第11話科学と砂漠の怪物
二匹の砂漠の巨顎を撃破し、安堵の息を吐いたのも束の間、わたしと煉は、相変わらず広大な砂漠の真ん中で、たった二人だけ取り残されていた。
先ほどまでリザードマンたちの怒号と馬の蹄の音が響いていたが、今はもうその喧騒も遠い過去のようだ。散り散りになった兵士たちの姿は、砂丘の彼方に完全に消え、旅団長レックスも遠くへと去ってしまった。
周囲に広がるのは、ただ果てしない砂の海と、灼熱の太陽が容赦なく照りつける空だけだった。再び訪れた静寂は、先ほどよりも一層重く、そして不気味にわたしたちにのしかかる。
一歩でも動けば、わずかな音でも立てれば、残る一匹のワームが飛びかかってくる。そう思うと、息を吐くことすら、全身の神経を研ぎ澄ませなければならないほど、いっぱいいっぱいだった。全身の筋肉が硬直し、冷や汗が背中を伝う。
私の見立てなら、残るワームは後一匹。しかし、その一匹が、これまでの二匹とは明らかに違う、異様な気配を放っている。
静寂の中、自分の心臓の高鳴りが、まるで爆弾のように、鼓膜に直接響いてくるかのようだ。
ゴゴゴ……ドゴッ。
突然、足元の砂が小さく盛り上がり、ワームがその巨大な頭部だけを砂から出した。しかし、すぐに襲いかかってくることはなく、不気味な頭部を左右に振り、キョロキョロと周囲を探り始める。
まるで、何が起こったのか、どこに獲物がいるのか、慎重に詮索しているかのようだ。その動きは、先ほどまでの獲物を目的に追うような単純なものではない。
音は聞いたはずだ。
この一匹は、他の二匹よりも賢いのか?
それとも、ただ私たちを怯えさせるためなのか?
ワームの行動は、私の予測をわずかに超えていた。
ドゴッ。キョロキョロ。
また別の場所から顔を出し、辺りを見回す。その度に、砂がわずかに揺れ、私たちをじっと見つめるような視線を感じる。
いつも強気で賑やかな煉も、その顔は青ざめ、恐怖に引き攣っていた。彼の額からは、再び大粒の冷や汗が流れ落ち、砂に吸い込まれていく。
私は、彼の様子に気づきながらも、今は何も言えない。ただ、アイコンタクトで『今は動いたら駄目。落ち着いて』と静かに促すことしかできなかった。
ワームは、しばらく周囲を探った後、不満そうに頭部を砂の中に引っ込め、ゆっくりと離れていった。
静寂が、また戻って来る。空も大地も、時が止まっているようだ。しかし、まだ安心はできない。砂の下には、最後の脅威が潜んでいる。
耳に残るのは、風が砂を撫でる、ヒューという乾いた音だけだった。その音が、まるで死神の囁きのように聞こえる。
その時だった。
ズズズズズズズズズッ……!
足元の砂が、底なし沼のように、ゆっくりと、しかし確実に沈み始めた。周囲の砂が、小さな滝のように音を立てながら、私たちの方へと流れ落ちてくる。
それは、ワームが砂の下で、私たちを蟻地獄の蟻のように、自らの中心へと引きずり込もうとしているかのようだった。
ワームに、少しずつ、だが確実に近づいていく。そのたびに、全身を支配する絶望感と、底知れない恐怖が心の奥底から這い上がってくる。
叫び声を上げて走り出したい衝動に駆られるが、恐怖で体が硬直し、何も思いつかない。抗う術もなく、私たちは砂を巻き上げるたびに、確実にワームの潜む場所へと引き寄せられていく。煉が足を滑らせ、中心へと呑み込まれていく。
わたしは、この状況を打開するため、最後の賭けに出た。
口で説明すればワームに気づかれてしまう。だから、わたしは煉に、ワームを取り囲むように火の魔法で円を描くジェスチャーをした。
煉は一瞬、戸惑った表情を浮かべたが、もう他に策が無いと悟ったのか、わたしの指示に従った。その瞳には、わずかな迷いと、私への信頼が入り混じっていた。
煉の魔力が砂漠に放たれ、ワームが潜む場所を中心に、鮮やかな炎の円が形成された。その炎は、砂に触れることなく、まるで物理的な壁のように立ち上がる。
(地中奥深くでは酸素濃度が薄くなるはず。奴らが地表近くで活動する理由も、そこにあるのかもしれない……)
わたしは、さらにジェスチャーで、その炎を少しずつ小さくするように指示した。
炎の円は、ワームを中心に、ゆっくりと、しかし確実に縮まっていく。ワームは、炎の壁に囲まれ、熱さと閉塞感に苛立っているのか、砂の中で激しく暴れ始めた。巨大な体が砂を巻き上げ、地鳴りが響き渡る。
その瞬間、ワームが急に砂から跳躍した。
炎の壁を乗り越えようと、巨大な体が空中に晒される。
明里「今よ、煉! 炎の魔法、撃って!」
私の叫び声が、熱気を帯びた砂漠に響き渡る。煉は、その瞬間を逃さず、渾身の炎魔法を放った。
ゴオオオオオオオオオオオッ!
煉の放った炎は、空中で身悶えるワームの巨大な体を瞬く間に包み込んだ。空気が焦げ付く匂いと、肉が焼ける音が響き渡る。
ワームは火達磨となり、やがて力尽きて、ドォン!という鈍い音を立てて砂漠へと焼け落ちた。
「「やったー! 倒したぞ!!」」
安堵と達成感が全身を駆け巡る。
(二人は、よろめきながらも、来た道を戻ろうと歩き出す。その時――)
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
再び、異様な地鳴りが砂漠を揺るがした。先ほどとは比べ物にならない、より重く、より不気味な振動が背後から伝わってくる。
明里「な、何!?」
煉「まさか、まだいるのか!?」
二人が恐怖に駆られて後ろを振り向いた、その瞬間。
倒したはずの巨大なワームが、まるで何事もなかったかのように、ゆっくりと、しかし確実にその巨体を起こし始めていた。
煉の炎魔法で全身を焼き尽くされ、未だ燻る炎をまとったまま、その火達磨の姿でこちらを見据えている。その目は、狂気と、そして途方もない執念に満ちていた。
(これは、生き物の執念なのか。それとも、ただの「生」の執念なのか?)
明里「キャアアアアアアアアアッ!!」
煉「う、嘘だろ!? なんで、なんでまだ来るんだよぉおおお!!」
半狂乱になりながら、ワームが近づいて来る。炎を撒き散らしながら、一切の躊躇なく突進してくるのだった。
わたしたちは立ち尽くした。倒したはずのワームが目の前に現れ、流石に諦めかけた、その瞬間――。
その時、半狂乱のワームに近づく何者か。
剣が一閃し、一突きで止めを刺した。
今さっきまで激しく動いていたワームが、ビクリとも動かなくなる。
「わが名はレックス。旅団の敵を討ち取りに来た」
旅団長レックスだった。
最後のワームを倒し、二人は安堵の息を吐いた。砂漠には、再び静寂が戻っていた。しかし、先ほどまでの張り詰めた静けさとは異なり、そこには達成感と解放感が満ちていた。
ふと見ると、クリスタルビーストの欠片。これが、もしかしてワームに知を授けていたのか? いや、まさか……。
わたしは煉の方を向き、語りかけるようにゆっくりと説明を始めた。
明里「バンドウイルカはね、尾びれで海底の砂を巻き上げて、魚の群れを泥の輪――つまり円形の障壁で囲むの。魚たちは、その砂埃の壁を物理的な障害物だと誤認して、上を飛び越えようとする。そこを、イルカがジャンプして捕まえるのよ」
煉の顔に、徐々《じょじょ》に驚きと理解の色が浮かんでくる。
明里「この砂漠のワームも、振動には極めて敏感だけど、嗅覚は鈍い。そして、奴らは地中から逃れるために、地上に飛び出す習性があるはずよ。あの炎の円陣は、奴らにとって『飛び越えるべき壁』に見えるはずだわ!」
煉は、明里の科学的洞察力に、ただ感嘆の息を漏らすばかりだった。
明里「ふう……見事な連携だったわ、煉。これで、水も無事ね」
煉は額の汗を拭い、誇らしげに笑った。
煉「へへっ、お前の頭脳には敵わねえな! でも、俺の魔法も結構役に立つだろ?」
レックスは二人を見て言った。
「まさか生き残るとはな。俺は旅団長レックス。別名サンド・ストラテジストだ。また会えるなら会おう」
そう言い残し、夕日に溶けるように去っていった。
わたしは微笑み、無事に残った水袋を見つめた。これで、集落に水を届けることができる。砂漠の巨顎との死闘を乗り越え、二人の絆はさらに深まった。
わたしは口には出さないが、煉、よく頑張ったね、と心の奥底に仕舞い込んだ。
沈みゆく夕日が砂漠を赤く染め上げ、急速に気温が下がり始める。
わたしはリュックからマッチを取り出し、近くに集めた枯れ草に火をつけようと屈んだ。
「そんなもん、俺の魔法で……」
煉が呆れたように言いかけたのを、わたしは言葉を被せるように遮った。
「人類は火を手に入れて、洞窟から抜け出し、動物から身を守り、調理を覚えたの……」
パチパチと音を立てて燃え上がる小さな炎を、明里はうっとりと見つめる。その瞳には、科学者特有の探究心と、根源的なものへの畏敬の念が宿っていた。
煉はその横顔をちらりと見て、空返事のように言った。
「そんなもんかね」
だが、彼の視線もまた、揺らめく炎に引き寄せられているようだった。
火の温かさが、二人の間に静かに広がっていく。
わたしは、温かい気持ちで、ずっと火を見つめていた。




