねえ美華様。今のあなたになら見えるのでは? 冥府よりあなたを手招く、幽霊たちの姿が」
あなたもすぐにあちら側に。
耳元で囁いた後、美華は泡を吹き白目を向いて倒れた。
全身に発疹が浮かび、赤らんだ顔に悲壮感を貼り付けた、何とも醜く呆気ない最期であった。
「赦し請いの続きは、どうぞ皆様になさってくださいな」
美華の死は、自死と処理された。
自らが麗雪を殺めた旨、並びに数々の悪事を書き連ねた遺書が発見されたためである。
無論それは秘密裏に捏造された代物ではあり、幾つかの不審な点に疑問の声が上がることもあった。
しかしそれらを一声の下に収めたのは、他ならぬ皇帝である。
夏が終わる頃には美華の死は薄れ、長い年月を経て人々の記憶から消えていくことだろう。
ただ一人、猫鈴を除いては。
「クフフ、冷たいお茶にふかふかのお饅頭。至福の一時ですわね」
穏やかな時間を過ごす中、ふと視線が虚空を射る。
「そんなに恨めしそうな顔をしてもいけませんわ。あなたは食べれませんもの。ねえ、美華様」
恨みつらみを遺し無念に死んだ魂は、幽霊となって現世を彷徨う。
ならば猫鈴が死なせた魂もまた。
「冥府の居心地は、さぞ悪いようにお見受けしますが……それもまた贖罪。とはいえ独りぼっちは寂しいでしょう。近いうちに罪人を送りますので、どうか仲良くしてくださいませ」
悪鬼羅刹の如き様相で少女を睨むが、幽霊は何も出来ない。
声は届かず、触れられず、ただそこに存在するだけ。
怨念を背負いながら、猫鈴はまた新たな罪人に声をかける。
「私、幽霊が見えるんですのよ」
後宮ざまぁが書きたかったのですが、それなりに形になったのではないでしょうか。
それにしても当方、強い女性というか強かな女性というか、好みすぎるだろ。
書きやすくて書きやすくて。
当方、他にも強い女性の作品を書いております故、時間があれば楽しんでやってください。
長編で百合、短編で恋愛ものを書いていますので、何かしら刺されば幸いです。
面白かったと思ってもらえたら、リアクション、ブックマーク、感想、☆☆☆☆☆評価にて今後も応援よろしくお願いいたしますm(_ _)m




