72話 狩人の眼、逃亡者の息
石鹸箱の裏――
ほんの指先ほどの隙間に、明里・煉・ポルックスは必死に息を殺し身を押し込んでいた。
(来た……! 本当に、こっちへ……)
その間にも黒甲冑が黒残滓から少しずつだが姿を現してくる。
スケイルは首を左右に揺らし、空気を探るように鼻を鳴らしている。
――黒甲冑には、気づいていない?
それとも、あたしたちには見えていない“何か”だけを見ている?
スケイルの影が石鹸箱に覆いかぶさる。
巨大な手が、ゆっくりと箱の端へ指をかけた。
――ギィ。
プラスチックの箱が、持ち上げられる。
暗闇と光の隙間から、スケイルの顔が覗き込む。
細く歪んだ笑み。
その目は完全に明里たちを捕らえていた。
「……みぃ~つけた」
空気が凍る。
次の瞬間――
「ッッッ!!」
煉が叫び声と同時に、闇雲に腕を振り上げた。
パァンッ!!
――パパパパッ!!
フレイムバレットが乱れ撃ちに放たれる。
火花が散り、タイルが黒く焦げ、蒸気が立ちこめる。
スケイルは瞬時に身体をひねり、弾道を読み切ったようにひらりと避ける。
「無駄だ」
床を焼く炎を踏み越えながら、スケイルは冷たく笑った。
「そんな魔法など痛くも痒くもない。
……その熱、火の気配。撃ったのは――煉だな」
巨大な影が、すぐそこまで迫る。
「覚悟を決めな」
スケイルの手が振り下ろされようとした、その瞬間――
――シューーーーーッ!!!
耳をつんざく蒸気の噴出音が響いた。
スケイルの顔の真横から、白い熱気が爆発する。
「ッあ……!?」
敵が思わず腕で顔を覆う。皮膚が赤く染まり、呻き声を漏らす。
煉が低く笑う。
「誰がお前を狙ったと言った?」
炎の残滓を漂わせる指先を、真横へ向ける。
そこには――
ひしゃげた“配管のバルブ”。
蒸気が勢いよく噴き出し、シャワー室全体が白くかすむ。
「狙ってたのは……“バルブ”だ」
敵の熱探知を狂わせ、感覚を奪い、視界を奪う――
たった1発で状況が反転する。
白い蒸気が辺りを満たし、明里の視界は真っ白になった。
(……今だ!)
煉が叫ぶ。
「走れ、明里!!」
敵は蒸気に紛れた熱の奔流の中で、獲物を見失った。
白い蒸気の向こうで、
黒甲冑の“輪郭”だけが、確かに立ち上がった。




