田中妙子という女性を見かけたら必ず殺してください
【田中妙子という女性を見かけたら必ず殺してください。刺殺、殴殺、絞殺、轢殺、なんでも構いません。どんな方法でもいいので必ず殺してください。よろしくお願いいたします】
そんな内容のチラシが私のいる町のあちこちの電柱や塀に貼られるようになったのは、一週間ほど前の事だった。
そのチラシには似顔絵も描かれており、腰まで伸びる長い黒髪、赤いワンピース、そしてツバの広い麦わら帽子を被った二十代前半くらいの若い女性で、身長は160センチくらいと記載されていた。
当初、そのチラシを見た町の人達は、気味悪がって役所の人間に撤去してもらったのだが、気が付けばまたすぐにまた同じチラシが貼られていた。それも一度や二度でなく、もう何度も。
目撃情報もなく、また監視カメラにも映っていなかったため、犯人は見つからなかった。そうしていつか、誰もチラシを気にしなくなるようになった。私もその一人だ。
そんなある日の事。仕事終わりにコンビニへ寄って買い物をしたあと、自分のアパートへと帰る最中の出来事だった。
家路に就く途中で、長い黒髪に赤いワンピース、そしてツバの広い麦わら帽子を被った若い女性が前を歩いてきた。
正直、私はドン引きしました。この町の人間なら当然あの不気味なチラシを知っているはず。それなのにチラシと同じ格好をするなんて、無謀というかバカだなあと思った。
それに、私も他人の事は言えないけれど、夜中に若い女性が独り歩き──それもチラシと同じ格好するなんて、愚かの極みでしかない。
まあでも、所詮は他人事……私がどうこう言う問題じゃない。
そう思い、麦わら帽子の女性の横を通り過ぎようとして、私は歩みを止めた。
というより、止めらさせられた。
麦わら帽子の女性が、唐突に私の前に立ちはだかってきたのだ。
「あ、あの……なんですか?」
「わたくし、田中妙子と申しマス」
なぜか突然名乗られた。
それも、チラシと同じ名前で。
「はあ、そうですか。では失礼します」
どういう意図があるのかはわからないけれど、こういうのは相手にしないでさっさと立ち去った方が得策だ。なので早々にその場をあとにしようとしたのに、また自称田中妙子に立ち塞がれた。
「もう、本当に何なんですか? いい加減警察を呼びますよ?」
「田中妙子と申しマス」
「だから、警察に──」
「田中妙子と申しマス田中妙子と申しマス田中妙子と申しマス田中妙子と申しマス田中妙子て申しマス」
いきなり薄気味悪い笑みと共に自分の名前を連呼し出した山田妙子に、私はゾッと怖気が走った。
早く逃げなければ。そう思ってすぐに走り去ろうとして、突然腕を掴まれた。
そしてものすごい力でそばの塀に叩きつけられ、私はその場でへたり込んだ。
そうこうしている内に、呻き声を漏らす私に、田中妙子が不気味な笑みと共に顔を覗き込んできた。
「田中妙子と申しマス……」
やばい。こいつは完全に異常だ。このままだと殺されるかもしれない。
なんとかしなければ。命の危険を感じながら、死に物狂いで活路を探していると、ちょうどそばにコンクリートブロックを見つけた。
迷っている余裕なんてなかった。私は慌ててコンクリートブロックを両手で掴んだあと、田中妙子の頭目掛けて思いきり振りかぶった。
グシャッ、というカボチャを地面に叩きつけたような音がしたあと、田中妙子は頭から血を流しながら後ろ向きに倒れた。
ぜぇぜぇと息を切らせながら、コンクリートブロックをゴトリと地面に落とす。
田中妙子の前頭部は明らかに陥没しており、そこからとめどなく血液が溢れ出ていた。まるで噴水みたいだ。
そして田中妙子の顔には、明らかに生気がなかった。白目を剥いたまま、息をしている風にも見受けらられない。
死んでいる。ちゃんと脈拍などを確認したわけではないけれど、一目で死んでいるとわかる姿だった。
「ひっ……!」
咄嗟に悲鳴を呑み込みつつ、私は無我夢中でその場からすぐに逃げた。
救急車を呼ぶとか応急手当てとか、そんな事は頭になかった。とにかく田中妙子を殺してしまったという事実から目を背けたかった。
田中妙子を殺してから数日が経った。
その間、私はずっと自分の家で引き篭もっていた。
当然、会社は休んだ。いきなり数日も休んで良い反応はされなかったけれど、四の五の言ってられなかった。いつ警察がやって来るかもしれないという恐怖が常に付き纏ってきて、それどころじゃなかったのだ。
でも、不思議な事が起きた。
路上に放置したはずの田中妙子の死体が、いつまで経っても報道されないのである。
さすがに奇妙に思って、怖々と町に出てみると、以前となにひとつ変わらず人々の往来があった。
この町で殺人事件があったとは露も知らないといった顔で。
それどころか──
「ねぇ知ってる? 少し前から塀とかに貼ってあるあの変なチラシだけど、あれに描かれている田中妙子って人が、本当に町中に歩いているみたいよ?」
「マジで? じゃあいつ殺されてもおかしくないじゃん。つーか、なんで普通に歩いてんの? 殺されるかもしれんのに」
「さあ? でも、夜中にあちこちで田中妙子を見かけたって人がいっぱいいるみたい」
町中を歩いていたらふと小耳に入ってきた、田中妙子の噂話。
それは、今も田中妙子が生きているというものだった。
それも一切外傷もなく、元気な姿で。
じゃあ、あの時私が殺した田中妙子はなんだったのか。
そもそも、なぜ殺害予告じみたチラシが町中に貼られている中で、外出なんてしているのか。
そもそも、田中妙子とは何者か──?
私にはなにもわからない。一体なにがどうなっているのか。
でもそれより、私は気になっている。
というより、こっちの方が最優先事項かもしれない。
それは、田中妙子を殺してからずっと、鏡で見る私の顔が、だんだん田中妙子に似てきたという事だ。
単なる幻覚かもしれない。もしくは、夢でも見ているのかもしれない。
ただ確かなのは、最近になって黒いワンピースやツバの広い麦わら帽子が無性に欲しくてたまらないという事。
そして、夜中に出歩く事が増えてきたという事。
そんな歪な嗜好や行動を増え始めた頃、私はふと気付いてしまった。
あの不気味なチラシは、あちこちに存在する田中妙子という怪異が、自分自身で町中に貼っていたのではないか、と。
誰かに殺してもらわないと、いつまでも経っても「田中妙子」という自分から解放されないから──だれかに代わってもらわないと、終わらないから。
だからあの時、田中妙子はわざと殺されるような真似をしたのかもしれない。
そう考えると、余計に怖くなった。
なぜならそれは、自死では意味がなく、絶対に誰かに殺されないと「田中妙子」から解放されたいという事でもあるのだから。
……もしかして、私もその内チラシを貼り回ったりするのだろうか。
いつか、田中妙子になってしまった時に──。
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