39話 深紅の脈動
わたしたちは命からがら小屋に戻ってきた。わたしたち見るなりレックス、シルフィアが真っ青な顔して介抱してくれた。
レックスの手から渡された小瓶を、わたしはぼんやりと見つめていた。
深紅――それは、ただの薬とは思えないほど濃く、どこか生き物の血のように、ゆっくりと瓶の中で脈打っている。
「……飲め。体の再生を早める。すぐに効くはずだ」
レックスの声は、どこか遠くで響いているように聞こえた。
隣では、煉が壁にもたれたままぐったりと目を閉じている。ポルックスも、椅子に腰掛けたまま息を荒げていた。
戦いの傷は深い。今はただ、生きていることだけを確かめるような沈黙が、部屋を包んでいた。
わたしは震える手で瓶の栓を外した。
――とくん。
液体の中で、泡がひとつ、心臓のように弾けた。
(……何、この音)
耳を澄ますと、ほんの一瞬、誰かの笑い声が混じった気がした。けれど、それもすぐに消える。疲れすぎて幻聴でも聞こえたんだろう。
気にせず、わたしは一気に口へ運んだ。
舌に触れた瞬間、鉄の味がした。
それは血のように温かく、喉を通るたびに体の奥が熱くなる。
飲み干すと同時に、まるで全身に灯がともるように、感覚が戻ってくる。
「……大丈夫か、明里」
レックスの声。
「うん……なんか、体が……軽く、なって……」
言葉を出しきる前に、世界がゆらりと揺れた。
視界の端が溶けるようにぼやけていく。
壁の明かりが波打ち、ランプの光が滲む。
眠気ではない。
落ちていく感覚。
(……これ、眠って……るの?)
レックスの声が、もう遠い。
煉のうめき声も、ポルックスの息づかいも、だんだんと水の中に沈んでいくみたいに遠ざかっていった。
気づけば、わたしは自分の手を見つめていた。
手のひらが、月明かりに照らされている。
――月?
部屋の中のはずなのに。
いつの間にか、天井がなくなっていた。
夜空が広がり、赤く滲んだ月がこちらを見下ろしている。
その月が、ゆっくりと――降りてきていた。
音もなく、ただ、確実に近づいてくる。
息が詰まる。立ち上がろうとしても、足が動かない。
空気が重く、世界が歪む。
赤い光の中で、月の輪郭が溶け、誰かの顔に変わった。
白い仮面。赤い唇。歪んだ笑み。
「……やあ、救世主サマ。ようやく来たねぇ……」
ピエロの声が、月の中から降ってきた。
笑いながら、泣いているような声。
その声を聞いた瞬間、ようやくわかった。
(これ……夢だ……?)
でも、その気づきも、すぐに霞んでいく。
現実の記憶が遠ざかり、夢がすべてを塗りつぶしていく。
そして、わたしは――月の光に包まれたまま、深い闇へと落ちていった。




