てんとう虫の力学
パンチが迫った、その刹那。
明里の脳裏に、赤い斑点がよぎった。
——あの時の、てんとう虫。
指先で息を吹きかけた瞬間、
あれほど小さな身体が、力を真正面から受け止めることも、弾くこともせず、
ただ流れるように、いなした。
(……そうだ)
明里は、殴られる“瞬間”に耐えなかった。
眼前に、水の塊が爆ぜるように出現する。
黒甲冑の拳がめり込む。
水面が歪む。波紋が起きる。
軋む。
そして――衝撃だけが、吸い込まれていく。
黒甲冑の拳が水を叩いた瞬間、凄まじい摩擦熱で水蒸気が上がり、視界を白く染めた。
水は圧力を逃がす。面で受ければ、力は拡散する。
——受け止める。
——溜める。
骨の軋む音が身体から脳にまで伝わる。
そして。
明里は水の向きを、ほんのわずかに変えた。
次の瞬間、
黒甲冑に向けて同質・同威力の衝撃が解き放たれる。
見えない拳が、鎧の隙間を撃ち抜き、顎を跳ね上げた。
黒甲冑の巨体が、殴ったはずの力そのままに、宙を舞う。
――初めて、黒甲冑の攻撃が通じなかった瞬間だった。
一瞬、時が止まった。
明里は、くの字に折れたまま、息を吐いた。
(……いなす、って、こういうこと)
黒甲冑は地面に打ち付けられ、大きくバウンドした。
鎧の隙間から、青白い雷が漏れた。
明里の心臓は、耳の奥で激しく刻まれていた。
「……明里‼」
煉の一喝でハッと我に返った。 明里はすかさず黒甲冑の方に駆け寄った。
黒甲冑は“創生の術式”を持ってるはずだった。
周囲を見回したが、《創生の術式》は見当たらなかった。
煉が小声で言った。
「なにをしてる。黒甲冑が気づく前に、この場を離れるぞ」
ポルックスも心配そうに明里を見つめていた。
「あと少し探させて。」
明里の目を真っ直ぐ見た煉が
「創生の術式を光で誘い込む誘虫灯に使われただけだ。本物はここにない」
そう言い終える前に、煉は明里の手を掴み、暗闇の中へと引きずり込んだ。




