26話 風と炎の舞踏
ポルックスが日課の散歩から帰ってきて、もう二、三日が経った。
ようやく熱も引き、食事も取れるようになったが、あの日何があったのかは誰にも話そうとしない。
明里は看病、レックスは荷物の点検、そして僕――煉はギルドに金を稼ぎに行く。
いつも通りの道のはずなのに、今日はやけに空が広い。
雲ひとつない青空を見上げても、胸の奥のもやもやは晴れなかった。
丘を下りかけたときだった。
向こうから砂塵が巻き上がる。
風が吹き付け、目を細めると、その向こうに人影が見えた。
僕は思わず足を止めた。
砂塵が頬を叩く。視界が一瞬白く霞む。
「……誰だ?」
やがて砂が晴れ、そこに立っていたのは長いマントを纏った人物だった。
フードに隠れて顔は見えないが、迷いのない足取りで僕の方へ近づいてくる。
その歩みはゆっくりなのに、なぜか逃げ場を塞がれたような圧迫感を覚えた。
そいつは僕の前で足を止め、ゆっくりとフードを外した。耳元で金のフープピアスがきらりと光った
砂塵の中から現れたのは、切れ長の目をした女だった。
風に揺れる長い髪、口元には楽しげな笑み。
「ねえ、あなた――名前は?」
彼女の声は妙に柔らかかった。だが、その笑みはまるで獲物を見つけた猫のようだ。
「言わないの? ふふ、いいわ。じゃあ私が呼んであげる」
風が足元から巻き上がり、砂が舞い上がる。
彼女のマントが大きくはためき、目の前の景色が一瞬かき消された。
「――走って、逃げなさい。捕まったら……楽しいことになるわよ?」
彼女の目の前の空間が歪んで見えた。その瞬間、風の束が僕に向かってきた。
風圧が頬を打った瞬間、世界が一瞬スローモーションになった。
シャッ、と音を立てて服が裂け、皮膚が浅く切り刻まれる。
熱い。いや、痛い。血が細かい霧になって風に舞った。
「っ……!」
反射的に後ろへ下がろうとした、その瞬間――
「あら、避けないの? じゃあ――当たっちゃうわよ?」
視界の端で彼女の腕が閃いた。
裏拳だ、と気づいた時にはもう遅い。
ゴッ、と鈍い音がして頬に衝撃が走る。
頭が振り飛ばされ、視界がぐにゃりと揺れる。
口の中に鉄の味が広がった。
口の中に血と唾が混ざり合う。 彼女を睨みつけ。「ペッ」血と唾を吐き出した。
「おまえ、なにもんだ?」
彼女は微笑しながら「口説くなら時と場所選びなぁ」
彼女はクスクスと笑った。
その笑い声がやけに風に溶けて、耳の奥で響く。
「ふざけんな……!」
煉は拳を握り、炎を纏わせる。
手の中でパチパチと火花が踊った。
「へえ……やっと面白くなりそうね」
彼女は軽く指先を動かす。
途端に足元の砂が巻き上がり、竜巻のように渦を巻いた。
「さあ、炎の坊や。運命の輪は、もう回り始めているわ」
その瞬間、砂嵐が爆発したかのように広がり、視界が完全に奪われる。
ラッシュで彼女の繰り出すパンチを何発か顔面で受ける。 (あたまの中で冷静になれ冷静になれと繰り返す) ジャリッと砂の音と気配でパンチを防いだ。
時間が経ち視界が開けてきた。いまだ。 僕は、彼女に向かって叫んだ。「フレイム・バースト」
彼女に向かって業火が襲う。
彼女は不気味な笑みを浮かべながら「それを待っていたのよ」
炎が轟音を立てて彼女を呑み込んだ――はずだった。
しかし、次の瞬間、炎は風に煽られ、渦を巻いて天へと立ち昇る。
「な……!」
彼女は炎の中に立っていた。
髪とマントがはためき、切れ長の目が赤く燃える炎を映す。
「そう……もっと燃やして。風と炎が混ざり合う瞬間が、一番きれいなのよ」
風がさらに勢いを増し、炎がねじれ、巨大な火災旋風となった。
渦が唸りを上げながら迫りくる。炎と風のうねりの音が竜の鳴き声みたいに聞こえる。
「やめろ――!」
僕は必死に炎を抑え込もうとする。
だが風はそれを許さず、火はますます大きくなる。
「いい顔するじゃない。もっと見せてよ、その必死な顔!」
彼女の声が渦の中で木霊した。




