44話 逆重力の夢
――暗闇の中に、風の音だけが響いていた。
煉がゆっくりと目を開けると、そこは砂のような灰色の地面。
隣にはポルックスが倒れており、少し離れた場所に明里の姿があった。
彼女は無言で、空を見上げている。
「……明里?」
煉が声をかけると、彼女は小さく頷くだけだった。
その視線の先を追った瞬間、二人は息を呑む。
――月が、落ちてきている。
赤く染まった巨大な球体が、空の中心からゆっくりと迫っていた。
空気が軋み、地平が鳴る。
どこかで、鈍い地鳴りが響いた。
明里は、空を見上げたまま動かない。
その瞳に映るのは、赤く膨張した月。
ゆっくり、ゆっくり――まるでこの世界ごと引き寄せられるように沈み始めていた。
「……月が落ちてきている」
煉が低く呟く。
隣のポルックスが拳を握りしめたまま、息をのんだ。
だが、明里だけは静かに首を振る。
「違うわ。――地球に引っ張られているの」
「は? どういう意味だよ」
「この世界、重力の方向が……逆転してる。月じゃなく、私たちのほうが堕ちてるのよ」
二人は顔を見合わせた。
煉が一歩前に出る。
「おい、明里! お前の知識でなんとかしてくれよ!」
明里はうつむき、わずかに唇を震わせる。
それでも、重たく口を開いた。
「……それが、おかしいのよ」
彼女の瞳が、赤く膨張した月と、足元の灰色の地面を交互に捉える。
「もし本当に、この大地全体を巻き込むほどの重力反転が起きたのなら、
私たちはとっくに慣性の法則に従って空へ放り出されてる。
地面は、文字通り宇宙の果てまで引きちぎられているはずだわ」
「な、何を言ってるんだ……?」
「そして、あの月……地球の引力圏を逸脱してこの距離まで近づいているのに、
まだ完璧な球形を保っている。それ自体が、不自然」
明里は、かすかに笑みを浮かべた。
その笑みは、恐怖ではなく、論理で勝利を掴んだ者のものだった。
「この現象は、物理法則を無視した、あまりにも杜撰なシミュレーション。
――煉、ポルックス。これは現実じゃない。
すべて、誰かが私たちに見せている“偽りの世界(夢)”よ!」
――その瞬間、月が裂けた。




