4話
神保町の午後は、陽が傾き始めていた。
通りの銀杏はすっかり色づき、風に乗って舞う葉が、店先の文芸誌の表紙に重なった。
真壁は、店内の空気を整えるように、ほうじ茶を淹れていた。紙と茶の香りが、秋の静けさを深めていた。
扉が開いたのは、午後三時半。
千遥が、前回よりも少し早い時間に現れた。
コートの色は深いグレー。手には、紙袋がぶら下がっていた。
「こんにちは。今日は、焼き色の話をしに来ました」
「焼き色、ですか?」
「ええ。舞茸を焼いていて思ったんです。焼き色って、温度と時間の掛け算なんですね」
真壁は笑った。
「確かに。火加減とタイミングがすべてです」
「でも、焼き色って、ただの見た目じゃないですよね。香りも、食感も、全部そこに集まってる」
「焼き色は、料理の記憶です。火との対話の痕跡ですから」
千遥は、紙袋から小さなタッパーを取り出した。
中には、綺麗に焼かれた舞茸が並んでいた。焦げ目は均一で、香りがふわりと立ち上った。
「試食、いかがですか?」
真壁は驚いたが、丁寧に受け取った。
一口食べると、香ばしさと旨味が広がった。火の扱いが見事だった。
「これは……素晴らしいですね。焼き色も、香りも、完璧です」
「ありがとうございます。最近、焼くことに夢中で。煮るより、炒めるより、焼くのが好きです」
「焼くのは、火を直に扱うからでしょうか」
「そうかもしれません。火って、制御できると気持ちいいんです」
その言葉に、真壁は少しだけ胸がざわついた。
火への執着が、料理の域を超え始めている気がした。
「最近、ニュースで爆破予告の話を見ました。都内のオフィスビルに、同時に予告が届いたって」
「ええ。11月11日、午後4時に爆破するって。複数の企業に同じ文面が送られたそうですね forest-life-...」
「火って、使い方次第で、料理にも破壊にもなるんですね」
「……そうですね」
千遥は、バッグを少し持ち上げた。中から、微かな金属音がした。
真壁は、音の正体を尋ねることはしなかった。だが、心の奥に小さな火種が灯った。
「焼き色って、予兆みたいですよね。何かが変わる直前の、境界線」
「料理では、香ばしさの始まりです」
「でも、火事では、始まりの合図かもしれません」
沈黙が落ちた。
外では、風が少し強くなっていた。
千遥は、文庫本を一冊手に取った。『焼き色の記憶』——料理と火にまつわる随筆集だった。
「これ、読んでみます。焼き色って、記憶に残るから」
「気をつけてくださいね。火は、記憶を焼くこともありますから」
千遥は会計を済ませながら、ふと口元に手を添えた。
「また、焼いてみます。もっと、深く」
「焼きすぎないように」
扉が閉まると、店内は再び静かになった。
真壁は、棚を見渡しながら、胸の奥に残った違和感をそっと抱えた。
それは、焼き色のように、じわじわと広がる予兆だった。




