人生、九回目 2
誰よりも心を許している彼女に対して笑顔を見せてから、ロザンナは深呼吸してゆっくりと開かれていく扉を睨みつけた。
現れたアルベルト第一王子に女生徒たちから黄色い声が上がる。ダークブラウンの髪に、同じ色を宿した瞳。目を奪われるほど精悍な面持ちはどことなく甘く、すらりと細長い体は、男性的な逞しさもしっかりと有している。
彼に愛されたいと切望した時もあったが、それは最初の三回だけ。四回目で諦めた。
アルベルトが選ぶのはマリンだと、ロザンナは最初から知っている。
彼が彼女の手を取り愛の言葉を口にする光景を、青い瞳で八回も見続けてきているのだ。繰り返して九回目のこの人生も、アルベルトの出す結論は同じ。きっと何も変わらない。
人々が避けてできた道をアルベルトが進んでくる。これから己が選んだ花嫁を公表するというのに、表情は厳しく浮かれた様子は全くない。
アルベルトも一般の生徒に混ざってアカデミーで学んでいる。見た目だけなら漂う高貴さに近寄りがたく感じるのだが、当の本人は身分の高さ鼻にかける事ない。誠実で努力家というだけでなく、冗談も口にするような気さくな面を持っている。
女生徒の中にはアルベルトに恋をしてしまい、花嫁候補たちに対して嫉妬の目を向けるほど熱狂的な者もいるが、ほとんどはアルベルトに対して親しみを感じている。今日は彼にとって自分の伴侶を決める幸せな日。みんなそう考えているため、彼の登場に祝福の温かな拍手が沸き起こっていたのだが、冴えない表情に気付いて徐々に拍手の音がまばらになっていった。
生徒たちは動揺しているようだが、ロザンナにとっては毎度のこと。過去八回全て、仏頂面での登場だ。
アルベルトの心のうちは知らない。けれどおそらく、これから囁く愛の言葉を頭の中で唱えているうちに緊張で表情が保てなくなった、まぁそんなところだろう。彼はこれからマリンの前に立って愛を約束するのだが、その最初のひと言を発するまでに、少しばかり間が空くのだ。
いつもは何事もスマートにしれっとした顔でやってのけるアルベルトだが、公開求婚はさすがに緊張するらしい。ロザンナは肩を竦めた後、近づいてきたアルベルトへと礼を尽くすようにお辞儀をした。
床へと視線を留めたまま、彼が通り過ぎるのを待つ。ロザンナの視界にアルベルトの真新しい靴が映り込み、……ピタリと停止した。
なぜ立ち止まったのかとゆっくり視線をあげる。すると、ロザンナの目が捕らえたのは、自分をじっと見つめるアルベルトの顔だった。
いつもなら彼はここで足を止めることなく、通り過ぎていく。これまで一度も私の目の前で立ち止まったことなどなかったのにと、ロザンナがダークブラウンの瞳を不思議に見つめ返していると、すぐそばで「きゃっ」と黄色い声が上がった。
取り巻きの女子たちから期待に満ちた眼差しを受け、ロザンナはまさかと息をのむ。
選ばれたことがなかったため考えもしなかったが、これはもしかしたら自分が選ばれる流れなのではと、変な緊張感に襲われる。
目線がアルベルトの右手へと落ちていく。本当にそうなら、その手がロザンナへと向けられる。じっと見つめる先で指先がぴくりと動いた。どきりと鼓動が高鳴るも、……それだけだった。アルベルトはロザンナの前からゆっくりと離れていった。
「今の紛らわしい行動は、何?」
ロザンナはボソッと呟きながらまるで呪いでもかけるかのように、離れてくアルベルトの背中へと険悪な眼差しを向ける。
彼が再び足を止めたのは、もちろんマリンの前だった。すっと右手を差し出し、その場で片膝をつく。求婚のポーズに音楽が止むと、マリンの取り巻きたちは歓喜の声を発し、マリン自身も驚いたように両手を口元にあてて、頬を染めつつアルベルトを見下ろす。
室内がしんと静まり返ったほど、みんなが息を飲んで王子の次の言葉を待っている。しかし、彼は顔を俯けた状態で身動き一つせず、なかなか言葉を発さない。
生徒たちがざわめき始め、マリンも動揺を隠しきれなくなった時、アルベルトの声が響いた。
「私、アルベルト・オーウェンは、マリン・アーヴィングに求婚する。どうか私の花嫁となってください」
顔を伏せたままそう告げたのち、またほんの少しの間を置いて、アルベルトが視線を上げる。
「喜んで」と、マリンがアルベルトの手に色白の手を重ね置いた瞬間、室内に大きな歓声が沸き起こる。
立ち上がったアルベルトの傍にマリンが寄り添い立つ。みんなからの祝福に嬉しそうに手を振って答えるマリンと、静かに微笑むアルベルト。
マリンの取り巻きたちが勝ち誇った顔をロザンナを向けると、ロザンナの取り巻きだった娘たちは、私は関係ないと言った様子ですぐにその場を離れていく。
彼女たちにとって、選ばれなかったロザンナに用はない。逆にロザンナと共にいることでマリンの機嫌を損ねてしまっては大変だと、そそくさ離れていくのも仕方なのないことだ。
「残念だったね。私はロザンナだと思ってたのにな」
ひとりロザンナの元を離れていかなかったルイーズが、小声で話しかけてくる。誰かに媚びる性格ではないため、それは本心だろう。ロザンナも周りに同調してふたりへ拍手を送りながら、囁き返す。
「ずっと言ってたでしょ。アルベルト様が選ぶのはマリンさんで、私じゃないって」
納得いかない様子のルイーズに苦笑いを浮かべてから、ロザンナは「さてと」と心の中で呟き、気持ちを切り替える。
ロザンナにとって、花嫁に選ばれないのは当然でいわばどうでもいいこと。ここからが重要なのだ。
これまで繰り返した八回の人生。例外は二回ほどあるが、その多くの最期……死は、アルベルトが花嫁を選んだその日に、遅くとも一ヶ月以内にやってくる。
九回目の人生を全うできるか。それは、今日から一ヶ月を無事に乗り切れるかどうかにかかっているのだ。
これまでの死因は様々。しかし自ら命を絶ったのは、アルベルトに選ばれず絶望した最初の人生のみ。男に刺されて殺されたことが一度あるものの、その他は、馬に蹴飛ばされたり、魔法の流れ弾に当たったり、上から物が落ちてきたり、食べ物を喉につまらせてなどの不運に見舞われての死である。
危険を回避し、生き伸びたい。誰かを愛し愛されたい。幸せな人生を送りたい!
そう望むからこそ、再び警戒心を膨らませ、ロザンナはあたりをうかがう。どこに死亡理由が転がっているかわからない。
楽士たちによって再び音楽が奏でられ、ロザンナはびくりと体を強張らせる。アルベルトとマリンのダンスを見るため人々が動き出したため、ロザンナは賑やかさから距離をおくように壁際へと移動する。
楽しそうに踊っている人々をしばらく見つめていると、一緒についてきたルイーズがきょろきょろと室内に視線を走らせ始めたのに気がつき、ロザンナは身構えた。
「お腹すいちゃった。何か食べ物取ってくるけど、ロザンナは何が良い?」
「ありがとう。だけど私は大丈夫。全くお腹空いてないから。気を使って持ってこなくて本当に良いからね」
ロザンナから言い聞かせるように断られ、ルイーズは面食らう。しかしすぐに「わかった」と返事をし、「食べないなんてもったいないわね」とぼやきながら料理が置かれたテーブルへと歩いて行く。
ロザンナはホッと息をつく。お腹が全く空いていないわけじゃない。しかし、ルイーズが持って来てくれた料理を喉に詰まらせ死亡しているため、とてもじゃないが食べる気になれないのだ。
室内に馬はいないし、この場所なら天井が抜け落ちてこない限り、頭上から何かが降ってくる心配もない。あとは、楽しくなって魔法を使ってはしゃぎ出すバカが現れないのを願うのみ。
ロザンナが両手の指を組んで祈りを捧げていると、ゆらりと一人の男性が近づいてきた。
「ロザンナさん!」
呼びかけられると同時に小さく叫んで、ロザンナは後ずさる。
「ぼ、ぼ、僕と、踊ってくれませんか?」
「お、踊ってって……私とですか?」
「はい! これまでは、王子の花嫁候補であるあなたに近づいてはいけないと我慢していましたが……お慕いしております! あなたがアカデミーを離れる前に、最後の思い出をどうか僕に!」
熱烈な告白に唇を引きつらせながら、ロザンナはそう言えばと思い出す。男性の名前も知らないし、言葉を交わしたこともないのだが、がたいの大きいその姿は何度も目にしていて、覚えている。しつこく跡をつけられ、とても気味が悪かった。
「お願いします」と差し出された手に、きっとこれだと恐怖を募らせる。男性からの誘いを受けてダンスをしたことはあっても、このような告白など今まで体験していない。だからきっと、この手を取るか取らぬかが、生きるか死ぬかの分かれ道だろう。
できれば踊りたくない。けど、生き延びられるなら喜んで踊る。どっちだろう。男の手を険しい顔で凝視していると、「待ってくれ」と違う声がかかる。
男性が数人集まってきて、「俺もロザンナさんと踊りたい!」と口々に訴えかけてくる。
ロザンナはその光景に目を見張る。しかし唖然としたのはほんの一瞬、男性にモテていると気がついた途端、この調子なら九回目にして結婚できるかもと気持ちが舞い上がる。
ここは絶対に選択を誤ってはいけない。絶対に見極めて見せるとロザンナがさらに慎重になった時、「お前は引っ込んでろ」とか「俺が先に踊る」などと男性たちの間に険悪な空気が漂い始めた。