おっさんはどう生きるか
ポチは、意識を自身の内面に沈ませると、引きこもっているおっさんに呼びかけた。
「おっさん、どこにいるわん。ご主人様が呼んでいるわん」
すると、ポチの目の前に大きな建物が現れた。
その建物からは、聞いたことの無い音楽が流れていた。
「こんなデカい建物、見たことないわん。おっさん、中に入るわん」
建物の中でポチが見たのは、音楽を聴きながらソファーに寝そべって本を読むおっさんの姿(もちろん人間だった時の姿ね)だった。
「おっさん、ここは何なんだわん?」
『ここは、ボクが精神世界?いや幽界かな、に作った図書館という建物さ』
「精神世界?幽界?図書館?意味が分からないわん」
『多分だけど、ここはボクみたいな半分死にかけで魂だけの存在になった人間がくる世界なんじゃないかな。それで、怨霊の力なのか神の力なのか良く分からんけど、引きこもる場所が欲しいってボクが願ったら図書館が現れたんだ。これって、本当にいいかげんな力だよな。見てみなよ、今までにボクが読んだ本全てが、この建物に収められているぞ』
「へー、でもポチは文字が読めないから、そんなのどうでもいいんだわん。というか、ご主人様がおっさんのこと呼んでいるから、早く戻るんだわん」
『うーん、それなんだけどさ。ちょっとだけ時間をくれないかな。ボク自身の考えをまとめたいんだ』
「おっさん、どうしたんだわん。おっさんは、やりたい放題暴れ回って好みのメスを手に入れるために、この時代に来たんじゃなかったのかわん?あと、ずいぶん暗い感じの歌を聴いているわんね」
『ああ、この歌はフランシス・ホジソン・バーネット原作の児童文学『リトルプリンセス』がアニメ化された時の主題歌だよ。今のボクの気分にぴったりだから、聞いているのさ。確かに、ボクは自分が世間に受け入れられないのを時代のせいにして、戦国時代に来れば自身の能力で無双できる。そして、金銀財宝・領地・官位に加えて最高の女も手にしてやる、なんてことを思っていたさ。だけど、それが本当にボクの望みだったのか、分からなくなってしまったんだ』
「別に、いい暮らしをして好みのつがいを手に入れたいと思うのは、当然のことだわん」
『それはそうなんだけどさ・・・。人として生まれたからには、世の中の役に立ちたいとか、人類の進歩に貢献したいとか、そういう利他的な望みが昔のボクには確かに有った、と思う。だけど、ポチの中に封じられた今のボクには何の力も無いし、世の中は理不尽なことだらけだし、この時代では支配階級の氏業や雛鶴姫、藤鶴姫もあまり幸せそうじゃないし。もう、わけ分かんねーよ』
「りたてきな望み?ポチには難しくてよく分からないわん。うーん・・・、とりあえずポチの望みはご主人様を幸せにすることだわん」
『そうそう、利他的精神ってまさにそれだよ。ところで、なんでポチのご主人様は雛鶴姫なのさ。氏業じゃ駄目だったのか?』
「わかんないわん。とにかく、初めてご主人様に会った時にそう決めたんだわん。一度決めたことは、死ぬまで守るんだわん」
何だかよく分からないが、ポチの言葉はおっさんの心を揺り動かした。
『やっぱりポチは凄いな。私欲にまみれたボクなんかとは比べものにならない、崇高な心を持っているじゃないか』
「一度決めたことを死ぬまで守るなんて、簡単なことなんだわん」
『だから、普通人間はそんなこと出来ないんだよ。普段は威勢のいいことを言っている人でも、いざ死を目前にすると死にたくないとか言って逃げ出したり、保身に走ってしまうのさ。ボクみたいにね』
「そういえば、おっさんはやたらと死ぬのを怖がっていたわんね。段蔵に斬られて一度死んでいるのに、何が怖いんだわん?」
『自分の魂が消滅することに、恐怖を感じるんだよ。今はポチの中に封じられているけど、自分の意識があって、いろいろ考えたり発言したり幽界で自身の具現化もできたりするわけじゃん。でも、自分が完全消滅するってどういうことなのかな?分からないから怖いんだよ』
「ふーん、人間は変なことを考えるんだわん。エサが捕れる間は生きればいいし、病気とか年を取ったりしてエサが捕れなくなったら、自分より強いやつに食われて死ぬだけだわん。変なことを考えている暇があるなら、その時間で食べ物を見つけるんだわん」
『そうだな、死に臨んで薬や人に頼るなどせず、生き物らしく自然に死ねたらどんなに素晴らしいことだろうか・・・。だけど、人間はずる賢くなりすぎたようだ。世間のしがらみや地縁・血縁でがんじがらめにされた結果、人間はその生涯を自然に委ねて終えることができなくなってしまったんだ。今、ボクが読んでいるこの本(吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』)には、粉ミルクの事例で見ず知らずの世界中の人々が結びついていると書かれている。見ず知らずの他人同士の間に切っても切れない関係があって、誰一人この関係から抜け出せないわけだな。この本の主人公は、自分が生きていく上で必要な物を作り出すために骨を折っているのが赤の他人ということを『へんだなあ』と感じ、主人公のおじさんは赤の他人との間にも人間らしい関係を打ちたててゆかねばならない、と言っている。人間が人間同士、お互いに好意をつくし、それを喜びとする本当に人間らしい関係を打ちたてることができれば、人間同士の争いも無くなるのではないか、とも読めるな。だけど、ボクがこの人間同士の関係に気づいた時の率直な感想は、絶望だったよ。人は、生まれながらにして人間社会のために行動することを求められており、不自由な存在であることを悟ったのさ。言い換えれば、人は生まれながらにして人間社会の為に働かなければならない義務を負う不自由な存在であり、それを拒否した人間は社会から排除される、ということかな。ボクは『そんなの冗談じゃない。好きなことをやって生きていくぜ』と思い、大学院で知りたいことをひたすら勉強し、ありとあらゆる資格を取ったりもしたが、心は満たされなかったな。例えば、ボクが受験した時の気象予報士の合格率は4%だったから、資格が取れれば無能じゃないことを証明できるはずだと思ったんだけど、いざ気象予報士になっても何も変わらなかったよ。ボクは社会から排除されたままで、生きているという実感は全くなかったな。だからさー、業政の口車に乗って令和の時代から戦国時代にやってきたんだよ、自分の生を実感するためにね。ってポチ、ボクの話を聞いているのかい?』
ポチは、ポカーンとした表情でおっさんを見ながら口を開いた。
「おっさんの話は長いし、意味が分からないんだわん。結局、おっさんはどう生きたいんだわん?」
『さーね』
そう、おっさんは答えた。
「あんだけ色々考えて、結局何も分からないのかわん。おっさんは、自分勝手に生きればいいんだわん」
『だから、それをやると人間社会から爪弾きにされるんだよ』
ポチとおっさんがそんなことを話していると、BGMが変化した。
「この歌は、なんなんだわん?」
『これは、リザ・テツナー原作の児童文学『黒い兄弟』がアニメ化された時の主題歌さ。人生は不自由だというボクの思いに反応して、この曲が流れたようだな。心の翼で、青い空を自由に飛んでみたいねえ』
「ふーん、なんかよく分かんないけど、いい歌だわんね」
『というわけで、ボクはしばらく図書館に引きこもっているよ。雛鶴姫には、夜には戻ると伝えておいてくれ。藤鶴姫と協力する件については、ポチの判断に従うよ。まあ、藤鶴姫は雛鶴姫の義姉になるんだから、形だけでも仲良くしておいた方がいいと思うけどね』
「わかったわん。おっさんは気が済むまで考えるといいわん」
『そうそう。言い忘れていたけど、氏業に斬られそうになった時、庇ってくれてありがとうな』
「おっさんとポチは身体が一緒なんだから、庇うのは当然のことだわん。逆に、ポチがヘマをすればおっさんも死ぬことになるわん」
『そうだな。ボクとポチは運命共同体だから、良いことも悪いことも一蓮托生だよな。なあ、ポチとボクの間で刎頸の交わりを結ばないか。ポチとボクは親友同士で、友のためなら死んでも後悔しないという交わりね』
「ポチは、とっくの昔にそう思っていたわん」
『うわーん、感激だ。一度死んで、初めて真の友ができたよ。ボクとポチはずっと刎友な』
「『刎友、刎友』」
「じゃあ、そろそろポチは帰るわん。おっさんも早く戻るわんよ」
『ガッテン承知の助、なんてね』
こうして、ポチは現世へと帰っていった。
「あっ、ポチが戻ってきたわ。急に動かなくなったからビックリしていたのよ」
そんな雛鶴姫に、ポチは精神世界で見たものの全てを話した。
「かくかくしかじかで・・・、おっさんは『少し考えをまとめさせてくれ、夜には戻る』と言っているわん」と。
「それで、ポチ2号はわたしの飼い犬になってくれるのかしら」
ポチと雛鶴姫の会話に乱入してきた藤鶴姫に対し、ポチは「おっさんはポチの判断に従うと言っていたわん。ポチは、ご主人様を幸せにしたいんだわん。ご主人様が幸せになることなら、藤鶴姫と協力してもいいわん」と答えた。
「ムムム、わたしに服従しないポチもポチ2号もどうでもいいですわ。そんなことより氏業様よ」
藤鶴姫は、奥の部屋に籠もる氏業に語りかけた。
「氏業様、藤鶴です。何かお困り事があるのでしたら、わたしにも打ち明けて頂けませんか。一緒に考えれば、きっと良い解決策が見つかりますわ。だって、わたしたちは夫婦になるのですから」
しかし、藤鶴姫の提案を氏業は拒否した。
「藤鶴姫には申し訳ないが、少しの間一人にして欲しい」と。
「あーあ、藤鶴姫はおっさんにも氏業にも振られているわん」
「クスクス。ちょっとポチ、義姉上様にそんなことを言っては駄目よ」
藤鶴姫は、『キッ』と二人(一人と一匹)を睨みつけると、義妹に向かってこう言うのだった。
「雛鶴様、貴女も少しぐらい長野家のために役に立ったらどうですか」と。




