1章12話 男の意地
「なっ!」
「はっ……?」
手が緩んだ、未だに頭がボーッする。
咄嗟に後ろへ下がってしまった。頭がそうしろなんて命令はしていない。……そうだ、俺は怖いんだ。力を見せて自由を奪われることよりも死の恐怖を味わうことの方が怖い。だから、体が動いてしまったんだ。怖い、怖い……なのに、体が戦おうとも逃げようともしない。
「見ていろ、お前が動かないから身を呈して攻撃してきた女が死ぬ」
「な!」
グランが伊藤さんへ詰め始めた。
俺を試しているのか、速度は俺でも終えるほどに遅い。やれと、本気で攻撃してこいって言っているんだな。俺と同じ恐怖を抱かせたくないのなら死ぬ気で戦えって……この性格の悪い人間は言っているんだ。
どうする、どうすればいい。
戦っても負け、戦わずとも負け……なら、俺はどうしたい。俺のエゴである力を見せない戦いか、伊藤さんが死の恐怖を感じ精神的なトラウマを抱くことになるか……そんなのどちらを選ぶかなんて分かりきっている。うぜぇ、分かっていて行動をするオッサンが本気でウザイ。
「させない!」
「やはり手を隠していたか!」
刻印で毒の短剣を手元に戻して投げた。
見せたくはなかった、けど、見せてしまった以上は手を抜くなんて無理だ。全てコイツの手のひらの上で踊らされているだけ。なら、俺は俺らしく踊ってやるよ。俺は伊藤さんに苦しんで欲しくないからな。そうしたいのなら俺がするべきことはただ一つ。
「お前を倒す」
「やってみろ」
距離を詰める。
躱されるのは明白、俺の目的はそこじゃない。グランを倒すために俺が出来ることは手を増やすことだけ。初見殺し以外でグランを倒すこと、もとい毒の短剣を当てることは出来ないからね。刻印で手元に戻して刃を顔面に向けた。
さすがに驚きはするか。
躱そうとするよか、そこまでは想像していた。なら、また投げるだけ。これも躱されていい。どんなに強い人でも二回も躱すために動いたら隙は出来るはず。そこを……もう一度、投げて狙うだけ。
「くっ!」
「これで……掠っただけかよ」
刃を貫いてくれたけど直撃はしなかった。
無理やり体を捻じ曲げて頬を掠るだけで抑えてしまった。俺からすればもっとダメージがあって欲しかったんだけどな。まぁ、これは勝負あったと思うんだけど……諦めてはくれないか。
「やるではないか。ピリピリするぞ」
「そりゃあ、俺が毒を使えるんでね。こう見えても結構な毒なんですよ。そこら辺の人であれば掠るだけで体が動かなくなるような」
「その程度なら俺に効果は薄いな。とはいえ、このままでは危なそうだが」
倒れたり動けなくなったりはしない。
でも、確実に効いているんだ。隠そうとしてもグランの額には汗が流れている。動いて流れた汗ではない、きっとアレは焦りか毒の影響で流れたんだ。それにしても……ここまで本気で動いて時間を稼げば勝てるかもで終わってしまっているんだよなぁ。化け物過ぎるよ、新島が相手なら首を跳ねることも出来ただろうに。
「ふんっ!」
グランの一振が向かってきた。
躱さなきゃと思う頃には遅い。横振りが腹めがけて進んでいて躱す時間すら残ってはいないんだ。動くだけの時間が今の俺にはない……なら、武器でガードを取るしかないか。力の差からして受けきれないから流すしかないんだけど……俺に出来るか?
いや、しないといけない。
というか、それ以外に取れる選択肢が見つからないからね。手を伸ばして流そうとしてみる。受けてしまうとステータスの差で吹き飛ばされて一発ゲームオーバーだ。未来視なんてものは無いけど、そうなる未来だけは脳内から消えてはくれない。
「あ、やば!」
「な!」
受ける瞬間に足が縺れてしまった。
そのせいで後退してしまう羽目にはなったが結果的には良かったらしい。すぐ目の前を縦に斬撃が通った。横振りは元から当てる気がなかったんだろう。途中で振り方を変えて下ろすフェイントをかけてきたようだ。あのまま受けに回っていたら今頃は……ヒュンと何かが抜け落ちる感覚があるな。おー、恐ろしい。
グランは……驚いているようだ。
俺もそうだけど、グランも躱されるとは思っていなかったみたい。まぁ、あの流れるような一撃は初見で躱せないだろうね。ステータスがグランより高くないか、それか死ぬほどに運が良い人じゃない限りは。とはいえ、初めて運が良くてよかったと思えたよ。俺だって痛いのはゴメンだ。
「躱した……わけではないな」
「ええ、運がよかっただけです。まさか、こんなところで転んだことが功を奏するなんて」
「ふ、面白いじゃないか」
軽口を叩いてみたが良くなかったかな。
余計にグランの好奇心を煽ってしまうことになってしまった。仮にだよ、今の速度で本気じゃないとしたら……ああ、これは本当にヤバいかもしれない。もっと早くに両手を上げて降参しておくべきだった。これではカッコイイ姿がどうとか言ってられない。なら……死ぬのを覚悟で戦わないといけないか。
ただ今の状況は悪くない。
さっきはグランが攻撃してきたからか俺の出方を伺うように目を合わせたままでいる。少なくともグランから攻撃してくる素振りは今のところはない。まぁ、引けるような雰囲気は少しもないし攻撃の構えをした頃には俺の首が飛んでいるだろうけど。
引けそうにない、なら勝つ気でいかないと。
易々と命を差し出す道理はないからね。もしも勝てるとしたら何だ。俺の最大の強みは何だ。今の俺の行動を見ている時間に考えつかないと小さな勝機も見いだせない。強み、それは少ししか効かない毒。後は何がある……回復、そうだ。二つの力を持つ回復と毒で何とかしなければいけない。
後は上げてもらった幸運次第だな。
毒と回復があれば出来ることは幾つか浮かんだ。まぁ、そのうちの半分以上が状況次第か、リアリティがないかのどちらか。一番に可能性があってやれるとしたら……これかな。毒に魔力を流しながらグランの周りを走る。目を離してはいけないんだ。離せば付け込まれる。
「何をするつもりだ」
「勝てる確率を上げているだけです」
事実だ、この行動にも意味はある。
バレたら終わり、本当の初見殺しをするつもりでいく。もしも、これが失敗したら……なんてことを考えるのは駄目だな。勝つ気のない奴が何かを成し遂げることなんて不可能だ。一気に距離を詰めて見せる。俺がやる事は一つだけ、回復の短剣を胸元に刺した。
「何を」
「いっ、たいな!」
思いっきり攻撃を食らってしまった。
でも、これでいい。想定通りダメージは死ぬ手前で抑えられたし、常時、短剣のおかげで回復され続けている。防具の強化効果が無ければ今頃はライフが一つ無くなっていただろうな。だが、これで隙は出来た!
「ガッ!」
「ぐっ! でも、まだだ!」
地面に叩き付けられてしまった。
その間に左肘から吹き出した血で目は潰せたはずだ。こうやって頭を掴んできたのも俺の位置を明確に理解出来ていないからこそ。左手は使えなくなったし毒が回り始めたけど計算内。これさえ当てられればいいんだ。毒の短剣を首元目掛けて放つ。
「やられないな!」
「え」
俺の位置は掴めていない。
だから、グランは剣で体をガードしてきた。これは計算外だ。早く短剣を引っ込めないと……そう考えている内にぶつかってしまう。今、一番してはいけないことをしてしまった。ぶつかってしまうということは……鈍く大きな音が鳴ってしまうということ。つまり……。
「そこか!」
「くっ……」
また首を掴まれてしまった。
これは本当に嫌な感覚だ。でも、さっきと違うのは一つだけ。俺はまだ手を隠している。あの時のように負けるために戦ってはいない。どうすればいいかなんて正解はやってみなければ分からない。なら、幾らでも手を見せてやるよ。
刻印で右手に短剣を戻す。
左手は……使えない。さすがに無茶をし過ぎたな。ダラダラと流れる血をそのままに距離を詰める。吐き気がする、体の痛みはないが頭痛が酷い。脳が酸素を寄越せって強く要求してくる。が、却下だ。そんな時間は今の俺には残っていない。前に立つ俺が倒れた瞬間に、攻撃出来るとしても伊藤さんは勝ち目がなくなってしまう。
「喰らえ!」
毒の短剣を無理やりに振った。
この近距離なら躱せないだろ。掴んでいるうちは俺との距離を取るなんて不可能だからな。離せ、投げつけてみろ! 早くしろ! お前の最善の一手はそれくらいしかないだろ!
「喰らわねぇ!」
「分かっていたよ!」
投げつけられてすぐにグランへ走る。
空中で無理やり体勢を整えたから足への負担が大き過ぎる。痛くて痛くて走るのさえも辛い。だけど、不思議と恐れはない。勇気を出して俺を助けてくれた伊藤さんの事を考えると……痛みさえも受け入れられる。何でなんだろうな、会って一日と経たない人をここまで守りたいだなんて思うなんて。自分でもおかしいとは思うさ、だけど、心が伊藤さんにカッコイイ姿を見せたいと叫んでいるだ。なら、胴体はそれに従うだけ!
「終わりだ!」
「喰らわーー」
言葉は続かない。
知っている、これを狙って馬鹿みたいに距離を詰めたりしたんだ。走り回って見せたんだ。俺がしたかった事は短剣をぶつける事でも何でもない。幸運が発動しそうな条件を築き上げること。毒の短剣から漏れる毒で地面を滑りやすくすることだけだ。
予想通りグランは転んでくれた。
体勢を崩したからガードも出来ないだろう。攻撃も同様に出来はしない。起き上がる時間は俺が与えないからな。この後はグランならどうする。俺なら為す術なく負けるが。足りない頭を回せ、ここまで来て負けは認めたくない!
「俺の、俺達の勝ちだ!」
「させ、ないな!」
結果、出来たのは途中で速度を上げること位。
そんな中でグランの言葉が聞こえた。その後すぐに視界が一段、下がる。転んだわけではない、足を蹴られて前へ倒れそうになっているんだ。今の状況を理解した時に見えたのは……笑っているグランだった。馬鹿にしたものではなく本当に愉快そうな表情。
「……君は本当に面白い」
その声と共に視界が暗転した。
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