事務棟
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体育館のあった実技棟の隣は、講義室が並ぶ講義棟だった。この棟では植物学やファイア国学などの授業が行われていて、ヒカルも比較的馴染みのある棟だった。
「ここはさっきも植物学の授業をやったからよく知ってるよね。座学の授業をやることが多い講義棟だよ」
「大きな講堂であるが……これ以上特に言及すべきことは無いのではなかろうか」
「たまーにホームルームがここで開かれる時あるよね。生徒への厳重注意のためのやつ」
「何十年かに1度あるアレか。確か今年もなかったっけ?」
「そういえば……」
ロアとラックが長寿にしかわからない話を始めた。
「何その話、俺聞いてないような」
「そりゃヴァイが幽霊生徒してた頃の話だし……」
「あ、そっか、ヴァイは聞いてなかったっけ。
アクアマ陵への不用意な立ち入りをしないようにっていう厳重注意のホームルーム」
「知らねぇなぁ…」
「炎の大祭が近いからか、“迷宮”の変貌も活発化してるから、入るなら優秀な保護者の同伴を推奨してた……のに君たちは行ったよね」
「そもそも俺が優秀な保護者みたいなもんだからな」
ヴァイは自慢げに言う。
「特にロアは警告知ってたのに行ってなかった?」
「うーん、あの時は必死だったから、思い出せなかったんじゃなかったかな」
「あの時とは……吾輩の救出時の事であるか?」
「助けに行ったって話とは別にもう一回行ってたよね……」
「ま、五体無事だったんだから良しとしましょうネ」
ロアは呑気にそんなことを言った。
ラックはヒカルに耳打ちする。
「ヒカル。ロアは常識人に見えて意外と手段選ばずとんでとないことをやらかす人だから、あまり信頼しない方がいいよ」
「ラックは失礼だなぁ、もう!」
そういえば、ヴァイがめちゃくちゃ怒られたという、木製の空飛ぶ馬で学園に帰る計画も、元はといえばロアの発案だったなとヒカルは思い出した。
「この前こってり搾られたのはそういう所もあったのかぁ」
ヴァイは気の抜けた調子で言う。その様子に反省の色はひとさしも混じっていない。
「この前って……オレを学園に連れてきてくれた時の事ですか」
「そうそう。大変だったんだからなぁ?」
「あの時は本当に死んだものだと思ってました……瀕死の重症だったのが信じられません」
「王都サピロスには小児科医は存在しませんからね。まさに九死に一生、といった所でしょうか」
イチゴはここぞとばかりにヴァイの地雷を踏んでいく。
ヴァイの眉が一瞬厳しく寄ったのをヒカルは見逃さなかった。
「あ、そうそう。
王国騎士になるには、“洗礼”は絶対に受けられないから注意しないとだな」
これみよがしにヴァイは話を変えた。
「ええっ、なんでですか」
「王国騎士は王国に忠義を尽くさなきゃならない。だから、別の国の宗教……特にパルフェクトス教の信徒は絶対にダメなんだ」
「そうなんですか……色々難しいんですね」
「“洗礼”を受けるからには、パルフェクトス教を優先した行動を取ってもらうことになります。当然、タイト国を優先して従事しなければなりません」
「世の中まるっと美味しい話は転がってないってことか……」
シュウは少しだけしょんぼりする。
「まずは自分で頑張れってことだ。
憧れ目指して頑張ろうぜ」
「ですね。
それはそれとして、“洗礼”を受けたら将来はどうなるんですか?」
「将来ですか」
尋ねられたイチゴは滑らかに話し出す。
「タイト国では、夢などの自由意志というものは職業選択には全く関わりがありません。
社会的適正と、当時の社会情勢で補充したい人員をすり合わせて職が選定されます。
シュウさんなら、山羊飼いなどに割り当てられることでしょう」
「山羊飼いかぁ……
魔法使えても山羊飼いならあんまり使い所無さそう」
「我が国は強い魔物が頻繁に出没する傾向があります。山羊を守るためには高い武術と魔術、加えて戦闘への適正が無ければ務まりません」
「そうなんだ。
……でも、やっぱオレ守るなら王様がいいな」
「そうですか。そう仰るなら、タイト国はシュウさんの意思を尊重します」
ヴァイはシュウの返答を聞いて、よく言ったとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「ヴァイ、どうかした?
ワライハナを食べた時みたいな変な顔なってる」
「な、なんでもない。
さ、次行こうぜ次」
最後に訪れたのは、保健室や職員室、会議室などが入っている事務棟だった。中庭を囲み四角形に並び立つ棟を南の実習棟から時計回りに回ったため、廊下の窓からは実習棟の建物がよく見えた。
「事務棟はそんなに利用頻度は多くないな……どちらかと言えば、講義棟からお昼ご飯食べる時に使う道って感じがある」
「でも、これだけはちゃんと覚えとけ。
『事務棟の一階は保健室』
なんなら今日学んだ事の中で1番重要だと言っていい」
ヴァイは扉を開け、ここが保健室であることを強調して言った。
「保健の先生なら、どんな肉体的ダメージでも治すことができるから、困ったらここに来る事」
「事務棟の一階は保健室」
ヒカルは復唱する。
「……そういえば、僕も治してもらったはずだけど、保健の先生の顔見てないような」
「とにかく忙しい人だからしょうがない。
白衣を着てるのはこの学園で保健の先生だけだから目印にするといい」
「事務棟の一階は保健室、白衣は保健の先生、オレも覚えました先輩!」
シュウも同じように復唱した。
珍しくイチゴが驚いた表情で尋ねる。
「まさかとは思いますが、担任のヤマ先生は回復魔術を使えないんですか?」
「え?ああ、まぁそうだな。ヤマはそんなに回復の魔法は得意じゃないから」
「“Z組”の担任ともあろう人間が、回復魔法を使えないとは……
我が国に人員要請を行っても良いのですよ」
「学園はこれで回ってるからいいんだよ」
「回復魔法も満足に使えない人間が何故“Z組”の教師をやっているのでしょう。不思議でなりません」
イチゴの発言に、意外にもカラレスが食いついた。
「吾輩も至極不思議である。ヤマは……悪い人間でない事には信がおけるが、それ以外……魔法や武術の面で教師として最適かと評せるかと尋ねられれば、否と答えるしかあるまい」
「カラレス姉さん曰く、ヤマは信用以外てんでダメ、だそうです」
ヒカルもほぼ同じ考えだった。
明確に危険な大人ではない程度には無害だが、それ以外何も良いところがない。
武術や魔法全般はヴァイの方が上であるのは間違いがない。
加えて、信用ができるというのも怪しいとヒカルは考えていた。“大人”というだけで怪しいのに、ヤマからは不穏な気配がする。
「美術系ならラックが、年上としての経験ならロアの方が適切……っていうのは、間違いない」
ヴァイが補足して言う。
それでもヤマが担任である理由。ヒカルはこれまで見てきた社会の傾向から、嫌な結論を見出していた。
「どうせ、“大人”だから割り当てられたとか、そういう所でしょう」
「まぁそんな所だよな」
ヴァイが賛同し、ヒカルは見出した嫌な結論の方向性が間違っていないことを確信する。
この世界はどこまで期待を斜め下に裏切るんだろうとヒカルが卑屈になる中、ロアが意外な事を言い出した。
「かつて“Z組”にいた、っていうのも大きいかもしれないけどね」
「えっ!?ヤマって“Z組”出身なのか!?
初めて聞いたぞ、その話」
「そうだよ。結構前、まだ現ファイア王が“Z組”にいた頃の同期」
「オヤジと同期だったのか……」
ヴァイは雷に撃たれたかのような顔でロアを見た。
「僕はヤマが“Z組”出身だってことは知ってたけど、ファイア王と同期だったのは知らなかったな……。
じゃあ友達のコネで就職とかなのかな?」
ラックが身も蓋もないことを言う。すると、背後から声がした。
「それはないよ。
“学園”って絶対中立の立場だから、たとえ王の知り合いだからって教務員試験はパスできない」
やれやれ、と答えたのは、目下話題の担任ヤマだった。丁度用事が終わり、通りかかったのだ。
不用意なことを言ったラックは縮こまった。
「す、すいません……」
「僕がまだ未熟なのは重々知っているけれど、みんなを守れない程力不足というワケじゃないから安心するんだよ」
任せてくれ、とばかりにヤマは胸を叩く。
「それに、力みなぎる若い生徒の飛び出た才能を凌ぐような、オールラウンダーな先生はいないものだよ」
はっはっは、とヤマはわざとらしい乾いた笑いをあげた。
生徒のご機嫌を取りに来たんだとヒカルは目敏く看破した。
本当に信頼に足る人物なのだろうか?
ヒカルは疑ったが、不用意な悪口を聞かせてしまった手前、深く追及はしないことにした。
「それでは先生、私たちは校内探検に戻りたいと思います。失礼いたします」
イチゴが話を切り上げ、そそくさと場を後にした。
その判断だけは評価に値するかもしれないとヒカルは思う。
ヤマから十分に離れた所で、イチゴは呟いた。
「職は適切な資質を持った人間に与えるべきです。夢や熱意でなく、資質から判断するべき……
やはり、異国の価値観というものはわかりません。
ヒカルさんは“転生者”でしょう。
異世界の価値観からしても、異質だとは思いませんか」
「思いますよ。
ええ、異質です。何もかも」
ヒカルは思いのままを言うことにした。
「ファイア国の“大人”も、タイト国の“洗脳”も、皆異様です」
否定はするがイチゴに賛同なんかするものか。
ヒカルはしっかりとイチゴを見据えた。
「ああ、その通りだ」
ヒカルに意見を一蹴され、ヴァイにも否定を後押しされ、イチゴは少し残念そうな様子をみせた。
その後、一向は2階、3階と校舎の探索を続け、夕飯時になるまで歩き続けた。
山羊
タイト国の国教パルフェクトス教における主神パルフェクトスには頭が山羊の女性の姿と足が山羊の男性の姿の2つの偶像が存在する。故に山羊は宗教的に重要な立ち位置に在る。
また、寒冷なタイト国において牧畜は山羊以外不可能であり、産業的にも欠かすことのできない存在である。
“ニホン”における山羊とほとんど変わらない生態と姿をしているが、野生の山羊は時折空を駆ける姿が目撃される。
家畜化の際、蹄を削ることによって山羊飼い達は脱走を阻んでいる。
山羊飼い
産業的にも宗教的にも非常に重い意味のある山羊を飼うという仕事はタイト国において難易度の高い職に置かれている。
“洗礼”によって能力を上げた民であってもこの職につける人間は数える程度しかいない。




