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なんで、今更私の婚約の破棄をした人間が、私の目の前に現れた。
「お前はその、『愛する人の魔力を百倍にする魔法』しか価値がないんだよ! もしも俺に従わないのならば……監禁でも洗脳でもして、俺を愛するようにしてやるよ」
不快な笑みを浮かべる王子……ミカエル。
私は、隣にいる私を救った青年、セルジュの服の袖を掴んで、不安そうにセルジュを見上げた。
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時間は遡る事、私がセルジュへの好意を確信した三日前。
を超えて王子、私がセルジュと出会った一か月前。
を更に更に超えて。
王子ミカエルに好きな人ができた一か月と一週間前。
私は父が死んだことをきっかけに貴族としての立場を失ったこともあり、あっさりミカエルは別の人に乗り換えて「真実の愛を見つけたんだ!」等と言い私の婚約破棄をした。
その一週間後。つまり一か月前。いつの間にか私は悪人に仕立て上げられて、街を追い出されてしまった。
私は宛てもなく歩き続け、街から逃げるように森の奥へ行き、もうここで死んでやろかと思ったその時……セルジュに出会った。
不思議な雰囲気の青年だった。
美しくも整った顔立ちで、高貴な人間を思わせる金髪。
なのに服はしわだらけで、そのギャップからまるで森の妖精にでも会ったような気分だった。
「こんなところでどうした? ハイキング?」
「……こんな軽装で、そう見えるわけ?」
傷心中の私は、セルジュを冷たく扱った。
だが、セルジュは優しかった。
行く宛てもない私を、自分の住む森の小屋に案内し、暖かい飲み物もくれた。
勿論それだけじゃなく、小屋に住んでもいいと言ってくれた。
どうやらセルジュは、魔法があまり使えないらしい。魔法は日常生活に必要不可欠であり、魔力がなければ家にいるだけで邪魔になるような存在だ。ちなみに私も少ない。父に政略結婚の道具としてしか使われない程度には。
そして、セルジュもまた私と同じように家を追い出されて、この小屋で暮らしているとのこと。
私はこの小屋に一時的に住み、準備が整ったら別の街で名前を変えて暮らすつもりだった。こんな得体の知れない男と長く一緒に暮らすつもりもないと思っていた。
しかし、この小屋では生活に困らなかった。セルジュは銃器や、罠を利用して森の動物をうまく狩るし、野菜も育てているから、食べ物も沢山ある。
何よりも、セルジュは優しい。私がこの森に彷徨い歩いていた理由を聞きやしないし、八つ当たりで冷たく当たる私に対して、優しい微笑みで受け入れてくれた。
居心地がよかった。
だからもういっそのこと、一生この小屋に住んでいてもいいと思った。
だが……。
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そして今、王子ミカエルが現れた。
大勢の兵士を連れて、小屋を包囲している。
兵士は皆、小屋の入口に立つ私とセルジュに手の平を向けている。これは、不審な動きをしたら魔法をぶつけて殺してやるという脅しだ。
ミカエルは、にやにやとしながら私達の前を、足音を鳴らしながら歩く。
「いやはや……驚いたものだ。まさか世界最強と言われていたこの俺が、お前が離れた途端魔力が100分の1になるとはな。調べたら、原因はお前の魔法にあるらしい」
「魔法……? 私、魔法はあまり使えないわよ……!」
「使っているんだよ。無意識のうちに。『愛する人の魔力を百倍にする魔法』を。特殊な魔法を使える人間は魔力が少ない。だからお前の魔力も少なかったんだ。……なあ、城に戻れ。お前が必要なんだ」
一見、私に優しい瞳を向けたかのように見えた。だがその瞳の奥はどす黒く濁っている。私への愛情なんて欠片もなく、いかに利用してやろうかと考える、そんな瞳だ。
「……いやよ。いや! 私はここで暮らすの! セルジュと一緒に!」
私の言葉を聞いた途端、ミカエルの上辺だけの笑みは崩れる。深いため息を吐いて、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「お前はその、『愛する人の魔力を百倍にする魔法』しか価値がないんだよ! もしも俺に従わないのならば……監禁でも洗脳でもして、俺を愛するようにしてやるよ」
不快な笑みを浮かべる王子……ミカエル。
私はセルジュの服の袖を掴んで、不安そうにセルジュを見上げた。
ミカエルは続ける。
「そうついでに言えば……セルジュ。だったな。お前の殺害命令が出ている。お前の父親は出来の悪い息子をいなかったことにしたいらしい。幼少からの森での一人暮らしご苦労だったな。随分と無駄な人生だ。というわけでお前は、死ね」
ミカエルが兵士に命令しようとした。その時……。
ずっと黙っていたセルジュが突如、私の両肩を掴み、振り向かせた。
そして彼は、私と唇を重ねた。
何が起きたのか分からずに停止する私と、ミカエルと、兵士達。
数秒後にセルジュは唇を離して、言う。
「僕も君と同じなんだ。他の人では使えない魔法が使えるから、魔力が少ない。今からその魔法を君にかける」
まだ状況が把握できていない私に対して、セルジュは一呼吸置き、私にだけ聞こえる声で囁く。
「僕の魔法は、『相手の精神を百分前に戻す魔法』。君だけでも逃げてくれ」
そして彼は、手のひらを私の頬へとあてる。その暖かさは、確かな優しさと愛情を感じた。
「撃て!」
ミカエルの声の後、複数の光の矢が、セルジュの身体を貫いた。
血が舞う。
途端。突風。
その突風に書き換えられるかのように、世界が真っ白な空間へと塗りつぶされた。
身体が浮遊する感覚。私の周りで、これまで私が見てきた景色が、逆再生のように動いては消える。
ああ。ああ……。
私は親から政略結婚の道具扱いをされてきた。
それでもミカエルと婚約したのだから、ミカエルに愛情を向けるよう頑張ってきた。
それなのに今度はミカエルに道具として扱われることになる。
私は私が憎い。ミカエルに愛情を向けていた私が憎い。
私個人に愛情を向ける人間がいたというのに。探しもせず現状を受け入れていた。
最初から、私が愛を向けるべきだったのは……。
「セルジュ……。セルジュ……!」
涙は突風に流された。
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さて、ここで算数の問題。
100分×100は何日?
時間は遡る事、兵士の姿を見つけた数時間前。
を超えて。私がセルジュへの好意を確信した三日前。
を更に更に超えて。
一週間前。
「セルジュ! 私と一緒に逃げて!」
いきなり言う私に対して、セルジュは驚きながらも前のような優しい笑みで受け入れた。
街の人に助けを求めることはできない。
私は国の中では悪役令嬢となっており、私を助けてくれる人等いないだろう。
最初に考えたのは、セルジュと一緒に逃げる事だった。
そして逃げた。ミカエルの手が伸びないところまで行こうとした。
でも無理だった。
国は広い。ミカエルが私の魔法に気付くまで国外に出ることができない。
兵士に囲まれた時、私は自分からセルジュに時間を戻してもらうことを頼んだ。
三回目。
兵士の目を盗みながら、国を隠れて回ってみた。
捜査魔法で見つかった。失敗だ。
四回目。
国に不満がある人間を頼ってみた。
国に売られた。失敗だ。
五回目。
失敗だ。
六回目。失敗。
七回目。失敗。
八回目。九回目。十回目。十一回目。十二回目。十三回目。十四回目。十五回目。十六回目。十七回目。十八回目。十九回目。二十回目。二十一回目。二十二回目。二十三回目。二十四回目。二十五回目。二十六回。二十七回。二十八回。二十九回。三十回目。三十五回目。四十回目。四十五回目。五十回目。六十回目。七十回目。八十回目。九十回目。百回目。
何を試しても。
何を繰り返していても。
私は兵士に囲まれる。
セルジュが殺される。
どうすればいい。
どうしたらいい。
「お前はその、『愛する人の魔力を百倍にする魔法』しか価値がないんだよ!」
そんなミカエル言葉を思い返す。
だったら、価値を作ってやる。
戦って……勝ち取ってやる。
ミカエルを殺せる程、強くなればいい。
魔力は鍛えることで少しずつ増やす事はできる。
それでも足りなければ、魔力が少なくても使える魔法を作ればいい。
大丈夫。時間はたっぷりあるのだから。
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n回目。
とうに回数は数えていない。
だが今、一回目のあの日と同じ状況であることは覚えている。
兵士が小屋を囲み、私に手のひらを向け、ミカエルがいつもの言葉を吐く。
「城に戻れ。お前が必要なんだ」
私はミカエルに微笑みを見せて、手の平を向けた。
私の手の平から、光の矢が放たれる。
「何っ!?」
ミカエルは驚き、左に逸れるがその動きももう見た。
光の矢は急回転して左へと曲がりミカエルの腹に刺さる。
「ぐぁっ!」
次に、兵士が動き出そうとする。だがそのタイミングで、動物用の罠が動き出して兵士達の足に刺さる。
兵士は魔法で破壊しようとする。私は兵士が罠に気付く段階で発動していた魔法の詠唱を終え、冷気を全ての兵士の手へ正確に放ち、手を凍らせた。
兵士達は氷を解かすまで動けない。氷魔法で固まった状態で無理に割ろうとしたら、手まで割れてしまうことを知っているからだ。
ここからミカエルとの一騎打ちになる。
ミカエルは強い。不意に打った最初の一撃はあたったが、圧倒的な魔力により生半可な攻撃は通用しない上、詠唱なしで魔法を放ってくる。
ミカエルは、私に向かって魔法を放つ。ここからは記憶ゲーだ。
ジャンプ。ジャンプ。右、左、右、しゃがむ、ジャンプ、転がる、右、右、ここでセルジュが狙われるので魔法を放って相殺。次はセルジュを突飛ばす。
右、右、しゃがむ、ジャンプ、左、右、左、しゃがむ、魔法で相殺、しゃがんで転がってミカエルの懐に潜り込む。
視界の下に私が存在することに気が付いたミカエルは、すぐに私に攻撃しようとするが、それよりも早く、私は顔面に向けて炎を放った。
「ぐあああああああ!」
顔面を焼かれたミカエルは、顔を両手で抑えて後ずさりをする。
「誰か! 誰か回復魔法を……!」
眼球が焼けて視界が見えなくなったミカエルは、後ろの兵士達に指示を出す。
だが、兵士達は皆魔法が使える状態ではない。だから誰も返事をしなかった。
「何故だ!? 何故こうなっている!? この女は、魔力の少ない雑魚だったはずだろう!」
焼けた顔で叫ぶ。無様とも言える状態だ。
さあ、ここまで来たのは初めてだ。
これでやっと、セルジュと一緒に幸せに暮らせる。
私はミカエルの顔面へと手のひらを向ける。
「誰よりも強い貴方を殺せば、きっと誰も私達を狙わなくなるわよね?」
そして、手のひらに光を溜めて顔面に魔法を打とうとする。
その時、背後から抱きしめられた。
今動ける人は一人しかいない。だから、それが誰かをするに分かった。
「何をしているの? セルジュ」
「……ごめん」
「なんで謝るの」
「僕のせいだよな? 僕のせいだ。僕が君を何度もループさせたんだろう。僕は何も知らずに、君に独りで時間を繰り返す苦痛を押し付けていたんだ。だから、ごめん」
そんなわけない。私がしたくてやったんだ。何を言っているの?
言いたい言葉を飲み込んで、私は言う。
「……離して。私はこいつを殺したいの。殺さなきゃいけないの。こいつだけは」
「君は……」
その声も、私を抱きかかえる手も震えていた。滴が私の肩に落ちて、涙を零していることに気が付く。
「君は人を殺して幸せに生きられる人間じゃない……。人を、殺す苦痛まで、背負わないでくれ」
私は気づかなかった。私が何回も同じ時間をループして、人を殺す事に抵抗がなくなる程心が病んでいたことに。
そんな自分に馬鹿馬鹿しくなって、笑みをこぼしながらセルジュの手に自分の手のひらを重ねる。
「……セルジュ。大丈夫。離して」
彼はゆっくりと抱きしめる腕を離した。
離した後すぐに私は魔法を放つ。一瞬セルジュは驚いて「えっ……!?」と声をあげるが、兵士達の足元の罠を破壊しただけだと理解すると、それ以上何も言う事はなかった。
「二度と……私達の前に現れないで。次回は確実に殺すわ」
兵士達は罠で怪我した足を引きずりながら、ミカエルの肩を抱えて私達の元から去って行く。
その間もミカエルは負け惜しみのように叫び続けていた。
「何故だ! 俺は最強だった! 最強だったはずなのに! お前さえいれば……! こんなはずじゃ……! それに……それにだ! 俺が諦めたところで、お前を狙う人間がいなくなると思うな! それぐらいお前の魔法は……誰もが欲しがるものなんだからな!」
悲しさと怒りと嫉妬と失望。そんな感情が混ざり合った言葉は、姿が見えなくなるまで続いていった。
彼らの姿が見えなくなった後、森の中で葉が擦れあう音だけが響いた。
沈黙に耐えきれなくなった私は、セルジュの方を向く。
そして、彼の頬に手を添えて、そっと唇を重ねた。
一回目の時は状況のせいで気づかなかったが、セルジュの唇は心地が良い程柔らかく、暖かい。
驚いて固まるセルジュに、私は唇を離して言う。
「セルジュ。私はループしたことを後悔していないし、私は誰が来ようと、貴方と一緒にいるためならばどれだけでも戦ってみせる。そのために今度は……私を支えて欲しいの」
「……分かった。……その上で、今度は一緒に戦う。もう君を独りにしたりしないから」
セルジュは決意を固めるように頷いた後、何かに気付いた表情をすると、恥ずかしそうに目を反らした。
「な、何……?」
「……いや、キスをするの、初めてだったから」
そう言われると私は二回目なのになんだか恥ずかしくなって、私も目を反らした。
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