第59話 黒甲冑(シュヴァルツ)
――その夜。
王都の地下、封鎖された旧議事堂のさらに下層。
そこは誰も存在を知らぬ空洞。石壁には無数の魔導回路が刻まれ、淡い青の光が脈動していた。
その中央を、重い足音が進む。
黒甲冑の男が立ち止まり、片膝をつく。
手には、禁書《創生の術式》。
ページの隙間から漏れる金色の光が、薄暗い空気の中で生き物のように揺れた。
「……持ち帰りました」
小さく息を吐き、続ける。
「首領」
前方に据えられた高座の影が、わずかに動く。
光の届かぬその奥に、椅子が一つ。
先ほどまで誰もいなかったはずのそこに、いつの間にか“存在”が座していた。
「ご苦労だったな、黒甲冑」
穏やかな声だった。だが空気が震えた。
それは言葉というより、“命令信号”に近いもの。
黒甲冑は禁書を両手で差し出す。
首領の指が、ゆっくりとその表紙に触れた。
次の瞬間、部屋の光がすべて吸い込まれるように消え、ページの中だけがほのかに輝く。
「……やはり、これは“詩文”ではないな」
かすかな笑い。
「数式だ。世界の設計を記した、根源のコード。」
沈黙。
やがて首領は立ち上がる。
顔は闇に溶けて見えない。
ただ、目だけがゆっくりと開いた。
――光ではなく、記号が滲んでいた。
「創造主は神ではない。
神は、“設計者の仮面”に過ぎなかった。
我らが求めるのは――その奥に潜む、真の意志だ。」
黒甲冑は黙して頭を垂れる。
首領の掌が本の上で止まり、指先から微かな光が流れ込む。
文字が、音もなく書き換えられていく。
まるで“世界そのもの”を改竄しているかのようだった。
「すべては再構築のために。
この壊れかけた世界を、もう一度“書き換える”のだ。」
その瞬間、部屋の奥の影が揺らぎ、低い笑いが幾重にも重なって響く。
冷たい空気が波紋のように広がり、石壁に刻まれた紋様が一斉に光を放った。
黒甲冑は静かに立ち上がり、無言で敬礼する。
背を向けると、光が彼の甲冑に反射して、まるで金属の亡霊のように消えていった。
――闇の中、首領は再び椅子に腰を下ろす。
机の上のチェス盤には、ひとつだけ動かされた駒。
それは黒の“王”。
その前に、白の“女王”が立ちはだかっていた。
「さて……どちらが先に、盤を離れるか」
暗闇の奥で、何かが鈍く光っていた。
それは結晶の獣――クリスタルビースト。
光の粒が、まるで呼吸するように揺らめいた。




