幕間:“知る”ということ
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何かを“知る”ということは、同時に“死ぬ”ことでもある。
その“知る”何かは何だっていい。
魔法という超常現象があること。
全ての住民が不死の世界が存在すること。
友人の知らない一面。
“知る”というのは不可逆な変化を生み出す行為だ。どのような些細な情報であろうと、知った後は“知る”前には戻れない。
例えるなら、君が何かの作品のファンだとしよう。ある日君は、その作品の作者が重大な罪を犯していると知った。すると、作品に触れるたび作者の犯罪が頭によぎり、素直な気持ちで楽しめなくなるーーー
そんな経験、1度はあるだろう?
“知る”瞬間というのは、無知だった自分自身が“死ぬ”瞬間でもある、ということだ。
さて、余談はこの辺りにして、本編に戻ろう。
我らが主人公、浅野ひかるは無知であった浅野ひかるを殺した。
ペインに殺されたと言っても良い。
彼は思い出してしまった。再び“知って”しまった。彼が如何なる人生を送ってきたのか、その走馬灯を。
彼の前をよぎった走馬灯は以下の通り。
鬱屈した生活。抗えない無力。蝕む絶望。
そして、ビルの屋上、フェンスの外にいる自分。
鮮やかな、決して夢などではない、自由落下の瞬間。
それらを組み合わせれば、何が起こったのかは自ずと明快に導かれる。
即ち、浅野ひかるという少年は、落下死した死者であると。
“転生者”というのだから、死んでいるのは当たり前だ、と第三者は思うだろう。しかし、『自分が死んだこと』の記憶に制限をかけられていた当人には鮮烈な衝撃だった。
加えて、浅野ひかるは聡い少年だった。
記憶が制限されていた事実から、自身を保護してくれていると思っていた“学園”は、実は自身を騙し支配しようとする存在であることを“知った”のだ。
いやはや、残酷なものだ。
“知る”ことさえなければ、彼は純粋な気持ちで学園生活を謳歌できたろうにーーーいや、聡い彼のことだ。そのうち“学園”の欺瞞に気付くのも不思議ではなかったろうが。




