第15話 影縛り(シャドー・バインド)
「ごちそうさま。煉あんた相変わらずバカ食いね。ゼニーがいくらあっても貯まらないわ」
「うるせえ、俺だってモンスター退治で腹が減るんだよ! 」
「あんたねぇ、わたしだって救世主って任務があるのよ。脳みそ使うんだから、もっと繊細なエネルギー補給が必要なの! 」
わたし達はレストランの支払いを済ませ外に出た。
王都のメインストリートは、昼ちょっと過ぎた頃で、活気に満ち溢れていた。露店の呼び込みの声、行き交う人々の話し声、どこからか聞こえる吟遊詩人の調べ。そんな賑やかな町を散策しているわたしの頭にポカッ、と軽い衝撃が走った。
「あんた今わたし殴ったでしょ!? なにしてるのよ、か弱い女の子に! 」
わたしは頬を抑え、煉を鋭い眼光で睨みつけた。
「はぁ!? 誰が『か弱い』だって? それに、俺は殴ってねぇし! 」
煉は両手を広げ、心外だとばかりに首を傾げる。彼の視線は確かに、湯気を立てる屋台の串焼き肉に釘付けだった。
「はぁ? 勘違いだったのかな? 」
わたしは不審に思いながらも、すぐに思考を切り替え、周囲の活気に目を向けた。しかし、心のどこかでは、この奇妙な出来事が引っかかっていた。
その直後、今度は煉の頭にポカッ、と音がした。
「痛っ! おい、おまえ今殴っただろ!? 今度は言い逃れさせねぇぞ! この手つき、絶対てめぇだろ!」
煉は頭を抱え、明里を指差す。その顔は、怒りよりも困惑が勝っていた。
「はぁ? わたしは町のにぎやかさを見てたのに、あんたなんか見て無いし殴っても無いわよ! 本当に、もう、幻覚でも見てるんじゃないの!? 疲れてるのよ、きっと!」
わたしは呆れたように肩をすくめ、完全に相手にしない態度を取った。二人のやり取りは、周りの人々から見れば、いつもの痴話喧嘩のように見えただろう。
その様子を、ぼんやりとした人影――シャドーがほくそ笑んで見ている。
シャドー『ふふっ、救世主ども、どんどん仲間割れしろ。互いに疑心暗鬼に陥り、無駄な争いで消耗するがいい。愚かな人間どもめ。』
「ったく……。ん? おい、明里、今、おまえの影、変な動きしなかったか?」
煉は、わたしの足元に伸びる影を指差す。太陽が真上にあるため、影は短く、地面にへばりついている。
「はぁ? 影は動くもんでしょ? 太陽の位置が変われば形も変わるし、あんたが動けば影も動くわよ。ご飯食べた後だから眠くなった? 脳に糖分が足りてないんじゃないの? ほら、脳みそ使わないと。」
わたしは、煉の言葉を完全に科学的な現象として捉え、一蹴した。
「違うんだって! そんな意味じゃねぇ! 本当だって、おまえの影から、手がニョロって伸びた様に見えたんだよ! しかも、俺を殴ったのはそいつだ!」
「なに言ってんのよ。影なんだから手が伸びたって不思議じゃないでしょ? ほら、腕を伸ばせば影も伸びるでしょ? 影は光と物体の関係性で生まれる、ただの現象よ。」
わたしは自分の腕を伸ばして見せる。煉は、そのあまりの能天気さと、科学的な解説に、頭を抱えた。
「そんな意味じゃないんだって、クソ! 信じないのなら、今見せてやる!」
煉は半ばヤケクソになり、明里の足元の影に、小さく火魔法の炎をかける。チリチリと影が揺らめく。
「あんたなにしてんの!? 私の影が燃えるでしょ!? 」
わたしは慌てて足を引いた。
シャドー『ふふっ、影なんだからなにしても無理なんだよ。こんなこと、お前たちには理解できないだろうな。愚かな光の存在よ。』
その声には、確かな嘲笑と、底知れぬ自信が込められていた。
『時間が経つと影は伸び、小さい影から大きな影に移動出来るんだよ。夕方になったらお前らは終わりだ。太陽が傾き、影が長くなればなるほど、俺の力は増していく。そして、こんな事も出来るぞ。俺こそが世界最悪で世界最強だ』
シャドーが町を行き交う群衆の中に、ひときわ巨体な男の影に、スッと溶け込んだ。その瞬間、男の体がビクッと硬直し、焦点の合わない目で煉を睨みつけた。男は腰に差していた刀を抜き、尋常ではない殺気を放ちながら煉に対して刀を振りかざした。煉は、その殺気を感じ、咄嗟に身を翻し、攻撃を紙一重で躱した。刀の切っ先が、煉の頬を掠め、冷たい汗が流れる。
煉「やっぱりおかしい! なにか、おかしいって言っただろ! あいつ、人の体を操りやがった! 見ただろ、明里!」
わたしも、今度ばかりは事態の異常さに気づき、顔色を変えた。操られた男の目には、確かに影のような黒い靄が宿っていた。
「まさか…影が、実体化するだけじゃなく、人を操るなんて…! これは、私の知ってる影の概念じゃないわ…!」
二人は急いでこの場を立ち去った。町の人々が混乱する中、路地を駆け抜け、町の外れまで来て、ここまで来たら安全だろう、と息をついたその時だった。
町の建物の大きな影が、まるで生きているかのようにうねり、そこから鋭い影の腕が何本も伸びてきて、二人目掛けて攻撃を仕掛けてきた。影の腕は、地面を這い、壁を這い、まるで生き物のように迫ってくる。
煉「くそっ! まだ追ってきやがるのか! しつこい奴だ!」
煉は身軽な動きで影の攻撃をかわし、わたしを庇うように前に出る。炎の魔法で影を焼こうとするが、炎は影をすり抜け、何のダメージも与えられない。
「明里、逃げて! 臨戦態勢を取ってたからなんとか逃げられたけど、このままじゃキリがねぇ! あいつ、どこからでも攻撃してきやがる!」
「煉! 影のない所に行くわよ! 光が届く場所へ! 影は光がなければ存在できないはずよ!」
わたしは、影の特性を瞬時に分析し、指示を出す。
(実体化するなら、あの方法なら・・・)
煉「わかった! あんな化け物、俺の魔法でどうにかしてやる!」
二人は、影の追撃をかわしながら、開けた野原へと走り出した。太陽が真上から降り注ぐ野原なら、影は短く、身を隠す場所もない。
シャドー「バカめ、お前たちの影に付いて行ってるのに。どこへ逃げようと無駄だ。お前らから影が離れることはない。太陽が真上にあろうと、お前たちの影は常に俺の領域だ。」
シャドーの声が、二人の背後から嘲笑うように聞こえる。その声は、まるで影そのもののように、どこにでも存在しているかのようだった
。
近くに何もない野原、しかし少し離れた場所に、太陽の光を浴びてくっきりと影を落とす大きな巨石が道べりにあった。その巨石の影は、二人の影よりもはるかに大きく、濃い。
「バカめ、お前らの影にいるんだよ。どこへ行こうと、俺からは逃れられない。さあ、ついに正体を現す時だ!」
シャドーが、明里と煉の足元に伸びる影から、ゆっくりと、しかし確実に実体化し始めた。その姿は、漆黒のローブを纏った人型だが、顔には目鼻がなく、ただ虚ろな闇が広がっている。その手には、影でできた禍々しい鎌が握られていた。その姿は、まるで悪夢から抜け出してきたかのようだ。
明里は、シャドーの姿を一瞥すると、すぐに煉に耳打ちをした。
「(煉! 私たちの真上に、できるだけ大きく、強い火の玉を出して! 太陽の光を遮るくらいに!)」
煉は、明里の意図を瞬時に理解したようだ。ニヤリと笑うと、頭上に巨大な火の玉を出現させた。
煉「おう、任せとけ! てめぇの影なんざ、俺の炎で消し飛ばしてやるぜ!」
ゴオオオオッ!
煉の火の玉が、まるで小さな太陽のように空に浮かび上がる。その強烈な光が、明里と煉の真上から降り注ぎ、二人の足元にあった影は、火の玉の光の真下で、一瞬にして消滅した。
シャドーは、明里たちの影が消えたことに驚き、一瞬動きを止める。シャドーの逃げ場は巨石の影にしかない。
その刹那、消滅した明里たちの影は、まるで意思を持ったかのように、近くの巨石の影へとスッと移動した。シャドーは、巨石の影の中で、再びその実体を現す。
「過冷却水、今よ煉! 影が実体化した今、その本体は石よ!」
煉「おう、フレイムストーム!」
煉が叫ぶと同時に、明里の手から放出された過冷却水が、巨石の影に実体化したシャドーを包み込む。シャドーは焦ったのか、実体を操る魔法を解除できず、そのまま巨石本体に凍りついてしまった。氷点下の水が、瞬く間に巨石の表面を白く覆い尽くす。
その直後、煉の放った強烈な炎の渦「フレイムストーム」が、凍りついた巨石とシャドーを飲み込んだ。氷点下の氷と灼熱の炎が激しく衝突し、轟音と共に巨石は木っ端微塵に粉砕された。シャドーもろとも、跡形もなく消え去った。
わたしは、砕け散った巨石の破片を見ながら、ふっと、昼の光景があたまによぎる
明里「あんた、本当に食べすぎよ。」
煉「うるせぇ! 食べないとやってられるか! 」
この世界を救うより、あんたと分かり合う方が難しい。
でも、不思議と、それが一番頼もしい気がした。




