“迷宮”
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魔法の訓練が終わると、まだ昼食の時間にもなっていないというのに、担任のヤマは今日の授業の終了を告げた。
「授業は午前に1コマだけやって終わるのが普通だよ。
たまに夜間授業とかあるし、魔法訓練は疲れるからね。
ヒカル君はこの後どうしたい?学園の中を探索するとか、学生寮で寝るとか…色々あるけど」
ヒカルは少し考え込んだ。
迷路のような学園を探索するのも楽しそうではった。けれど、初めて使えた魔法をもっと使いたいという気持ちが優った。
そんなヒカルの心情を読んだのか、それとも偶然か、ヤマは苦笑いして言う。
「やっぱり、魔法を使ってみたい?」
ヒカルは黙って頷いた。
「お、やっぱそーだよな!」
ヒカルか担任と話していた所に、クラスメイトのヴァイがやってきた。上機嫌に青髪を結び直している。
「じゃあ、俺と一緒に“迷宮”行くのどう?」
「“迷宮”……?」
「そ、“迷宮”。街中で魔法ぶっ放すのはダメだから」
ヤマは、ヴァイが魔法訓練の時“樹”と戦うことを提案した時と同じ、渋い顔をしている。
「いやぁ……流石にそれは危ないよ。
僕みたいな監視役も居ないし、何かあったら助けに行けない。練習用の“樹”とは違うんだよ?」
「王都の“迷宮”の魔物なんて、だいたいが“樹”よりも弱い奴ばっかりだろ。
ほら、折角魔法を使ってみたいって当人も言ってるんだしさぁ」
ヤマは困り切った顔をしている。
そこに、ロアがやって来て言った。
「大した遠出でもないし、大丈夫だよ。
監視役は私がやるから、任せて」
「そっか……ロア君が居るなら……大丈夫かな」
ロアは、深紫の髪と瞳を除けば極めて普通の女の子に見える。
そんな普通の少女がどうして教師から深い信頼を得ているのだろう、と、ヒカルの頭に疑念がよぎった。
「じゃあ、これを持って行って。訓練で君が使った杖だ。使い方がわかっている物の方が良い」
「あ、ありがとうございます」
ヤマは持ち歩いているカゴの中から、3つの水晶が挟まれた棒きれの杖を渡した。
ヒカル、ヴァイ、ロアの3人は、学園の外に出た。
学園は山を切り拓いて築かれているため、高い塀の外には、鬱蒼とした森が広がっている。
道は舗装されておらず、わだちの跡が窪んだ2本の筋を引いており、他は雑草が茂っている。
「あんまり道を逸れるなよ、獣道に迷い込んだら大変だからな」
ヴァイに言われ、ヒカルは森の奥の方を見ようと乗り出していた身を引いた。
「道の辺りは獣とか魔物とか出てこないと思うけど、森の奥にはそういうやばいのがうようよいるんだ。ま、これから行く“迷宮”にもいっぱい居るんだけど」
「あの、ヴァイ。
“魔物”ってさっきも言ってたけど、どういうものなの?
訓練?で燃やした“樹”の事?」
ヴァイはびっくりした顔をして、それからすまなそうに言った。
「悪い、別の世界から来たお前は知らなかったよな……
“迷宮”に行くまで時間あるし、軽く説明しようか」
「ついでに“迷宮”というものもお願いします」
「あいよ。
“魔物”っていうのは、神の元に行けない魂の事だ」
「神の元に行けない…?」
「俺達は死んだら神の元に行くだろう?
その時、ちゃんと埋葬されないと魂が彷徨ってしまう。さまよう魂の器に、魔力が宿ったもの。それが“魔物”だ」
「魂の器…?」
「“ニホン”でいう所の“ユーレイ”とか“ゾンビ”って奴だよ」
ロアの一言でヒカルは理解した。
「異世界人の中でも、“ニホン”の出身の人ってみんなこの一言で納得するんだよね……“ニホン”の“ユーレイ”の話ってそんなに有名なの?」
「その話は回り道になるし、どうせ後でラックがしつこく聴き回すだろうから、また後にしようぜ。
んで、ちゃんと埋葬が行えない森の中とか、長いことほったらかしにされた墓とかには、そういう“魔物”が沢山発生する。“魔物”が多いと魔法使いが入っていけなくなる。魔法使いが入れない場所は、動植物が繁殖する。動植物が繁殖すると、その場所には死骸が多くなる。
結果、多くの魔物が巣食う場所が発生する。それを総称して“迷宮”って呼ぶんだ。
あとは……現物を見た方が手っ取り早い、かな」
ヴァイは一通り説明を終え、道の前を示す。道の前方は崖が森を断ち、視界が開けていた。道の先は木製の吊り橋がかかっている。
吊り橋から見下ろすと、崖に人為的に加工された石製の遺跡が見えた。遺跡は、鉢から引き抜いた植木の根のように、崖から飛び出しては土中に戻るという謎の構造をしている。
「あれは、昔は貴族の墓だったとこ」
「独特の……建築センスだ」
その墓は、ヒカルが“ニホン”にいた頃写真で見たどの神殿よりも奇怪な構造をしていた。どちらかと言えば意味深なモダンアートに近い。
「作られた当時はあんなめちゃくちゃじゃなかったんだけど、“魔物”の数が増えるうちに建物ごと空間が歪んじゃったんだ。
だから“迷宮”って呼ばれてる」
「なるほど」
「築何年だったっけ……4千年とかになるのかなぁ。
だいぶ昔からあることだけは覚えてるよ」
ロアは頑張って何年前に作られたのか思い出そうとしたが、結局思い出せなかった。
“迷宮”は、人1人通れる程度の細長い通路と一辺がおよそ20メートルの正方形が組み合わさって作られている。地表に面している所は場所によっては風化していた。
ヒカル達は吊り橋を渡り、反対側の崖にある建物に向かった。レンガ造りの建物は、“迷宮”を構成する遺跡とは違う雰囲気を持っている。
「ここは?」
「“迷宮”の正規の受付。どんなやつが何人入ったか記録しておくんだ」
「遭難した時とかに役立てる為?」
「よくわかったな」
「“ニホン”だと登山の時、届けを出す事があるって聞いたから」
「どこの世界も、危険な所行く時は同じだなぁ」
レンガ造りの建物の中には、手前にカウンターが、奥に重厚な扉があった。カウンター周辺には松明やカギのついたロープのような道具から、木製の盾や分厚いマント、色とりどりの杖のような装備まで、様々なものが置かれている。
カウンターで座っていた、怪しげな女店主は、ヴァイとロアを見てニヤリと笑った。
「やぁ、久しぶり……ってほどでもないか。
今日は何の用だい?見かけない顔引き連れてるけど」
「こんにちは、レキサさん。
彼は新入生のヒカルです」
「ヒカル……ということは“ニホン”からの“転生者”か」
ヒカルはよくわからないまま頭を下げる。
「浅野ひかるといいます…」
「おう、よろしく。
私はここで“迷宮”の店主をしてる。危険な奴が出入りしないようにね」
女店主は奥の重厚な木の扉に目をやった。扉の脇には2人の鎧を着た騎士が立っている。
「さて。
本当なら委任状とかカードとか要るワケだけど…おぼっちゃまの連れなら、危険な奴で無いのは言うまでも無いか。
通ってよし」
女店主はヒカル達の名前を紙に書き、カウンター裏の掲示板に貼り付けた。
掲示板には新しいものから古いものまで多くの紙が貼り付けてあった。ヒカルには読めなかったが、少数の掲示だった為ヴァイがそれら全てを読み上げた。
【ファイヤ王国騎士団45名】と書かれたものはレシートのように名前が並んでいる。【魔術師1名:ウィロー】【学生1名:マリー・ゴールド】といった、単身での探索者もいる。ヒカル達の【学生3名:ヴァイ/ロア/ヒカル】は比較的人数の少ない方だ。
「とりあえず、初心者が居るから、許可は上層の200年代までにしとく。気をつけるんだよ」
女店主が言うと、2人の鎧騎士はむっくりと立ち上がって、木の扉を開けた。
途端、ひんやりとした地下の風が一行に吹き付けた。
ヴァイは、扉の前に立ち、手のひらの上に炎の玉を作り上げた。無造作に火の玉を握り潰すと、拳を胸に当てた。
ヴァイは謎の行動を終えると、扉前の場所をロアに譲った。
ロアは短剣を抜き、何度か振り回して、鞘に納める。
それから、ヴァイとロアは、ヒカルを見た。次はお前の番だろう、と言うかのようだ。
「えっと……今のは何を?」
「何って…黙祷だよ」
「もくとう…?」
「さっき言ったろ、“迷宮”は墓で、“魔物”は弔われなかった死者だって。
ここから先は死後の世界なんだ。
……それとも、ヒカルは信じる神とか、居ないのか?」
「ああ、なるほど」
ヒカルは“ニホン”の典型的な人間の1人だった。世間の空気や習慣は重んじるが、これといって明確に信仰する風習は薄い。
加えて、ヒカルは無神論者だ。信仰する対象は居ない。
だが、死者の悼み方は知ってる。
手と手を合わせ、目を閉じる。
少しの間合掌をしてから、ヒカルは手を離した。
「それじゃ、入ろう」
ヒカル達は扉の向こうに足を踏み入れた。
壁や床は劣化した石で作られ、1歩踏み出す毎に足音が反響する。
10メートルも先に進めば、前方は薄暗くなっていた。ヴァイはカウンターで借りた松明に火を灯す。松明の炎は、壁に描かれた模様をゆらゆらと浮き上がらせ、不気味さを強調する。
「さっき、カウンターの人が200年代と言ってたけど……どういう意味?」
「“迷宮”は歳を重ねる毎に規模が大きくなる。そのうちの表層200年までが、今日立ち入って良い区域ってこと。
あんまり強い魔物も居ない、初心者向けの区域だよ」
ロアは簡単に説明し、前方の闇を指差す。
「ほら、あんな感じの」
ヴァイが松明に照らすと、暗闇から大蜘蛛が現れた。一見、普通のタランチュラのようなものに見える。しかし、その頭部は潰れており、よく見れば足も数本無くなっている。
「炎で一気に叩くんだ!」
ヴァイの言葉に、ヒカルは真剣な目で頷いた。
ヒカルは杖を強く握った。
業火が蜘蛛を襲い、蜘蛛は甲高い声を立てると脚を縮ませひっくり返った。
「ヒカル、これを使え」
ヴァイはヒカルに短剣を投げ渡した。ロアが“迷宮”に入る前、儀式を行ったのと同じデザインだ。
「これは…どう使うんですか?」
「弱った魔物にトドメを刺す用」
「ェエ…」
「嫌なら代ろうか?」
「……いや、自分でやる」
蜘蛛はひっくり返ったまま、脚をピクピクと動かしている。見て気分の良い物ではないが、近付いても危険は無い。
ヒカルはそっと近付き、潰れた頭部に短剣を当てた。
すると、短剣が触れた所から蜘蛛の身体は塵へと変わり、溶けるように消えてしまった。
驚いたヒカルは短剣を見る。
よく観察すると、短剣はただの金属では出来ていないことがわかる。異様に軽い質感、薄ら透けている刃。素人の目でも、ただのナイフでない事がわかる。
「これは…何?」
「だから、トドメを刺す用のナイフだって」
「“ユーレイ”にトドメ刺す為のナイフだから特別製なんだよ。
あ、下手に刃に触らないでね、大変なことになるから」
ヴァイは専用の鞘を手渡した。
「死にきれない生き物の、魔物にトドメ刺すのにこれより手っ取り早い方法は無い。持っとけ」
「すごく高そうだけど……いいの?」
「気にすんな、学用品だ」
ヴァイはそう言ってヒカルに鞘を持たせた。
ヒカルは鞘を腰に下げる。それから短剣を鞘に収めようとし、ふと床に落ちた5センチ程の肉塊を見つける。
「お、良いもん落ちてるじゃん」
周囲を警戒していたロアも肉塊に気付いた。懐から黒いガラス瓶を取り出す。
ロアはガラス瓶のフタを開け、肉塊を指差した。すると、肉塊はふわりと浮かび、ガラス瓶の中にぽちゃりと入った。
「魔物はトドメを刺すと身のだいたいは消えちゃうけど、こうやって一部分が残ることがある。これは糸袋かな」
ゆらゆらとガラス瓶をゆらすと、肉塊が崩れてトゲのついた内臓のようなものと分離する。
「魔力の影響を受けてて、普通の蜘蛛より扱い易くて丈夫だから高く売れるんだ。
出入り口のカウンターとか、街に行けば素材屋とかで買い取ってくれるから、良い小遣いになる」
「ロア、ネコババするなよ?」
「しないよそんなこと」
ロアは紙切れを小瓶に巻き付け、ヒカルには読めないこの世界の文字を書いた。
「さ、次に進もう!」
ロアはヴァイを押し、一行は更に奥へと足を進めた。
ガネット隧道
何千年も前に作られた墓。一説では学園とほぼ同時期の6千年前に作られた、とも。
墓を作ることが権威の象徴だった時代の遺産と言われ、主はガネット伯という名だたる貴族とその従者達と伝わっている。
年月による劣化や洞窟化、多種多様な動植物の繁栄が凄まじいが、侵入者向けのトラップはほぼなく、近隣の学園の学生がよく利用している。