41話 神界の定時女神と「のり弁命令書」
神界は、雲の上に浮かぶ、白く輝く巨大な図書館のような場所だった。
太陽の光は柔らかく、空調からは微かにラベンダーの香りが漂っている。
その一室。
大理石のデスクに座る女神が、ティーカップに銀色のハーブティーを注いでいた。
肩に淡い光の輪を浮かべながら、彼女の顔にはどこか疲労の色が滲んでいる。
「やっぱりA級女神公務員の資格取って正解だったわ。
午前中だけ勤務、残業ナシ。午後は趣味と美容に全振り。最高じゃない」
女神はハーブティーを一口啜り、ふうとため息をつく。
その仕草さえも、完璧な“定時退社”のための所作だった。
デスクの上には、分厚いバインダーが山のように積まれている。
彼女はその一冊を取り、ペラペラと過去の案件をめくった。
「さて、次の案件確認と……ああ、そういえば」
ノートに貼られた一枚の証明写真を見た瞬間、女神は眉をひそめた。
「あの滑舌悪い子、どうしてるのかしら。
……ま、ブレイクタイムのお供にはちょうどいいか」
古びたノートパソコンを起動する。
スクリーンにはこの世界を俯瞰した地図が映し出され、
明里の位置を示す小さな光点が点滅していた。
「……なに、この子」
女神の優雅な表情が、初めて曇る。
「夢と現実が――まるで二つの川の水みたいに混ざってる。
このままじゃ、一生“白昼夢”の中で生きることになるわ。
でも……これは、ただの夢じゃない」
画面の隅に、古代語で刻まれた一文が光った。
『創世の術式』
女神の目が見開かれる。
「――まさか。大魔道士の“あの夢”に干渉してるの?
あいつ、まだ自分の失敗作を諦めてないの? 完全に業務外じゃない!」
苛立ちを隠さず、彼女はカップを置き、明里のプロファイル画面を睨みつける。
「まったく……これだから古い体質の神官は嫌なのよ。
自分の失敗を“夢”で隠蔽とか、完全に業務外。ほんと迷惑」
ため息をつきながら、引き出しから真っ白な封筒を取り出す。
封筒には、うっすらと『緊急措置命令書』の文字。
「本来なら、こういうSSランクの業務外トラブルは、
私自身が現場(人間界)に出向いて、直接口頭で指導するのが筋なんだけど……」
女神は面倒くさそうに鼻を鳴らす。
「午後から美容院の予約があるのよね。
キャンセルなんて、公務員として失格。定時退社は絶対死守!」
引き出しから、海苔のような黒いシールを取り出す。
ツヤツヤと光り、ほのかに磯の香りが漂った。
「……しょうがないわね。
あの大魔道士の夢なんて、触れたら精神衛生上、問題ありだし。
こういうときは――手軽に“見なかったことにする”のが一番。
あとで神官に問い詰められないように、“アレ”もしとこ」
女神は封筒に、その黒いシールをペタリと貼り付けた。
まるで弁当のご飯の上に海苔を乗せるように。
「よし。これで完了っと」
満足げに頷き、軽く微笑む。
「“のり弁”貼っとくか。
……あのね、明里。これは“真実を隠蔽する”ためのシールよ。
あなたは今見たものを忘れて、私たちが望む“正しき救世主の道”を歩きなさい。
それが――あなたとの契約内容なんだから」
貼られた「のり弁シール」は、淡い光を放ちながら、
明里の夢の奥底へと転送されていった。
女神は椅子にもたれ、優雅に伸びをする。
「ふう。これで午後の業務終了ね。……お疲れ様、わたし」




