唐揚げとレモン
大きな鐘が6回と小さな鐘が3回、塔の鐘が告げる時刻はもうすぐ夜の7時だ。
ギルドで報告を済ませて報酬を受け取った後、打ち上げを兼ねて飯に行く予定だった。
しかし「食事に行くなら先に髪を綺麗にしたい」とケルシーが言うので夜まで自由行動となった。
俺は時間より少し早いが先に待ち合わせバーに入ることにした。
繁華街の外れにある両隣を大きな建物に挟まれた建物。ワインとグラスが描かれた吊り看板が下がっている店だ。
入り口のスイングドアを押して中に入る。
カウンター席しかないくらいこじんまりとしている店内をランプが控えめに照らしている。
食事のできる店はいくつもあるのだが、冒険者用の宿場町に近い繁華街の食堂や酒場はどこも騒々しい。
ケルシーと二人なら落ち着いた雰囲気のこの店が良いと思ったからだ。
「あらシトロンじゃない。来てくれたのね、いつものでいい?」
カウンターからはバーテンダーの聞き覚えのある声。
ここは昼に大通りで合ったミモザさんの店だ。
俺は一番奥のカウンター席に腰掛けていつもの酒と、何でも良いからと先に二人前の食べ物を頼んでおいた。
「飲みに来てくれたってことは次のパーティーが見つかったのね」
ミモザさんがカクテルを手渡しながら聞いてきた。
「ええ、おかげさまで。
まだ期間限定、お試しの相棒って感じですけどね」
「もしかして女の子なの?
隅に置けない奴め〜お姉さん妬いちゃうな〜」
何故相棒が女だと分かったのか。
俺の表情がそんなに読みやすいのか。
いや、カマをかけられたのかもしれない。
「い、いいじゃないですか別に!
それに俺のこと弄んだ人の台詞ですか」
「人聞きが悪いわね。
ちょっと話し相手になってあげたのをシトロンが勘違いしただけじゃない。
自分の中だけで盛り上がっちゃう独り善がりだから恋人ができないのよ」
ミモザさんは異性だがとても話しやすい人だ。
バーテンダーという職業柄なのだろうが、とても良い話し相手になってくれた。
それを脈ありと勘違いした俺は一度痛い目に遭っている。
俺は少しでも古傷を癒そうと甘いカクテルを飲んだ。
「ほんと痛いほど身にしみましたよ、独り善がりで突っ走るのは良くないって」
そう言葉にしてみると頭の中が整理された気がした。
ケルシーが大人っぽいと感じたのは、たぶん他人の気持ちを察して気遣いができるからだろう。
俺には到底真似できそうにないので素直に尊敬する。
彼女は身勝手な俺の拘りを認めて受け入れてくれる器量をもった娘だ。
ふと師匠の言葉を思い出す。
サムライは仕えるべき主君を得て初めて一人前だと。
剣聖を夢見て自身の強さのみを求めていた俺には無縁の話だった。
しかし、もし自分が仕えるとしたらどこかの王様ではなく、彼女みたいな人なのかもしれない。
上手く言葉にできないが、彼女の夢や目標を隣で支えて見ていたい。
こんな風に思ったのは初めてで、自分でも驚いている。
ふとケルシーは俺のことをどう思っているんだろうと気になった。
慕ってくれているとは思うのだが……。
「なーに悦に入ってるのよ」
そんな綻んだ顔をしていたんだろうか、ミモザさんに指で額を小突かれる。
「いてっ、何するんですか」
「どうせ『もしかして相棒は俺に気があるんじゃないか?』っとか考えてたんでしょ。
そういうところが一人で盛り上がってるって言ってるのよ」
本当にそのとおりだったから何も言い返せない。
「はぁ、図星みたいね……。
白黒はっきりつけたいって気持ちもわかるけど、世の中グレーな事の方が圧倒的に多いのよ。
出会ってほんの少ししか時間を共有してないのに、結論を出そうとするのは良くないわ」
さも恋愛上級者であると言わんばかりに上から目線のミモザさんに諭される。
自分だってまだ独身の癖に……。
「そんなもんですかねぇ?」
「そんなものなの。
それに、これからも一緒に冒険したいと思ってる相手なんでしょ?
時間はたっぷりあるんだから、じっくり答えを出していけばいいのよ。
お姉さん応援してあげるわよ」
「応援してくれるのは有り難いけど別にそんな気は……、そもそも相手は」
言いかけたところドアが開く音がした。
店の入口の方を見ると大人スイングドアが開いて、小さな女の子が潜るように店内に入ってくるところだった。
カウンターの奥にあるこの席は少し見えにくい位置になっているので、少女はキョロキョロと俺を探しているようだ。
昼と少し服装が違うが、見間違いようはない。
俺は椅子から身を乗り出して少女を呼んだ。
「おーいケルシー、こっちこっち」
俺を見つけたケルシーは、はぐれていた親鳥を見つけた雛鳥みたいに表情が和らぐ。
「いらっしゃい、あなたが噂の相棒さんね。
って……」
ケルシーの姿を見たミモザさんは言葉に詰まり、その姿を二度見する。
「(前言撤回よ、犯罪だわ!!)」
ミモザさんは「相手がこんなに幼い女の子だとは聞いていない」と言いたげな引きつり笑いで訴えてくる。
コトコトと木目の床を鳴らしてこちらに駆け寄って来たケルシーが、隣の背の高いカウンターチェアによじ登るように腰かける。
俺が先に着いていた事を気にしていたので、ついさっき着いた所だと伝えると安心したようだ。
簡単に自己紹介を済ませたミモザさんがケルシーに飲み物を尋ねた。
「お酒はマズいわよね?ミルクとミネラルウォーターがあるわよ。どっちにする?」
綺麗な飲料水が手に入らない地域も多いので、子供だから酒を飲んではいけないという決まりは無い。
だが他に飲める物がある場合は別だ。
幸いこの街では飲み物に困ることはないので、ほかの飲み物を薦めたようだ。
「え……?そ、そうですね。ミルクでお願いします」
幼女は面食らった様子だが、少し迷ってからミルクを注文した。
ミモザさんはケルシーにミルクの入ったグラスを手渡しながら、俺に変なことをされなかったかと聞く。
「変なことですか?ご主人様はわたくしにとても良くしてくれますよ」
「ご主人様とか呼ばせる趣味があったのね……」
「そんなゴミを見るような目を向けるのやめてもらえませんかね。
ケルシーも名前で呼んでくれってお願いしただろ?」
「すいません、お名前で呼ぶのは二人きりの時だけかと思いまして……」
「まってまって、もうそうゆう関係なの!?」
カウンターから身を乗り出して、詳しく聞かせろと言いたげなニヤけた笑みを浮かべるミモザさん。
「からかうのもいい加減にしてくださいよミモザさん」
「ごめんごめん、それじゃあ料理を取ってくるわね」
ペロッと舌を出すおどけた態度で厨房に消えていくバーテンダーを俺はため息で見送る。
良い年してこんな幼女をからかって楽しいのか。
「ごめんなケルシー、気を悪くしないでくれ」
「いえ……大丈夫です」
ケルシーはからかわれたのが恥ずかしかったのか、顔がほんのり紅潮している。
昼間と違い、長髪をアップにまとめた彼女は、沢山フリルのついた白いワンピースを着ている。
緑色のスカートも良かったが、今の格好はより少女らしさが引き立てられて似合っていると思った。
指輪やネックレスなどアクセサリーも身に付けている。
冒険に行かないオフの時のお洒落なのかもしれない。
じろじろ観察されたのが気になったのか、ケルシーはスカートの端を持ち上げて少し照れ臭そうに聞いてくる。
「に、似合ってますか?」
「ああ、子供っぽくてすごく良く似合ってるよ」
実際よく似合っていると思ったので、何度も首を縦に振って肯定する。
「そうですか」
しまった、つい考えていたことをそのまま喋ってしまった。
やはり子供扱いは良くなかったようで、ケルシーは眉を下げて口を尖らせてしまった。
気まずい空気になってしまったので、グラスの酒を一口のむ。
横目で様子を伺うと彼女は面白くなさそうに自分のコップとにらめっこしている。
完全にやらかしてしまった。
話題を変えないていけないと思ったので、俺は意を決してを話を切り出した。
「ケルシーはいつまでこの街にいる予定なんだ?」
さっきまで拗ねていた少女だが、真面目な話だと感じ取ったのか切り替えた様子で答える。
「2週間ほど滞在して、次の町に向かうパーティーを探すつもりです」
「前のパーティーの人は?」
「前のパーティーは今日この街を立つ予定だったんです」
てっきり町を出る時は前のパーティーの人たちと一緒に行くつもりなんだと思っていた。
俺はお試し感覚の軽い気持ちでいたが、彼女はそんな重大な決断をしていたのか。
なのに今も外堀を埋めるような尋ね方をしている自分が大層ちっぽけに思えた。
「ケルシー!この街を出るときは俺も連れていってくれないか」
こんなストレートな聞き方をした事に自分でも驚く。
「気を使って頂くのは嬉しいですが、シトロンくんにそこまでしてもらうわけには」
彼女は少し困ったような愛想笑いを浮かべる。
急な申し出だったから迷惑に思われたのかもしれない。
ほんの数時間前まで俺は、町を出る気がないと伝えていたこともある。
「違うんだケルシー、俺が君と一緒に行きたいんだ。一緒に世界中の景色を観て回りたい」
彼女はまっすぐこちらを見上げ、目をぱちくりさせて驚いている。
「本当ですか?」
彼女の大きな瞳が照明を反射させてエメラルドのようにきらめく。
あっという間に大粒の涙になった雫が頬を伝った。
「なっ、泣くほど嫌がるか?」
俺はポケットの中から涙を拭えるものを出そうとするが、汚い手ぬぐいしか出てこなかった。
差し出そうとしてあわててひっこめる。
あたふたしているうちに、彼女は自分のポーチから取り出したハンカチで涙を拭っていた。
「違うんです。……嬉しくて」
嬉しい?彼女も俺と一緒に旅をしたいと思ってくれていたのか。
ハンカチで目を押さえているケルシーに何か声をかけたいが、泣いている女の子にかける言葉なんて咄嗟に出てこない。
ようやく息を整えた彼女は当然の疑問をぶつけてきた。
「何故一緒に旅に出て下さる気になったんですか?」
「ま、まあそれは別に良いじゃないか」
俺は適当に誤魔化してしまった。
彼女は回答が貰えないことに少し不満そうだ。
君の従者として旅に同行したいだなんて、幼女に向かって言うのは小っ恥ずかしい。
それにこの決意は自分の心の中に留めて大切にしたいと思ったからだ。
「ケルシーこそなんで俺とパーティー組みたいと思ったんだ?」
少しの沈黙。
少女の回答に注目していると、俺の視線を読み取ったのか、ケルシーは何か思い付いたという顔で答えた。
「秘密です」
やられた、これ以上の追求は交換条件を突き付けられて墓穴を掘る。
彼女は口の端を少し持ち上げ、お返しですと言わんばかりに満足気だ。
俺たちの様子を見ていたミモザさんがクスクスと笑い出した。
「あはは、あなたたち結構お似合いだと思うわ。
シトロンの面倒をよろしくね、ケルシーちゃん」
「はい、誠心誠意、サポートします」
「ちょっとまってくれ俺が面倒見られる方なのか?」
当然じゃない、と言いながらミモザさんが運んできた料理をカウンターに乗せる。
すると食欲を誘う香ばしい香りが立ち込める。
俺は思わず吹き出して笑ってしまいそうになった。
何の因果かお任せで頼んだ料理の皿には、またしても山盛りの唐揚げが盛られていた。
もちろんレモンが添えられている。
「まぁ、これからよろしくってことで」
俺はまだ乾杯していなかった事を思い出して
「何に乾杯しましょう?初めて依頼を達成出来た事でしょうか」
「そうだな、それじゃあ…」
俺の人生をぶち壊したもの。
でも、新しい出逢いをくれたもの。
「唐揚げレモンに」
話が掴めてない彼女は不思議そうに首をかしげているが、俺がグラスを差し出すと彼女もグラスを合わせた。
「かんぱいです」
グラスが触れ合い鐘の音を鳴らす。
彼女の髪が風を孕んで先刻の花の香りが広がった。
それはレモンの香りだった。