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2章22話 悪夢

「お待たせしました」

「はふほほへ、ほっほはっへへ」


 やべやべ、忘れていた。

 出てきたスミレのことを後にして洗面所に戻って口にあるものを吐き出す。歯磨きはほぼほぼ終わっていたからセットも置いておく。適当に裏返しておいた三分の砂時計が空になっているから確実にそれ以上は経っていそうだ。……って。


「それを着たんだ」

「はい! こっちの方が寝心地が良さそうでしたので!」


 鏡面の上の棚の中に備え付けられた寝間着。

 さてはここに来る前に見つけていたのか。抜け目のない子だよ。……ただまぁ、ものすごく似合っているな。白いネグリジェのような通気性の良さそうな服がスミレの透明に近い白い肌を余計に際立たせている。


「そっか、気に入ってくれたのならよかったよ」

「もう大満足です。それで……あの……可愛いですか」

「可愛いよ」


 そういう事は間髪入れずに返さないと。

 別に口にして何か悪いことが起こるわけじゃないからな。大丈夫、そもそも思っていたことだ。こんな事で喜んでくれるのなら……恥ずかしさも何も感じない。現に俯いているスミレの頬は真っ赤に染っているし嫌がっているようには見えないからね。


「それじゃあ、寝ようか」

「そ、そうですね……早く一緒に寝ましょう!」


 ……いや……まぁ、うん。

 何となく察してはいたよ。というか、風呂にまで突撃してくるような子がそういう事を恥ずかしがるとは思わないし。それに……なぜだか、少しも断ろうとする気がおきない。すごく疲れているからなのかな。でも、それならそれでいい。


「俺の寝相は悪いからな」

「私も負けませんよ」


 軽口を叩くスミレと一緒にベットに入る。

 ああ、これは後で菜奈に怒られてしまうな。「私以外の女と一緒に寝るなんて」とか言われたら何て謝ろうか。……でも、きっと菜奈なら許してくれるだろう。別に男女の何かが起きるわけでは決してないからな。


「あの」

「ん?」


 俺の腕にしがみついているスミレの顔を見た。

 頬を若干、赤くさせてニコニコとしている姿を見るとものすごく胸が暖かくなる。この感情ってもしかしたらアレに近いのかな。いや、でも、実際の俺がそうだったのかが分からないから何とも言えない。


「ボイドさんは……私のお兄ちゃんです」

「お兄ちゃん……ああ、そうだな。俺はスミレの師匠であり、お兄ちゃんでもあったな」


 妹がいたらこんな気持ちを抱いていたのかな。

 ここまで日本にいた時の記憶が無いことを恨んだのは初めてだよ。この何とも言えない気持ちを上手く例えることが出来ないんだから。きっと記憶があったならもっといい例えというか、表現だってできたはずだ。


「おやすみ、スミレ」

「おやすみなさい……ボイド、お兄ちゃん……」









 ◇◇◇









「お兄ちゃん」


 そんな声が聞こえた気がした。

 どこか懐かしいような声、だけど、皆目見当もつかない。何か忘れてはいけなかったもののような気がするのに……なぜだろう、一向に思い出せそうにないんだ。スミレ……では、決してない。女性ではあるんだろうけどスミレほど幼くも無く、歳を取ってもいないものだ。


「……どうしたの」

「ううん! なんでもないよ! 呼んだだけ!」


 霧は晴れない、全てをひた隠しにしてしまう。

 手を伸ばせば君に届くのだろうか……そんな甘えた気持ちだけが浮かんでしまった。本当に嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちだ。ただ、だとしても、もう一回だけその声を聞かせて欲しい。


 何度も聞けばもしかしたら……ミカエルに奪われた日本での記憶も、俺が失った君自身の記憶すらも思い出せるかもしれない。声に出せば返してくれるのだろうか。……駄目だ、乾き切った喉では声が出てくれない。先程は出てくれた照れ隠しの言葉とは裏腹に喉が焼けるほど痛くなる。


 でも……俺は君を忘れたくは無かった。

 君だけは、君だけは最後まで俺の近くにいてくれたから。全てが壊れてしまっても良いと思えるほどに大きな気持ちがあったというのに……ああ、そうか……俺は君をまた一人に……。




 もう会えないのだろう。

 もう手を触れ合わせられないのだろう。






 なら……もう一度、もう一度、君の声を───









「お兄ちゃん!」

「ん!?」


 耳を劈くような大きな声。

 予想だにしない出来事のせいで柄にもなく飛び上がってしまった。……目を開けたらその声の持ち主はクスクスと笑っているし。昨日までの言葉は全て撤回してやろうかな。健気でも良い子でも何でもない、この子は悪戯な年頃の女の子だよ。


「……おはよう、スミレ」

「おはようございます」


 体を起こしてスミレの目を見つめる。

 ちょっとだけ恥ずかしそうだけど慣れてきているのか、笑顔を見せてくれるだけだ。あの声の正体が少しも分からなかったけど、この顔を見たらどうでもよく思えてきた。それにあの時の感覚に身を任せていれば俺は……まぁ、だとしても……。




「いてっ!」

「俺の耳を虐めた罰な」

「ぶぅ……だって、何をしてもお兄ちゃんが起きてくれなかったんですもん」


 起きなかったら何をしてもいいのか。

 そう思ったけど罰としてデコピンをしてやったから追い打ちをかける必要は無いだろう。それよりも今は……朝の七時半だからな。朝食を取って今日することを決めないといけない。確か寝る前に時計を見た時は十時くらいだったから九時間くらいは寝ているのか。


「ありがとな、起こしてくれて」

「はい! 起きてくれないと私のご飯がありませんからね!」


 現金なヤツめ、でも、分かっている。

 これはスミレなりの照れ隠しなんだろう。頭を撫でてやったら猫みたいに首を捻って喜んでくれたし、何より言葉通りだとしても俺にご飯を作ってもらいたいとも取れるからな。使い方が分からないとかいうマイナスな考え方はナシだ。全部、プラスに考えよう。


「すぐに作ってやるからちょっと待っていろ」


 寝る前に脱いだローブを纏っておく。

 何を作ればいいかな、朝っぱらから重たいものはさすがにないからカレーは無しだ。となると、簡単に作れてそれなりに腹に溜まるもの……うーん、普通にトーストとかでいいか。冷蔵庫の中にチーズとケチャップとかがあったはずだし、コンソメの素だけ混ぜたスープとかを付ければどうとでもなるだろう。


 顔を洗ってから部屋を出る。

 昨日と同じように階段を下ろして上がる。一緒にスミレも来ているから呼ぶ手間が省けてよかったよ。一応、椅子に座るように指示だけしておいて俺はキッチンへと入った。昨日の使った皿などを洗って水切り籠に置く。


 冷蔵庫を開いて使えそうなのを出して……。

 食パンは多めにあるから問題は無いだろう。オーブンでトーストを焼くのは掃除が大変そうだから電子レンジにしようか。この程度で不味いものに変わるものではないだろうし、別にいいや。


 耳だけ切り落として皿の上に置いておく。

 その上にチーズを均等にバラ撒いてからケチャップをかける。後はこれをレンジで温めるだけだ。その間に小さめの鍋に水を入れて火を付けておく。沸騰したらコンソメの素を入れて混ぜればいいから難しいことは何も無い。耳は……揚げて砂糖をまぶしたりしたら美味しかったはずだ。一応、取っておこう。


 一枚目が出来たら二枚目を作っておいてっと。

 分からないけど二枚もあれば十分だろう。足りないのならまた作ればいいからね。とりあえず二枚を二皿分、作れば朝食としては悪くないはずだ。内心、色々な知識としてある料理を食べられるのは俺としても嬉しいしね。


「ほい、出来たぞ」

「わぁ……これも良い香りですね」


 良い香りって、そりゃあ、そうだろうな。

 素が入っていた袋とかを見たけど明らかに商品として売られているような見た目だった。言葉も日本語だったから日本で売られている商品だとしたら信頼出来るよな。味に関しては人の好みが分かれるかもしれないけどね。


 スプーンとフォークも手前に置いてあげる。

 俺はフォークの代わりに箸を一緒に置いておいた。言っては悪いがパンを食べるのなら手か箸の方が食べやすい。城ではフォークが出されていたから食べ辛かったしなぁ。そういうところで俺が本当に日本人だったんだって理解させられるよ。

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