33話 赤と白のテントの向こう
なにか遠くで音が鳴っている。鍋をかき混ぜるような生活音。
わたし――明里は、みんなより朝が遅くなってしまったらしい。
外はもう白み始め、鳥の声が窓から差し込んでくる。
昨夜、シルフィアが言っていた『救世主』という言葉が頭から離れない。
わたしが……救世主?
改めてこの世界のことを考えるけど、答えは出てこない。
ベッドの中でひとり、布団に顔を埋めて身悶えてみた。
でも、現実からは逃げられない。受け入れなくちゃいけない――。
ダイニングキッチンのドアを開けると、全員が揃っていた。
煉とポルックスがテーブルを挟んで話していて、レックスは腕を組んで座っている。
そしてその一角には――シルフィア。まだ顔色は優れないけれど、昨日まで敵だった彼女が当たり前のように同じ席にいるのが、不思議でならなかった。
遅れて起きたせいで、なんだかバツが悪い。わたしは視線を落とし、黙って席に座った。
レックスが全員の顔を見回し、低く言った。
「シルフィアも体調は戻りつつあるが、無理はさせられない。俺たちもここ数日で連戦続きだった。今日は休みにして、旅の疲れを癒やしてくれ」
わたしは煉とポルックスと顔を見合わせる。――自由な時間。そう思っただけで胸が少し浮き立った。
煉がにやりと笑い、提案する。
「なあ、町がお祭りみたいだぜ。行ってみようぜ」
ポルックスも、わたしも迷わず返事をした。
「……行こう!」
レックスに負担をかけないよう、みんなで手分けして家事を片づけた。
玄関を開けると、外からは太鼓や笛の音がかすかに流れ込んでくる。街全体が浮き立っているようで、胸の奥が少し熱くなる。
わたしたち三人はシルフィアを託し、レックスに背を押されるようにして町へ繰り出した。
丘を下り町に近づくと、木漏れ日の中に祭りの喧騒が重なり合って流れてきた。
太鼓の音、笛の音、人々の笑い声。香ばしい焼き串の匂いまで漂ってきて、胸が高鳴る。
煉もポルックスも目を輝かせていた。子どもたちが風船を手に走り回り、客引きの声があちこちで響く。わたしも思わず笑みがこぼれる。――救世主のことなんて、今だけは忘れてしまいたい。
町の外れには、大きなサーカス団のテントがそびえていた。赤と白の布が陽光を浴びて揺れ、何かを予感させるように見えた。
わたしたちはサーカス団が開演まで時間があったので、とりあえず祭りを散策して時間がきたらサーカスを見る事に決めた。
わたしたちは人混みに紛れながら、露店をひとつひとつのぞいていった。
色鮮やかな綿あめ、甘い香りの焼き菓子、威勢のいい呼び込みの声。心が浮き立つ。
「お、射的だ!」
煉が子どものように目を輝かせ、銃型の木製玩具を手に取った。
狙いを定めて……ぱん!
コルク弾は景品にはかすりもせず、むなしく的の横を通り過ぎた。
「ちっ……! もう一回!」
ムキになった煉は次々と挑戦するが、弾はことごとく外れていく。
「……無駄だな」
ポルックスが無表情のまま銃を受け取り、一発。
ぱん。――見事に景品の人形が棚から落ちた。
「おぉー!」と周りの子供たちが歓声を上げる。
「なんだよその一発芸! 俺だって本気出せば……」
煉は悔しげに歯ぎしりするが、わたしは思わず笑ってしまった。
次に立ち寄った串焼きの屋台では、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「一本ちょうだい!」と勢いよく買い、かぶりついた。
「ん~っ、このタレ味おいしい!」
思わず子供みたいに声を弾ませてしまう。
隣で煉は塩味を選んでいて、「いや、こっちの方が肉の旨みが引き立つぜ」とドヤ顔。
ポルックスは静かに辛口スパイスの串を食べていて、その選択にわたしと煉は思わず顔を見合わせた。
「……お前、案外辛いの好きなんだな」
「別に」
短い返事に、また笑いがこみ上げる。
そろそろサーカスの時間だ。わたしたちはサーカス団のテントに向かった。
サーカス団の大きな入口。赤と白の布が風に揺れ、まるで呼吸しているかのように膨らんでいた。
その脇の樽の上に、一人の男が座っていた。
カラフルな髪に、白塗りの顔。大げさなピエロのメイクが、笑っているはずなのにどこか不気味だった。
男は膝を抱えて座り、ゆらゆらと体を揺らしている。
わたしたちが近づくと、くるりと首だけをこちらに向けた。
その動きが妙に機械的で、背筋がひやりとする。
「サーカスを見に来たのかい?」
ピエロはにたりと笑った。だが目が笑っていない。
「う、うん。もうすぐ始まるんだよね?」
わたしが答えると、男は樽の上で小さく足をばたつかせながら首を横に振った。
「こんな見世物より――もっと面白いショーがあるぜ」
声を落とし、耳打ちするように言う。
煉が眉をひそめ、「なんだそりゃ」と小声でつぶやく。
ポルックスはじっと男を見つめたまま動かない。
ピエロは指をくいくいと動かし、まるで「ついて来い」と誘うように立ち上がった。
テントの入口とは反対方向――人通りの少ない、町の外れの道へと歩いていく。
わたしの胸が、不思議な期待と同時にざわついた。




