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琴線に触れる

作者: 司 征

「小説家になろう」をはじめとするweb小説を、全体の数からすると微々たるものだが、複数の小説を読ませてもらっている。

 その中で時たま「琴線に触れる」という表現に出くわすことがある。



 web小説以外の書物でも当然この慣用句は使われていて、何度も目にしていた。それで培われた筆者のイメージではこの言葉は「きれいなイメージ」である。

 例えば、よい音楽であるとかよい絵画であるとか芸術面で素晴らしいものに出会って、感動する、心が震えるといった場合に使われる言葉というふうにである。



 しかしweb小説でこの言葉を見かけたとき、その場面は一様に「トラウマを刺激される」ようなシーンであったり、龍の逆鱗のように「怒りのスイッチが入る」ようなシーンであったりする。

 つまりはマイナスイメージを想起させるような使われ方をしていた。



 これは筆者がこの慣用句の意味を間違って捉えていたものかと、今更ながら語意を調べてみた。今は便利なもので辞書を引っ張り出すまでもなく、ネット上にある辞書や言葉の解説ブログなどでタイムラグがほぼなしに調べることができる。ありがたい限りである。



 それによれば、「良いものや素晴らしいものに触れて感銘を受けること。琴線とは、物事に感動しやすい心を琴の糸にたとえたもの」とある。言葉の由来は中国の周朝のころ、琴の名手とその友人の故事だという。その友人は、琴の調べで曲に込めた意図や奏者の心情を理解することができた、というところから創られたのだそうだ。



 こう聞けば、悲しみや憤りという心情も理解できた、と言えなくもないが、言葉の意味としては、マイナスイメージに使用するのはそぐわないと言えよう。



 こうした間違った言葉の使用法の蔓延に、web小説の弊害があると言える。作品を上梓した作者以外にチェックができないからだ。投稿後に指摘を受け、修正がなされることもあるが十全ではない。複数のフィルターをすり抜け、商業ベースに乗ることもあるぐらいだ。

 間違った使用を見て、間違ったまま使用することは、国語力を損なう原因になるであろうことを懸念する。自ら投稿するものとして戒めねばならないことだと思う。




 もちろん長い年月の末、言葉の意味が変わる、ということがあることは否定しない。事実そういう言葉もあるし、筆者も使用している。

 しかし、表題の言葉について言えば、琴線という言葉は先にも言ったように「きれいなイメージ」があるし、これがあまりよくないイメージで使われるのはなんだかもったいない気持ちになるのである。



 

〈追記〉


 ふと思いついた。「怒りの源泉を堀当てた」というのはどうだろうか。ほら、怒りが湧くって言うし。

 温泉に見立てて形容するのはどうだろうか。


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