“固有種”
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ヒカル達一行が迷宮を歩いていくと、洞窟と遺跡が混在する空間に行き当たった。無理矢理床を引き伸ばしたかのように、床の石板や石柱が洞窟のあちこちに点在している。
「迷宮が成長する間に、近くにあった洞窟を飲み込んで出来てる。気を付けろ、この辺りは獣や魔物が強い」
ヴァイが言い終わるかしないうちに、暗影から大きな獣が飛び出してきた。
獣は狼で、緋色の毛皮が特徴的だ。腹が大きく抉れており、致命傷を負っていた。それでも動く狼は、まごうことなき魔物だった。
ヒカルはすぐに炎を浴びせるが、狼は怯まず飛びかかってきた。
「危ない!」
ロアはヒカルの襟首を掴み、狼の攻撃から身を守る。狼は狙いが大きく外れ、ヒカルを大きく飛び越えて地べたに身を叩きつける。
「俺が隙を作る、その間に魔法をぶっ放してくれ!」
再び飛びつこうとした狼に、ヴァイは横から体当たりしてよろめかせる。牙を剥いた狼は、ヴァイの腕に噛みついた。
しかし、全く血が流れない。ヴァイの腕の周りを覆うように、氷の盾が現れていた。ヴァイは狼の体を押さえ、動けないようにする。
「それ、今だ!」
ヒカルは、狼の魔物の腹部、致命傷と見られる所めがけて炎を放った。
肉が焦げる嫌な臭いがする。
狼は、最初はもがいていたが、やがてぐったりと動かなくなった。
「よし、介錯してやってやれ」
ヒカルがナイフを刺すと、狼は赤い毛皮だけ残して消滅した。荷物持ちのロアが手早く処理し、丸めて背負う。
一行は再び歩き出し、洞窟の奥へと進む。すると、途中の道に右側の壁が崩れている場所があった。ヴァイの持つ松明の明かりさえ奥に届かない。
「ここは地下渓谷と繋がってる。
下手に落ちたら戻ってこられなくなるから気を付けて見ろよ」
ヒカル達が歩く道は、地下渓谷の上層に存在する。そこから何百メートルも下の方で川底が光っている。中間に全く光源がないため、どれぐらい下なのか距離感が掴めない。
「あの光っている川は何?」
「ヒカリゴケの仲間かなんかだろう。俺は植生学には詳しくない」
「“迷宮”の奥深くの川にしか生えない植物じゃなかったかな」
川は一筋の光のように輝いている。川底に無数の蛍光灯でも置いてあるのかと思う程だ。
「コケのことはわかんないけどさ、川の中の、あの一部分だけ黒い塊なら知ってるぜ」
ヴァイは川の1点を示す。中洲のような不思議な黒点が、光る川の中にぽっかりと浮かんでいた。島のようにも見えるが、時々僅かに動いている。
「あれは……何?生き物?」
「あれがこの迷宮の主だ。
アット・G・ホェル。
全長90メートル以上の超大型魔物」
「90メートル…」
ヒカルは想像しようとしたが、どれぐらい大きいのか想像も出来なかった。小さな孤島ぐらいだろうかと仮定する。
それが街に来れば、間違いなく大災害を引き起こすのは容易に想像がつく。ヒカルは、何故討伐されないままになっているのか疑問に思った。
「倒せないのか?」
「うーん……わからん。
出来なくはない。らしい」
「らしいって…危険じゃないの?」
「この“迷宮”は…っていうかどこもそうか。
世界は、ああいう絶対強者が居て成り立ってる。
生態ピラミッドって言って……ええと……説明するのは難しいなぁ……」
「この世界には寿命がないってのは、覚えてるよね」
ロアはヒカルに尋ねた。ヒカルは頷く。
「寿命が無いのは“魔物”やその他の動物も同じ。
飢えるか、何か重大な病気になるか、闘争に負けて致命傷を負うかしないと、死ぬことはないの。
そうなると、食物連鎖の上にいる、戦闘力が高い生き物はなかなか死なない。ここまではわかる?」
「狩る相手が居ないと、死なないってこと…かな」
ヒカルはざっくりとした雰囲気で理解しようとする。
「まぁそんな感じ。で、長い年月の中で生態系はその上層に合うように変わったの。
あの“ホェル”だったら、食べられる魚……魚食べるのかな?まぁいいや。そういう食べ物は、ホェルが食べる量以上に増えるように。
ただ、そういう強い個体に合わせてバランスが取られているものだから、その個体が死んでしまうと……」
ロアの言いたいことを、ヒカルは悟る。
「食われる側の生き物が、大増殖する?」
「そう。ヒカル君は想像力が良いね。
一度連鎖が崩れると、“ホェル”が街中を歩くより酷いことになるの。
まぁ、1匹2匹減るぐらいならどうにかなるんだけどね。
出来る限りリスクは減らそうってことで、ピラミッドの頂点辺りにいるものは“固有種”として、倒しちゃいけない存在にしているんだ」
不老の世界はそれはそれで大変なのだなとヒカルは思った。
「でも、それってどの魔物が“固有種”なのか、あらかじめ覚えておかなきゃいけないんじゃ……?」
「“固有種”には、近くに人間がいると起動する魔法が埋め込まれてる。出くわせば、固有の名前と警告文を派手に表示するんだ。見逃すことはない」
こんな感じで、とヴァイは手の周りに光る文字を浮かしてみせた。
「だいたいが人間よりずっと強いから今の状態だと出くわさない方が幸だけど…ま、上層には居ないし、そうそうお目にかかるようなもんじゃない。
頭の隅に留めておいて、先急ごうぜ!」
ヴァイはそう言って、歩くペースを上げた。
洞窟はいくつもの方向に枝分かれし、ヒカルは既に帰り道を見失いつつあった。しかし、ロアとヴァイは、まるでよく知ったショッピングセンターを歩くかのように進んでいく。
「ねぇ、ヒカル君。
そろそろ別の魔法を覚えてみたくない?」
「別の魔法?」
「そう。たとえば、『アイス・アロー』って言って、杖を握ってみて。こんな風に」
ロアが「アイス・アロー」と呟くと、指先程の氷塊が現れた。
ヴァイは、近くにあった拳大の岩をヒカルの前に置いた。
ヒカルは早速試してみる。
「ア……アイス・アロー!」
ギュッと杖を握ると、小さな氷のつぶてが十数個現れ、拳大の岩にぶつかる。岩はすぐには砕けなかったが、何度もつぶてが当たるうちに端から崩れ、最後には砕け散った。
「すげー、才能あんじゃん」
「そう…かな」
「当たり前だろ。いきなり魔法使えって言われてすぐ使いこなせる魔法使い、そうは居ないぞ」
「私も、歴代の学園生徒でもなかなか前例の居ない秀才だと思う」
「マジか。ロアが言うならそりゃそうだな」
ヒカルはもどかしくなって頭をかいた。自分がやっていることは本当に難しいことには思えなかったが、周囲はやたら持ち上げる。
確かに魔法を早く使いたいとは思ったが、目立ちたいとは思っていなかった。
これで仮に秀才だと言われるようになったら、どんな厄介ごとを押しつけられるかわからない。
「ほ…ほんの偶然だよ。きっとヤマ先生が使いやすいようにしててくれたんだって」
「そう…かなぁ?」
「ヤマってそんなに気がきく人だったっけ?
まぁいっか。
あ、そうそう。魔法を使う時は、呪文を唱えるといいよ」
「呪文?」
炎の魔法を使う時は何の呪文も唱えていなかったことをヒカルは思い出した。
「魔法って、使う人が想像する物が出てくるんだ。だから、出したい物を象徴する言葉を言うと、強く想像することができるんだよ」
ロアが説明する途中で、ヴァイははっと顔を上げた。目は、道の先の暗闇を見ている。
ヴァイは持っていた松明を下ろし、炎を消す。
「何かあったの、ヴァイ」
「静かに。こっちに来て」
ヴァイの様子に、ロアも何かを感づいた様子だった。ヴァイはロアとヒカルの肩を引き、洞窟の脇道に逸れる。
暗闇で、3人は息を潜める。
洞窟の奥から、呻くような鳴き声と、不規則な足音が鳴り響く。
「やっべ…」
ヒカルは、ヴァイが確かにそう呟くのを聞いた。
足音は次第に大きくなっていく。やがて、洞窟の奥が明るくなり、光と足音が徐々に近付いてくる。
足音の主は、5メートルはあろうかという、2足歩行の巨大なトカゲだった。背中には無数の結晶がついており、赤い光を放っている。トカゲと言うよりは、恐竜やドラゴンという方が近い。
オオトカゲは苦しそうに身をよじり、時たま壁に身を打ち付けている。足音や壁が叩かれる振動で、パラパラと土のカケラが辺りに降り注いでいる。
「グォォォオオオ!!」
ヒカル達とオオトカゲとの距離が20メートルを切った辺りで、オオトカゲの背の結晶の一部が光った。途端、洞窟の壁、床、天井、そしてオオトカゲの周囲に、無数の図形が現れる。プラネタリウムやミラーボールのように、色とりどりの派手な図形が光で映し出されている。
ヒカルは、ヴァイとロアに言われた話を思い出す。
“固有種”には、近くに人間がいると、その名前を表示する魔法陣が仕込まれている。規模は全然違うが、ヴァイの見せていた光る文字に似ている。
ヒカルが助けを求めて2人の方を見ると、ヴァイとロアは視線で会話をしている。
ヴァイが合図を送ると、ロアは手頃なサイズの石をオオトカゲの足元に向けて投げた。
「グァ…?」
オオトカゲが石に気を取られた瞬間、ヴァイはヒカルの耳を塞いだ。
ヒカルが戸惑う間もなく、ロアが前に飛び出る。
「サウンドウェーブ!」
ロアが指を弾くと、弾いた音は何倍にも増幅され、洞窟全体に響いた。オオトカゲは身を逸らし、口を開いて絶叫する。しかし、その声も音にかき消され、誰の耳にも届かない。
ヴァイに耳を塞がれたヒカルでさえ、軽い目眩を覚えた。
オオトカゲは目を回し、頭を天井や床にぶつけている。
「今だ、逃げろ!」
ヴァイはヒカルの手を取り、走り出した。
洞窟の中は行きと異なり、蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていた。
地下渓谷と隣り合わせの道は、地下から登ってきた無数の魔物が覆っている。
「クレイ・クラック!」
ヴァイが叫ぶと、床に大きな地割れが走り、無数の魔物達を滑り落とさせた。それでも、脇の地下渓谷と繋がっている壁から、とめどなく魔物が湧き出してくる。
「ヒカルも手伝ってくれ!」
「はい!
ファイヤー・ボール!」
ヒカルは強く杖を握る。
杖の先から炎の玉が現れ、魔物達の身体を何度も打ち付ける。炎の玉が当たった所から魔物の身に火が燃え移る。魔物達は炎にのけ反り、地下渓谷の崖下へと落ちていく。
「さっすがぁ!」
「ヴァイ、気を逸らさないで!
来るよ!」
地響きと共に、曲がり角からオオトカゲが顔を出した。よたよたと、2本の足で魔物を踏みつぶしながら、ヒカル達に近付いてくる。
「ガァァァァァア!!!」
パカっと開いた口に、光の束が収縮していく。
「これでも食らいな!」
ロアが作り出し、投げた水の球が、オオトカゲの口にべちゃりと貼り付く。
オオトカゲが集めていた光の束は、口の中で暴発した。
オオトカゲが怯んだ隙に、ヒカル達は更に走る。
ヒカル達は、来る途中に狼の魔物を倒した広い洞窟に出た。
「なぁ、ロア!ここでなら迎撃出来るんじゃないか!?」
「馬鹿言わないで前を見て!」
「なっ…!?」
前方の暗闇に、複数の獣の気配がする。けれど、松明の明かりがない為、ヒカルには何匹がどこにいるのかすらわからない。
「ロア、背中任せていいか」
「りょーかい。足止めなら3分はいける」
「ヒカル、俺が周りを照らす。君は氷で援護してくれ!」
言い終わらない内に、ヴァイは走り出していた。
「ファイヤー・ボール!」
ヴァイが放った炎の球は、何度も地面を跳ね、洞窟内を照らし出した。
出口への道を塞いでいたのは、10数体の狼の魔物だった。片目が無いものや片足が無いものなど、大小様々なゾンビ狼が牙を剥いている。
「アイス・アロー!」
狼を倒すんだ、と強く思うと、最初に使った時より、大きく鋭い氷の塊が何十個も現れる。
氷の矢は数匹の狼をハリネズミに変えるほど滅多刺しにした。
「よ……よし、倒した……」
近くの魔物が居なくなったヒカルはロアの方を見る。
ロアはオオトカゲと大立ち回りをしていた。オオトカゲが吐く炎がロアを追い、床や壁の隙間から伸びたツタがオオトカゲの胴体や足に絡まる。ヒカルの知らない魔法が飛び交う中、ロアはオオトカゲの振り回す牙や爪、尻尾の攻撃を掻い潜っている。
一言で言えば、ハイレベルだった。
ロアは手を大きく振りかざす。すると、床から氷の塔が生え、オオトカゲの足を覆い動かせなくした。
あの魔法が今欲しいと、ヒカルは強く思った。
「ヒカル、よそ見してると危ないぞ!」
「す!すいません!」
ヒカルに飛びかかってきていた狼を、炎の球の横槍が吹っ飛ばした。
トドメを刺していなかった狼は、ハリネズミようになっても動き続けている。ちゃんとトドメを刺さない限り倒れないのだろうとヒカルは察した。
だが、ちゃんとトドメを刺せるほどの隙は無い。まだ動ける狼が、氷の刺さった狼の後ろで控えている。
ヒカルは強く杖を握った。
ダメ元半分、どうにかなるだろうという慢心半分で、ヒカルは適当な呪文を唱える。
「アイスーーフロア!」
床から無数の氷柱が突き出し、狼達の足を捕らえていく。
ロアが使っていた魔法と同じ効果が発動し、ヒカルは喜んだ。
しかし、氷の柱の勢いは止まらず、床を伝い、壁を伝い、天井を伝う。
「えっ、ちょっと、これどう止めればーー」
ヒカルは、想定外の規模に驚き、慌てて杖を手放す。しかし、それでも魔法は止まらない。
丁度ロアが作り出した氷を蹴り飛ばして脱出しようとしたオオトカゲと、自体の異変に気付いて跳び逃げようとしたヴァイとロアを巻き込み、瞬く間に辺り一帯を凍りつかせた。
アット・G・ホェル
クジラとカメと船を足して割ったような姿の巨大魔物。知性を宿しているのかどうかは不明だが、知能は著しく高いことがわかっている。
Gとはガネットの頭文字を意味する。
迷宮学者達の間ではガネット隧道の墓の主であるガネット伯爵が魔物化した姿ではないかと言われているが、確証が無いため定説にされていない。